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氷上のダンス

「え? ええっ! ちょ、ちょっと待って、私滑ったりなんてできな――」


「大丈夫、僕に任せて。氷の上でするダンスはすごく楽しいんだよ」


 ソルエルはトゥーリに引き寄せられるままに、及び腰で氷上を滑らされていた。ソルエルはあまり運動神経が良いほうではない上に、トゥーリと身体を密着させているという無視できない事実が、余計に動きをぎこちないものにしていた。


 しかし、トゥーリのリードは非常に頼もしく、ことのほか安心して身を任せられたこともあり、ソルエルも次第に慣れて少しずつ楽しいと思えるようになっていた。


「上手だよ、ちゃんと滑れているじゃないか」


「それは、トゥーリ君が上手く引いてくれてるから……。支えてもらってなかったらすぐ転んでるよ」


「そんなことない。君自身が余計な力を抜くことを覚えたのさ。どう? 少しは慣れてきた?」


「うん……楽しい……!」


 きっとトゥーリの魔法のおかげでもあるのだろうが、身体が普段よりもずっと軽い。広い湖の上を目いっぱい使って滑る氷上のダンスは、思いのほか楽しく心まで弾むようだった。


 トゥーリも同じように楽しんでいるだろうか。自分ばかりがもてなされてはいないだろうか、とソルエルがトゥーリを見上げると、彼はソルエルの心を読みとったかのように、にこりと笑みを返していた。


 そのとき、ソルエルは初めてトゥーリを一人の異性として意識した。むしろ気づくのが遅すぎたくらいだ。自分でも赤面しているとわかるほどには顔が――そして全身が熱かった。


 ソルエルの心境を知ってか知らずか、トゥーリは彼女に気さくに話しかける。


「どうして君は僕の声を聞いても平気なんだろう。もしかして、本当はものすごく強い魔法使いなのかい?」


「そんなわけない。むしろその逆で、私は魔法が使えない落ちこぼれなの」


「魔法が使えない? でも君、ここは魔法学園だよ? ――そういえば、昨日の戦闘でも戦いに加わってはいなかったね。てっきり魔力経験値ポイントを譲る気でいるからだと思ってた。でも、僕の怪我を治してくれたじゃないか」


「あ、あれはね、道具を媒体にしていたから、厳密には魔法を使ったわけではないの。私は火だまりだから……」


「火だまり?」


 ソルエルは、トゥーリに自身の特殊な体質のことを説明した。魔力は備わっているが、どういうわけか自身で放出ができないこと。だから昨夜の戦闘にも参加できなかったことなど。


 そしてその話の延長で、この実習期間中に魔法を使いこなせるようにならなければ、退学になってしまう旨も、つい口を滑らせて話してしまっていた。これについては完全に蛇足で、喋ったことを後悔していた。


 トゥーリの前ではどうも浮ついてしまう。自分が馬鹿みたいに舞い上がってしまっているのが自覚できて、ソルエルは自己嫌悪に陥っていた。


「そうだったのか。魔力があるのに、どうして魔法を使うことができないんだろうね。よくわからないけど、君は魔法のことを難しく考えすぎてるんじゃないかな。魔法は案外単純だよ。

君と話して思ったけど、君はいろんなことをあれこれ考えすぎだし気にしすぎだね。気を使いすぎとも言えるかな。もっと直感的に行動しても良いと思うけど」


「やっぱり……トゥーリ君もそんなふうに感じた? 担任のローナ先生にも、以前似たようなことを言われたことがあるの。もっと自分を出したほうがいいって。魔力が出せないのは、もしかしたら心因性のものかもしれないって。

でも、自分を出すって具体的にはどうすればいいのか、いまいちよくわからないの。私はもう十分、自分の気持ちも考えも、身近な人に聞いてもらえていると思ってるのに……」


「ふうん、なるほど。まあ、無理してるわけじゃないならいいんだ。――ところで、その火だまりは決して悪いことばかりじゃないと思うよ。だって、君が炎の魔力をすべて内に蓄えているおかげで、たぶんこうして僕と話すことができているんだから」


