疑惑、そして離脱
マイスとエリックを中心に、A班とB班がそれぞれ持っていた情報を交換し合う。この付近一帯で出現する仮想精獣のデータや、テラ・マーテルの位置予測などを擦り合わせ、互いの班でそれほど齟齬がないことをあらためて確認した。
それから、ルビとマイスがB班に伝えるべきかどうか迷ったのはトゥーリのことであったが、ひとまずその話はあえて避け、先に最上級仮想精獣について話すことにした。しかしその話をすれば、必然的にトゥーリの話題は避けられないということは、喋った後に気づいたことだった。
案の定、B班メンバーは肝を抜かれたように驚き、その話もすぐに信じてはもらえなかった。
「夢でも見たんじゃないの? 最上級仮想精獣なんて、存在自体が伝説級のものじゃないか。学生実習場に現れるわけないでしょ」
オズマが馬鹿にしたような口調で一蹴する。しかし、ルビとマイスの深刻な表情が覆らなかったため、それが冗談ではないということがようやく伝わっていた。
「嘘、でしょ……本当に……?」
「オズマ、それにミナト。先ほど君たちは、私とルビの魔力が激増していると見抜いたな。その原因は、つまりそういうことなんだ」
「は……? 何、つまり最上級仮想精獣を倒したってこと……? はああああ?」
ルビとマイスの二人は、事のいきさつをB班メンバーに話して聞かせた。ここまでくれば、もうトゥーリの話は避けては通れない。B班四人は、終始信じられないといった様子でその話を食い入るように聞いていた。
「ひとまず、君たちB班が最上級仮想精獣に遭遇していないと聞いて安心した。私たちはトゥーリがいなければ、確実に命はなかったからな」
マイスがそう言うと、B班の面々は煮え切らない様子で互いに顔を見合わせた。そして、オズマが言いにくそうに告げる。
「あのね……僕は夏のあいだに他の班にも会ったんだよ。僕は飛翔魔法が得意だからさ、空の上からクラスのみんなを探して回ったんだよね。で、C班とD班は見つけることができて、こんなふうに情報交換もしてきたんだけど、最上級仮想精獣に遭遇したなんて話は、どこの班からも聞かなかったよ。それも合計三体もだなんて。
ねえ、それって絶対おかしいよ。ソルエルのことといい、なんか君たちとんでもないことに巻き込まれてない?」
オズマの言葉に、A班三人は愕然とした。オズマはさらに踏み込んでくる。
「あの転校生……トゥーリって何者なの? いろいろおかしすぎるよ。君たちは何も疑問に思わなかったの」
「そ、そりゃ思ったに決まってんだろ。今でもむちゃくちゃ腑に落ちないことだらけだ。でも、あいつがいろいろ俺たちを助けてくれたのも事実だし――」
「その〝助けてくれた〟ってのも、本当にそうだって言えるのかな。トゥーリが倒した巨大な蝿ってのが、もしも本当にベルゼブブだとしたら、今のところ確認されてる最上級仮想精獣のすべてにトゥーリが関わってるってことになるけど」
オズマがどのような意図でそんなことを口にしたのか、もはや問いただすまでもなく明らかだった。それをあえてルビは聞き返す。
「トゥーリが……最上級仮想精獣を引き寄せてるっていうのかよ」
「わからないけど、でも、何かしらの因果関係はあるんじゃないの。僕たちだって、君たちの纏う魔力が桁違いに増えてさえいなければ、こんな現実味のない話、絶対信じなかったよ。わかる? それくらいありえない状況だってこと」
渦中にいると、異常な状況にもいつの間にか慣れてしまうものだ。外側にいる者にその異様さを指摘されて、初めて気づくこともある。
A班三人は、言葉もなく互いに顔を見合わせることしかできないでいた。その沈黙をミナトが破った。
「なあ、その肝心のトゥーリは、今どこにいるんだ?」
