第7話 背中の傷
①
俺は、目が冴えてしまって眠れなかった。自分の腕の中で、早貴ちゃんが幸せそうに眠っている。
何時間経っただろうか? 外が明るくなった。
部屋に差し込む朝日に早貴ちゃんは目が覚めた。
「あ、幸一さん……」
早貴ちゃんの心臓が高鳴っている。
俺は、手を離した。
「あ、朝御飯作ってきますね……」
早貴ちゃんは恥ずかしさを隠すように、早々と部屋を出て行った。
「やっと眠れるな」
OP
「幸一さん。起きてください」
いつの間にか、眠っていたようだ。
「おはようございます。今日も良い天気ですよ」
カーテンを開けると、眩しい。
隣の家の窓に反射して眩しいのである。
「早く来ないと冷めてしまいますよ」
早貴ちゃんは、微笑んでドアを閉めた。
俺は朝食を早貴ちゃんと一緒に食べて、早貴ちゃんを見送った。
早貴ちゃんside
「あ、圭ちゃん」
「さ、早貴……」
通学路を歩いていると、圭ちゃんと鉢合わせした。
昨日のことで気まずい雰囲気になっている。しかし後ろから、木田由里が現れ、その雰囲気はぶち壊れた。
②
「おはよ~だよ~」
いつも元気で明るい由里ちゃんと、後ろから、何やらいつもと違う雰囲気の三谷さんが来た。
「お、おはようございます」
なんだか、圭ちゃんと三谷さんの様子がおかしい。
結局、私は圭ちゃんと話ができなかった。
なんとなく、気まずくなる。
圭ちゃんが目をそらす。
一日中、圭ちゃんと話すことはなかった。
「嫌われた……かな? こんな傷があるから……」
木曜日の昼休みのこと。
相変わらず、私から目をそらす圭ちゃんは、学食に行き、私は弁当組の由里ちゃんと中庭で弁当を食べていた。
「やっぱり、事件に巻き込まれたのは、中森さんじゃないの? ほら、体育見学しているし……」
ひそひそ、そわっそわっ・・・・・・
こういう噂は広まるのは早い。
そして、悪い印象を植え付けるものだ。
仲が良かったクラスメートには、無視をされるようになった。
みんな、私と仲良くすると、同じようにみんなから無視されるかもしれないと恐れているようだ。
しかし、中には話しかけてくる人もいた。幼なじみの由里ちゃんと数人のクラスメートは、
「気にしないでいいよ。あんな噂、真に受ける方がおかしいよ」
「そんなことより、勉強を教えて」
と言ってくれた。
噂が正しいことは、口が裂けても言えない。
③
私はいつもみんなに親切にしていたから、みんなも私と仲良くしてくれる。
私は喜んで勉強を教え合った。
幸一side
俺は、早貴ちゃんと一緒に早貴ちゃんの手料理を食べて、早貴ちゃんと一緒に家を出た。
早貴ちゃんは徒歩で宮原高校へ、俺は自転車で本州大学に向かった。
今日は、サークルがある。とはいえ、特にすることはなく遊ぶだけである。
「朝っぱらから集まって何やってんだか」
文芸部のドアを開けると、そこには、いつものメンバーがいた。
つまり、合田、甲田、末本である。
「新しい遊びを考えたんだ」
将棋盤を二つ並べて駒も初期配置にしてある。
「まさか、交代で打つとか?」
ふっふっふっ……
不気味な笑みだ、末本。
④
「お前に勝つ方法をずっと考えていたんだ」
そうか、ご苦労さん。
「で、どんなルールだ?」
普通に打つようだ。ただし、末本の言う団体戦とは、実際の団体戦とは大きく異なっていた。
「片方の持ち駒を、もう片方の板に打てるというルールでどうだ。これならお前に勝てる」
普通に戦ったら勝てないと認めているのと同じだぞ。
結果は言うまでもなく、乱戦だった。
まずは、一つの板で俺の一勝。
「一勝一敗ならどうなるんだ?」
「引き分けだ」
だよな。
しかし、この状況は、なんとも形容しがたい。
混沌もしくはカオスだ。秩序やオーダーのかけらもない。
因みに、out of order は故障中。オーオーオー故障中とでも覚えておいてくれ。こんな覚え方した覚えはないが。
「ははは。どうだ勝てないだろう?」
