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二度目のキス

 また深い夜が訪れる。

 結局、ソルエルはルビと仲直りできないまま、気まずい状態で彼と深夜の見張り番を交代していた。


 ルビは頑固だ。全面的に彼に非があるとはっきりしていない限り、おそらく自分からすんなり謝ってくることはまずないだろう。


 ソルエルは、ルビといつものように気兼ねなくやりとりできないことが悲しかった。今まで喧嘩をしたことがなかっただけに、仲直りの仕方もいまいちよくわからない。ただ謝るだけで済むならいくらでも頭は下げられるが、それだけでは何かが違う気がした。


 ソルエルが今ルビに謝っても、トゥーリに関して揉めたことは結局宙づりのままなのだ。


(せっかく魔法が出せるようになってきたのに、どうしてこう上手くいかないんだろう)


 一日の疲労の蓄積とともに、身体にのしかかってくる重だるさはおそらく火だまりによるもの。魔法発動ができるようになったといっても、完全に火だまりから抜け出すにはまだほど遠い。


 日中で使用できた魔力はほんの微々たるもの。しかも、仮想精獣ヴァイラスとの戦闘にソルエルも微力ながら参加したので、わずかだが魔力経験値ポイントも得ている。潜在魔力は以前より増えているのだ。これがなんとか上手く吐き出せない限りは、火だまりは悪化するばかりだった。


 ポケットの中に入れていた魔吸石に手を伸ばす。早く、溜まった淀みを吐き出してしまいたい。楽になりたい。


 地面に暗い影が落ちて、熱に浮かされながらふと見上げたものは、夢か幻か、はたまた現実か。

目の前には、人間離れした美しさを有する銀髪の青年が、ソルエルを静かに見下ろして立っていた。


「そろそろ辛くなってきたんじゃないかと思って、来たよ」


「トゥーリ……」


 ソルエルは泣きそうになっていた。彼にはすべて見透かされているのではないかとすら思う。どうしていつも助けてほしいときに、すぐ駆けつけてくれるのだろう。わかってくれるのだろう。

 この身体の重だるさがなければ、彼の腕の中に飛び込んでいたかもしれない。


 しかし、ふとルビのことが脳裏をよぎり、ソルエルはトゥーリに伸ばしかけた手を引っ込めていた。


「ありがとう。気持ちは嬉しいけど……やっぱりあの契約は、昨夜限りにしておこうと思うの」


「え、どうして?」


 トゥーリが心底不思議そうな顔をする。


「ソルエル、見るからにすごく辛そうだよ。僕に魔力を渡せばすぐ楽になれるのに、どうして我慢するの? ……ひょっとして、僕とはもうしたくない?」


「ち、違う。したくないとか、そういうことではなくて」


「じゃあ、したい?」


「――い、今そんな話をしてるんじゃ……」


 ソルエルはくらくらした。話がややこしくなりそうな上に、頭も身体も本調子とはいかず、上手く切り返せない。


「僕はソルエルとしたいよ。君が魔法を使えるようになって喜ぶ顔も見たいし、それに君とのキスは波長が合うから、純粋に気持ち良いもの。でも、君が嫌なら無理強いはしない」


 ずるい言い方だと思った。本当はソルエルのほうがトゥーリを欲しがっていると、きっと彼はわかって言っている。


 昨日のことを思い出して、ソルエルは思わず顔を伏せた。その様子を見たトゥーリが眉を下げて笑う。


「ごめん、意地悪な言い方だったね。君自身からねだってほしかった僕のわがままだ。でも、キス一つになぜそこまで慎重になるの? 悪いことをしてるわけでもないのに」


「あ、あのね、トゥーリ。やっぱりこんなふうに隠れてこそこそするのって、あまり良くないと思うの。特定の誰かとだけ秘密を作るのも、班行動中は極力避けたほうが良いと思うし……」


 ソルエルがしどろもどろで変な言い分を口にするのを見て、トゥーリはピンときたようだった。


「わかった、あの威勢の良い風使いの彼に、何か吹き込まれたんだ。そうだろう? 今日のソルエルと彼の雰囲気、どこかおかしかったもの」


 ずばり言い当てられてしまい、返す言葉もなかった。誰かに言われたからそうするなんて、まるで自分のこともまともに決められない子供のようだ。心底恥ずかしかった。


「図星、だね」


「き、昨日のことを知られたわけじゃないの。でもきっと、何か勘付かれたんだと思う。私がすぐ顔に出してしまうせいかも、ごめんなさい……。

ルビの理屈もよくわかるの。ルビはきっと、班内の人間関係が複雑になってチームワークが乱れてしまうことを案じたのだと思う。彼は私が、その……トゥーリに惹かれてると勘違いしたみたいで、実習中は班内でそういうことは良くないだろうって……」


 ソルエルは自分で言っておきながら、最初から最後まで赤面しっぱなしだった。トゥーリを目の前にしてこんなことを口にするのは、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしい。しかし、大事なことなのできちんと話しておかなければならないと思った。


 トゥーリが小首を傾げる。


「〝勘違い〟なの?」


「え……」


「君が僕に惹かれているって彼が感じたことは、勘違いだったのかい?」


 ソルエルは固まってしまい、思考することもできなくなっていた。そうでなくても熱で頭がぼんやりしているのだ。


「はっきり言って、僕にはその話題のほうが何倍も重要だけどね。彼の言い分なんかよりも、よほど」


 トゥーリはずい、とソルエルとの距離を詰めていた。


「どうしてそんなことまで君が配慮する必要があるの? 仮にこの班内で恋愛関係が生まれたとして、その程度でこの班のチームワークは乱れてしまうのかい? それって逆に、とても不健全な気がするんだけど。君が誰を好きになって誰と恋愛しようが、彼には関係のないことじゃないか。

