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天空の戦い

作者: 小島

私はこの塔のような、まるで神が巨大な岩石を研磨したかのような円柱状の物体を見上げた事がない。

というのも、気がついたらいつもこの岩の上に立っていたからだ。

「今日の相手は野口か」

野口は新卒特有の、まだまだ子供っぽさが残る顔を私に向けていた。

「ええと……なんなんですかここは?」

野口は戸惑い気味に私にそう尋ねてきた。

私は野口を品定めするように睨めつけながら、口を開いた。

「さあな。私にもここがなんのかわからん。1年前だったか、夜寝ると時々この夢を見るようになった」

「どこからつっこんでいいものやら……」

「どんとこい」

野口はあまり動揺してはいなかった。

この男は聡明で、今の会社にも慣れるのが早かった。

「まず、これが山田さんの夢とおっしゃるのなら、今考え、そして喋っている『僕』という存在は一体何なんですか?」

「これは私の夢だ。お前が何を思っているのか知らないが、お前が言葉を発するということは、即ち私が言葉を発しているに過ぎない」

「哲学的ですねえ」

「まあ、そうかもな」

そう私は部下に言ったが、自分でも何を言っているのか分からない。いわば威厳を示すための方言だった。

野口は顎を思案げに撫でながら、上半身を捻って周囲を見渡した。

「半径10メートルってとこですか……土俵にしては大きいですね。の、割にはこの砂は土俵のそれですよね」

そうなのだ。

正確には、私たちは巨岩の上に拵えられた、土俵の、勝負俵の内側に立ち、相対しているのだ。

「私は、ここを天空闘技場と呼んでいる」

野口は足元の砂に触りながら呟いた。

「シュールすぎて鼻血がでそうです。どうやら、これは夢と思わざるをえないようですね。山田さんの夢なのか、僕の夢なのか分かりませんけど」

「だから私の夢だと言っているだろう。もうかれこれ50回はこの夢を見ているんだから、間違いない」

私も野口に習い、周囲を見渡してみる。

右を見ても左を見ても、周囲360度全てが青い。学生が作った3Dゲームじみた空には、雲一つなかった。私の脳細胞よ、もう少し造形に凝ってみたらどうだろうか。せめて雀の一匹や二匹ちゅんちゅんしていた方が、画的にも精神的にも随分良いと思うんだが。


この空間が出現するのには、ある法則があった。

会社で嫌なことがあったり、家で何かストレスが溜まる出来事があれば、決まってその夜にこの闘技場は現れた。

対峙する相手は、その時その時で違っていて、主に私が何らかのイライラを抱いている人物が出現するらしかった。

「私はな、高校時代相撲部に所属していたんだ。今でこそただの中年太りだが、当時は違った。でぶであることが誇らしく思えたもんさ」

「それで山田さん。どうすれば僕たちはここから出られるんですか?」

私は青春の一ページを思い出しながら、答えた。

「相手をこの闘技場から突き落としたら、決まって夢が覚める。土俵で相撲をとるのは不自然じゃないだろ?」

野口はそれを聞くやいなや、てくてく土俵の際まで歩いていき、頭をつきだし、下をのぞき込んだ。

「うーむ。下にも空か。山田さん、いくら夢でも手を抜き過ぎじゃないでしょうか。せめて地面ぐらい、

あ、何をするんです!僕なんて持ち上げても面白くないですよ!」

私は野口を抱えあげ、前後に勢いをつけて、ほうり投げた。

野口は驚額した顔を一瞬私に投げかけ、あーーー、とどこか間抜けな叫びを残し、落ちていった。

私は小さくなっていく野口を見ながら、独りごちた。

「野口よ、私の娘に手を出した罪、これぐらいではすまさんぞ……」


次の夜も、野口は私の夢に現れた。

「二日連続ですか」

野口は前の夜のことを覚えている。これは今までには無かった現象だ。今まで私以外の人間は、夢から覚めると綺麗にこの空間のことを忘れていたというのに。上等だ。同じ苦痛を味あわせてやる。上司と二人きりでいるという精神的苦痛をな。

「野口。お前が娘に手を出したのを、私が知らないとでも思ったか」

「手を出した、なんて人聞きが悪いです。僕たちは合意の上でお付き合いさせてもらっています。だけどこの夢とそのことに何の関係が」

私はこぶしを握り締めながら、

「昨夜は黙っていたが、教えてやろう。この土俵は私が不快な思いをした日の夜、決まって現れる。

そして最近、娘は私に構ってくれなくなった。それだけでも十分ストレスが溜まるのに、その訳がなんなのかを妻が教えてくれた。そう、男だ。

それを知ったとき、私はその男がどこの馬の骨なのか調べずにはいられなくなった。娘を尾行したし、時折ケータイも覗いた。やむを得まい」

「うわ、いやだなあそれ」

「うるさい!元はといえば全てお前のせいではないか!その男が誰なのかを知ったとき、私は狼狽した。まさか自分の直属の部下とはな。

灯台下闇しとはこのことだ」

一気にまくし立てると、私は再度その馬の骨の面を睨んだ。相変わらずどこか掴めない、飄々とした微笑を浮かべている。

野口はちょっと困った顔をして、

「別に隠しているわけじゃなかったのですが、山田さんは僕の上司ですし、言いにくかったのは事実です。でも今分かりました。僕たちは間違っていたと。もっと早く言っておくべきでしたね。

