ナイトミーツガール
俺は今、塔に向かって歩いている。
騎士甲冑を着て、ガシャガシャと音を立てながら進む。
手に持った懐中時計を握り締める。
俺は、必ず為さねばならない。
失敗してはならない。
そんな思いを込めて懐中時計を一頻り握り締めた後、仕舞った。
――王から、お触れが出されたのだ。
俺は第一に名乗り出て、最初に向かう許可を得た。
そうして今、向かっている。
冬の季節を司る女王が籠もった塔に。
さて。
とりあえずただ歩いているだけなのもなんだし、頭の中を整理しよう。
まだ塔までそれなりの距離があるので、一から。
まず、この国には四季を司る女王が四人存在する。
春の女王。夏の女王。秋の女王。そして今目指している塔に現在住む、冬の女王。
彼女たちは決められた期間、交替で塔に住むことになっている。
そうすることで、この国にその女王の季節が訪れる、という仕組みだ。
それが少し前まで、大昔から続いてきた。
しかし、最近問題が起きた。
冬の女王が塔に籠ったまま出てこなくなってしまい、そして春の女王が塔にやってこない、という問題が。
もうすでに五の月も半ばを過ぎたというのに、一向に春がやってこない。
雪が積もる景色が、続き過ぎているのだ。
このままでは、食べるものが尽きてしまう。
そう危惧した王が出したお触れが、これだ。
――冬の女王を春の女王と交替させた者には好きな褒美を取らせよう。
――ただし、冬の女王が次に廻って来られなくなる方法は認めない。
――季節を廻らせることを妨げてはならない
褒美の方は、特に期待していない。
俺の本当の望みは、それでどうこうできることではないから。
けれど早く春が来ることを祈り願っていた俺は、真っ先に飛びついた。
王国騎士の一部隊の隊長を務め、『王国最強の騎士』などと大層な呼び名が出回っている俺は、その立場を利用して第一に王に進言し、最初に任務を為す許可を得られたということだ。
それが、俺が今塔に向かっている理由。
他の者に任せている時間はない。
だから俺が、すぐに何とかして見せる。
しばらく歩いた後、塔の前に着いた。
意気揚々と扉をノックする。
返事がない。
もう一度ノック。
少し待つと、静かな足音。
扉が開かれる。
一人の女の子が出てきた。
まだ、十代くらいであろう少女だ。
青と白の色が交ざり合うドレスを着ている、水色の瞳の、水色の長い髪の、女の子。
その子の顔が、視界に入った。
「どなたですか……?」
「…………君は」
「はい…………?」
「誰だ……?」
「冬の、女王、ですけど」
「――――」
俺は。
文句を言ってやるつもり、だった。
他を顧みず冬を続けて、国民に迷惑をかけて。
一体どういうつもりなんだと。
我が侭も大概にしろと。
それで幸せを奪われている、不幸になっている人がいるのだと。
そう、怒鳴るぐらいの勢いで以って、俺はこの塔へ訪れた。
なのに。
この子なのか。
本当に、この子なのか?
冬の女王というのは。
俺は、もっと歳のいった、二十台か三十台くらいの女が出てくると思っていた。
その迷惑女が、己の理不尽な我が侭で冬を続けているのだと、思っていた。
この子が、本当に我が侭のような自分勝手な理由で国民全てに迷惑をかけるだろうか? どうして、こんなにも弱々しいんだ?
どうして、そんな悲しそうな顔をしているんだ?
顔自体は無表情気味なのに、それが分かってしまう。
俺を見て、怯えている。
見知らぬ男が訪ねてきて、怯えているのか。
――怯えさせたくない。
そう思った。
「俺は騎士をやっていまして、ここには任務でやってきました」
「き、し……?」
「しばらくこの塔に滞在して、冬の女王――貴方を護衛するという任務です」
俺は、嘘をついた。
咄嗟にしては、かなりいい線いっている嘘だろう。
いや、いい線ってなんだ。
俺は説得しに来たんじゃないのか。
春が来てもらわないと困るというのに。
でも……。
後悔は、あまりないような気がした。
「護衛、ですか……?」
「はい」
冬の女王は、俺を見た。
少しの間の後。
「――はい。わかりました。いらっしゃいませ騎士さん。どうぞ塔へ入ってください」
俺は塔への滞在許可を得た。
塔の内部は、暖かかった。
照明が灯り、カーペットが敷かれている。
ソファや棚などの家具も揃っている。
先程までの俺だったら、冬の続き過ぎで大変なことになっているのに自分は暖かいところに居やがって、と憤っていたところだが、今はそんな気は起こらない。
冬を続けている理由を知りたいが、知らずに怒る気は削がれた。
「こちらに、お掛けになってください」
冬の女王にすすめられたソファに座る。
さて。
どうしようか。
このまま冬を続けている理由を聞き出すか、それとも様子を見るために共に過ごしてからにするか。
いきなり本命の話を出したら、拒絶されるかもしれない。
ここは慎重にいくべきだ。
失敗は、望みが断たれることを意味する。
それはあってはならないのだから。
「こ、紅茶です、どうぞ」
コト、と俺の前のテーブルにティーカップを置く冬の女王。
「……ありがとうございます。俺などのために」
「い、いえ」
「少し、疑問なんだが」
「……なんでしょうか?」
「貴方は女王なのに、どうしてそんなに謙虚なんですか? これではどちらが上の立場か分からない」
俺の言葉使いも大概かもしれないが。
昔から丁寧な言葉遣いというのが苦手なのだ。
王国最強の騎士などと呼ばれているのに一部隊の隊長に納まっているのは、その理由とまだ若過ぎるというのが原因だろう。
それがなければ、自惚れでないのならば近衛騎士隊長ぐらいにはなっているはずだ。
「え。と、私は、いつもこんな感じですけど……ほとんど、他の季節の女王たちとしか話しませんし…………」
「――そうですか」
この子は、もしかしたら。
生粋の箱入りなのかもしれない。
だから今まで生きてきた自分の性格的な言動しか取れないのかもしれない。
俺も言動の去勢に四苦八苦しているので、少し親近感が湧いた。
「なら、俺も普通に喋ってもいいですか?」
「あ、はい。それは、全然問題ないですけど」
「ありがたい」
紅茶を啜りながら思う。
あとで不敬罪とかにならないだろうか。
本人がいいと言っているのなら大丈夫か。
冬の女王が淹れてくれた紅茶はとても風味が良く、美味だった。
「…………」
「…………」
俺は話の切り出しに迷い。
冬の女王は沈黙したままオドオドとしていて。
無言の時が続いた。
――。
そういえば。
今しがたの思考で気づいたこと。
「冬の女王さん。冬の女王と君は呼ばれているが、名前はあるのか?」
それが、気になった。
まさか名前が"冬の女王"ということはないだろう。
「あ、はい。私はウィンターと申します」
「ウィンターか。これからそう呼んでもいいか?」
「はい。それは。気兼ねなく。私も騎士さんのお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいぞ。俺はエリアスという名だ」
「エリアスさん、ですね」
「ああ、ウィンター、よろしく」
右手を前に差し出すと、ウィンターも前に手を出して握ってきた。
「よろしくです、エリアスさん」
歩み寄れたことを、打算以外でも、なんだか嬉しく思えた。
「…………」
「…………」
俺は何も言わず、紅茶を飲んでいる。
ウィンターも何も言わず座っている。
話を今、するべきか否か。
考えていると。
紅茶が、なくなった。
飲み終えてしまった。
「エリアスさんは」
「うん?」
「エリアスさんは、訊かないんですか? なぜ冬を続けているのかと」
「…………」
相手の方から切り出されてしまった。
俺は、どう返せばいいのか。
少し悩んだ。
「君が言いたくないのなら、今は言わなくてもいい。でも、聞きたいとは思っている。春は来てほしいから」
「はい…………」
それっきり、言葉は続かなかった。
俺は、言葉の選択を間違えていないだろうか。
今はそれは、判らない。
「エリアスさんが泊まる部屋の用意、してきますね」
「え? ああお構いなく。俺なんてそこらへんで寝ますから」
ソファでも床でも。
騎士の訓練でどんな場だろうと睡眠をとれる技術は身につけている。
ましてや、岩場でもなくソファやカーペットがあるこの場所は十分快適とすらいえる。
「ダメですよ。ちゃんとベッドかお布団で寝ませんと」
そう言ってウィンターは部屋の外に出て行った。
結局、話してはくれなかった。
今は待つしかないか。
共に過ごして、見極めるのがいいかもしれない。
そこまで時間は、かけられないが。
次の日の朝。
日差しが差し込み、俺は起きる。
ウィンターが用意してくれたベッドから降り、他に机と椅子が置かれた一室の扉を開ける。
ここは塔の二階。
空き部屋がいくつかあり、俺にはその内の一つが用意された。
廊下に出る。
「――――」
「あ」
明るい金の髪を長く伸ばした女の子が、いた。
「…………」
「うぅ…………」
黄色いドレスを着た、女の子がいたのだ。
黄色い瞳で、俺の姿を見て、怯んでいる。
この塔にはウィンターしかいないはずだ。
けれどこの女の子は金で黄な色だ。
雰囲気も違うので、ウィンターではないだろう。
誰だ?
