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ルビの決意

 深夜になり、ソルエルは熱っぽさと息苦しさを感じて、自分のテントの中で目を覚ましていた。ちょうど見張りの交代の時間だ。


 トゥーリは結局夜になっても帰ってはこなかった。外で見張りをしていたルビのもとへ赴き、問いかける。


「お疲れ様、トゥーリまだ帰ってないの?」


「ああ」


「もう、どこ行っちゃったんだろう。無事だといいけど……」


 祈るようにため息を吐くソルエルに、ルビは低い声でつぶやいた。


「あいつはたぶん、まだ戻らねーよ。もし近くにいたとしても、俺が行動するのを待ってから帰ってくると思う」


「どういうこと……? ルビ、何か知ってるの?」


「お前やっぱり、あの手紙の中身を本当になんも知らねーんだな」


 そう言って、ルビが無言でトゥーリの手紙を差し出してきたので、ソルエルは受けとると、遠慮がちに少しずつ読み始めていた。


 そして、次第に顔を赤らめていき、かと思えば青ざめたりもしながら、最後にはルビと同じように卒倒しかけていた。


「な……何これ。何考えてるのトゥーリ……信じられないっ……!」


 ソルエルの反応を見て、ルビはあくまで予想の範疇とでもいうように小さくため息を吐く。


 手紙の内容は、かいつまむとこうだった。


・ソルエルの火だまりを解消して魔法発動を促すために、トゥーリがソルエルと魔法契約キスを交わしたということ


・その役割に就く者が自分一人しかいないと、自分に何かトラブルが起きたときにソルエルが困るため、できるだけ他にも契約可能な候補者がいたほうが望ましいということ


・そこで、ルビにもぜひソルエルとの契約に協力してほしいということ


・ソルエルだけに留まらず、A班のこと自体をトゥーリは非常に好ましく思っているということ


・できることなら、今後はソルエルの言葉だけでなく、彼女の心の声にも着目してほしいということ


 ……などが、丁寧な文字と文章で綴られていた。


 そして最後に、「君の気が削がれないように、今日一日僕はこの班から姿を消す」とも書かれてあった。


 ルビが吐き捨てるように、トゥーリのことをののしる。


「あの転校生、本当に油断も隙もねえ。その上どこまでも唐突で身勝手で、究極のマイペースときてる。おかげでこっちは終始振り回されっぱなしだ」


 ルビがこうして怒るのも無理はない。ルビの都合やソルエルの意思なども、一切無視された内容の手紙だった。


 ソルエルも、今回ばかりはトゥーリをフォローしきれない。ルビも自分と同じ気持ちで怒っているのだと思った。


 ――が、しかし。

 ルビはどうやら、ソルエルとは少し違った受け取り方をしたようだった。


「めちゃくちゃ癪だけど、この際、いっそあいつのペースに呑まれちまうのもありかなって、今日一日考えて思った」


「え? それはどういう……」


「考えが変わったんだ。ソルエルだって、あいつと俺に仲良くなってほしかったんだろ。だから、俺のほうからあいつに歩み寄ってやるって言ってんだよ」


 思わぬルビの台詞に驚いていると、ルビはそんなソルエルを一笑に付した。


「どういう風の吹き回しかって顔だな。お前は、あいつとはその例の契約を交わしても、俺とは嫌なのかよ」


「え、え……? ルビ――」


 何を言ってるの? そう口にしようとして、出かかった言葉を直前で呑み込んだ。暗がりの中でも、ルビの目が決して冗談を言っている目ではないことがわかったからだ。


「ただの魔法契約なんだろ。お前はそのつもりで臨んだんだよな」


「あ……あのね、ルビ、聞いて」


 ソルエルはざわつく胸の内を悟られまいと、慎重にゆっくりと言葉を選びながらルビに話した。


「た、たしかにトゥーリと契約を交わしたよ。ルビの言う通り、あれはただの魔法契約で、あくまでも私の火だまりを解消するためのもの。

……でもね、人によっては、その……そんなふうに簡単には割り切れないこともあるんじゃないかと思う。ルビがそうだって言ってるんじゃないの。ただ、トゥーリは……たぶん、そういうことを割り切れる側の人だから……」