「あ、ああ……。それが、さっき夜風に当たってくると出ていったきりで……」
「何それ、こんな時間に? もうとことん怪しすぎるでしょ。まるで僕たちが来るのを見越してたみたい」
オズマの言葉を誰も否定できずにいると、エリックが静かに告げた。
「憶測でばかりものを言うのは褒められたことではないが、ソルエルがもし誰かに操られていたのだとしたら、それはトゥーリである可能性も否定できないんじゃないか。彼は最上級仮想精獣を倒してしまえるほどの力の持ち主だろう。四季外魔法を使えたとしても、何ら不思議じゃない」
「今のところ、あいつが氷結と風以外を使ってるところなんて見たことねーけど……」
「そんなのいくらでも隠し通せるよ。――とにかく、僕たちはもう行くから。有力な情報ありがとう。トゥーリを仲間にするのはやめたほうがいいかもね。でないと、君たち自身もまた危ない目に遭うよ。……まあ、もう手遅れかもしれないけど」
オズマがそう言い残して、B班の面々は夜闇の中へと消えていった。
嵐の後の静けさとはこのことで、B班との話し合いの中でずっと押し黙っていたソルエルも、なんとか気丈に振る舞っていたルビやマイスも、しばらくみな意気消沈していた。
最初にこの沈黙を破ったのはルビだった。
「トゥーリ……あいつまたどっか行ってんのか。こんなときに何やってんだよ……。マイス、何で止めなかった」
「そんなこと言われても、彼がふらっと出かけるのは今に始まったことではないだろう。それに自分たちでなんとかできるうちは、トゥーリに頼らずやっていこうと決めたのだから――」
「そういうことを言ってんじゃねーよ。いくらあいつが自由奔放でも、限度ってもんがあるだろ。あんま不審な行動ばっかしてると、こうやって嫌疑がかかったときにかばいきれなくなっちまうんだよ」
「そうは言っても、トゥーリはトゥーリで苦痛を抱えている。彼は私たちがそばにいるだけで、うかつに声を出すこともできないような窮屈な生活を強いられているんだぞ。たまには一人になりたいときもあるだろうと思って――」
「たまにどころか、普段からむちゃくちゃ単独行動しまくってるけどな。やっぱりどう考えても、あいつが一番怪しいんじゃ――」
「やめて、二人とも」
ルビとマイスははっとしてソルエルを見た。
「お願いだから、喧嘩しないで」
「ソルエル――」
ルビが思い余ったように、彼女の肩を掴みにかかった。
「ソルエル、俺は……俺たちは、お前のこと絶対疑ったりしないから。エリックたちが言ったことなんか気にすんな。あんなの全部でたらめだ。きっと何かの間違いなんだ」
ルビが必死で励ましの言葉をかける。しかし、どれだけ親身に言い募っても、ソルエルの心に響くことはなかった。
「何かの間違い……本当にそう思う……?」
ソルエルが低くくぐもった声でつぶやく。
「ルビもマイスも、私の背中を見たでしょう? あんなものがあったのに、どうして間違いだなんて言えるの。昨日寝る前身体を洗ったときには、背中にあんなものはなかった」
ソルエルが泣きそうな顔で訴えてくる。ルビはたじろぐばかりで言葉を詰まらせてしまったので、今度はマイスが彼に代わってソルエルを諭していた。
「ソルエル、落ち着くんだ。もし、仮に本当にB班を襲ったのが君だったとしても、それはきっと、外部からの何らかの働きかけによるものだ。君は操られていたんだよ。だから、犯人が君かどうかの是非を問うよりも、今はまず、B班を襲いたかったのは誰なのかを思案することのほうが有意義だ。違うか?」
だが、マイスの優しい言葉も、やはりソルエルの耳には馴染まない。
「……だったら、私は操られて、それでそのままこのクラスの誰かを殺すのかもね」