推測することはできる。
他の女王かもしれない。
けれどなぜここに居るのかが分からない。
そしてウィンターはなぜ教えてくれなかったのか。
「あああ……」
金髪の女の子は、硬直を解くと怯えた表情で走り出そうとしたのだろう。
足を俺とは反対方向に踏み出した。
と。
「あ……スプリング、気を付けてといいましたのに」
階段から降りてきたウィンターが、そう声をかけると金髪の女の子は素早くウィンターの後ろに隠れた。
俺はウィンターに向き直る。
「説明、してくれるか?」
「……はい。もう見られてしまいましたから…………」
ウィンターは申し訳なさそうにしながらそう言った。
一階の、最初に入った広間のソファに向かい合わせで三人座る。
俺一、女王二、の対面で。
「まずは最初に、ごめんなさい。私の不注意で」
ウィンターが頭を下げた。
「いや、頭を上げてくれ。謝る必要はない。それより説明をしてくれ」
「……はい。ありがとうございます」
姿勢を元に戻すと、ウィンターは話し出した。
「昨日、スプリング――春の女王がこの塔にいることを黙っていたのは、それを伝えたらスプリングが問い詰められてしまうのではないかと思ってしまったからです」
「春の女王…………」
確かに、聞いていたらそうしてしまったかもしれない。
なぜ春の女王がいるのに冬のままなのかとか。
冬の女王が籠った上で、春の女王が塔にやって来ないから冬が続いているのではないかと。
他にも、色々と。
状況に戸惑って、いったいどういうつもりなんだと声を荒げてしまったかもしれない。
「問い詰められたら、スプリングが混乱して悲しい思いをしてしまうと思いました……なので、まずはスプリングと相談して、どうするか決めました。そして、明日、つまり今日、一日置いてスプリングが心の準備を整えて、エリアスさんも昨日は気持ちが逸っているように見えたので、落ち着いたところで、紹介するつもりだったのです」
「……そうか」
俺は、そんな風に見えていたのか。
現に焦りはあったとはいえ、はたから見て分かるほどだとは気づかなかった。
気をつけよう。
「…………」
俺は最初、春の女王を見た時、ウィンターを疑ってしまった。
でも、違った。
悪意があるとか、騙すとかではなかった。
この子は、友達を想っただけなのだ。
初対面の俺よりも、大事な友達の方を優先しただけなのだ。
友達想いの優しい子、というだけだった。
「改めて、謝ります、ごめんなさい……」
「わたしも、隠れててごめんなさい」
春の女王も頭を下げる。
「いや、俺もそんな気を揉ませて悪かった」
謝らなければならないのは、こちらの方だ。
優しい子、か。
「――気を取り直しまして……改めて紹介します。春の女王、スプリングです」
ウィンターが右隣の金髪で黄色いドレスを着た女の子を視線で示して言った。
春の女王は、気分を切り替えるように深呼吸して、頬を両手でパンパンッと叩いた。
「えっと、紹介にあずかりました、スプリングですっ。よろしく」
スプリングは笑顔を湛えて手を差し出してきた。
「よろしく。俺は騎士をやっているエリアスだ。スプリングと呼んでもいいか?」
「うん。いいよ。わたしもエリアスって呼ぶから」
気さくな口調。
見た目通りに明るい子のようだ。
初対面で怯えていた子とは別人かと思えてしまう。
本来の性格はこっちの方なのだろう。
「それで、色々聞かせてもらってもいいか?」
「あ、はい。では、私が説明しますね……」
ウィンターがそう言って、話し始める。
「えっと、私たちが一緒に塔に居るのは、季節を司る女王が塔に住むことが季節が変わる条件ではないからです」
「では、その条件とは?」
「この塔には、古代から存在する特殊な魔導装置があって、その装置に季節の女王としての力を流し込むことで、季節が変わり、保たれるのです」
そんな仕組みだったのか。
大ざっぱにしか理解してなかった。
王宮もそこら辺の事情を把握しているかは知らないが。
「そこで、現在問題になってしまっているのが、スプリングの――春の女王としての力が極限まで弱ってしまっていて、あと一度その力を使ってしまったら、スプリングの季節を司る力は失われてしまうのです」
「力を失うと、次の春が来ないからか?」
「いえ……季節を司る力は次の代へと移るので、そうなりはしません……」
「……? なら、国全体の問題になるほどまで冬を無理に保つより、次の代へ移らせるほうがまだいいんじゃないのか?」
「そうではないのです……問題は、別のところなのです……」
「……その問題とは?」
そこまでするほどの、ものだというのか?
「……季節を司る女王は、力を失うと命を失うのです…………」
ウィンターは、悲痛な顔で、そう言った。
「……っ。すまない。無神経なことを口にした」
「…………」
「わたしは、大丈夫だから」
ウィンターはスプリングを気遣うように黙り、スプリングは微笑んで言葉を発する。
本当に大丈夫なのか、空元気なのかは分からない。
全員黙ったまま、時が少し進んだ。
俺は沈黙の空間にすぐ耐えられなくなり、口を開く。
「力が弱まっているのは、スプリングだけなのか?」
「うん。そうだよ」
スプリングが気にしていないように答える。
「でも、なんだってそんな、スプリングだけ力が弱まったんだ? 一つの季節がこれだけ続いた事例は、俺が知る限りほとんどなかったと思うぞ」
「スプリングは生まれつき体が強くなくて……多分それが原因だと思います」
「そう、なのか」
表面上は元気に見えるが、そう見えるだけなのだろう。
俺は、懐に仕舞っている懐中時計に手を当てた。
「紅茶、淹れてきますね……」
ウィンターが席を立って、部屋の隅の方へと向かった。
俺は思考する。
知った情報の整理をする。
そして、これからの方針を、模索した。
「どうぞ……」
ウィンターが戻って来て、三人分の紅茶がテープルに置かれる。
「頂かせてもらう」
「ありがとう」
俺とスプリングは同時に言う。
紅茶の香りを楽しみ、口を潤したところで。
俺は考えて、新たにできた聞いてみたいことを尋ねる。
「先に夏や秋にすることは無理なのか?」
「無理ですね……春、夏、秋、冬、の順番で力を流さないと、魔導装置が不具合を起こして壊れてしまう可能性が高いのです」
一応訊いてみたが、大方予想通りの回答。
可能ならとっくにやっているか。
「夏の女王と秋の女王は、この塔に居ないのか?」
「サマーとフォール――夏の女王と秋の女王は、塔から離れた自分たちの家に居ます。季節の女王が三人以上塔に居ると、魔導装置が不安定になってしまうので」
融通の利かない装置なんだな。
だから籠らなければならないウィンターと、匿いたいスプリングだけがこの塔に居るという訳か。
俺はもう一つ、聞いておきたいことを口にする。
「季節を司る力を取り戻す方法は、あるのか?」
「…………」
スプリングが、顔を強張らせた。
するとウィンターが声を上げる。
「それはっ……言えません……スプリングが、自分から話さない限りは、お教えすることはできません……」
ウィンターは、一生懸命友達を庇うように、言葉を紡いだ。
「ごめん」
スプリングは申し訳なさそうな表情で、俯き気味に言った。
今無理に訊いても聞き出せそうにはないように思えた。
「――そうか。なら、訊かないでおくよ」
少なくとも、今は。
「元々の、力が無くなる仕組みはどうなってるんだ?」
「私たちにとって、季節を司る力の減衰は、年を取っていくことと同じなんです。だから力が無くなると、次の世代の女王に移って、自分は消えていくのです」
「力の残量が寿命みたいなもの、ということか」
「はい。その表現が的確かと」
「聞きたかったことは、これで一通りは聞いたはずだ」
「はい」
「ではしばらくここに住まわせてもらう。君たちを護衛しなければならない」
共に過ごして、話を聞き出す。もしくは解決策を探る。
そのために、俺はこの嘘を貫く。
「はい」
「うん」
二人の女王は頷いた。
「では、改めてよろしくだ」
俺が手を差し出すと、ウィンターとスプリングは順番に握ってくれた。
「よろしくお願いします……」
「よろしくね」
ここから、俺の女王たちとの生活が始まった。
――――兄さん。
…………。
――兄さん。
……。
兄さん。
――。
「兄さん、聞いてるんですか?」
「――あ、ああ。もちろん聞いている」
「ぼーっとしていたように見えましたけど」
「気のせいだよ」
ここは妹の寝室。
寝間着を着て、肩を過ぎるぐらいまでに切り揃えられた黒髪の少女がベッドで上半身を起こしている。
俺の妹、アリス。
妹は昔から体が弱くて、ベッドで寝ていることが多い。
休日は、いつもこうして俺はアリスの傍にいる。
そして今、アリスは髪色と同じ黒いチェスの駒を持っていた。
「まあ、いいですけど。ナイトをこの位置へ」
「そうくるか。なら俺は」
アリスはあまり外に出られない。
だから大体は、屋内でできるこういう遊びを二人でしていた。
しばらく駒をお互い動かし合っていると。
「また、兄さんのお話、聞かせてほしいな」
度々アリスが口にする台詞を、なぞるように今日も言ってきた。
「ああ、いいぞ」
そうして俺も、いつものように了承の返事を返す。
「この前、東の方に行った時に起こったことを話そう」
そしていつものように、話し始めた。
「この前任務外で山の方の街に行ったんだけどな。
そこで山の中に隠れ家を持っていた山賊を見つけてな。
この人数と、身のこなしを見て推測した強さからして、俺一人でも対処は可能だなと判断して、一人で山賊のアジトに乗り込んだんだ。
まあ、近くの街で兵を集めて対処に当たった方が楽だったんだろうが、めんどかったんだ。
そうして、俺は苦戦して命からがら逃げることになる、かと思いきや。
兄さんはバッタバッタと山賊を余裕で殲滅したわけだ。
あ、なるべく殺してないからな?」
「兄さん」
アリスの落ち着いた声。
「なんだ?」
「でも、それって独断専行ですよね……?」
「……そうともいう」
無言の時。
少し気まずい。
そしてアリスの、呆れたといった深い溜め息。
「まったく、兄さんは。気をつけてくださいね。チェックメイトです」
「あ」
負けた。
しばらく二人でのんびりしていると。
「早く、春が来てほしいな……」
アリスは窓の外を見つめながら、ポツリと誰にいうでもなく呟いた。
「…………」
聞こえていたが、俺には何もできない。
黙っているしかなかった。
「――あっ。そうだ。いいこと思いつきました」
思案していたアリスが、急にそんなことを言った。
首元からチェーンを外してアリスは懐中時計を手に持つ。
アリスが肌身離さず常に身に着けている、今は亡き俺たちの両親からプレゼントされたものだ。
それを両手で祈るようにアリスは握った。
「どうか、春が来ますように。春の花畑で囲まれて、ゆっくり過ごせますように。あと――」
目を閉じて、しばらくアリスはそのままでいた。
やがて。目を開ける
「はい、兄さんこれ、持っててください」
アリスが笑顔で差し出してくるので、俺は反射で受け取ってしまった。
「祈りを込めて、兄さんに託します」
「なんだ? なにかのまじないか?」
「はい。早く春が来てほしいという願いと、あと他にも色々、願いを詰め込みました。春が来たら、返してくださいね」
「欲張りだな」
「今はそのぐらいがちょうどいいんですよ」
「アリスはほんと、こういうのが好きだよな」
昔からおまじないとか占いとか、そういうのに興味を示してちょくちょくやっているのを見かける。
「女の子はみんな、おまじないが好きなんですよ」
「そうか……」
女の子は、よくわからんな。
「私、もう長くないんですよね?」
渡された懐中時計を眺めていると、アリスが静かに、突然の言葉。
「――なん、で」
「なんとなくわかるんです。自分の体のことですから」
アリスは、寂しそうに笑った。
かかりつけの医者から、俺はすでに聞かされていた。
しかしアリスはまだ少女であるため、ショックを大きく受ける可能性が高い。
そう判断され、医者も俺も言わずにいた。
けれど、アリスは悟っていたようだ。
なら、懐中時計を渡したのは。
形見、のような意味もあるのだろうか。
「ふざけないでくれ。俺はまだアリスと別れる気はないぞ」
「兄さん……」
「形見になどしない。必ずお前の病気を治す方法を見つけてやる。これはアリスが持っていろ」
懐中時計をアリスの前へ差し出す。
俺は、医者ではない。
アリスの病を治す、そんなことできる訳が無い。