 だからこそトゥーリにお願いしたのだというようにソルエルは説明した。


 ソルエルがなんとかルビに考え直してもらおうと、うっかりトゥーリを引き合いに出してしまったことがそもそもの間違いだった。これではかえってルビの闘争心を煽る形になってしまうと、彼女は気づかなかった。


「俺だって割り切れるぞ」


「え?」


「ようするに、お前もトゥーリも割り切ってやってるってことなんだよな? だったら、俺だってちゃんと魔法契約として割り切ってできるぞって言ってんだよ。お前らにできて俺にできねえ道理なんかねーだろ。

しかも、トゥーリ以外のやつとでもできるようになっとかないと、困るのはお前自身なんだよな? はっきりそう書いてあるぞ。つまりソルエル、後はお前次第ってことだ」


 ソルエルは絶句していた。


(どうしてこんなことに……)


 震える両手を胸の前で握りしめる。

 ここでルビとの契約の話を断れば、実は自分がまったく割り切れてなどいないということがはっきり露呈してしまう。この契約に特別な感情を持ち込んでしまっていると、認めることになる。


 ソルエルがこれ以上の言い訳を何も考えられないでいると、しびれを切らしたルビが「行くぞ」とただ一言告げて、ソルエルの手を引いて歩き出した。眼前にはちょうど森が広がっている。


「ど、どこ行くの? だめだよ、見張り中なのに」


「この辺り一帯に風の結界を張った。しばらくはもつだろ。それに、そんな心配しなくてもすぐに終わらせる」


 ルビの言葉にソルエルは、彼がこれ以上ないほど明確な目的を持って自分をこの森に連れてきたのだということを、はっきりと自覚させられていた。ルビが背を向けたままつぶやく。


「さすがに、あんな開けっ広げの場所なんかでできるかよ。気が散って契約どころじゃねーっての」


 普段の言動は粗野でも、根底のところでルビは繊細な一面を持っている。トゥーリが場所などまったく問わず、二人だけの空間を自然に演出していたことを思うと、二人の性格にはっきり違いが見て取れて、ソルエルは複雑な気持ちを味わっていた。


(私、本当にするの? して良いの? トゥーリとしたようなことを、ルビとも本当に……)


 森の入り口から少し分け入ったところまで進むと、ルビがようやく足を止めた。彼は持っていた魔灯照明具キャンデラを足元に置くと、ソルエルのほうに向き直る。森の中は暗すぎて、ルビが今どんな顔でいるのかすらもよく見えなかった。


 ふいに両肩を掴まれて、ソルエルは反射的にルビの身体をやんわりと押し戻していた。定まらない決心がそうさせただけで、拒否したつもりは毛頭なかったが、きっとルビは快く思わなかったに違いない。


 ソルエルは焦燥に駆られるまま、ルビにまくし立てていた。


「ほ、本当にするの? ルビはそれで良いの? たしかにトゥーリに言わせれば、こんなのはただの魔法契約の一端で、変に気に病むほうがおかしいとも言われたよ。

でもだからって、何も失わないなんてことはやっぱりありえない。もちろん得るものもあるけど、それと同じくらい失うものだってあるの。交わしてしまったら、もう二度と契約前には戻れないんだよ。それでも本当に良いの?」


「構わねーよ」


 思いのほかすっぱりと即答されてしまい、ソルエルは面食らっていた。


「……お前な、さっきから聞いてりゃ、俺が考えなしに適当に結論出したとでも思ってんのか。言っとくけど、こっちはもう散々悩みに悩み倒して、ようやく決心がついての今なんだよ。今日一日費やして出した答えだ。

失うものもある? 契約前には二度と戻れない? そんなことは最初から百も承知なんだよ。これでもまだ俺が考えなしに見えるのか」


「い、いえ……。見くびってしまってごめんなさい……」


「わかりゃ良いんだよ。――もしかしてお前、俺と契約したくないから遠回しに考え直せって言ったんじゃ……」


「ち、違うよ、それは違う。私はただ、ルビがしたくもないことを強制されてるかもしれないと思って、それが気がかりで――」


「これを提案してきたのはトゥーリだぜ? 俺があいつの意見に強制されたりするかよ。百パーセント自分の意思だっての」


 ルビがさも不本意そうに頭を掻く。そしてソルエルの目を真剣に見据えた。


「たとえこの契約で失うものがあるとしても、それを託す相手がソルエルなら、俺は何も後悔しない。でもその代わり、お前が失くすものとやらは、俺がきっちりもらうからな」


 ルビの意味深な台詞に、ソルエルは内心ドキリとしていた。契約を交わす前から、彼はこの契約が自分たちに何をもたらすのかを、直感で理解しているような口ぶりだった。


「ルビ――」


「俺はお前の悲願を叶える手伝いがしたい。俺はお前に何をしてやれるんだろうって、ずっと考えてきた。だから、こんな方法があるって知って嬉しかった。一方的かもしれないけど、俺、お前の力になりたいんだ。俺たち――友達だろ?」


