1 竹、召喚、弁慶
波の音がする。
不思議な音だ。それは自分の知るどんな波も連想させない。
でもそれは確かに波の音だ。
暖かく包まれているような感覚。
ずっとこのままでいたいと思う。
現実なんて何もかも忘れてしまって。
――現実?
突然、意識が覚醒する。
知らない場所にぽつんと立っている。
夕暮れ時らしく、辺りは少し薄暗い。
ここはどうやら竹林の中のようだ。竹がまっすぐに空へ背を伸ばしている。
時々風が葉を揺らす音がするが、それ以外に音らしき音はない。鳥はおろか、生き物の息づかいさえ感じられない。
俺はそんな場所の開けた所に立っている。足下はずいぶんと荒れていて、土が所々えぐれたりしている。しゃがんで近くで見てみると、焦げたような不自然な跡が残っている。
「一体どうしたってんだ……」
さっきまで俺は……確か道を歩いていた。
そうだ。会社から帰宅する途中だった。市の大通りに面していて、車はもちろん、人通りもかなりのものだった。そんな所から急に人が消えたなら大きな騒ぎになるだろう。
自分の服装や持ち物は帰宅途中の物そのままだった。セールで買った安いスーツに革でできた少し高い鞄。中には会社から持ち帰った書類に数冊の本。スマホもある。予想はしていたが、インターネットには繋がらない。充電もあまり残っていなかった。時刻は午後6時ちょっと前。腕時計と見比べてみると、いつものように腕時計の長針が少し早く進む。どうやらタイムラグはなさそうだ。
ここにずっと立っているわけにもいかないので、とりあえず竹林の中を散策してみることにする。
と、思って後ろを振り返ってみると驚くべき物があった。
「これ……人の下半身か?」
全体が黒焦げていてよくわからないが、確かに人の身体だった。あるべき上半身が爆発でもあったのか無惨に吹き飛んでいる。だが、その姿は、まるで全身を矢に射されても倒れなかった弁慶のように堂々としたものだ。
あまり見ていて気持ちいいものではないため横へ目をそらすと、紙切れが数枚転がっているのが見えた。
「なんて書いてるのか全然わかんないな」
文字は見慣れた日本語ではない。アラビア文字やキリル文字のような意味不明な文字列だ。
ただ、ひとつわかったことがある。
紙の真ん中に書かれた大きな魔方陣の絵。人が移動しているのを表すかのような挿絵。
「もしかして……召還か?」
召還。
もしそれが本当だとして。
俺を召還しただろう、黒焦げの下半身だけの死体。
ここに呼ばれた目的も、帰り方もわからない俺。
どこまでも続く竹林。
「これ、もしかして詰んでる?」