そんなこと、わかっていた。
だが言わずにはいられなかった。
俺の言葉には返さず、アリスは言った。
「その懐中時計に思いを、祈りをたっぷり詰め込みました。身に着けていれば、きっと兄さんを守ってくれます」
「まじないか」
「はい。だから持っていてください。無理に返すようなら窓から投げ捨てます」
アリスは、本気の目だ。
俺が懐中時計を返そうものなら、躊躇いなくすぐに行動へと移しそうだ。
俺は溜め息を吐く。
「無理に押し付けてるのはどっちだか」
懐中時計を懐に仕舞った。
アリスは、嬉しそうに笑っていた。
――陽光。
起きた。
少し前に妹と話した時のことを、夢に見てしまったようだ。
俺は、為さねばならない。
アリスのために、春を来させる。
焦っても、余計に時を要するだけだとはわかってる。
だから、今はウィンターとスプリングと過ごしていくしかない。
いつまでも待てるわけではないが、少なくとも、まだ。
いい匂いが鼻孔に届いた。
今は、ウィンターとスプリングが昼食を作ってくれている。
二人はキッチンで姉妹のように仲良く料理をしている。
俺はできるまで待っているように言われた。
どちらにしろ俺にたいした料理の技術はないが。
適当に焼く、ぐらいしかできない。
二人が料理している光景。
なんでか、懐かしいと思えた。
前に、アリスが体の調子が良いときに料理していたことが頭に浮かぶ。
――兄さんは心配せず待っていてください。男子厨房に入らず、ですよ――なんて手伝おうとしたらお姉さんぶった口調で言われたものだ。
やがて料理が完成したようで、テーブルに置かれる。
野菜と肉の入ったスープ。それにパン。
冬が続き過ぎている現状では、結構豪華といえるだろう量の野菜が入っている。
「ありがたく頂かせてもらうよ」
スープを啜り、野菜と肉を食した。
「美味い」
「ありがとっ」
「ありがとうございます」
「二人とも、料理上手いんだな」
美味な食事に舌鼓を打ちながら、思い出す。
アリスの料理は、なんというか、アレだったことを。
しかし、頑張って作ってくれて、ニコニコと笑顔で味を訊いてきた愛する妹に、俺は、美味いよ、としか言えなかったことを。
「――ねえねえ、エリアスなにをしているの?」
ある時、スプリングが話しかけてきた。
スプリングは人懐っこく、気さくに喋る。
「ああ、これは剣の手入れをしているんだ」
剣に砥石をあてながら答える。
「へえ~、そうやってやるんだ~。でもなんで今?」
「女王様の護衛をしないとだからな」
本当はいつもの習慣だからだ。
まあ、剣の手入れはいつだろうとしておいた方がいいが。
いつ戦闘が起こるかなんて、誰も分からないからな。
「エリアスって強いの?」
「王国最強の騎士なんて呼ばれてる」
「え~? ほんとにー?」
「本当だ。まあ、うぬ惚れないように気をつけてはいる。大層な呼び名だよ」
スプリングはジト目で俺を見ている。
これは信じていないな。
普通に考えて、いきなりそんなこと言われても信じられはしないだろうけどな。
王国最強の騎士とか、ちょっと強いうぬ惚れ屋の貴族が口にしててもおかしくない。
「そういうこと、ウィンターには軽々しく言わないようにね。あの子すぐに信じちゃうんだから」
人差指を立てて、めっ、とでも言いそうなポーズ。
「嘘ではないんだがな」
「はいはい」
「事実なんだがなあ」
「…………本当に?」
首を傾げ、窺ってくる。
スプリングも十分信じやすいじゃないか。
「冗談だよ」
だからそう言ってやった。
これから誰かに騙されないために。
「もうっ。やっぱり嘘だったんじゃないの!」
ぷんすか怒る春の女王。
本気で憤っているわけではないような、どことなく楽しげに。
彼女と話していて、ここまで接して来て、思う。
スプリングは、俺の妹に似ている。
体が弱くて、それでも気丈に振る舞って元気でいるところが。
――ある時。
広間のソファで、俺と季節の女王二人は座っていた。
「なあ、一緒になにかしてみないか?」
俺はそう切り出した。
「なにか、とは……?」
キョトンとして、ウィンターが聞いてくる。
「なにかしらの遊戯が望ましい」
「それなら、チェスとかは?」
スプリングが言う。
本来なら、三人同時にできるものが良かった。
けれど今、スプリングの言葉でアリスとプレイしたチェスを思い出してしまった。
「よし、とりあえず最初はそれやってみよう。いいか?」
「はい」
「うん」
色よい返事が返ってきた。
「――チェックメイト」
厳かさを意識した俺の声が空気を伝わる。
「負けたーー!」
スプリングは悔しそうだ。
アリスと違って、スプリングはチェスは強くないようだ。
「紅茶をどうぞ」
「ありがと」
「ありがとう」
俺たちがチェスに興じているのを穏やかな表情で横から見ていたウィンターだったが、途中から席を立ち、お茶を淹れにいっていたのだ。
今回も有り難く飲ませてもらうと、やはり香りがいい。
「エリアス強いなー。結構チェスやってるの?」
「それなりには」
アリスとは、よくやっている。
「そっか。普段誰とやってるの?」
「君みたいなかわいい女の子とだよ」
スプリングは最初、何を言われたのかわからない、といった顔をした。
少しすると。
次に、理解が広がったような表情。
そうすると。
瞬間、その間に。
スプリングの表情と気配が、複雑に渦巻いた。
ように感じた。
そして。
その後。
「……っ」
スプリングは唖然として、頬に朱が差していた。
「どうした?」
「か、かわいいとか、軽々しく言わないのっ!」
「軽々しくは言ってないけどな。実際かわいい」
流石女王というべきか、かなり整った顔立ちをしている。
これほど美しい金髪もそうそうなく、ドレス姿も似合っている。
知り合って日も浅いが、いい子だとも思う。
「…………」
スプリングは黙ってしまった。
「スプリングは、かわいいですよね」
ウィンターは微笑んで、なぜかとてつもなく嬉しそうに、俺の援護射撃をするようにそう言った。
「ウィンター……っ!」
真赤な顔をウィンターに向けて睨むスプリング。若干涙目だ。
「か、かわいい子といつも遊んでるんなら、エリアスってもしかして好色家?」
苦し紛れに反撃するようにスプリングは言葉を発した。
「それは違う」
アリスとしか普段はやらない。
「ほんとに?」
「ああ」
「ううぅ~~……」
スプリングは、少し疑わしげに唸っていた。
仲を深めて情報を得るために、共に何かしようなどと提案したが。
なんだか面白い反応も見れてしまった。
情報は欲しかったが、けれどそれだけでもない気もした。
ただ純粋に、この二人と過ごすことを楽しいと思えたからだろう。
ウィンターのチェスの腕前は俺と拮抗し、思わず集中して時間を掛けた攻防をしてしまった。
こういうゲームで力が拮抗すると結構ハマってしまう。
俺は目的も忘れて集中していた。
スプリングはそれを、ずっと両手で頬杖を突きながら眺めていた。
結果は、僅差で俺が負けた。
ある日。
「騎士さんのお話し、聞いてみたいです」
ここ最近皆で居ることが多い広間のソファにて。
ウィンターが、そんなことを言った。
「俺の話?」
「はい。今まで、どんなことを、どんな場所でしてきたのか、とか。武勇伝、みたいなものを……」
武勇伝、ね。
アリスにしてやるいつもの話みたいな感じでいいか。
「そんなに面白いものでもないぞ」
「それでもいいの!」
スプリングが前のめりに声を上げた。
「なら、そうだなあ……」
俺は過去に思いを馳せる。
「あれは、暑い夏の時だった――」
そうして訥々と、俺は語って聞かせた。
「二十人くらいの騎士が囲んできてな――」
……。
…………。
「あの剣士はなかなかの使い手だった――」
……。
…………。
英雄譚を聞かせられた子供のようにキラキラと目を輝かせている二人の女王様。
スプリングはてっきり信じないとばかり思っていたが、そうでもないらしい。
そのことを口にすると、スプリングはムッとした顔をして。
「自分でさいきょーとか言うからちょっと信じられなかっただけで、わたしそこまで意地悪でも天邪鬼でもないもん」
ぷくっと頬を膨らませてご立腹。
「そうか」
なんかその様子を見ていると、ほっこりして笑えてきた。
「エリアスさん、すごく強いんですね……! 誰にも負けないんじゃないですか」
「俺にだって苦手な相手はいるぞ」
「どんな?」
スプリングが尋ねの言葉。
「魔術師、だな」
「魔術師、ですか?」
「ああ、もちろんそこらの魔術師には負けない自信があるが、熟練した相手は厄介だ」
「へえ~っ」
二人は、解ってるような解ってないような顔。
そもそも二人は魔術師がどういうものなのか知っているのだろうか。
「でも、エリアスさんなら、大丈夫ですよね……!」
「護衛しに来たっていうくらいなら、護ってもらわないとねっ」
二人は親しみと信頼の籠った笑顔で、そう言った。
まず護衛が嘘だから、護るも何もないんだけどな。
――――――――――。
スプリングが倒れた。
端的にいうと、そんなことが唐突に起きてしまった。
ベッドに寝かせたスプリングを見る。
「スプリング……」
ウィンターは酷く心配そうに、不安そうにベッドに横たわるスプリングを見ている。
今までそんな様子が見られなかったから、俺は特に心配せず、根拠もなく大丈夫だと思っていた。
いや、考えないようにしていただけかもしれない。
身体が弱いということは、すでに聞いていたのだから。
スプリングは目を細く開けて、微笑んだ。
「だいじょーぶだよ。ウィンター、そんな顔しないで。……エリアスも」
俺もってなんだ。
俺はそんな顔をしているのか。
「少し寝れば、またいつも通りだからさ」
スプリングはそう口にしたあと目を閉じて、しばらくすると寝息を立てた。
「……こういうこと、よくあるのか?」
俺は黙っているウィンターに訊いた。
「たまに、あります……」
「そうか」
ベッドで横になっているスプリングと、妹のアリスの姿が重なる。
似ていて、違っていて。
違っていて、似ていて。
俺は――。
夜。
部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、窓際にスプリングが立っていた。
外を見ている様子。
黄昏ているような横顔が、あまりにも綺麗で。
だからというわけではないが、俺は話しかけていた。
「もう、寝てなくていいのか?」
スプリングは振り向いて。
「うん。むしろ寝すぎたくらいだよ。目が冴えてギンギン。このまま走り出しちゃいたいくらい」
「絶対にやめろよ」
「わかってるよ」
「身体によくないから、窓は閉めた方がいいんじゃないか」
窓から入る夜風は、真冬の気温もあってかなり寒い。
それなのにスプリングは寒さなど気にしていないように窓の外を見つめている。
黄色い宝石のような瞳は、何を考えているのかわからない。
「今は、夜空を眺めたい気分なんだよ」
そう言って、頑なにスプリングはそこに立ったままだ。
俺は溜め息を吐いて、横に並ぶ。
上着を脱いで、スプリングの肩にかける。
「エリアス……」
驚いたような顔をして、スプリングはこちらを見た。
「エリアスそれだと寒いんじゃ――」
「また倒れられたら困る。俺の身体は強いから」
スプリングの言葉を遮って言った。
「……うん」
それから俺たちは、特に何も喋らず、夜空を眺めていた。
瞬く星々は、ただただ、空に在った。
「力を取り戻す方法、あるんだろ?」
俺は静寂を終わらすように切り出した。
「…………」
「ないのならないと言えばいいだけだ。でもウィンターは言えないといった。つまり方法はあるが、君を気遣って言わなかったということだ」
スプリングは、夜空を見ている。
「君は、このまま消えるつまりはないのだろう?」
「うん……」
肯定の言葉が、夜空に溶けていく。
「でも、なかなか前に踏み出せなくて……」
沈痛、苦悩、それらが表情から見て取れた。
「俺に協力できることならいくらでもしよう」
「ありがとう。でも、ごめんね」
申し訳なさそうな、空元気を無理矢理出したような、苦笑にも見える笑顔。
そんな顔をして、そんなことを言った。
スプリングは、まだ詳しいことを教えてはくれない。
けれど、苛立ちは湧かなかった。
妹に、似ているからかもしれない。
焦りはあるが、暖簾に腕押しというわけでもない。
スプリングがどうしたいのかは、なんとなく伝わったから。
このままでいるつもりはない、ということは分かった。
詳しいことは、まだ知れないけれど。
俺はどうすれば、解決してやれるだろう?