「あ――……」


 なるほど、そういうことか。ソルエルは、やっと一つ合点がいったと思った。

 火だまりだからこそ、トゥーリの声の魔力を打ち消すことができている。仮説だとしても、そう考えると辻褄が合う。


「とはいえ、やっぱりソルエルもちゃんと魔法が使えるようにはなりたいよね。でないと退学だし。うーん、そうだな。よし、これから一緒に特訓しよう」


「と、特訓……?」


「君は夏属性だろう。今がもっとも君に有利な季節――好季だ。これを逃す手はないよ。このひと夏をかけて、僕が君を立派な魔法使いにしてみせよう」


「え、あ、あの、それはとてもありがたいことだけど……。私のために、トゥーリ君の貴重な時間を使わせてしまうわけには――」


「なら、言い方を変えようか。僕が君と一緒にいたいんだ、ソルエル。僕がそうしたいだけなんだけど、それでもだめ……?」


「だ、だめだなんて、とんでもない!」


 ソルエルは再び顔を赤くして、力いっぱい首を横に振った。


 面と向かって「君と一緒にいたい」などと積極的に言われたのは初めてで、どう返答するのが理想的なのかまるでわからなかった。しかし、それとは別に、トゥーリの申し出が純粋にとても嬉しかったのは事実だ。


「すごくありがたいし願ってもないことだよ。トゥーリ君自身が何も問題ないって言ってくれるなら、むしろ私からもお願いしたいくらい。……あの、一つだけ聞いておきたいんだけど、私の特訓に付き合ってくれるってことは、つまり、実習攻略もA班と一緒にしてくれるってことで構わないのかな……」


「実習? ああ、そういえば今は実習中だったね。うん、それでいいよ。ソルエルと一緒にいられるなら何でもいい。実習攻略って何をすればいいんだっけ」


「え? えっと……このテラ・フィールドのどこかにある遺跡のテラ・マーテルを探し出して、そこにすごく強い仮想精獣ヴァイラス――えっと……そう、未知目標アンノウンがいるからそれを――」


「ああそうだ。思い出した、テラ・マーテルだ。その遺跡なら、もうとっくに見つけて行ってきたよ」


「へぁっ?」


 自分でもずいぶんまぬけだと思うような声が出た。トゥーリはソルエルに、にこりと極上の笑みを返す。


「軽く空から眺めてきただけだけど。屋根のない、瓦礫にまみれた廃墟のような建物だったよ。いかにもって感じの。ここからずっと北に行ったところ――ちょうどテラ・フィールドの中心部あたりだったと思う。

もう少し詳しく見てこようとしたんだけど、そこでびっくりするくらいに大きな蝿の怪物に遭遇しちゃってさ。そいつがまたやけに強くて、なんとか倒せたけど僕もかなり負傷して、ひとまず見つけた森に逃げ込んだんだ。そこを助けてくれたのがソルエル、君だったってわけ」


「ま、待って……。大きな蝿の怪物……? もしかしてそれ、ベルゼブブのことなんじゃ……。ベルゼブブも最上級仮想精獣アンリミテッド・ヴァイラスなんだけど……」


「へえ、そうなの?」


 トゥーリはまるで、他人事のようにソルエルの話に感心するだけだった。ソルエルのほうがよほどその件に関して動揺しており、頭をくらくらとさせるばかりだ。


 このトゥーリが苦戦を強いられそうな仮想精獣ヴァイラスなど、そうそういるものではないと考えると、予想はかなりの確率で的中しているかもしれないのだ。


「外見が蝿のくせに妙に強いとは思ったけど、あれってそんなに御大層なやつだったのかい? 僕はあまりそういう知識がないからよくわからないんだ。だから、昨日の九つ首の蛇も、弱点とか倒し方を教えてくれて助かったよ」


「ど、どういたしまして……」


「うん。そういうわけだから、僕のことはもちろん、君の実習攻略についても心配いらないよ。目的の場所はわかっているんだからね、あとはそこに向かうがてら、魔法の特訓あるのみだよ」


 トゥーリはすらすらと歯切れよく喋っていたが、その話を聞いていたソルエルは、まだ完全に頭がついていってはいなかった。


「何か言いたそうな顔だね。僕の話で腑に落ちないことでもあった?」


 言うなれば、すでに腑に落ちないことだらけだったが、それを言ったところでどうにもならないので、ソルエルはあえてそこに言及しなかった。しかし――。


「一つだけ……わからないことがまだある、かも。というか、これはただの独り言。トゥーリ君みたいなすごい人が、こうして私にいろいろしようとしてくれていることがまだ信じられなくて、気後れしてるのかも。