「こっちの手を進めてもいいんだよな」
片方の勝敗が決まった後に、その板上の駒を動かすときは、1ターン使うとのこと。動きたくないときは、そのようにすること。ただし、負けは決定している。完全に相手の王を取って一勝となる。
「王手!」
よそ見をしている内に、攻めてきた。
「防御、そして王手」
隣の板の角を取って、打っただけだ。
「くそ、交換だ」
⑤
「同玉、飛車取り」
「王手」
誰か棋譜を読め。全く分からんぞ。
「6八角打、王手」
「同角」
「同玉」
王と玉が近づく。
「5五金、王手」
打ったら『打』と言え。
「撤退。6七玉」
「6四香打、王手」
攻防が続く。
「6五歩打」
「4五角打、王手」
「5六桂打、王手」
「同金」
どうきん……
いや、そんなことは考えてはいけない。
「同歩」
「5五桂打、王手」
「5八玉」
「5六角」
終わった。
末本の負けだ。
「7一角打、王手」
「5三金」
「3六桂打、王手」
「3三王」
「2七飛成、王手」
「同王」
「2四銀打、王手」
「2二王」
「2三金打、王手」
以上123手。再現できる人はやってみてくれ。多分意味分からん。因みに、棋譜は俺から見て右から1、2、3、奥から一、二、三、である。
「何故勝てない?」
知らない。
「今度は、トランプだ」
大富豪やら大貧民やら。
「今度こそ勝ってやる」
何度聞いたことやら。
「それにしても、文芸部らしい活動は全くしていないな」
「だって、ネタがないんだもん」
それを言ったらおしまいだ。
「何かネタはないか?」
甲田、ネタならお前の横にいるだろう?
甲田は俺の視線の意味を理解したようだ。
「頑張れトクさん? バイト探しに命を懸ける男?」
合田、お前は自伝でも書いていろ。
⑥
「俺は、早貴ちゃんのことでも書くかな? 事件のこと、その後のこと」
なんとも、重苦しい小説になるだろう。
「いいんじゃないか? 犯罪の再発防止とかになるんじゃないか?」
「まあ、重苦しい雰囲気を軽くするために、恋愛話を入れるよ。『傷付いた彼女の心を救えるのは、最愛だけ』『最愛物語』なんてな」
「なんか悲しいラブストーリーになりそうだな」
「背中の傷とか、幼なじみに振られて泣いてばかりとか」
「うわ、暗い話になるな」
「最後がハッピーエンドならいいんじゃない?」
様々な意見が飛び出す。
「まぁ、本人の許可がいるけどな。これは保留か」
変則将棋を終えて、一休みした後、トランプ『大富豪(大貧民)』をし始めた。
ルールを細かく説明すると、最強カードと8、JOKERを使ってあがるのは禁止。
革命あり。スペ3返しあり。都落ちあり。ダイヤの3を持っている人から始める。
一〇戦の総合得点で争う。
大富豪=5点、富豪=4点、平民=3点、貧民=2点、大貧民=1点、都落ちさせた者=5点追加、都落ちされた者=5点減点。四人だから平民はいない。
現在三戦目。
ダイヤの3は合田。時計周りに、甲田、俺、末本。
大富豪は俺。
合田から2を二枚手渡された。
俺は6を二枚返す。
JOKERはどうやら富豪の末本が持っているようだ。少なくとも一枚。
勝負の終盤に差し掛かると。末本は一気に勝負をかき乱してきた。
「革命!」
四つ同時に出した9。
末本は、全員がパスしたのを確認してカードを流す。
そして、
「Judgement!」
ただ単にJを四枚出した。革命ばかりするな。
「そして、QUESTION!」
Qが四枚出されて革命状態。何がしたいんだ? 俺が質問したいよ。
「あと六枚だぜ。どうする? 都落ち確定だな、わはは」JOKER、K,A,、10,10
合田、甲田、こいつをどうにかしてくれ。
「A」
「6」
「5」
「パス」
「ジョーカー。どうだ、返せるか?」
「スペードの3」
合田、良くやった。
「2」
一番弱いカードだ。
「A」
みんな、弱いカードばかりだ。おそらく、全て末本のせいだろう。
「5」
だせるか、末本?