スプリングの背中を、押してやればいいのだろうか。
だが、事情を知らなければ結局何をしていいのかも分からないか。
やはり、もどかしい。
俺は彼女に、なにをしてやれる?
季節の女王としての力を取り戻させてやる?
俺にはそんな力ありはしない。
季節の女王の力は、凄まじく強いと聞く。
大勢を幸福にする恵みと、一騎当千の武力を持つらしい。
王国最強の騎士と謳われても、実のところ俺は彼女たちよりも弱い。
武力しか優れた点を持たないのに、その武力でさえも守りたい人に劣っている。
ましてや、そんな大きな事情俺がどうこうできることではない。
超常の力を回復させてやるなんて芸当俺にはできない。
俺は、無力だ。
「なにか言いたくなったら、いつでも言ってくれな」
それでも俺は、そういった。
「うん…………」
俺たちは、そのまましばらく夜空を見ていた。
きっと、夜空を眺めたい気分だっただけじゃない。
今は、お互い顔が見づらいというのもあった。
星々達は、やはりそこに在るだけだった。
数日後。
「エリアス」
スプリングに呼び止められた。
「なんだ?」
振り返ると、両手を後ろに回して隠している明るい金の髪の少女。
「これ、エリアスにあげる」
スプリングが両手を前に出す。
その手には、毛糸で作られた黄色い花のブローチ。
「なんで、俺に?」
俺は、わからなかった。
「プレゼントだよ」
「だから、なんで」
「いいから」
俺の手にブローチが握られる。
まあ、いいか、と思いながらその握られた黄色を見つめる。
スプリングを連想させる色だ。
「これ、手作りか?」
「うん。わたし手芸が趣味なんだ」
「そうか……でもなぜ、急に」
「知りたくて、少しだけ踏み出してみたんだよ」
どういう意味だ? むしろ知りたいのはこちらの方だというのに。
このことも、それ以外のことも。
――まあ、でも。
貰ったからには。
「ありがとう。よくできてるよ」
礼を言って、褒める。
実際、スプリングの手芸の腕は大したものだった。
「ありがと」
なぜかプレゼントした側が、お礼を言ってくる。
頬を染めて、スプリングは嬉しそうだった。
夜遅く、寝る前。
俺は用を足そうと廊下を歩いて向かっていた。
広間の前を通ろうとした。
すると、広間がまだ明るいことに気づく。
俺は気になって、広間へと入った。
いい香りがぶわっと鼻に入り込んできた。
ここ最近頻繁にかいでいる香りだ。
見ると、ウィンターがキッチンの方で紅茶を淹れていた。
近づいていくと、何個もカップが置かれていることに気がつく。
ウィンターは真剣な表情をして、紅茶を淹れては、試飲し、別のカップに入れては試飲してを繰り返していた。
「ウィンター」
「ひゃっ……」
ウィンターが驚いてカップを取り落としそうになる。
うまく手に収めようとしたが、ウィンターの手からカップは落ちていく。
「よっと」
俺はそのカップを素早く丁寧に掴んで受け止めた。
紅茶はそれほどの量が残っていなかったので、特に零れず済んだ。
「あ、エリアスさん……」
振り返って、ウィンターは俺に気づく。
「こんな時間に何してるんだ?」
「え……? あ、もうこんなに遅く……」
外と時計を見てウィンターは呟く。
「気づいてなかったのか?」
「はい……紅茶の研究に熱中してしまって……」
頬を染めて俯く。
「紅茶、好きなんだな」
ウィンターは度々俺とスプリングに紅茶を出してくれる。
そうでないかとは思っていた。
だがここまでとは。
「はい……好きです」
静かにウィンターがそう答えた時。
俺は、一瞬心臓の鼓動が早まるのを感じた。
いや、待て。
ウィンターは、紅茶が好きだと言ったのだ。
そういう意味ではない。
仮にそういう意味だったとして、なんだというのか。
閑話休題。
今ここには、俺とウィンターしかいない。
ちょうどいい、この際、相談してみよう。
「ウィンターは、スプリングに対して俺が何かできることは分からないか?」
スプリングの、倒れてベッドに眠る姿と、夜空を眺める儚げな姿を思い出す。
俺は、妹のためにも春に来てほしい。
けれど今は、スプリングのためにも何かしたい。
「……そうですね。エリアスさんは、いつも通りにスプリングに接してあげるといいと思いますよ」
ウィンターは、微笑んでそう答えた。
「どういうことだ? それでは何もできていないじゃないか」
「いえ。できていますよ。私が、保証します」
なぜそれでいいのかは分からない。
だが。
友達想いのウィンターが、このことで嘘をつくとは思えなかった。
「そうか。いつも通り、ね」
「はい。エリアスさんらしく、いつも通りに、一緒に居てくれればと思います」
とりあえず、しばらくはウィンターのいう通りにしてみよう。
それから、三人で過ごす日々が、穏やかに過ぎて行った。
時に語らい、共に食事し、俺は待ち続けた。
スプリングが話してくれるのを、待ち続けた。
アリスのことが気がかりだから、そこまで長くは待てないが。
待てる限りは待ち続けた。
ウィンターにいわれた通り、特に無理せず、自分が考えたそのままに過ごした。
二人と共に在る日々は、春を望む焦りを除けば。
とても楽しい、と思えた。
俺がここまで、一緒に居て心がやすまった人は、妹のアリスを除けばスプリングとウィンターが初めてだった。
――――そんなある日。
広間のソファに座り、俺は剣と甲冑の手入れをしていた。
そしてウィンターは、紅茶を淹れている最中。
ドアがバンッ、と思い切り開け放たれた。
「二人とも! わたしの力戻った!!」
「は?」
俺は変な所から声が出てしまった。
ウィンターは、珍しく満面の笑みを見せて振り返っていた。
「ついに、ですか……!」
「ウィンター、わたしできたよ!」
手を取り合ってはしゃぐ二人。
「な、え、あ、は?」
「なえあは?」
首を傾げて俺の言葉を復唱するスプリング。
そうじゃない。
「力が、戻った?」
「うん」
「季節を司る力、春の女王としての力だよな?」
「そうだっていってるじゃん」
「なぜ、唐突に、本当なのか?」
「本当だよ。見ていて」
スプリングが手を前に翳すと、手の平の先に暖かな光の球体が出現した。
春の季節によく感じる、天気の良い昼間に浴びる陽光のような暖かさだ。
「これが……」
「うん、わたしの力」
スプリングが笑みを湛えて答えた。
「これ以外にもできるのか?」
「当然っ。ついて来て!」
そういうとスプリングは元気に走って、塔の外へと向かった。
「おいおい、そんな走って大丈夫なのか」
「季節の女王は、力が生命力に繋がるんです。だからもう、スプリングはただの元気な女の子ですよ」
ウィンターが俺の言葉を聞いて説明した。
「そう、なのか」
俺は。
胸の奥に、複雑でありながら暖かいものを感じた。
妹に似た、体の弱い女の子が元気になったという事実に。
塔の外に出ると、そこは雪が積もった最近ずっと見ていた冬の光景ではなく。
花が咲き乱れる、暖かな春の光景だった。
先に出ていたスプリングが力を使ったのだろう。
やり過ぎなくらい咲かせた花畑の中心で、スプリングは笑顔を咲かせていた。
「これで、やっと……」
アリス、やったぞ。
これでお前を、春の花畑に連れて行ってやれる。
なんだか知らないが、なんとかなった。
あとは、どうしてこうなったか教えてもらって、帰るだけだ。
アリスに早く、この光景を見せてやりたい。
「わあっ……」
ウィンターも外に出てきて、感嘆の声をあげた。
俺はスプリングの元へ向かう。
「スプリング」
彼女は俺に顔を向ける。
「説明、してくれるよな?」
問いかけた。
しかし、スプリングは眉を八の字にして口ごもる。
「…………えっと、それなんだけどね」
申し訳なさが振り切ったような声音で、スプリングはいった。
「説明するのは、まだあとでもいい……?」
「なんでだ。もう解決したじゃないか」
「うん、問題は解決したんだけど、あと数日くらいこのままでいさせてほしいの」
「せめて理由を教えてくれ」
「それは、いえない……けど、意地悪するつもりじゃないの、信じて」
「エリアスさん、私からもお願いします……」
二人とも、真摯な瞳で俺を見つめる。
黄色と水色の、宝玉のような瞳を見る。
悪意など見つけられず、ただただ純粋な眼だった。
俺は、アリスのためにここまでやってきた。
けれど。
ここ最近は、アリスのためだけでもなかったようにも思う。
「…………」
俺は。
「お願いエリアス!」
「お願いします、エリアスさん」
二人は、頭まで下げてきた。
女王が、頭まで下げてきた。
俺は、そんなことをしてほしかったわけではない。
俺は、アリス――そして、スプリングとウィンター、三人のために、何かしたかった。
三人に、笑って欲しかったのだ。
きっと。
「……これ以上隠されて納得しろというのはいささか無理があるというのはわかってくれているよな?」
「うん……」
「はい……」
二人は静かに答える。
「顔を上げてくれ、俺は頭を下げられるのは苦手だ」
二人は、おずおずと頭を上げた。
「あのね、エリアス――」
なにかを言い募ろうとするスプリングの言葉を遮る。
「俺は急いでいる。せめて一日だけだ」
「「え……?」」
「聞こえなかったのか? 俺は一日待ってもいいと言ったんだ」
「…………うん。わかった。ありがとう、一日でも嬉しいよ。エリアスもエリアスの事情があるんだもんね。それに――」
「それに?」
「ううん。なんでもない」
スプリングは首を振ってそう言ったあと、微笑んだ。
「ありがとうございます、エリアスさん」
ウィンターも微笑んで礼を伝えてきた。
「それで、今日一日何をするんだ」
スプリングが切り替えるように姿勢を正すと。
「とりあえず、エリアスと遊びたいなっ」
「遊び……?」
「うん、遊び。エリアスと」
スプリングのやりたいことは、それなのか?