 ルビがいつになく、低い声音で語りかけてくる。


「そ、そうだね、わかった。ありがとう、ルビ。本当に……」


 何かが腑に落ちないまま流される。ルビがもう一度両肩に手を置いてきて、心中では嵐が吹き荒れていた。


「じゃあいくぞ。ちょっと話し込みすぎた」


「あ、ま、待って。もう少しだけ心の準備を……」


 しかしあとに続く言葉は、性急に折り重なってくるルビの唇によって遮られていた。


 初めて知る、他人の唇の生温かく柔らかい感触に、ソルエルは心の底から驚いていた。

 トゥーリのときには決して味わうことのなかった、皮膚と粘膜同士が擦れ合う現象。これが本物のキスなのだ。ソルエルは、これが人と直に交わす初めての口付けだということに気づいて、今さらながらに焦りを覚えた。


(違う、これはそんなんじゃない。これは魔法契約……)


 呼吸をするためいったん唇を離す。ふとルビを見上げると、いつもの見知った彼ではなく、まるで誰か知らない男の子のようだと感じて、ソルエルは戸惑いを覚えた。


「……どうだ? 少しは楽になったか?」


 やや上ずった声でルビが問う。そこで初めて、彼も緊張していたことを知った。


「う、うん? たぶん……」


 正直よくわからなかった。トゥーリのときには、すぐに全身の血が沸騰するような熱と快感が襲ってきて、わかりやすく魔力が吸われる感覚を知ることができた。しかし、ルビの場合は、彼がまだ上手く吸い取るコツを掴めていないことに加えて、ソルエル自身も戸惑ってばかりで気もそぞろだった。それがいけなかったのかもしれない。


 ルビも、どうやらまだソルエルが不十分に感じているということに薄々気づいているようだった。


「……よくわからないなら、もう一度だ」


 そう言って、彼は再びソルエルに口付けた。今度はより深く、情熱的に彼女の唇に吸いつく。

もう一度どころか、結局何度も求められて、ソルエルは気が動転してしまいそうだった。


 初めは遠慮がちに触れてくる程度でしかなかったのに、ソルエルがふと気を許した瞬間に、そこから一気に付け入るように、彼女の口内に舌を割り込ませてきた。そのひたむきさは呼吸すらも許さない。もう、魔力を吸われているのか、ただ熱心な愛撫を受け入れているだけなのか、ソルエル自身にもよくわからなかった。


 ただ言えることは、これは友達とするようなキスでは決してないということだ。脳裏に浮かんだのは友愛のそれではなく、恋人たちが交わすやりとり。しかし、それは考えてはいけないことだと、頭に浮かんだそばから必死に振り払っていた。


 そのうち立っていられなくなり、ソルエルがその場にへたりこんでしまう。そこで初めてルビは、自身がさじ加減を誤ったことに気づいた。


「わ、悪い! やりすぎた……」


 必要以上に彼女の魔力を吸いすぎた結果だった。吸われすぎるとこういう事態になってしまうのかと、ソルエルはどこか他人事のように思っていた。


「大丈夫、ちゃんと立てる……。ちょっと足元がおぼつかなくなっただけ」


 ゆっくり立ち上がろうとすると、ルビが慌てて手を貸してくる。


「今のは完全に俺が悪かった。ただ吸い取れば良いってもんじゃねーんだな……」


「気にしないで、大袈裟にこけちゃっただけだから。ありがとう、ルビ。さあ、早く戻らないと」


 ソルエルは、わざといつもと同じように振る舞うことにした。彼との関係性が変わってしまうのが怖かった。だから極力いつも通りに振る舞った。何も変わっていないのだと、自分に強く言い聞かせて。

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