イースター
夏休みとは名ばかりの、涼しく穏やかな気候の長期休暇を終えた九月のこと。
グランツ・アカデミーは新学期とともに、イースター祭を迎えていた。
イースター。それは春の訪れを祝う復活祭。草木や新しい命が芽吹く春が来たことを、国中をあげて盛大に祝う祭りだった。
そう、やっと春が来たのだ。長らく待ちわびていた春が、ようやくこのハイルーン島国にも訪れていた。
ハイスクール二年生の、波乱の野外実習が七月末に無事終了し、八月に入ってしばらく経ってからのことだった。春の精霊誕生が観測され、その知らせが世界中を駆け巡ると、誰もが手放しで歓喜し、その喜びを分かち合った。もちろん、このハイルーン島国の国民も例外ではない。国中が祝いムードに包まれた。
本来のイースターが行われる時期は、春分の日を終えたあと、最初の満月の次の日曜日、という決まりがあった。例年では四月に行われるものだ。
しかし、想定外に冬が長引いたこともあり、ずっとイースターも置き去りになってしまっていた。
イースター――この復活祭は、多産や作物の豊作を願う祭りとして、古くから人々の拠り所とされてきた。イースターが開催されない年など、もはや国民にとってはありえないことだ。
無事に祭り当日を迎えられて国中が大いに沸き、例年以上の盛り上がりを見せていた。
グランツ・アカデミーでは、春の精霊誕生の知らせを受けたとき、長期休暇中であったにもかかわらず、臨時で盛大な学園祭がすでに一度催されている。
そのため学内では、「散々祝っておいて今度はイースターか」とげんなりしている者もいれば、祭り好きの者は、終始浮かれっぱなしだ。
オズマは祭り好き、そしてエリックはげんなりしている側の人間だった。
クラス委員だけでなく、イースター祭の実行委員までも引き受けていたお人好しの二人は、案の定祭りの準備のあいだはずっと忙しく、当日も悠々と過ごせることはないだろうと、各々で心づもりしていた。
しかし、クラス委員と実行委員の掛け持ちを気の毒に思った他学年の実行委員たちが、二人の仕事を少しのあいだ肩代わりすると申し出てくれたことにより、思わぬ空き時間が生まれていた。
親切な先輩や後輩の計らいにより、つかの間だけでもエリックとオズマの二人は、しばし祭りを見て回ることができたのだった。
祭りを純粋に楽しんでいる様子のオズマを見て、エリックはどこか目のやり場に困るように戸惑っていた。
忙しくしていたときには気にならなかったことも、こうして余裕ができると、かえって落ち着かないものだった。
「……その、やっぱり、君が女子生徒の制服を着ているのは、どうにもまだ見慣れないな」
「え、そんなに似合ってない?」
「いや、そういうわけでは……。単に目が慣れていないというだけで……」
しどろもどろになっているエリックを見て、オズマが不満そうな顔をする。
「僕だって本当は嫌だったけど、仕方ないじゃん。正式な行事のときは学外からも人がたくさん来るから、こういうときくらいはちゃんと指定の制服でいなさいって、ローナ先生に釘刺されちゃったんだから」
「まあ……それはその通りだな」
エリックはあらためてオズマを見て、それからしみじみと言った。
「君は学生でありながらも、その能力を幼いころから買われ、有事の際には他国に潜入する諜報員として、国からも正式に任命を受けていた身だからな。その際に、男女どちらにも扮することができるようにと、学内でも生徒どころか教師すらも欺いて、ずっと男として生きてきた。……しかし、それも十七歳を迎えて、とうとうお役御免というわけか」
「その機会が一度も訪れなかったことに、今では心底感謝してるよ。――どうしたの急に? あらたまった言い方なんかしちゃってさ」
「いや……。君の生き方そのものを大きく変えておいて、今さら女に戻れだなんて、ずいぶんと虫のいい話だと思って」
やけに神妙な顔でエリックにそう言われたことで、オズマは目を瞬かせた。
「僕はそれほど不満に思ってはいないよ。そりゃあ、僕がこんなスカートなんか履いてると、エリックにとっては気味悪いかもしれないけど。そもそも最初から、ずっと男でいられるとは思ってなかったし。
初めにズボンを履くようにって言われて、かえって僕は嬉しかった。こっちのほうが断然動きやすいもの。スカートだったら飛翔中もいちいち気にかけないといけないし、それこそ僕の人生に大きな制約がかかってたと思う。男として生きた時間があってこその、今の僕だから」
「そういうものか?」
「そういうものだよ」
オズマはエリックに向かって無遠慮に指をさした。
「それよりも、僕はエリックのほうがずっと心配だね。実習終わってからずっと、A班――ソルエルのこと、気に病んでるでしょ」
「……わかるか」
「わかるよ、元ルームメイトだもの。君の落ち込み方はね、君が思ってる以上にわかりやすいんだよ」
オズマに指摘されると、エリックは浮かない顔で話し始めた。
「ソルエルに占いの詳細を言わなかったことを、ずっと後悔していて……」
「ああ、冬ステージになってから、詳しくわかったことだよね。ソルエルがトゥーリを殺すって」
「ああ……。でもそれを話したら、彼女は絶対テラ・マーテルに来てくれないと思った。占いがそのように出たということは、彼女を伴わない限り、実習をクリアすることは不可能だということだ。僕はソルエルがどんな気持ちになるかよりも、自分たちの実習クリアのほうに重きを置いた。
彼女が先頭きってリタイア表明したときは、正直とてもほっとしたよ。自分があのときリタイアしたのも、ソルエルへの罪滅ぼしの意味もあったのかもしれない。ずいぶんと身勝手な罪滅ぼしだが。……オズマ、君ならどうした? ソルエルに真実を伝えていたか?」