まあ、いい。
真意は分からないが、俺は一日つき合うと決めたのだ。
どんなことだろうと、やってやるのみだ。
「なにしようかな。…………う~ん、考えてる時間がもったいないっ」
スプリングが唸っていると、ウィンターが歩き出した。
「それでは私は、今日は部屋で、ゆっくりしてますね……」
塔に向かって離れていくウィンター。
「ううん。ウィンターも一緒に」
スプリングは、そんなウィンターの手を掴んだ。
「え…………?」
ウィンターは、なんでこんなことするのか解らないといった顔をして、振り向いてスプリングを見た。
「ウィンターは、今までずっとわたしを支えてくれたよ。だから、今みたいなときも一緒の方がいいな」
スプリングは、春の花々のような笑みを咲き乱らせた。
「…………っ」
ウィンターは、水色の瞳を潤ませ、肩を震わせていた。
「はい……。一緒に……」
目の端に水滴が出て行きながら、ウィンターは微笑した。
俺はそれを見て、いまいち理解に要領を得ないが、心は優しく落ち着いていた。
だからきっと、いいことなのだろう。
「それで、何をする?」
スプリングとウィンターが手を繋いだまま時間が過ぎていきそうだったので、俺は先と同じ質問をした。
「あ、そうだね。なにしよう」
スプリングは再度考え込む。
「とりあえず塔に戻ろう」
俺が提案すると、三人で塔に入り、広間のソファに座った。
「あ、魔導装置に力入れておくの忘れてた」
座ってすぐ、スプリングが言った。
「おいおい、そこはしっかりしててくれよ」
俺は少し脱力する。
「ごめんごめん、力が戻ったのが嬉しくてつい」
自分の後頭部を撫でつけ苦笑しながら謝った後、スプリングは立ち上がった。
「じゃあちゃちゃっとやってくるね」
俺はふと思い立つ。
「見学したいのだが駄目か?」
「いいけど、すぐに終わるし面白いものでもないよ?」
「それでもいい」
春の最も最初の始まりを見ておきたかった。
安心を得れるし、アリスへの土産話にも出来る。
「それなら私もついていきます。みんなで一緒に行きましょう」
ウィンターもそう言ってついてくる。
「よし、みんなで春を始めよう!」
スプリングが右拳を振り上げてそう声をあげた。
スプリングを先頭に三人で歩いて行く。
階段を下りて地下にやってきた。
両開きの大きな扉が見える。
スプリングが押し開けた。
部屋の中は、暗い。
けれど、一つだけ白い光を放つ物体が部屋の中心に在った。
天井にも壁にも明かりはないが、その場所だけが光っている。
「これが魔導装置だよ」
スプリングが光を放つ物体に歩み寄って言う。
円筒状のその装置は、なるほど古代から存在するというだけあって神秘的で、不思議な感覚がする。
スプリングが円筒状の魔導装置からせり出した四角い部分に手を当てて目を瞑った。
すると。
スプリングの体が、黄色か金色に視える色で、淡く光を放つ。
その中で魔導装置に触れている右手が一際強く輝いている。
その姿には、神々しさすら覚えた。
女神かと、一瞬本気で思ってしまったほどに。
ウォォオオオオオ。
魔導装置から、下から響くような音が上がり始めた。
しばらく、その大地の鳴動のような音が響き続けた。
やがて。
うるさいぐらい鳴り響いていた音は、緩やかに落ち着いて。
静かになっていった。
スプリングが目を開けて振り返る。
光はもう、消えている。
「これで、数日後には完全な春になるよ」
スプリングは笑顔で俺を見ていた。
その春の始まりを思わせる、弾けるような笑顔に俺は思わず見惚れてしまった。
春が、始まる。
ここから、始まる。
「紅茶淹れてきますね」
所変わっていつもの広間。
ウィンターはそう言って、キッチンの方へ歩いて行った。
「エリアス」
「なんだ?」
ソファに座った俺たち。
神妙な面持ちをしてスプリングは言う。
「この国、娯楽少なくない?」
唐突な言葉。
「……まあ、な」
だがそうだなとは思ったので答えた。
「そうだよねー。よく考えたら今までもみんなで広間に集まってダラダラしてただけだよね」
「俺は剣と甲冑の手入れをしていたぞ」
「でもそれ以外は?」
「……まあ、特に何もしてないな」
「でしょー」
鍛錬をするという手もあったが、問題解決のために二人を観察していたぐらいだ。
観察というか、眺めていただけなような気もする。
「なので、新しい遊びを考えてみましたっ」
「新しい遊び、ですか?」
ウィンターが戻って来て、どうぞ、と言いながら紅茶を全員の前に置く。
「うん、新しい遊び」
ウィンターもソファに座り、全員が揃ったところで俺は聞く。
「で、それはどんなものだ?」
「エリアスバナナ」
「は?」
「エリアスバナナだよ」
「おい、ちょっと待て。その名前は意味が分からないしマズイ」
そもそも俺に対して何もバナナが掛かってない。
俺とバナナの関連性がない。
ないったらない。あったとしても俺に限らない。
何を考えてるんだ俺は。
違う、スプリングだ。
「その、エリアスバナナというのはどういう遊びでしょう……?」
ウィンターがその文言を口にする。
うおう……なんだか体の一部がもぞもぞする。
いかん。やめろ。違う。
「この遊びはね、エリアスといったら? という言葉で始まって、手拍子と共に順番にエリアスに関連することを言っていく遊びだよ。リズムが狂って言葉に詰まった人は負け、っていうルール」
「いいですね、やってみましょう」
「よくないんだが」
「よし、やろう!」
「よくないんだが」
俺の言葉を無視してスプリングは始める。
「エリアスバナナ! エリアスといったら?」
「ばなな……?」
「違う!」
ウィンターは突然の始まりと一番手が来たことで流れに追いつけず、最初に思い浮かんでしまった言葉を口にしてしまったのだろう。
スプリングも今バナナといったばかりだしな。
決して俺を連想して初めに出てくるのがそれというわけではないだろう。
……ないよな?
「今のはちょっと急すぎたね、それじゃあ気を取り直してまたウィンターから行こう」
「はい、頑張ります……」
「頑張るのか」
「エリアスバナナ! バナナといったら?」
「エリ、アス!」
「待て!」
「ごめんっ、ちょっと間違えちゃった。ほら、エリアスとバナナって似てるから」
「似てない」
「ごめんなさい。私も勢いにつられてしまいました」
「ああ、もういい。始めるぞ」
二人に謝られて気を削がれた。
というか、ウィンターの悪気のない謝罪に毒気を抜かれた。
「お、やる気だねエリアス」
「それはない」
「エリアスバナナ!」
話を聞いているのだろうか。
「エリアスといったら?」
「騎士さん」
パンパン。
「男」
パンパン。
「さいきょーとか言ってる痛い人」
「最初の一言だけでよかったな」
「ちょっと! リズムを崩さない!」
「お前さっきからテンション高いな」
無理もないのだろうが。
なにせようやく力を取り戻したのだ。
テンションの一つも高くなるというものだろう。
そんなこんなで、奇妙な遊びは少しの間続いた。
「チェックメイト」
「まけ、ました……」
結局、いつもやってるような娯楽に戻ってきた。
何気にチェスでウィンターに初めて勝てて嬉しい。
紅茶を飲みながら観戦していたスプリングは、カップをテーブルに置く。
「次こそは勝つよ!」
「おう、かかってこい」
ウィンターとスプリングが席を交代して、先に負かしたスプリングと再戦。
俺は勝った。
「勝てない……」
俺に負け続け、涙目にまでなってしまっているスプリング。
それを見ていたら、衝動が刺激されてしまった。
胸の奥から湧き上がる行動の原水がばっちゃばっちゃと溢れている。
具体的にいうと、頭を撫でたくなってしまった。
なので撫でた。
スプリングの明るい金髪に手を伸ばし、綺麗な髪を崩さないようにやさしく撫でた。
サラサラで、極上の手触り。
これは癖になりそうだ。
「なにしてるの……」
怒られるかと思ったが、スプリングはおとなしくされるがままだった。
というか体を硬直させて、顔を赤くしている。
照れているのだろうか。
「…………」
ウィンターが、俺を見ている気がした。
いつもの無表情気味の顔ではあるが、俺はウィンターがそれなりに感情豊かだと共に過ごして知っている。
じーーっ、とでも擬音が付きそうなその視線は、いったい何を訴えているのか。そもそも訴えているのか。何か伝えたいのなら口で云えばいいのではないだろうか。
わからなかった俺。
そして視線が気になり過ぎた俺。
それを掻き乱すために、ウィンターの頭をわしわしと乱雑に撫でようと――してスプリングと同様やさしく撫でた。
「はにゃっ……!?」
ウィンターが珍しい声を出した。
水色の髪はやはり触り心地が良く、色の印象からか流水のような爽やかな感覚。
季節の女王は皆、髪が綺麗で触り心地がいいのだろうか。
気になっていたウィンターの視線は逸らされた。
俺は満足しながら二人の女王の頭を撫で続ける。
今更思ったが。
俺、女王に対して礼儀知らずにもほどがあるだろう。
礼儀のれの字もない。
確かに礼儀は苦手だが、少々最近の俺は砕け過ぎているような気がする。
思い切り素が出ているのだ。
二人が女王っぽくないのも原因だと思うが。
まあ、二人が何も言わないのでこのままでいいか。
俺もこのままの方が、気が楽だ。
「久しぶりに能力合戦したい!」
またスプリングが素っ頓狂なことを言いだした。
頭撫でが終わった後、少し静かにしていたかと思ったら急に顔を上げてこの発言だ。
「能力合戦?」
「昔よくやったんだよ。季節の女王たちで集まって力を使った勝負をするの」
「でも、それでは、エリアスさんが加われないのでは……」
「だいじょーぶっ。ルールを工夫すれば」
「ルール?」
「うん。わたしとウィンターが力を使って逃げて、それをエリアスが捕まえるの」
「鬼ごっこか」
「似たようなものだね。でもド派手に行くから! それじゃあ一分したら追いかけてきてね!」
そう言ってスプリングは走り去っていった。
塔の上の方へ向かったようだ。
ほんと、元気だな。
「では、私も逃げさせてもらいますね」
ウィンターもぴょことお辞儀して去っていった。
スプリングと同じ方向、塔の上だ。
「ふう、じゃあいっちょやるか」
