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二人の親友


 不健全? 邪? そんな観点から求人を見たことなど今まで一度たりともなかった。

 しかし、本気で働き口を探すのなら、まずは最低限自身の身の安全を保障してくれるところでなければならない。二人が言いたいのはそういうことだろうと、ソルエルは視野が狭くなっていた自分を恥じた。 ついつい金に目がくらんで、他のことにまで気が回らなくなってしまっていたようだ。


 しかしそうなると、いよいよ本気で最悪の事態に陥った場合の受け皿など、どこを探しても見つからないような気がして、現実にただただ絶望することしかできなかった。


 ついに取り繕う余裕も失ってしまうほど暗い表情になったソルエルだが、そんな彼女にルビがわざとらしく咳ばらいをしてみせた。


「大丈夫だ。心配すんな。いざとなったら俺がなんとかしてやる。来年このハイスクールを卒業して国家試験を受けて、俺がちゃんとした魔導師になったら、もう何も心配することなんてねーから」


「え? でもルビ――」


「大丈夫だから。お前のことももちろんばあちゃんのことも、俺が絶対なんとかする。俺はいつでもお前を支える気でいるからな。――その……お前が嫌じゃなければ、の話だけど……」


 ルビがいつになく余裕なさげにまくしたててくるので、ソルエルはどうしたのかと目を瞬かせながらも、ひとまず彼に礼を言った。


「ありがとう。そう言ってもらえるだけで本当に嬉しいよ。でもさすがに全部ルビに頼るわけにはいかないから、もうちょっとがんばってほかの仕事も探してみるね」


「あ……あのな、ソルエル。支えるってのは具体的に言うと……。だから、つまりその……。いや、もちろんそんなことは単なるきっかけで、ほんとはずっと前から俺は……」


 ソルエルからは見えない位置で、マイスがルビに向けてぐっと腋をしめて両拳を握り、応援の合図を送っていた。

 マイスと目が合ったルビからは、余計なことをするなと鬱陶しがられたが、そんなことはお構いなしに、マイスの炎の色をした瞳はさらに熱い熱を宿して輝いていた。


(がんばれ、ルビ!)


 そう、マイスはいつもこのソルエルとルビ――二人の関係を、長年に渡り一番近くで見守ってきた人物なのだ。

 普段は他人が止めに入ってもなお無茶ばかりする粗暴なルビが、なぜかソルエルのこととなると途端にいつもの勢いをなくして小さく縮こまってしまう。マイスにはそれが実に愉快であり、また歯がゆくもあった。


 そんな自分たちも、もう今年で十七歳を迎える。

 アカデミー卒業までに二年をきった。十八になれば成人にもある。そろそろ足踏みをやめて次の段階に移行しても良い頃合いなのではないかと、マイスは常々思っていたのだ。

 そんなマイスの熱い視線に後押しされたのか、ルビは己の迷いを振り切るように、自分を奮い立たせていた。


「決して生半可な気持ちで言ってるわけじゃないんだ、ソルエル。お前が誰よりもがんばってきたことは俺が一番良く知ってるつもりだし、実際お前は本当に努力してる。すげーよ。俺はこんなだけど、冗談や義理で支えるとか言ってるわけじゃない。俺は本気だから。俺、お前のことがす――」


 ルビは顔を真っ赤にしながらソルエルの肩をがしりと掴んで、その場で力任せに叫んでいた。


「――す、すっげー大事な友達だと思ってるから!」


 マイスが片手で額を覆って、大いに呆れていた。ルビの壮大な前振りに、いつになく期待してしまったことを心から後悔した。

 マイスはこのとき、ルビが類まれな超のつく奥手男子であるということをようやく思い出していた。


 ルビをよく知らぬ者から見れば、普段の強気な態度からとてもそうは思えないのだろうが、深く付き合っていけば、意外と繊細な部分のある男だということがわかるのだ。


 しばらくきょとんとしていたソルエルは、すぐにいつもの朗らかな笑顔を取り戻して、ルビに明るく笑いかけていた。


「私もルビのこと、すごくすごく大切な友達だと思ってるよ。ありがとう。逆に、もしルビが何か困ったことがあったら、いつでも私に言って。私でできることなら何でもするから」