そんなことにまで口出ししてくる彼にあれこれ伺いを立てるなんて、どう考えても変だよ。誰だろうと君の行動を制限する権利なんてないはずだ。そんなことに気を揉むより、君自身がどうしたいかを見つけることのほうが遥かに重要だ。ソルエルはどうしたいの? ちゃんと自分の本音と向き合わなくちゃ」


「私の、本音……」


「風使いの彼も、もう一人の炎使いの彼も、急激に膨れ上がった魔力を御すのに、今は精いっぱいなんだ。きっと彼らにも余裕がないんだよ、見てればわかる。彼らに付き従うことばかりが彼らのためになるとは限らないよ」


 ソルエルはトゥーリの言葉にはっとして、それから昨夜のことを思い出していた。


(ああ、昨夜あんなにトゥーリが念押ししてくれたのに、もう忘れてしまっていた。魔法が使えるようになるために、手段は選ばないと覚悟を決めたじゃない。心を開かなければ魔力も解放できない。自分に嘘を吐いては、魔法はいつまでたっても応えてくれない)


 もうとっくに気づいていたはずだ。ソルエルは最初からトゥーリに惹かれていた。彼と何かを共有したい。海のように深い彼の懐に飛びこみたい。


 結局ルビに指摘された通り、ソルエルはすっかりトゥーリにほだされてしまっていたのだ。自分はすでに手なずけられた女なのだと、自覚があったからこそ、戸惑い思わず怒ってしまった。


 トゥーリが目の前に氷の壁を作り上げ、辺りはひんやりとした空気に包まれていた。夏の気温にはとても心地よい冷気だった。


「本音を言うのが嫌ならあえて口に出さなくてもいい。でも、本音を見失ってしまうほど抑えつけてはいけないよ。おいで、君の言い訳はいくらでも僕が用意してあげる。魔法を使えるようになるため仕方なく、子供みたいにキスをねだる僕がかわいそうで仕方なく、僕に丸め込まれて仕方なく」


(そんなふうに言わないで。仕方なくなんて、思ったことは一度もないよ……)


 ソルエルは氷の向こうにいるトゥーリを見つめてから、静かに目を閉じて、そっと氷に口付けた。身体中に熱がたまっていたこともあり、ひややかな氷に触れた唇がとても心地よい。


 身体からどんどん魔力が吸い取られていくのがわかり、ソルエルは全身でその悦びを感じた。押し寄せてくる暴力のような快感に耐えきれなくなり、一度唇を離して昂りを鎮めるように息を整える。しかし、離れた唇が物足りなく震えて、どちらからともなく吸い寄せられるように、再び氷越しに唇を重ね合わせた。


 トゥーリの言葉のまま、ソルエルは本音を口にはしなかった。しかし口に出さずとも、吸い取られていく魔力に乗せて、きっと自分の気持ちは伝わってしまっているのだろう。なんとなくそう思った。


 自分の心の内を知ってもらえることが、こんなに嬉しいものだと思わなかった。すべてを受け入れてもらう必要はない、ただ知ってもらうだけで良かった。


 夢のように甘美な口付けを終えて、ソルエルがそっとトゥーリを見つめると、彼も優しい眼差しで応えてくれた。ひどく幸福な時間だった。


 トゥーリに触れたい。それは当たり前のように、ごく自然に生まれた感情だった。


 ソルエルが両手で氷に触れると、昨夜と同じように、氷は一瞬で蒸発した。もう驚きはしなかった。今度こそ、自分の意思でちゃんとコントロールして発動させた炎の魔法だ。


「ソルエル」


 二人を阻む境界線がなくなり、トゥーリが優しくソルエルを抱きしめる。

彼はとても温かい。彼に触れると凍ってしまうという話が信じられないくらいに。


 氷越しではなく、トゥーリとこうして抱き合いながら本物のキスができたならどんなに良いだろうかと、ソルエルは一抹の寂しさを覚えた。


「氷の壁なんてなければいいのにね……」


 すると、トゥーリもまったく同じ想いを口にしたので、ソルエルは彼を強く抱きしめ返すことで、その言葉に同意を示していた。


「そうか……いいことを思いついたよ」


 トゥーリは急にソルエルの身体をがばっと引き離して、彼女の目を見て言った。


「ソルエル、手紙を書くから渡すのを頼まれてくれないかい?」


「手紙?」


「ああ。風使いの彼に宛てる」


 いきなりルビの話題が出たので、ソルエルは目を瞬かせていた。


「それは構わないけど……何を書くの?」


「秘密。でも喧嘩腰のものではないよ。むしろ、僕が彼と打ち解けるための手紙だ。彼の幼稚な嫉妬に付き合うつもりはないけど、今気まずいのはなんとかしなくちゃいけないしね。でないとソルエルも修行に専念できないし。――あ、勝手に読んじゃダメだよ」


「わ、わかった……」


 人に宛てられた手紙を盗み見るつもりなど最初からなかったが、読むなと念を押されては、どうにも気になってしまう。


 トゥーリはいつもの氷文字ではなく、あらたまって紙とインクを使って手紙をしたため封をすると、さも大事そうにソルエルに託していた。


 この手紙によって、後にA班三人はとんでもない事態に巻き込まれることになるのだが、ソルエルはまだそれを知らずにいた。

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