六十秒間、時計の針を眺める。
俺はこの時まで、これを軽いお遊びだと思っていた。
「わははははは! エリアスこっちだよー! わたしを捕まえてごらーんっ!」
ドンッドンッ! と重い音を立てながら、床から巨大な花が出現した。
「うおっ!?」
真下からも生えてきたので後方に跳んで躱す。
その間に廊下を走るスプリングとの距離は離されていく。
「くそっ、ふざけたことを!」
俺は廊下を埋め尽くす花の茎を掻き分けて前に進む。
植物の匂いが鼻腔を突いていく。
花々の道を踏破し終えた時には、スプリングの背中は見えなくなっていた。
「ぐぬう……」
廊下を進んで階段を上ると、ウィンターがいた。
水色の、氷のような瞳と目が合う。
俺は素早く接近し、手で触れようと――
「ひゃっ……」
びっくりしたように目を瞑ってウィンターが、両手を横に振った。
ウィンターから数メートル圏内、瞬間的な吹雪が巻き起こる。
「うおっ……!?」
俺は突風に足を取られ、姿勢を崩す。
あと寒い。
「きゃーーーー!」
ウィンターが背を向けて逃げる。
俺は追いかけようと――
目の前に、一抱えほどもある雪玉が迫っていた。
「ぐへえっ!」
顔面にまともに食らい、倒れる。
目や鼻や口に雪が入って、冷たい。
立ち上がって、姿勢を整える。
はあ、と一息。
「その能力、ずっこいなあ」
俺はさっきから、二人に季節を司る力で翻弄されていた。
ド派手に行くとは言っていたが、はっちゃけすぎだ。
ウィンターも気弱に落ち着いているように見えて、意外と能力の行使を惜しまない。
いや、あれでも抑えているのか。
元々一騎当千出来るほどの力だ、この程度のはずがない。
まあ、俺も本気を出している訳ではないが。
なにせ剣を抜いていない。というか今は身に着けてすらいない。
二人に剣を向けるなどあってはならないことではあるが。
嘘とはいえ、護衛をすると自分から言ってここに今居るのだから。
しかし、騎士としては少し。
「悔しいなあ」
俺は走り出す。
「絶対につかまえてやる」
俺の口元は、いつの間にか楽しげに笑みを象っていた。
それから。
ドッカンバッカンと、三人で騒いで走り回った。
空が夕暮れに染まる頃には、疲れ果てていた。
なんとか、二人ともつかまえたが。
こんなことはもう、しばらくは勘弁願いたいと思う。
終わった後の惨状は酷いものだった。
廊下は寒かったり暖かかったり、雪が壁に付着していたり、植物が散乱していたりと散々な惨状。
「後片付けは明日になってからしよう」
とスプリングが言ったので、明日にすることにした。
明日には俺、帰るんだけどな。
片付けてから帰ることになるのだろうか。
もしや、俺の滞在時間を長引かせるために暴れたのではなかろうな。
真意は分からない。
が、まあ、いい。
ゆっくりしよう。
広間のソファに座り、ウィンターの淹れてくれた紅茶を飲む。
この時間に、俺は最近安らぎを覚えている。
風味が、香りが、疲れた心と体に染み渡っていく。
と。
先程からキッチンで何かをやっていたスプリングが戻ってきた。
「わたし、紅茶に関してはウィンターの右に出るものはいないと思うの」
「急にどうした」
ウィンターもカップから口を話して首を傾げている。
「だから、わたしはわたしなりに飲み物を作ってみたよ」
「ほほう、どんなものだ?」
スプリングは自信満々に背に回していた手を前に出した。
「これだよ。春の野草を使ったスムージー!」
若草色をした液体がグラスに注がれていた。
「スムージー……とはなんだ?」
「知らないの? 凍らせた野菜とか果物を砕いてぎゅるんぎゅるん回して液状にして作った飲み物だよ」
「そんな飲み物があるのか」
「回転させるのが少し大変だけどね」
「回転、とは具体的には? 液状になるほどなら相当だぞ」
「そこはわたしの力を使って、ちょちょいっと」
「こんなことにも使えるのか……」
「果物も野菜も、花と同じ植物だからね、自由に動かせるんだ」
「マジか。なら現在スプリングにしか作れないんじゃないか」
「それは、どうなのかな? わたしたち町の方のことよく知らないから」
「なんらかの魔導機でも使えば可能かもしれないが。魔導機はそうそう手に入るもんじゃないしな」
「そうなんだっ。ならわたしだけの味だね。さあ、召し上がれっ」
スプリングが飲んでほしげな眼でそういうので、飲んだ。
「野草と銘打っている割に甘いな」
「蜂蜜とか入れたからね」
洒落てるな。
「案外美味い」
「案外は余計だね」
軽口を叩きながらも、満足そうにスプリングは笑んでいた。
俺はスムージーとやらを味わいながら思う。
「これ、アリスに飲ませてやりたいな……」
思わず呟いてしまった。
この味はアリスが好みそうだ。
「ん??!! 今、エリアスから聞いたことのない女の子の名前が????」
スプリングが驚き驚愕戸惑い焦燥混乱不安と、感情がごちゃごちゃに回っているであろう百面相をした。
「エリアスさん、その子って、誰ですか……?」
ウィンターが訊いてきたので、特に隠すこともないか、と考え、答える。
「俺の妹だ」
「あ……あーーー、妹。妹、か。妹なんだ。妹だったんだ。エリアスって妹いたの?」
「初耳です」
「……ああ、今度、会わせてやるよ」
アリスも、友達ができたら喜ぶだろう。
「ほんと!? やったっ」
「楽しみにしてますね」
そんなこんなで、一日は終わっていく。
スプリングはこの一日、とても楽しそうに笑って過ごしていた。
夜、就寝前。
「それじゃ、おやすみエリアス」
「おやすみなさい、エリアスさん」
スプリングとウィンターは、名残惜しそうにしていた。
「ああ、おやすみ」
明日には、説明してもらったあと帰らねばならない。
帰らねばならないってなんだ。
俺は一刻も早くアリスの元に帰りたかったはずだ。
二人はいい子だが、まずは妹こそが優先なんだ。
……俺も、名残惜しくは思ってるんだろうな。
まあ、また会えないわけではない。
二人にアリスを紹介すると約束もしたしな。
俺は懐の懐中時計に手を当て、今一度自分の思いを確かめる。
俺はアリスの望みを叶えて、そのあと三人が出逢って仲良くしてくれると嬉しい。
と、思った。
――――――。
起きた。
俺は起きた。
今は真っ暗な深夜だ。
なぜ起きたか。
察知したからだ。
ここ最近感じていなかった、敵が接近してくる感覚。
殺意、敵意、害意。
だが、薄い。
薄くしか感じ取れないということは、相当訓練された者達だということだ。
そう、達だ。
敵は複数いる。
俺は、自分で口にした嘘を、思い出していた。
――俺は騎士をやっていまして、ここには任務でやってきました。
――しばらくこの塔に滞在して、冬の女王――貴方を護衛するという任務です。
あの時は、スプリングがいることを知らなかった。
だから今の場合は、ウィンターとスプリング、二人を護衛する任務だ。
なぜ敵が来たのかは分からない。
推測はできるが、その域は出ない。
今は考えている時間が惜しい。
俺はすぐ手の届く位置にいつも置いていた剣を手に掴み、急いで部屋を出た。
騎士甲冑を着ている暇もない。
意識はもう、戦闘状態に移行している。
俺がいた部屋から一番近い、ウィンターの部屋に駆け込んだ。
瞬間。
ウィンターの部屋の窓が、蹴破られた。
「……!? なんですか……!?」
ウィンターがその音で跳び起きる。
黒ずくめの人間が、二人。
ウィンターの傍に、降り立った。
俺は床を蹴る。
瞬時に、黒ずくめの一人に肉薄。
攻撃圏内に捉えた。
黒ずくめが短剣を取り出した時にはすでに、俺は剣を翻させていた。
剣の腹が黒ずくめの顎を打ち据える。
「が」
声をあげた後、意識を失い黒ずくめは倒れた。
踵を返すと、もう一人の元へとさらに跳ぶ。
短剣が投擲される。
俺と、ウィンター、両方に一本ずつ。
こいつらがウィンターたちを殺す気なのかは分からない。
だが、今の行動の意図なら分かる。
俺が必ずウィンターを護って動くと考えたのだろう。
ウィンターを護るために一本の短剣を対処すれば、俺に短剣が命中すると考えたのだろう。
普通に考えたら、非常に有効な手だ。
そう――普通に考えたら。
俺には、通用しない。
右腕を操り、剣が弧を描く。
ウィンター側に飛んだ短剣は、弾かれ落ちる。
俺側にきた短剣は――
掴んだ。
単純なこと。
俺は跳んでくる短剣の軌道と速さを読んで、その柄を左手で握り込んだだけだ。
相手の技量と速さがこの程度なら、問題ない。
俺の踏み込みは、この間一切止まっていない。
剣の柄を黒ずくめの顎に叩き込み、相手は脳震盪を起こして倒れた。
これで、この部屋には敵がいなくなった。
殺さない。
殺していない。
血は一切出ていない。
ウィンターとスプリングが人死にを見たことがあるのかは知らないが、かなりの箱入りだ。その可能性は高い。
だから二人にそんな光景は見せたくなかった。
殺さずに無力化する。
なあに、多少いつもより難しいが、できなくはない。
現にできた。
だが、スプリングが心配だ。
急いで向かわなければ。
それはウィンターも理解しているのだろう、すぐに言葉を放った。
「エリアスさん! 私の力使えなくなってます。だから、きっとスプリングも」
「なに?」
季節の女王の力を無効化するほどのなにか。
「特殊な魔導機か……」
季節の女王の力を無力化するほどの魔導機。
そんなもの聞いたことがないが、恐らくそうだろう。それぐらいしか思いつかない。
つまり、それを所持しているほどの人物の差し金ということか。
それなりの権力がある人物が差し向けた部隊。
スプリングが危ない。
ならば余計に急がなければ。
俺は部屋を出る。
ウィンターもついてきた。
待機していてほしいが、注意している時間が惜しい。
それに、敵がまだ潜んでいる可能性もある。
だったら、共に行動した方がいいか。
スプリングの部屋にはすぐに辿り着き、ドアを蹴破るように入った。
視界に映る光景。
スプリングが黒ずくめの男に剣を首筋に当てられて抱え込まれていた。
人質だ。
「剣を捨てろ! さもなくば殺す!」
黒ずくめの男はドスの効いた声を放った。
敵は二人。
スプリングを人質に取っている敵と、もう一人隣にいる敵。
敵との距離は、数メートル。
どうする?