「あ、ああ……。ありがとな」


 ソルエルにやっといつもの笑顔が戻ったのを見て、ルビがほっとしたのもつかの間。

すぐにマイスの横やりが入り、癒しの空気はほとんど味わえることなく現実に引き戻されていた。


(このヘタレ)


(うるせーな。マイスが急かすから変な雰囲気になっちまったんだよ。いいんだ、これで。俺たちのペースがあるんだから)


(お前たち二人のペースに合わせていたら、寿命のほうが先にくるだろうよ)


 男二人が何やら小突き合っているのを、彼らがただじゃれ合っているだけのように思ったのか、ソルエルはその光景にただにこにこと微笑むだけだった。

 そして、彼女は特に何かを勘ぐることもなく、廊下の窓の外に目をやった。


 ソルエルの関心がすでに自分たちから離れたことにようやく男二人が気づき、彼女の視線の先を追って、どちらからともなく小さなため息を吐いた。


「相変わらず、すげー雪だな」


 まるで一人ごちるようにルビが言った。

 厚いガラス窓の内側にはいつも通り結露が次から次へと流れ落ち、室内外の気温差をわかりやすく知らしめていた。


「いつになったら春が来るんだろうね……」


 ソルエルがぽつりとつぶやく。


「もしかしたら、新しい春の精霊は、もうこの世界には現れない――なんてことがあったりするかもしれねーな」


 ルビの一言に、ソルエルとマイスは驚いて顔を上げた。ルビが窓の外で降り続ける雪をねめつける。


「みんな言ってるぜ。もしかしたら、このまま永遠に冬のままかもしれないって。たとえば大昔の氷河期みたいになるんじゃないか、とか。氷河期の周期はだいたい約一万年くらいって決まってんだってな。で、前の氷河期からはもうとっくに一万年過ぎちまってるらしい。いつそうなってもおかしくないんだってよ」


「まさか、そんな突拍子もないこと……」


「まあ、俺もクラスのやつらが噂してるのを聞きかじっただけだけど。だってもうすぐ七月だぜ。いつもなら、雪なんて三月にはとっくに止んでるだろ。それなのに止むどころか、最近ますます吹雪いてひどくなるばっかりじゃねーか。今年は記録的な大不作だって、うちの実家も頭抱えてたよ。それも〝今年の大不作〟だけで済めばまだマシって話にすら思えてくるけどな、この分だと」


 ルビが冷え始めた廊下で自身の両腕をさすった。吐く息は相変わらず白い。

 それを見たマイスも寒気を思い出したのか、腕組みをして肩を縮こまらせた。


「さすがに氷河期がくるなんて話は現実的とは思えないが……。春の精霊の逝去を聞かされたのが、たしか去年の十一月。百年に一度訪れるという四季精霊の死、か。まさか、こんなにも深刻な事態を招くものだなんて思ってもみなかったな」


「実際に、百年前はどうだったんだろうな。四季精霊のそれぞれの寿命はだいたい四百年くらいだろ。四季精霊の一つが死を迎えても、残りの三つがその空白になった期間を補えるように、それぞれの死期は重ならないようになってるって基礎魔法学の授業で習ったよな。百年前は、順番的に冬の精霊が死んだのか。当時の精霊間の新旧引き継ぎはどうだったんだろうな」


「さあ……。百年後の今、目立った伝承や文献が残っていないことを鑑みると、取り立ててトラブルは何も起こらなかったと考えるのが自然じゃないか。……何にせよ、記録が残っていない限りは百年前のことをあれこれ詮索しても無意味だな。当時のことを詳細に語れる存命中の人物など、本当に一握りだろう。今のところ、私たちに確かめるすべはない」


 冷静に話を終息させたマイスをルビは面白くなさそうに一瞥したが、何も言い返す言葉が見つからず、ついに噛みつくのをやめた。


 ハイルーン島国はその名の通り、南北に伸びた細長い島国であり、国土の大部分が温暖湿潤気候に属しているため、比較的四季がはっきりしている。だからこそ、国民は季節の変化には特に敏感にもなりやすい。