ルビとマイスが息を呑む。
「ソルエル――」
「だって、そうとしか考えられない」
ソルエルは悲痛に顔を歪ませた。
「嫌だ。私、誰も殺したくなんてない。そんなのひどすぎるよ。そんなことになるくらいなら、私もう実習リタイアする。退学になってもいい」
「な、何言ってんだ、これからってときに」
「そうだぞ、何もしないうちから諦めるなんて――」
「だって……! 実際に誰か死ぬかもしれない。私が……殺しちゃうかもしれない。そんなことしてまでこの学園に留まりたくない、魔法にしがみついていたくないっ!」
「ソルエル――」
彼女の肩を掴んでいたルビの手が、突如、高温にさらされる。
「熱っ」
ルビは驚いて手を引っ込めていた。ソルエルの肩や髪、手、足元から、彼女の今の精神状態を可視化したような、不安定に揺れる炎があふれ出し、次々と周囲に飛び火していく。
「おい、やめろソルエル! 落ち着けって」
ルビが燃え広がっていく炎を、慌てて風で打ち消そうとした、そのとき。
突然周囲の空気が凍り付くような寒さに変わった。
かと思うと、季節外れの吹雪が吹き荒れ出して、散り散りに燃えていた小火は一瞬のうちにかき消えてしまう。吹雪はすぐに止み、辺りの地面には、解けきらずに残った雪と霜が降り積もっていた。
誰が火を消し止めたのかは、もはや確かめるまでもなく明らかだった。
「トゥーリ……戻ったのか」
吹雪の中から現れた銀髪の青年は、まるで雪の精のように幻想めいて美しかった。トゥーリは長い睫毛を伏せたまま、儚げな表情でその場にたたずんでいる。
「お前、いつからいた? 俺たちの話を聞いて……」
トゥーリは氷文字を宙に浮かばせた。
『すべて見ていた』
さらに、トゥーリは氷文字を走らせる。
『ソルエルは人殺しになんてならない。そんな未来は来ないから、安心していい』
少しずつ霧散していくその文字を眺めながら、ルビが唇をわななかせた。
「おい待てよ。やっぱりお前、何か知ってるんだな。答えろよ、お前は仲間の振りして、ずっと俺たちのことを騙してたのか」
すると、トゥーリは少し寂しそうに微笑んでから、さらに氷文字を描き出していた。
『迷惑をかけた、すまない。僕は君たちの前から消えるよ』
その文字を読んで、さっと顔色を変えたのはソルエルだった。
「ま……待って、トゥーリ。どうして? きちんと話を聞かせてよ。私、あなたのこと、もっとちゃんと知りた――」
ソルエルがトゥーリに駆け寄ろうとすると、突然目の前一面に、巨大な氷の壁が立ちはだかっていた。地面から隆起したように限りなく高くそびえ立ち、A班三人とトゥーリを、確実に隔てる障壁の役割を果たしていた。
ソルエルは、透き通る壁の向こうで微笑むトゥーリを見て、思わず泣きそうになった。
すると、目の前の氷の壁に、ひっそりと文字が刻まれていくのを見つけた。どうやら、ソルエルしか気づいていないようだ。
『これからは、そこのナイト二人に守ってもらうといい。せいぜい上手くやることだ、何もできない火だまりのお姫様』
頭を殴られたような衝撃が、全身に走る。初めは何を言われているのかすらも、よく呑み込めなかった。それくらいに信じたくない言葉だった。
トゥーリが最後、氷越しににこりと微笑んで、それから空の彼方に勢いよく飛び去ってしまってからも、ソルエルは呆然とその場に立ち尽くしていた。自分が涙を流していると知ったのは、ルビとマイスに心配されてからだった。
(トゥーリは、ずっと私のことをそんなふうに思っていた? なのに、一人で勝手に舞い上がって、夢想して、彼の言動に一喜一憂して……。本当にどうしようもない、馬鹿なソルエル……)
また、熱い涙が溢れていた。