「悩ましいね」
オズマは露店に並んだ、色彩豊かなイースターエッグのキャンディーやチョコレートに目をやりながら、沈んだ声でつぶやいた。
イースターバニーの着ぐるみを着た実行委員の先輩を見つけて、彼女は苦笑しながら右手を振る。エリックは、そんなオズマの横顔を黙って見つめていた。
オズマがふと顔を上げる。
「うん、やっぱり僕がエリックの立場だったとしても、同じ選択をしたと思う。君はクラスのリーダーだもの。全員で実習を乗り越えたいって思いは、きっと誰よりも強かったはずだ。ソルエルもそこはわかってくれてると思うけどな。――なんなら、僕たちも彼女に会いに行ってみる? 次の休みにでも」
「ソルエルに……? ラップランドへ行くのか」
「そう」
「とてもじゃないけど、まだそんな勇気はないな……」
「エリックって案外臆病なとこあるよね」
「君が怖いもの知らずすぎるんだ」
エリックは大きく息を吐く。
「僕の気質だけの問題で渋ってるわけではないさ。君もルビとマイスに話を聞いただろう。ソルエルと一番懇意にしていた彼らですら、すぐにラップランドの城から追い返されたそうじゃないか。彼女の心の傷がまだ癒えていない何よりの証拠だ。僕たちが会いに行ったところで、逆に思い出したくないことまで想起させてしまうだけだろう」
エリックは神妙な面持ちでそう言った。
実習終了直後、ソルエルはテラ・フィールドから姿を消していた。もちろん、学内に帰還したわけでもない。彼女は学園から失踪していた。
野外実習が終了してからも、学園側と教育委員会の間では、長らく揉めたらしい。それもそのはず、一クラス全員が実習を辞退するなど、グランツ・アカデミー創設以来、初めてのことだったのだから。
最上級仮想精獣の件で大変な騒ぎを起こした教師三名――ローナ、ベッケル、フラギリスも、あわや解雇処分どころか、魔法界から追放されてしまうのではないかとまで懸念され、散々騒がれる始末だった。
しかし結局のところ、教育委員会が最終的に出した結論は、「まだ早すぎた課題だった」ということに収まり、教師三名の行動も、むしろ大変勇気ある英断だったのではとも評され、解雇処分を免れて、数週間の謹慎処分を受けるのみで済んだ。
どうやって最上級仮想精獣をあれほど呼び出すことができたのか、生徒たちが教師三名を質問攻めにしたが、ローナ教諭が「子供は知らなくていいことです!」とものすごい迫力で彼らを一蹴したために、真相はついぞ闇の中に葬り去られていた。
ベッケル教諭は怒る彼女を見てニヤニヤしているだけで、フラギリス教諭にいたっては、顔を赤らめてそそくさといつものように研究室にこもってしまった。
そして学園長ウルリーケ・テナー……彼女は、一連の騒動の全責任をとるために、辞職とアルス・マグナの称号返還の意向を示していた。
――が、しかし。
それを反対する生徒や教師の声があまりにも多く、むしろ本人が辞めたがっているにもかかわらず、それが許されない状況であるということが浮き彫りになり、結局は彼女が折れる形で、引き続きグランツ・アカデミーの学園長を務めることとなった。
彼女は年齢不詳だが、かなりの高齢であることだけは間違いなく、それでもこうして周囲に望まれるまま、仕事を自由に辞めることもできないというのは、生徒の目には眩しくも映ったが、同時に人望がありすぎるのもまた辛い人生だなと、妙な感想を植え付けもしたのだった。
それから、散々振り回されたハイスクール二年生はというと、審議の結果、ひとまずクラス全員の実習クリアを認めるという異例の計らいがなされることとなった。ただし、夏休みのあいだに大量の補習授業をこなすという条件付きで。
クラス全員は、どうにかその補習にひたすら邁進することで、各々が抱えている煮え切らない何かから気をそらすしかなかった。
――行方不明になってしまった、ソルエルただ一人を除いて……。
エリックをはじめ、占いや探索魔法を得意とする者たちで、なんとかソルエルの足取りを掴むことができていた。最上級仮想精獣を倒したことにより、今やこのクラスの生徒たちは、教師にも引けを取らぬほど、めきめきとその頭角を現していた。
ソルエルはテラ・フィールドから姿を消したその足で、一度自身の実家へと戻っていたことがわかった。
しかし、悪いことは人生において重なるもので、彼女の祖母は、過酷な冬が長引いた影響か、自宅で一人、ひっそりと息を引き取っていた。
そこから彼女は、何を思ったのか、単身ラップランドへと赴いたらしい。そして、どうやらそこに居ついてしまったようだ。
その事実が判明するや否や、すぐにもルビとマイスが授業を放り出して、ラップランドへ向かっていた。
飛躍的にレベルアップしたルビの飛翔魔法でなら、マイスを連れても、半日も飛べばラップランド地方に到着することができたらしい。
草も生えない北の極地には、テラ・マーテルにあった氷の城とまったく同じものが建てられていたという。
ソルエルはそこにいた。おそらくは、城は彼女が建てたものなのだろう。
ルビとマイスは、なんとか彼女に学園に戻るよう説得を試みたが、その甲斐もなく、二人はすぐにソルエルに追い返されてしまった。
凍てついた表情のままで氷結と風を自在に操る彼女は、さながら雪の女王のようだったという。
それからも、めげずに二人は幾度かラップランドの城へと赴いているが、結果は同じ。
おかげで彼ら二人は、今のエリック以上に意気消沈している。