 ルビとマイスのやりとりが一旦落ち着くと、そこで初めてソルエルが四季精霊の話題に加わった。


「たぶん、百年前も二百年前も、それこそずっと昔から、四季精霊の生死は滞りなく引き継がれて巡っていたんだろうね。だから精霊の死なんて、人間にとってはどこか遠い世界の話になってたのかもしれない。でも、ひとたびその流れが途切れれば、世界はこんなにも簡単に綻んでしまうんだね。精霊は私たちの暮らしをずっと身近で支えてくれていたのに、いつの間にか私たちは、そんなことすっかり忘れてしまっていた」


 日が落ちるにつれて、激しく吹雪く空を見上げながら、ソルエルは実家にずっと一人にさせてしまっている祖母のことを考えていた。今つぶやいた台詞は、まるで祖母に対する自分自身のことのようだと思った。


 早くに両親を亡くしたソルエルのことを、幼いころからずっと支え続けてくれた、たった一人の肉親。離れていても、祖母のことをいつも心に留めながら、ソルエルは学園生活を営んできた――つもりだった。


 しかし、本当にそうだっただろうか。学業の忙しさにかまけて、祖母のことを疎かにしてはいなかったか。あんなにも自分のことを愛し慈しんで、必死で育ててくれた彼女のことを、時に疎ましく思ったことはなかったか。その気になれば、もっと実家に帰る頻度を増やせたのではないか……など。

 ソルエルは、たまらず無意識のうちに唇を固く結んだ。


(おばあちゃんに、会いたいな……)


 ソルエルがちょうどそう思っていたときに、ルビがふと心配そうに声をかけてきた。


「こんなに冬が長引くと心配だよな、ばあちゃんのこと」


 ソルエルは驚いて、思わずルビを見上げた。


「ルビ、どうしてわかったの? 今ちょうどおばあちゃんのこと考えてたんだよ。私、そんなに顔に出てた?」


「たまたま思ったことを言っただけだぞ。冬が長引いて俺らだってきついのに、年老いたばあちゃんならなおさら辛いだろうなって」


「うん……。学校を退学になったとしても、ならなかったとしても、実家には近いうちに様子を見に帰ろうと思ってる。おばあちゃん、一人でちゃんと生活できてるかとか、風邪ひいてないかとか心配だし。雪かきも一人じゃ相当大変だろうしね……」


 ソルエルが俯くと、同時に彼女の肩まで伸びた飴色あめいろの髪も、サラサラと零れ落ちるように垂れた。


 控えめであまり主張しない、地味な女子生徒で通っているソルエルだが、彼女の髪はまるで陽光を体現するかのような色合いで、時折その混じりけのない色艶の美しさにはっとさせられることがある。

 ルビはソルエルの髪がとても好きだった。子供のころからずっと、触れてみたいという淡い願望を抱いているほどには。


「――そんなふうにばあちゃんのこと大事に思えるのって、なんかいいな。ちょっとうらやましい。俺なんて、親ですらあんまり親って実感持てねーんだよな。今となっちゃ、学園の先生とかクラスのやつらのほうが長い付き合いだし、よっぽど身近に感じるっつーか……」


「ルビもマイスも四歳からマギアプリスクールに入って、ずっと寮暮らしだもんね。無理もないよ。私はしるしが出るのが遅かったから」


 一般的な魔法学校の入学時期を逸したソルエルのほうがいわば特殊なだけで、親元から離された期間の分だけ、親に対して少なからずルビと似たような複雑な気持ちを抱いている者も少なくはない。

 幼少期にともに過ごした記憶だけはうっすらとあるが、それから長い間別々に暮らすことになるため、どうしても親との精神的な繋がりは脆くなっていき、そのうちどう接したら良いのか、距離感をはかりづらくなるのだ。


 魔法使いが幼少期に親元から離されるのにはいくつか理由があり、もちろん魔法学の早期教育徹底も重要な事柄の一つではあるが、おそらく一番の理由は、俗世と隔離し、可能な限り魔法使い・魔導師たちのコミュニティの中だけで過ごす環境を整えるためではないかと言われている。