トゥーリ君の存在自体が、私にとってはまだ夢みたいで現実味がなくて……。変な意味じゃないの。ごめんなさい、今のは忘れて」


「……? 僕はここにいるよ。息もしてるし触ることだってできる。心臓だってちゃんと動いてるんだよ、ほら」


 そう言って、トゥーリは手袋の上からソルエルの手を掴むと、自身の胸板に押し当てる。

 ソルエルは飛び上がりそうになるくらい驚嘆していた。


「声だけじゃなくて、僕の肌も直に触ると凍ってしまうから危ないんだ。でもほら、服の上からなら大丈夫。心臓、ちゃんと動いてるのがわかる?」


「う、うん……」


 ソルエルはもはや、自身の鼓動のほうがうるさすぎて、トゥーリのものか自分のものなのか、よくわかっていなかった。制服のシャツ越しに彼の胸板に触れている自身の右手が、ただひらすらに熱い。


「少し、ドキドキしてるかな」


「え?」


「いや、僕がね。ソルエルとこうして一緒に滑ってるのが楽しいから」


 そう言われると、ソルエルはぱっと顔を明るくさせていた。


「本当? トゥーリ君も楽しいと思ってくれてるの?」


「もちろんだよ。……もっと楽しいこと、してみる?」


 ソルエルが聞き返すより先に、トゥーリは彼女を抱き抱えたままふわりと宙に浮いていた。


「わっ……!」


 一瞬のことだった。地面からずっと離れて高く高く舞い上がったかと思えば、急降下したのちに、羽のような軽やかさで二人は着氷して、また何事もなく再び滑走し始めていた。


 怖がる間もなく、ソルエルはただひたすらに驚いていた。一瞬のことだったが、そのとき味わった浮遊感と目にした一面緑の景色は素晴らしいものだった。


「トゥーリ君っ……今の、すごかった……! 空を飛ぶってすごいんだね、すごい……!」


「気に入った? ならもう一度飛んでみようか。今度はもう少し長く滞空するよ」


 再びトゥーリはソルエルを連れて、高く高く跳躍した。木々などの障害物が何もない上空にいけばいくほど風は激しく強く吹き荒れたが、この解放感と高揚感の心地よさは、地面に足がついているときには絶対に味わえないものだった。


 見渡す限りの大草原が広がっていた。自分たちが春のあいだに潜伏していた、焼けてしまった森の他にも、別の森もいくつか点在していた。湖もだ。そして、ソルエルたちが浮いている場所よりも低い高度で、鳥の群れが飛んでいるのが見える。こんな眺めは、もしかしたら一生見ることなどないかもしれない。


 ソルエルは、あまりの絶景にもはや言葉を失っていた。全身の細胞が騒ぐような感覚を覚えたとき、トゥーリが小さく悲鳴をあげた。


「熱っ」


「な、何、どうしたの?」


「どうしたのって……君が今魔法を使ったんじゃないか」


「――え……?」


 呆然とするソルエルを抱えて、ひとまずトゥーリはゆっくり地上へと降り立ち、何事もなかったようにまた二人で滑走を始めた。


「ほら、見てよ。僕の手袋焦げちゃった。ま、別に手袋一つくらい良いけどさ」


 トゥーリがひらひらと手を振って、白い手袋の内側が大きく焦げ付いているのを見せていた。


「うそ……嘘、これ、私が……?」


「言っておくけど、僕は氷結と風しか使えないからね。これは紛れもなく炎の魔法だ。まさしく君の仕業だよ」


 トゥーリがそう言って意地悪く笑ってみせると、ソルエルが涙をこぼし始めたので思わずぎょっとしていた。


「べ、別に責めたわけじゃないよ。何も泣かなくても」


「嬉しい……」


「へ?」


「嬉しいよ……私、本当に魔法を使ったの……? 本当に、本当に私が……」


 ソルエルが大粒の涙をぼろぼろとこぼしていたので、トゥーリは彼女の飴色あめいろに艶めく髪を優しく撫でた。


「言っただろう、君の仕業だって」


「あ……ごめんなさい。トゥーリ君の手袋焦がしちゃったのに喜んでるだなんて……」


「あはは、そんなこともういいから。それより良かったね、ソルエル。君はきっと立派な魔法使いになれるよ。僕が保証する」


 氷上でソルエルと優雅に滑走しながら、トゥーリがにこりと微笑んだ。

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