初めての喧嘩
夏になって二日目の朝を迎えていた。
使い魔のカラスがやってきたが、昨日教師に宛てた手紙の返事は預かっていないようだった。早く何らかの返答が欲しかったが、とにかくやれることはやったので、今できることはただひたすら待つのみだった。
昨夜トゥーリと交わした契約の効果は覿面で、ソルエルはごくたまになら、初歩の魔法程度であれば発動できるようになっていた。――といっても、詠唱数十回チャレンジしたのちに、まぐれのように一回発動するかしないかという頻度であり、まだまだ実用にはほど遠いレベルだ。
その上威力や発動位置の調整が困難で、下手をすれば自分や味方に害が及ぶような危ういコントロールしかできない。現に、ソルエル本人はすでに軽い火傷を何箇所にも負っており、幾度となくトゥーリが氷結魔法で消し止めていたりと、今のところ自爆率のほうが高い。
しかし、ソルエルの表情は昨日と打って変わってとても明るく、仮想精獣が出現しておらずとも、夢中で訓練を続けていた。
彼女がこれほどまで喜ぶのも無理はない。生まれて初めて、魔法使いらしいことができ始めているのだ。
ソルエルが魔法発動に成功したのを見たとき、ルビとマイスは大袈裟なほどに喜び合っていた。ソルエルが魔法を使えるようになることは、彼ら二人の悲願でもあったのだ。ルビなどは、感極まって涙をこらえる素振りすら見せていた。
――が、しかし。ソルエルとトゥーリが交わす目配せや何気ないやりとりの機微から、いつの間にか二人の親密度が急激に増していることに、いち早く気づいたのもまたルビだった。
「……ソルエル、お前――いつの間にあいつのこと『トゥーリ』って呼ぶようになった? たしか、昨日までは君付けだったよな」
「あ、えっと、そうだっけ……?」
「とぼけんなよ。まさか、あいつと何かあったんじゃねーだろうな」
「な、何かって、何。ないよ、何も」
ルビの突き刺すような眼差しに怯みながらも、ソルエルは彼の言葉を否定してみせた。
普段は細かいことには無頓着なのに、妙なところでルビの勘はいつも働くのだ。ソルエル絡みのことでは特にそれが顕著だった。彼なりに心配しているということがわかるだけに、ソルエルも無下にはできない。
「トゥーリはもう私たちの仲間だもの。行動をともにする者同士、仲良くするのはおかしなことではないでしょう?」
内心ではドギマギしていたが、さすがにそこまで悟られはしていないようだった。
「程度にもよるだろ。仲良くしすぎんのは看過できねーぞ」
ルビが苛立ちを隠しきれない様子で足を踏み鳴らした。
「だいたい、俺はあいつのことをまだ完全には信用してないんだ。ソルエルだって、あいつの何を知ってるかって聞かれたら、俺と大して変わんねーはずだ。違うか?」
「そ、それはそうかもしれないけど。でも仲間内でそんなふうには考えたくないよ。せっかく打ち解けられたのに。最上級仮想精獣から助けてくれたのだって、トゥーリだよ。彼の過去を知らなくても、今のトゥーリは私たちを何度も助けてくれた。それは事実でしょう?」
「何と言われようと、俺は自分の考えを変える気はねーよ。マイスもなんだかんだあいつに気を許しちまってるし、俺が最後の砦にならないと、何かあってからじゃ遅いからな。あいつはお前としか話せないみたいだし、お前のことを気に入るのも当然だ。それで懐かれて、良い気になってほだされたわけだ。案外ちょろいのな、お前」
「な……ルビっ……!」
「とにかく、班行動してる以上、班の輪を乱すような行動は慎めよ。いいな」
「わ、私が何か乱すようなことした……?」
「してるからの忠告だろうが」
さすがのソルエルも、あまりに理不尽なことばかり言われて辛抱できなくなっていた。
「ルビの怒ってる理由がちっともわからない。トゥーリが信用できないって頭ごなしに決めつけて、最初から彼のことを見ようともしてないくせに。輪を乱してるのはルビのほうでしょう」
「なんだと――」
「ど、どうしたんだ、二人とも」
ソルエルとルビが言い争っていることに気づいたマイスが、驚いて止めに入っていた。
こんなふうに二人が喧嘩をするのは、かなり珍しいことだった。普段ならソルエルはルビの意見に従順だったし、ルビも決して彼女に無茶な要求などはしなかった。ソルエルがルビに真っ向から食ってかかったのは初めてのことだったのだ。
しかもそれがトゥーリ絡みのことだったため、ルビは余計に面白くなかった。
一方で喧嘩の火種にされた肝心のトゥーリは、幸か不幸か、そのときその場には居合わせなかった。
彼は暇を持て余すように、ときどきふらっといなくなることがあった。そしてまた何事もなかったように、A班の元に戻ってくる。そんな不可解な行動も、ルビの不信感を募らせるには十分だった。




