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社長秘書の憧れ

作者: あらまき

 

 憧れとは理解から最も遠い感情とは良く言ったものだ。

 もう三年は秘書を続けているが、未だにあの人のことを理解出来る気がしない。

 そう大鳥渉(おおとりわたる)は思っていた。


 大鳥は俗に言うエリートだ。背も高くルックスも良い為女性受けも良い。その上自分を有能だと自負している為、大変自尊心が高い。

 この会社も規模はそれなりに大きく、年商は百億を超える。

 二十四の時に社長秘書に選ばれ、その自尊心は更に加速した。大鳥は天狗になっていた。


 社長秘書など通過点。会社のトップに立ち、他の会社を飲み込み更に成長させる。自分ならそれが出来ると信じていた。

 そんな愚かな考えは、社長秘書となり社長と会った瞬間に消滅した。


 初めて社長を見た瞬間。自分の限界に気づかされた。

 ただ見ただけでわかってしまったのだ。自分はこの人には絶対に勝てないと。その予想は当たっていた。

 得意な業務ですら、社長のしていることは三割程度しか理解出来ず、それ以外の分野は全くわからない。

 正しく化物としか言えなかった。

 大鳥はそんな彼女に、恐怖に似た憧れを焼き付けられた。


 社長の名前は(あかつき)麗華(れいか)。最初に会った時は二十三で、現二十六歳。大鳥の一つ下だ。

 社長は二十の時に起業し、たった一人の力で会社をここまで押し上げていた。


 社長は文字通り特別だった。ただし、特別すぎた。社長秘書の仕事で半月持った者は一人もいなかった。

 ある者は別の会社に、ある者は退社し、またある者は秘書を受けずに辞退した。


 大鳥にはその理由が良くわかった。大きな理由は二つだ。

 一つは、彼女は眩しすぎるのだ。自分の才能に自負のある人間の心を折るには十分すぎる程、彼女は優秀だった。

 もう一つは、単純に仕事についていけないのだ。ただの秘書の仕事でも、この社長の場合は常に全開でもやりきれないほど大変だった。

 大鳥も秘書になって万全にサポートできたとは思っていない。それでも、秘書を辞めようとは思わなかった。

 例え憧れに身を焼かれたとしても。



「思えば、君が秘書になってからもう三年か。良く辞めずに残ってくれたよ」

 社長、麗華の言葉に「恐縮です」とだけ答える大鳥。それを見て、社長はくくっと小さく笑った。

 大鳥は最低限の言葉しか社長とは交わさない。それは社長と自分を対等に思っていないからだ。

 大鳥にとって社長という存在は、王と呼ぶに相応しい存在だった。


 だが、最近はその社長の様子が少々おかしい。いつもは完璧なのにそうでも無い時があった。

「社長。失礼ですが、少々お休みになられた方がよろしいかと」

 そう。最近は明らかにオーバーワークだった。ただでさえ過密気味なのに、ここ一週間はいつもよりもギリギリまでスケジュールが埋まっている。朝昼夜の食事時間合わせて五分という有様だ。

「そうね。次の週末が終わればそうするわ」

 ただでさえ過密なスケジュールだが、社長は大鳥が知らない仕事も何かしている様だった。

 自分に言えない仕事もあるのはわかる。悔しいが自分だと実力が足りない。


 ただ、それで社長が倒れるのだけは許せなかった。自分にとって、社長とは天の上の存在なのだから。

 そんなつまらないミスをして欲しくは無かった。

「社長。いつ休むか決めてください。出ないなら無理やり有給使わせますよ」

 真剣にそんなことを言う大鳥に麗華は噴出し笑った。

 そもそも社長に有給は無い。そんな当たり前の事すら出てこないほど慌てているとわかったからだ。

「そうね。じゃあ次の日曜日。あなた有給使いなさい。その上で日曜日。大切な仕事を手伝ってちょうだい。そうしたら月曜日休むわ」

 有給を消化して仕事しろなんて、普段は絶対に言わない人だ。

 少なくとも、社員にそんな対応をしたことは一度も無かった。


 だが、それでは大鳥にとっては嬉しいことだった。

 自分が必要とされ、特別扱いを受けていると実感出来たからだ。少しでも、社長に認めてもらえたと思えた。

「わかりました。日曜日に有給を取らせていただきます。なので今度仕事の具体的な内容を説明して下さい」

 大鳥は胸の内ポケットから手帳を取り出し、その日に記述をしていく。それを見て、麗華はにっこりと笑った。

「じゃあ、その日までに残った業務終わらせるわよ。大鳥君。私のモットーは何かしら?」

「はい。電光石火です。疾如風。ミスも無く、丁寧でなのは当たり前。その上で仕事を迅速に終わらせるのが社長流だと存じております」

「その通りよ。だから次はそれを実行に映すわ。ついてきなさい」

 麗華の掛け声に、大鳥は頷き麗華の後ろを追従した。

 その日から日曜まで、大鳥はあまりの仕事量に死を意識した。


 そして、約束の日曜日が来た。来てしまった。

 いつもより高いスーツを着用し、長時間の正座を覚悟すること。

 相手に無礼な対応を取らない様にすること。その上で、何でも出来る様に準備すること。

 それが、社長が大鳥に説明した内容だった。


 大鳥は二つの可能性を考えていた。

 一つは華道の家元。相当大きな契約の話になるのだろう。自分は男要因か、それとも男性の視点の話か。その辺りの為に連れて来られたのだと思う。

 もう一つは任侠団体さんだ。むしろこの可能性の方が大きい。何故なら社長だからだ。本でも腹に入れておくか悩んだが、恐らく無駄。

 せめて社長を逃がせる様に殿になる覚悟だけはしておこう。


 その現場に行くと、予想以上に大変なことになっていた。



 まず、麗華はいつものビジネススーツでは無く、着物だった。それも相当気合の入った着物衣装だ。着物自体、幾らするのか予想出来ないほど美しく、それに負けない位社長も美しかった。

 普段も確かに美しいが、今日は化粧の気合の入れ方が特別だった。社長自体も気合十分の様で、今日の取引はどれほど大事なのか予想も出来ない。


 次に見えたのは壮年の夫婦。にこにことした表情を浮かべているが、間違いなく油断できる相手では無い。相当は場数を踏んだと思われる余裕に、社長にも似た強化の雰囲気が備わっていた。


 最後に見えたのは見慣れた壮年の夫婦。女性の方は泣いていて、男の方は嬉しそうに笑っている。

 というかこの人達両親だ。


 どういうことだ。何故両親がこの場にいる。大鳥は隠し切れないほど混乱しだした。

 そもそも、あちらにいらっしゃる夫婦は社長の父母だ。写真で見たことがある。

 何がどうなっている。というか何が起こっている。ただ慌てている大鳥に、社長は一言だけ呟いた。

「私のモットーは何かしら?」

 突然のことではあるが、何時も答えている。社長のモットーは……。大鳥はその瞬間、はっとした顔で社長、麗華を見た。


 少し頬を朱に染めながら、麗華は大鳥に対してウィンクしていた。逃げ道を塞いでから交渉するのも社長流だった。

「ちなみに、明日は私もあなたも会社を休むことになっているの」

 そう恥ずかしそうに呟く麗華は、大鳥から見たらただの女性にしか見えなかった。


 大鳥は、社長に対する憧れを失った。

 憧れとは、理解から最も遠い感情とは良く言ったものだ。

 隣で幸せそうに笑う彼女を見て、大鳥は改めてそう思った。


ありがとうございました。

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