先導者
「ごめんなさい……。ルビ、マイス、みんな、ごめんなさい……。だって、無理だよ……トゥーリと戦うなんて、できないよぉ……」
ソルエルがみっともなく泣きながら嗚咽を漏らしていた。
「トゥーリ……彼のおかげで私は魔法が使えるようになったの。終わらない闇から私を救ってくれたのも、彼だった。それなのに、トゥーリと戦って倒さなきゃいけないなんて……そんなの無理だよ、できない。そんなことするくらいなら、私もうこの学園を辞める。魔導師になんてなれなくてもいい」
きわめて協調性が高く、いつも自分は二の次で、ほとんど我を通そうとすることのなかった大人しいソルエルが、こんな緊迫した状況下で、周囲の士気を真っ向から下げるような行いをするなど、普段なら考えられないことだった。
彼女が自身の都合のみでわがままを言ったり、がんばってきたことを簡単に投げ出すような性格でないことくらい、クラスの誰もが知っていた。むしろ、ソルエルはどちらかといえば、みなが諦めることでも、最後まで根気強く粘るタイプのほうの人間なのだ。
しかし、そんな彼女でも音を上げてしまうほど、今回の最終課題が酷だったということなのか。
混乱していた大広間の空気が、しんと静まりかえっていた。
――かと思えば、今度は二つのアラーム音が、ほとんど同時に鳴り響く。生徒たちは、さらにぎょっとして周囲をきょろきょろと見回していた。
音の主は、ルビとマイス。彼らも自らのバングルの非常呼び出しボタンを押していたのだ。
「ルビ、マイス、お前らまで……」
D班のマギウスが心底驚いていた。
「……たしかに、トゥーリはいけ好かねえやつだったし、散々振り回されもしたけど。それでも、別にこんなふうにやり合いたかったわけじゃねえんだよな」
「――そうだな。それに、彼にはいろいろと世話にもなった。ともに旅をするのも楽しかったし、とても面白いやつだった。私も彼とは戦いたくない」
「二人とも……」
ソルエルが驚いてルビとマイスを見つめながら、またぼろぼろと涙をこぼして泣いていた。ルビがやれやれと頭をかく。
「……別に、ソルエルが気に病むことなんてねーからな。どうせお前のことだから、また私のせいで……とかめんどくせーこと考えてるんだろうけど」
「そうだ、これはあくまで自分の意思で決めたこと。彼と戦わない選択肢もあったということを、君が気づかせてくれただけだ。危うく大局を見失うところだった。こんな理不尽な戦いを強いられるのは、とても納得がいかないからな」
A班三人のやりとりを呆然としながら見ていた他班は、さらにここで別のアラーム音、それも複数のものが一気に鳴り響き始めたために、もはやこの場は秩序をなくし混乱を極めることとなってしまった。
「こ、今度は誰だっ?」
エルトンが焦って仲間内を見回す。
「あっはは。やっぱり面白いなぁ、A班は。トゥーリが君たちを気に入ったのもわかるよ」
騒然としたこの場で、能天気に笑っているのはオズマだった。どうやら彼女も自身のバングルのボタンを押したらしい。
オズマだけではなく、エリック、リュート、ミナト――なんとB班全員が、それぞれの非常呼び出しボタンを押し、実習辞退の表明を決意したようだった。
クラスの約半数が、野外実習の最終課題を目前にして実習をリタイアするという、異例の事態が起こっていた。
エリックが眉間にしわを寄せながら、重々しく息を吐く。
「A班三人の言う通りだ。目の前の課題に追われるあまりに、大局を見失っていた自分が恥ずかしい。トゥーリは……彼は仮想精獣だが、その前に僕たちのかけがえのないクラスメイトだ。四週間、この過酷な実習をともに戦ってきた仲間だ。どんな理由があるとしても、手にかけることはできない」
「あ~あ、これで留年確定かぁ。嫌んなっちゃう」
苦渋の決断をしたばかりの暗い面持ちのエリックとは対照的に、オズマはあくまで軽いスタンスを崩さなかった。そこに同じく軽いスタンス仲間のミナトが加わる。
「まあまあ、留年も悪いことばっかじゃないって。働くのが一年遅らせられるって思えば、そこまで悲観することでもなくね?」
「僕は学業なんて面倒なものはさっさと終わらせて、早く働きたかったんだよ。だって勉強嫌いだもん。ミナトだってバカのくせに、また一年余分に勉強する羽目になるんだぞ。わかってんのか」
「お前とそんな成績変わんねーじゃん。俺この学園結構好きだし、そこそこ居心地良いから、もうしばらくいても良いかなって思ってんだよな~」
「あっそ。バカってほんとお気楽でいいよねぇ」
「…………」
オズマとミナトのやりとりを、リュートが黙って眺めていた。リュートはこんなときでも相変わらず無口だった。彼も何か思うところがあってボタンを押したのだろうが、あえて多くは語らない男だった。別の言い方をするなら、口下手とも言える。
幼少期にオズマたちB班の四人がケイブイーターに吸い込まれてしまったとき、リュートがなかなか上手く自身の気持ちを言葉にできなかったらしく、洞窟からの脱出が他班よりも大幅に遅れてしまったらしい、と風の噂に聞くエピソードもあった。
「……おいおい、A班B班お前ら……。何勝手なことしてくれてんだよ、あァ? 団体行動だろうが。お前らの都合なんざこっちは知らねんだよ。戦力が一気に半減しちまって、しかもリーダー、サブリーダーの二人ともが真っ先にしっぽ巻いてリタイアかよ。どういう了見だ? 残った俺らにとんでもねえ迷惑がかかるって自覚あんのか。なぁ、おい、委員長さんよぉ」
D班のマギウスがものすごい形相で逆上している。普段から何かと柄が悪く近寄りがたい生徒だが、しかしこの場合彼が怒るのも無理はなかった。
マギウスにしてみれば、ひと月近く苦労して、ようやくこの氷の城までたどり着き、あと少しで実習クリアにこぎつけられるはずだったのだ。その最後の戦いで共闘するべき仲間が、次々に役目を放棄してしまったのだから、激怒するのは当前だ。
そして、それはマギウスだけではない。C班のエルトンも、同じように怒りで我を忘れていた。
「……マギウスの言う通りだ。これは実習だぞ。いったい何を考えているんだ君たちは、恥を知れ。敵である仮想精獣に情を移して戦いを放棄するなど論外だ。留年は各々勝手にすればいい話だが、そこに無関係な俺たちまでもが巻き込まれるのは納得がいかない。
俺が望むもの、目指しているのはただ一つ――首席を維持してこの学園をトップの成績で卒業すること。ただそれだけだ。そのために、今までどれほど努力し多くの犠牲を払ってきたか、能天気な君たちには一生理解できないだろう。――エリック、見損なったよ。君は俺と同じ場所を、さらなる高みを目指す側の人間だと思っていたのに。こんなにあっさりその座を手放してしまえるなんて、心底がっかりだ」
エルトンは、やや涙ぐんですらいた。彼は概ね自分語りをしていたに過ぎないが、それでも後半部分は、本気で歯がゆく残念に思ったからこそ、口をついて出た言葉だったのだろう。
もはや実習どころではなくなり、この場は収集がつかなくなっていた。
そんな折に、彼女は姿を現した。
学園長ウルリーケ・テナー。この国一番の魔導師アルス・マグナ――その人だった。