――――決まっている。
「エリアス……」
「エリアスさん……」
スプリングとウィンターが、助けを求めるように小さくか細い声をあげた。
刹那の間の時。
意識を、広げていく。
空間を支配するように、広げていく。
一瞬だ。
一瞬しかない。
敵はスプリングを人質に取っているのだ。
僅かでも間違えば、スプリングの命はないだろう。
認識を、極限に。
一つを狙って、極限に。
肉体軌道を、思考を、知覚を、感覚を、高みへ、鋭く。
研ぎ澄ませていく。
どこまでもどこまでも、研ぎ澄ませていく。
予備動作などいらない。
それを見られた瞬間スプリングの首に剣が食い込むだろう。
だから、このまま。
このまま俺は、剣と成ろう。
流星の如き煌めき。
俺は剣で突きを放った。
否、突きを放ったという感覚と意識は無い。
俺はただ一点、目標のみを見据えていた。
スプリングを人質に取っている男が持つ剣の柄。
それが、破壊される。
柄は幾多の破片となって散っていく。
柄を失った刃は、スプリングを傷つけることなくカーペットの床に落ちた。
俺以外の全員が呆然としていた。
皆が皆、固まっていた。
確かに、無理もないかもしれない。
俺はうぬ惚れるつもりはない。
けれど、自分が異常だということは理解している。
数メートル離れた位置から、剣の突きで相手の剣の柄だけを正確に破壊する。
それが一般的に不可能だということは理解している。
明らかに剣のリーチが足りない。
届くはずがない。
よしんば届いたとして、他に衝撃を与えずに柄だけを破壊するなど論外。
この場に居る俺以外の者は、そう思っていたのだろう。
数秒の呆然。
俺はその隙を有効活用させてもらう。
スプリングを人質に取っていた男に接近、肉薄。
剣の腹で顎を打ち気絶させ、もう一人も同じように武器を構えさせる間も無く意識を刈り取った。
スプリングとウィンターは安堵の息を吐こうとした。
だが、まだだ。
ドアの方から、新手が三人跳び込んできた。
両横に槍を持った二人と、正面に戦斧を持った一人。
そして、後ろの廊下側に一人の魔術師。
すでに言の葉を紡いで詠唱を開始している。
魔術師とは言葉を使って体内の魔力と呼ばれるものを現象に変換する者のことをいう。
つまり、あの詠唱を完成させてはいけない。
左右から突き出される槍。
正面のガタイの良い男は戦斧を振り上げている。
俺は意識を広げ。
身体に力を込めた。
一閃。
剣を横に、真一文字に大きく薙いだ。
左右から放たれていた槍の刺突は弾かれ、跳ね上げられ、二人の槍兵は僅かの間攻撃に再度移ることはできなくなる。
時を要することなく、即座に斬り返し、振り下ろされてきた戦斧を剣で受け流しながら前へ出た。
重い戦斧は振り下ろされていた勢いそのままに床に食い込んだ。
俺は魔術師の元へ向かおうとする。
が。
体格の良い戦斧使いは、背中に手を回すとそれを瞬時に振り抜いてきた。
手斧。
戦斧と違い、軽く小回りの利く速さ重視の予備武装。
無視して魔術師を狙えば、俺は致命傷を受けるだろう。
しかし手斧に対処すれば魔術が完成する。
俺だけならばまだよかった。なんとかなりはした。
けれど今は、スプリングとウィンターがいる。
魔術が発動されれば危険だ。
だから。
先にウィンターを襲った敵から掴んで奪った短剣を魔術師に投げると同時、右手の剣で手斧を弾いた。
短剣は魔術師の上腕に刺さり、苦痛に呻いて詠唱が途切れる。
二つとも対処する。
俺が力で、すべてを捻じ伏せればいい。
そうすれば解決だ。
再び詠唱を始める魔術師に肉薄。
顎を柄で打ち抜き、気絶させる。
振り向きざまに剣を閃かせた。
俺の後ろで戦斧を振り下ろす直前だった斧使いは、顎に剣の腹を打ち付けられ意識を落とした。
倒れる斧使いの後ろから二人の槍兵が突きを繰り出す。
俺は跳んだ。
二メートルくらい。
槍は俺の足下を通過していく。
俺を見上げる槍兵二人の顎を蹴り上げた。
槍兵の意識は無くなる。
俺は倒れ行く槍兵たちと共に着地した。
――――――。
刹那。
瞬間。
一瞬。
時。
刻。
空気が変貌。
スプリングの部屋の隅。
そこに一人の、老齢の者。
姿を現す。
透明化魔術。
気配遮断魔術。
それらを行使していたのだろう。
どちらも非常に厄介な魔術だ。
だが、この距離で、他の敵を既に倒している今、詠唱の前に――
――俺の前、後ろ、右、左に斬撃が現出した。
斬撃魔術。
――無詠唱魔術。
魔術とは、一般的に言葉を使って体内の魔力と呼ばれるものを現象に変換する。
しかし極少数の、魔術の境地に至った者たちは言葉を扱わず魔術の発動を可能とするという。
それが、無詠唱魔術師。
今、俺の目の前に立ちはだかる、最も強く厄介な魔術師だ。
俺は、着地した直後。
僅かな隙が生じている。
そこを的確に狙ってきた敵。
俺は気づく。
ようやく気づく。
これは、どんな脅威だろうと確実に排除するための布陣。
強敵と戦闘することを前提とした戦力。
俺がこの塔に居ること。
女王を襲撃しようとする暗殺部隊が、その程度の情報掴んでいないとでも思っていたのか俺は。
『王国最強の騎士』と戦うことは想定されていたのだ。
俺はこのまま、斬撃魔術に斬り刻まれて死ぬのだろう。
死ぬのだろう。
死ぬのか?
死ぬみたいだ。
でも。
二人の笑顔が頭に浮かぶ。
俺が死んだら、二人はどうなる?
想像したくもない。
それは在ってはならない未来だ。
されど今の俺には何もできない。
ただ、迫り来る死を受けることしかできない。
アリス。
俺は、どうしたらいい。
訊いても無駄なことを思ってしまう。
アリスに届くはずもない。
届いてもアリスは困る。
俺は後、死ぬだけなのだから。
唯一の取り柄の戦闘能力でさえ、このざまだ。
情けない。
アリス。
俺、お前と春を迎えたかったよ。
スプリングとウィンターと、友達になってくれたらと思ってたよ。
………………。
……っ。
っ。
人間が持つ、死への忌避からだろうか。
根源的な、思いが湧いてくる。
くそっ。
いやだ。
いやなんだ。
死にたくない。
死なせたくない。
死にたくねえよ。
騎士なんてやっているんだ、いつか戦死する覚悟はしていた。
でも死にたくねえよ。
いやだいやだいやだ。
アリス以外に、心から大切だと思える人に初めて出会えたんだ。
ここからだったんだ。
なのに、こんなのってねえよ。
終わりたくない!
まだ生きていたい!
だが不可能。
空虚。
理不尽。
――諦め。
アリス、兄ちゃん、お前の傍に最後まで寄り添ってやりたかったよ――。
――――――――――
――――――――
――――――
――――
――。
脈絡なく。
唐突に。
それは、起こる。
頭の中に、理解が入り込んできた。
入り込んでくる。
入り込んでくる。
入り込んでくる。
浸透した。
――時の魔術。
不完全。
一瞬のみ。
刹那の間だけ、時を止める。
それらの情報を、瞬時に理解した。
俺の懐。
アリスから預かった、懐中時計のある位置。
その位置に、小さな、優しい光が輝いていた。
何が起こっているのかなんてのは、今はどうだっていい。
この瞬間を、逃してはならない。
俺は、生きるために、やるだけだ。
頭の中の整理を置き去りに、行動に移す。
戦闘に戻る。
理解した情報を思う。
一瞬だけと云ったな。
俺に関していえば。
一瞬あれば、十分だ。
意識が戦闘状態に戻った瞬間。
時が、一瞬、停止する。
俺以外のすべてが、停止する。
敵の動きが、斬撃魔術が、世界が、停まる。
俺は右前方に跳んだ。
斬撃魔術は、前後左右から真っ直ぐ俺に放たれていた。
斜めには、僅かな、斬撃の無い空間が存在する。
俺はそうして、斬撃魔術を潜り抜けた。
人一人が通れるか通れないかぐらいの隙間を、通り抜けた。
その際に、腕や肩、背中が斬られたが、大きな傷ではない。
俺は、全力で動ける。
攻撃を掻い潜った勢いのまま、身体を捻って回転させながら無詠唱魔術師に接近する。
ここまでが、一瞬だ。
時の魔術の、効果が切れる。
後ろで斬撃魔術が何もない場所を斬り刻んだ後、霧散する。
その時にはもう、俺は無詠唱魔術師の目の前にいた。
魔術を発動させる間は、与えない。
無詠唱といえど、体内で魔力を魔術に変換する過程は同じ。
その時を、俺はお前に与えない。
回転の勢いのまま。
剣の柄を、老齢の無詠唱魔術師の顎に叩き込んだ。
意識を、確実に落とす。
老齢の男は倒れ。
回転が止まった俺は、生きていた。
敵は、もういない。
少しの静寂の後。
「エリアス……!」
「エリアスさん……!」
スプリングとウィンターは、俺に抱き付いてきた。
俺は身体を弛緩させて息を吐き、二人の頭を撫でる。
「もう大丈夫だぞ、二人とも」
「エリアスっ……」
「エリアスさんっ……」
俺の名前を再度呼ぶ二人。
自然と、抱きしめ返していた。
安心させてやりたかった。
「俺は君たちを護衛するためにきたんだぞ。これぐらいわけないさ」
「うんっ。うんっ」
「……っ……っ……」
二人は涙声で声を発した。
しばらくすると、二人は体を離した。
「「あ……」」
二人は俺を見て何かに気づいたような声をあげた。
「どうした?」
「「ごめんなさい……っ!」」
頭を下げる二人。
「エリアス、怪我してるのに抱き付いちゃって、痛くなかった?」
「早く手当しませんと……っ」
「あ? ああ……」
確かに少し痛い。
見ると腕や肩が少し抉られて血が流れていた。
背中もズキズキと痛みを訴えてくるので、同じようになっているだろう。
斬撃魔術を無理矢理掻い潜った時の傷か。
二人は慌てて治療するための道具を取りに行こうとする。
それを呼び止めて、縄がないか訊いた。
縄のある場所を俺に教えた二人はバタバタと忙しなく部屋を出て行く。
これくらい掠り傷と大して変わらないというのに。
まあ、治療してくれるのならありがたい、大人しくしていよう。
大人しくする前に、縄を持って来て気絶させた黒ずくめ全員を縛った。
起きて来られたら困るからな。
魔術師は口も塞ぎ、無詠唱魔術師は、俺が塔に向かう時に念のために持ってきていた魔力を遮断する布を巻き付けておいた。
これで一安心と息を吐いていると、二人が戻って来た。
戻って来た二人は包帯やら何やらを抱えていた。
「そこに座って」
スプリングに言われるままベッドに腰を落ち着ける。
さっきまでスプリングが寝ていたからか、温かさが残っていた。
心音が少し高まってしまうのを、なぜだか抑えられなかった。
スプリングとウィンターは、包帯を巻いたりして治療を始める。
「エリアス」
「ん?」
「助けてくれてありがとう」
「ありがとうございます」
「ああ……」
任務だから当然だ、と言いかけて、やめた。
二人を護ったことを、任務の義務感ゆえだと思われるのは、なんだか嫌だったから。
俺は、護りたかったから護ったんだ。
「エリアスって、ほんとにすっごく強いんだね……」
ポツリとスプリングが呟く。
「いっただろ? 俺は『王国最強の騎士』なんて呼ばれてしまっているんだ」
「うん……」
スプリングは、頬に朱が差したまま素直に頷いた。
治療が終わる。
止血もされているし、もう問題ないだろう。
「……あのね、エリアス」
スプリングが控えめに言葉を発した。
「なんだ?」
「えっと、明日説明するっていったけど、もう、わたし大丈夫だから、今話す?」
スプリングから、そういい出してきた。
ウィンターはその様子を優しげな表情で見守っている。
「ああ……話せるなら、お願いしたい」
それは願ってもないことだし、スプリングが大丈夫だというのなら。
スプリングは居住まいを正す。
「そうだね、まずは、簡単に説明するね」
言ったあと、不安そうに付け足した。
「すごく突拍子もないけど、これ冗談じゃなくて本当だからね?」
「ああ、わかった」
すべて真剣に聴こう。
もとよりそのつもりだ。
「季節を司る力を取り戻す方法はね、恋をすることなんだ。
ここで重要なのは、実らせるんじゃなくて、すること、というところ。だからその恋が叶わなくても力は増強されるんだ」