 また、有事の際には緊急招集がかかり、魔導師編成部隊が組まれて、時には兵士や諜報員のような任務を果たさなければならないこともあるため、出生家族との繋がりは極力希薄であるほうが、むしろ国家側としては都合が良いという側面もあった。

 そして、魔法使いが幼少期より俗世から離されて生育される、もう一つのある重要な理由。それは、魔法使いは悪意を持って近づく者の脅威にさらされやすいということにあった。


 魔法使いの力――魔力は、ある特殊な方法を用いて他人に譲渡することができる。ゆえに、魔力を欲しがり群がる者から魔法使いを保護するための措置は、どうしても必要となるのだ。襲い来る脅威をはねのけられるほど強く育つまで、魔法学園という箱庭で、大切に守られながら育っていく。


 そのような多くの理由から、魔法使いは大多数の一般人とはおよそ異なる環境下で育つことになるのだが、ソルエルの場合だけはかなり特殊で、なぜか魔法発現が人よりも遅かったため、一般の魔法使いの事例よりも長く実家で過ごしていた。


 魔法発現が遅かったことが、魔法を思うように使えないことと何か因果関係があるのかなど、ソルエル自身はいろいろと思うところもあった。しかし、祖母と少しでも長くいられたことは、幼少期のソルエルにとっては純粋に幸せなことだった。


 ソルエルの過ごした幼少期がまた違ったものであったなら、少なくとも今のような彼女ではありえなかった。それほど幼少期の生育環境が、ソルエルの性格を形成する上で大きな影響を及ぼしていた。


「ソルエルは、結局何歳までおばあさまと一緒に過ごしたんだ?」


 マイスがソルエルに問いかける。


「八歳まで……だったかな。八歳になってすぐの頃、読んでた本が突然燃えちゃって。おばあちゃんにそのことを話したとき、初めてそれが魔法発現のしるしだってことを知ったの。魔法発現はどんなに遅くても四歳までには起こるって言われてるし、ありえない何かの間違いだって周りの人には散々言われたけど、おばあちゃんだけは私の話を最後まで疑わずに信じてくれたよ」


「素晴らしいおばあさまだな。そういう経緯があったのか。たしかにしるしが現れる年齢としては異例だが……。しかし、今では魔力の陽性判定もしっかり出ているじゃないか。それに、夏魔法由来の炎使いだということも判明しているだろう」


「そうだね……。でも今の火だまりのままじゃ、炎使いだなんてとても名乗れない。肝心の魔力を外に出せないんだから。時々思うの。もしかしたら、やっぱり私は本来ここにいるべき人間じゃなくて、本当に何かの間違いだったのかもしれないなぁって。……ごめん、つい悲観的なことばっかり言っちゃう。こういうの良くないよね」


 ソルエルが謝ると、ルビがあっけらかんとして言った。


「いいや、弱音はどんどん吐いたほうがいいぞ。ためこむよりはよっぽどいい。お前が聞いてほしいことがあるなら、俺たちはいつだって聞くし隣で励ましてやる。――でもな」


 ルビは真剣な目でソルエルを見据えた。


「心まで弱気に染まるんじゃねーぞ。できないって思ってたら、本当にそうなっちまうからな。自分に負けたら終わりだ。諦めるのは、マジでダメだって確実にわかってからでも遅くねーだろ」


 そう諭されると、ソルエルは真っ暗だった目の前が、ほんのり照らされたような気持ちになった。


「大丈夫だ。野外実習で俺たち三人同じ班だし、お前の特訓にも付き合ってやるから。それに、お前もだいぶ追い込まれて発破かけられてるからな、ひょっとしたら思いもよらない馬鹿力を発揮できるかもしれねーぞ。一回コツを掴めば、案外魔法は楽に使いこなせるかもしれないぜ。魔法は魔力と想像力がすべてだって、昔っから先生たちに口酸っぱく教わってきただろ。魔法と心は繋がってる。悪いことばっか考えてたら、悪い結果にしかならねーぞ」


「そうだね……二人ともありがとう。私、野外実習がんばるから」


 ソルエルはいつも通りの朗らかな笑みを二人に向けた。


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