お嬢さんとは、結婚を前提にお付き合いさせてもらっています」

「言うな!!」

私は一喝した。

「来い野口。お前がこの天空闘技場で私に勝てない限り、娘は渡さん、絶対にだ」

「言いましたね、約束ですよ。僕が勝ったら、サエコさんとの交際を正式に認めていただきます」

「勤続年数35年の俺に勝てるだと?くくく、片腹痛いわっ。あー痛い痛い」

「行きますよっ」

野口は真正面からぶつかってきた。この猪突猛進さは私が失って久しい。まっすぐに向かってくる若者の目に宿るものを見て、一種の嫉妬のようなものが胸をくすぐるが、それも一瞬。

若い。お前は若すぎた。

「当たらなければどうということはない」

ぎりぎりまでひきつけて、半身になって避けた。

昨日とは違い、野口は悔恨の念を顔に残して落ちていく。

「山田さんってガンダム世代だったんすねー!」

「違う」

電車の吊り広告に、ガンダムトークが職場の潤滑油になると書いてあったのだ。

「お前にわかるか。休みの日にさして興味もないアニメのビデオを見る私の気持ちが。まあ無茶苦茶おもしろかったがな」

野口はとうに見えなくなっていて、私の言葉は中空に溶けて消えた。

それから毎晩、野口は私の夢に現れた。

今まで、こんなに連続でこの夢を見たことはなかった。私のやつに対しての憎しみは、それほどまでに大きかったのか。

「いい加減諦めたらどうだっ」

もう何度目の取組だろう。いくら突き落としてもぶつかってくる部下に対して、私は怒鳴った。

「諦めるのは、お、お義父さんのほうです」

「貴様、どさくさに紛れて私を父呼ばわりするとは!」

「お義父さんだって分かっているでしょう!娘さんはもう子供じゃないんですよ」

「いくつになっても娘は私の子だ。お前のような若造にくれてやるわけにはいかん」

「サエコさんはもう34歳ですよ!?あなたがそんなこと言ってるから売れ残っちゃったんじゃないですか」

「黙れっ。人の娘を夕方のセール品みたく言うな!だいたいお前ら歳の差ありすぎなんだよ。サエコにはもっと経済力のある、頼れる男じゃなきゃいかんのだ!」

私は渾身の力をこめ、野口を土俵の外へ投げ飛ばそうとした。

「もうやめてパパ!」

この声は……

「サエコ!?」

その時だった。

突然の闖入者に力を緩めた隙を見計らい、野口は私の体を横ざまに放り投げた。その先に地面はない。

どうして……お前が……

「私今、たっくんのお家にいるの。たっくんと……一緒に寝てるの」

落下するまで一秒にも満たないであろうその間に、私は確かにサエコの言葉を聞いた。


翌朝出社すると、野口が床を雑巾がけしていた。

「早いじゃないか」

「おはようございます。今日は野口さんより早く来なきゃと思って始発で来たんですけど、暇になっちゃって」

私はいつも一番に出社していた。

「私に何か用か」

「昨夜の闘技場のことで、ちょっと」

私は内心の狼狽を隠すため、煙草に火をつけた。

「悪いが例の夢のことは仕事に持ち込まないようにしている。お前にも前にそう話したろう」

「娘さんは覚えていませんでした」

「それが普通だ。お前が特殊なだけで。……娘が何で夢に現れたのかはわからんが」

「約束は、守ってもらいますよ」

「ふぅー……」

紫煙をくゆらせる。

「もうあの夢にお前がでることはないだろう、な」

「それじゃあ」

「男に二言は無い」

私は自分のデスクに座った。

「わかってたんだ。もうあの子を守る籠はいらないと。私は足かせになってしまっていたのだな」

「でも山田さん、いえ、お義父さんがいたからサエコさんに今まで悪い虫がつかなかったんですよ」

「偉そうに。そうだ野口、今夜一杯付き合え」

「……はい」

家族が増える、か。

私はこの若者とうまくやっていけるのだろうか。

寂しいような、わだかまりがとけてすっとしたような。

ぼんやりと立ち上っていく煙を見つめたまま、私は始業時間がくるのを待った。


「ただいま」

大分飲んでしまった。野口め、やけに強いじゃないか。潰そうと思っていたのに。

「あ、あなた。おかえりなさい」

鞄を受け取る妻の目が、妙に泳いでいる。

「どうした。何かあったのか」

「随分酔ってらっしゃるようだから、明日お話しします」

「急を要することだったら事じゃないか。今言いなさい」

「……落ち着いて聞いて下さいね。サエコが妊娠しました」

「にん」

「三ヶ月だそうです」

「さん」

ぐわんぐわんぐわん。

何だ。何の音だ。

それが血流が頭に登ってくる音だと気付いた時、私はぶっ倒れていた。


もう来ることはないと思っていた地に、野口は立っていた。

だが同じ場所とは思えないほどに、その様相は激変していた。

空にはどんよりと積乱雲が浮かび、時折雷鳴が轟いた。また勝負俵はなくなっていた。

その代わり、高さ3mはあろうかというフェンスが周囲をぐるりと囲んでいた。見るとそれには鉄条網が渡らされている。

その内側で、悪鬼のような形相の男が野口と相対していた。

「え?山田さん?」

有刺鉄線・電流爆破デスマッチ。

くく、野口よ。これから毎晩、お前は悪夢にうなされことになるのだ。

「行くぞ!」

二人の企業戦士による凄絶な戦いが、始まろうとしていた。


END








PS2の「蚊」というゲーム内の「暴走バイセコー」というミニゲームに

インスパイアされて書きました。自転車乗ってないけど。

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