「ふむ」
俺はスプリングの言葉を噛み締める。
「その内容ならなんで今まで黙ってたんだ? 俺は別に気にしないぞ?」
それだけだったら、いつでも伝えたところで問題なかったはずだ。
「エリアスだから話すよ。ううん、知っていてほしい。わたしのこと」
そうして、スプリングは話し始めた。
自らの過去を。
「――数年前のことなんだけどね。
偶然見かけた旅人の男の子なんだけど、恥ずかしながら一目惚れしちゃったんだ。
気になって仕方がなかったわたしは、その人が歩いて行った町まで追いかけたの。
そして出会って、私は積極的にアプローチしたんだ。
だけど、怖くて春の女王だっていうことは隠してたの。
そのまま仲良くなって、恋人になる直前まで行ったんだけど。
ふとした時に、正体がバレちゃったんだ。
今考えると当然だよね。最後まで隠し通せるわけないよね。
それでね、かなりきついこと言われちゃったんだ。
化け物、って。自分を騙してどうするつもりだ、って怯えた目で怒鳴られて。
わたし泣いて逃げちゃった。
隠して接してた、わたしが悪いんだけどね。
でも好きだった男の子に拒絶されて、否定されて、耐えられなかった。
それからは、怖くて男の子に近寄れなくなっちゃった。
ここ最近は、接するだけなら大丈夫だったけど、恋なんてもう無理だって思ってた。
力が最低限まで弱まっても、なにもできなかった、踏み出せなかった。恋なんて、怖くて仕方がなかった。
恋は、感情の問題だからね。心が無理だっていってる限りは、命の危機でも、どれだけ他の人に迷惑が掛かっても、なにもできなかった。
でも。
そんな時、エリアスがやって来たの」
「俺、が……?」
「うん、エリアスのおかげなんだ。わたしたちの力とかを知ったうえで女の子として扱ってくれたのは、同じ季節の女王を除けば、エリアスだけなんだよ。その上、怪我をしてまで、護ってくれた」
「…………」
「でも、やっぱり一番のきっかけは。わたしがあなたを好きになった理由は、もっと簡単なことだった」
スプリングは、幸せそうに語る。
「エリアスは、春の女王だって知った上で、わたしのことをかわいいっていってくれたんだ」
「…………」
「こんなわたしのありのままを見て、かわいいなんていってくれたんだよ。かわいいなんて、男の人に初めていわれたよ」
「…………」
「そんなエリアスを、わたしが好きにならないわけが、ないんだよ」
――君みたいなかわいい女の子とだよ――
俺は確か、そういったと思う。
彼女は、たった一言で。
俺の放った何気ないただの一言で、好きになってしまったということなのか。
「俺は、そんなに想われるようなことを、いったつもりは……」
「それでもわたしは、救われたの」
俺はそのスプリングの言葉で、何もいえなくなってしまった。
「だから、もう一度、ちゃんというね」
スプリングは俺を真っ直ぐ見て言う。
「あなたのことが好きです。恋人か、夫になってください」
真摯な瞳。
俺のことが本当に好きなのだと、伝わってくる。
……。
俺は。
塔に来てからの、今までのことを思い出す。
短い期間だったけれど、色んなことがあった。
俺は。
俺は自分の本当の思いを、嘘偽りなく伝えた。
「俺は、二人とも好きだ」
静寂。支配。
数秒、時の魔術を使ったわけでもないのに、固まった。
「「え!?」」
スプリングとウィンターが驚愕の声をあげる。
「ど、どどどどど、それって、どういうこと??」
「俺は、スプリングも、ウィンターも、嫁にしたい。大好きだってことだ」
「わ、わわわ、私は、私は…………」
「そ、それに嫁って、二人も!?」
「何を驚く。この国は一夫多妻も認められているんだぞ。二人とも髪サラサラだしな」
「そ、そうだったね」
「そうでした……」
「ん? 髪関係ないよね?」
ただの性癖だ。気にするな。
「受けて、くれるか?」
俺は真剣な声を心がけて問う。
二人は、深呼吸をした。
落ち着きを取り戻した様子で、答えてくれる。
「わたしは、ウィンターと一緒ならいいけど」
「わ、私も、はい……エリアスさんと、スプリングと、一緒にいたいですし、そういう形なら、いつまでも一緒にいられますし……はい、受けます……」
「本当か!」
「うん」
「はい……」
「ありがとう」
スプリングは全力で嬉しそうに。
ウィンターはかなり照れた様子で。
笑ってくれた。
――こうして俺は、二人の女の子を嫁にした。
ちなみに季節の女王は、女王といっても貴族とは違う立ち位置だ。
それは人里離れた場所で隔離されるように――守るという意味もあるだろうが――住んでいることからも分かる。
だから特に、誰と結婚するのも自由らしい。
つまり俺は、心おきなく二人と共にこれからやっていけるというわけだ。
こんなことになるなどと、この塔に来た頃には考えてもいなかった。
人生わからないものだ。
まあ、今幸せだから問題ない。
一面の、花畑。
色とりどりの花々が咲き乱れ、視界のほとんどを彩っていた。
俺はアリスを乗せた車椅子の持ち手を握っている。
「兄さん、綺麗ですね」
柔らかく微笑んでそう言った。
「ああ」
アリスの黒髪が靡いて、春の風に揺れた。
その手には、俺が返した懐中時計が握られている。
ようやく、ここまでこれた。
俺は思い耽る。
――結論からいうと。
すべて、王の思い通りの結果となったわけだ。
あの襲撃者たちは、過激な思想を持った貴族が、名前は忘れたが伯爵が差し向けた暗殺部隊らしい。
季節など無くとも国は回ると、前々から季節の女王たちを毛嫌いしていた差別主義者らしい。
なんでも女王たちのことを化け物と公言までしていたのだとか。
冬が続き、春が来なくなった時には、これを好機と季節の女王たちを脅かす策略を巡らせていたみたいだが、それに気づいた王が牽制していたためあまり大きくは動けなかったようだ。
そして、お触れだ。
あれも伯爵に対する牽制だった。
伯爵が動いたとしても、お触れで誰が塔に向かうか、目撃されるかわからないぞ、といった。
俺が塔に来ていることで他の者は最初の俺が失敗するまで塔に来ることは禁じられていたが、褒美のために抜け出して向かう者がいないとも限らない。
そのもしもの時に見られるリスクを伯爵には負えないと王は考えたのだ。
さらに王は、俺が志願してくることも想定済みだったみたいだ。
王は俺の事情を把握していたらしい、妹のために俺が動くと考えた。
それが見事的中、俺を季節の女王に差し向けたのだ。
季節の女王の事情まで知っていた王は、俺の性格的に適任だと思ったのだと。
差別せず、しっかりとやってくれると。俺は期待を寄せられた。
そうして、春が始まりそうになって、大義名分さえ消えそうになってしまった伯爵は急いて過激な行動に移した。
季節の女王たちを毛嫌いしていた伯爵は、その力を封じる特殊な魔導機を手に入れていた。
それを使って、女王たちを早急に殺そうとした、塔にいる人間すべてを殺せば口も封じれると考えたのだろう。
俺がいることも想定した部隊だったことから、本当に皆殺しにするつもりだったのだろう。
力が戻ったばかりなら、まだ言い訳できると考えたのだ。
あの夜の襲撃は、それだったみたいだ。
まあ、女王たちを殺すことだけが目的ではなかったのは幸いだった。
そうでなければ、あの時俺を殺す戦法ではなくスプリングとウィンターを殺すことに特化した動きをされていれば、護れなかったかもしれないから。
それにしても。
聡明な賢王だとは思うが、全部が全部思い通りに動かされたのは少し癪だな。
王がいなければスプリングとウィンターたちは不幸になっていたと思うし、俺も二人と結ばれることはなかったとも思うから特に怒りは覚えないが。
ちなみにその大馬鹿伯爵は、拘束した暗殺部隊を王国騎士団に突き出し、兵が尋問の果てに口を割ったことでお縄についた。
近々処刑されるだろう。
「――ん」
まあそんなこんなで、俺は今ここに居る。
アリスと共に、塔の前に創られた花畑に。
「――さん」
この光景をどれだけ夢見たか。
「兄さん!」
「ん?」
「もう、またぼーっとしてましたね?」
気づくとアリスがムスッとした顔で俺を見上げていた。
「悪い、考え事してた」
「しっかりしてくださいね。二人もお嫁さんを貰ってしまったんですから」
「ああ」
まだ完全に婚姻したわけではないが、そうなる予定だ。
誰とでも季節の女王が婚姻できるとはいえ、二人も嫁に貰うこともあり、全く問題がないわけではなかった。
だからそれを、お触れを達成した褒美に貰った。
二人と結婚して、何の問題もなく暮らしていくことを国王自ら承認してくれたのだ。
なので心おきなく、今この場所に居れる。
俺は前にスプリングがプレゼントしてくれた黄色い花のブローチを、懐から取り出して眺めた。
今は懐中時計ではなく、これを肌身離さず持っている。
のんびりアリスと話していると、後ろからスプリングとウィンターがやって来た。
そして。
「エリアス、アリスちゃん、ちょっといい?」
やけに真剣な顔をしたスプリングが、開口一番そう言った。
「?」
「なんだ?」
アリスと俺が聞く態勢を取ったと見ると、スプリングがごほんと咳払いする。
「突然だけど、お知らせがあります」
「……なんだ?」
雰囲気に押されて、静かに訊いてしまう。
「アリスちゃんには、魔術の才能が有ります!」
「「は?」」
兄妹仲良く、そんな声をあげてしまった。
「だから、わたしの季節を司る力をちょちょいっと、分け与えて、ウィンターからもちょちょっと分け与えれば、アリスちゃんの体は元気になります!」
「「は?」」
俺たちは、それしか言えなかった。
ウィンターは、いつもの無表情気味な顔はどこへやら。ニコニコ顔だ。
「わたしの時と似た原理だね。わたしたち季節の女王の力は生命力にもなるから」
「ちょ、ちょっとまて」
「なに?」
「いやなにじゃなくて、それ、本当なのか?」
「こんなこと冗談で言うわけないよ。それすごく残酷なことだよ?」
「ああ、ああ、それは分かってるんだが。そんなことをスプリングがするはずないというのも分かってるんだが」
突然、言われると、混乱してしまう。
物凄く幸せなことを説明されている気がするのだが。
気のせいだろうか?
いや、気のせいではないはずだ。
なにせスプリングがそう言っている。ウィンターの態度もその言葉を肯定している。
「あの夜の時、エリアスの持ってる懐中時計から魔術が発動されてたけど、多分あれはアリスちゃんが無意識に懐中時計に込めていた魔術なんじゃないかな」
「……そう、か」
――その懐中時計に思いを、祈りをたっぷり詰め込みました。身に着けていれば、きっと兄さんを守ってくれます――
アリスの思いは、形になっていた。
アリスが、あの時俺のことを護ってくれたんだな。
「兄さん」
アリスは、俺を呼ぶ。
「兄さん……」
感極まったように、俺を呼ぶ。
「兄さん……!」
応えを求めているわけでもなく、俺を呼ぶ。
「兄さん、これで私、毎日兄さんに美味しい料理を振る舞ってあげられますねっ……!」
「あ、あはは……」
思わず乾いた笑いが出てしまう。
まあ、でも。
今は、それもいいかもしれないと思える。
アリスの料理を食べて悶えるのも、一興だと。
これからは、いくらでもアリスが料理の練習をする時間が在るのだろうから。
アリスの時間が在る。
アリスの病気が治る。体が強くなる。
つまり、アリスはこれからも生きていてくれるということか。
あと数か月もしたら、死んでしまうと伝えられていたけれど、その余命もなくなるということか。
アリスはまだ、俺の妹として共にいてくれる。
アリスはこの先、幸せになれる。
実感してくると、凄まじい嬉しさが荒れ狂う。
「よかったな! アリス!」
「きゃあっ!? 兄さん!?」
嬉しくて、嬉しすぎて。
俺はアリスを抱き上げて、花畑の中心でくるくる回っていた。
スプリングは春に似合う満面の笑顔で、ウィンターは、優しげな微笑みで。
そんな俺たちを、見守ってくれていた。
なんというか。
幸せだなあ。