「パスだ」
俺達は、頑張って末本に一枚も出させないように考えた。
そして、全員のカードが5枚以下になった。
今、俺は10、10、4、3、を持っている。JOKERはあと一枚、3は俺の一枚のみ、4はあと二枚残っているはずだ。末本もあと四枚。
そして、JOKERは末本にある可能性は低い。4はない。Joker,5,10,10
さて、
「3」
通るか?
「JOKER」
出したのは、なんと末本。
流れる。なぜ持っていた? まさか。ダブルを出して一気に決着を着けるのか?
「5」
こいつ、バラバラなのか? いや、それはない。おそらく残りはダブルだ。
今回は、最後はシングルというルールはない。
「パス」合田
「4」甲田
「パス」俺
「くそ、パスだ」末本
3は全部出ている。だから4を出せば必ず流れる。
「7のダブル」甲田
「パス」俺
「パス!」
まずい、甲田があがっても都落ちか。あと二枚。しかし、そんなにダブルが続くはずはない。ダブルでなければ勝てる。
「5」甲田
やった。
「4」俺
「パスだ!」
分かっている。同じ展開で悔しそうだ。
「10のダブル。末本。墓穴を掘ったな。あがりだ」
「何! まさか、わざとJOKERを出させたのか?」
そう、あの場面では、JOKERを出してもらわないと、あがれなかった。
「一番倒したい相手の残りの枚数が少ない時、最強カードが出ると。どうしても止めたくなる。だからあの場面は4ではなく3を出した」
そわ……そわ……
「しかし、末本が最後にダブルで出しておけば。俺は負けていたかもしれない。それに、JOKERを誰かが出さなければあがれなかった。つまり五分五分だったんだ」
そわ……そわ……
末本は悔しさを隠せない。
「今度は負けない」
「早く、富豪と貧民と大貧民を決めてくれ」
まだ勝負は終わっていないぞ。
早貴ちゃんside
みんなの、私の背中を見る視線が痛い。
何かの拍子で背中の包帯が見えないか心配だ。
濡れて包帯が透けて見えるだけでもだめ。
圭ちゃんはみんなに事件のことを言っていないみたいだけれど。
もしかしたら、みんな確信しているかもしれない。私が五人目の被害者で、背中に大きく5という数字が刻まれていることを。
やっぱり、体育を見学しているからかな。でも、お医者さんから止められているから仕方ないよね。
数学の授業が終わって昼休みになった。
「あの、中森さん?」
「何ですか?」
振り向くと、眼鏡をかけた少しそばかすが特徴の男子がノートを持って立っていた。
そう言えば最近、クラスメートの男子に声をかけられるようになった。
今まで話したこともない人に、いきなり声をかけられると、ドキッとする。
傷のこと聞かれるかな?
「この問題だけど、どうやって解けばいいかな?」
よかった。
「えっと、ここは共通するところを文字に置き換えて解くといいですよ」
ノートに書いていつも通り丁寧に説明した。
「ああ、なるほど。ありがとう。中森さんに教わると分かりやすいよ」
幸一さんの言うとおり、いつも親切にしていたら、相手も親切にしてくれる。
「おーい、早貴ちゃん。一緒に昼ごはん食べようよ」
幼馴染の由里ちゃん達といつものようにお昼ご飯を食べる。
ほっとするひと時だ。
お弁当を持って、廊下に出て、中庭へと向かう。
今日も無事午前中の授業を受けられた。と思った矢先、階段を下りて、右に曲がって、渡り廊下の方に歩いていると、後ろから廊下を走って、おそらく購買の人気の「ベーコンエッグフランスパン」を買いに急いでいたのだろう数人の男子が、人の間を避けて走っていた。角を曲がった時に、丁度死角になっていたせいか、運悪く、私の背中の真ん中に、右手が当たってしまった。
「あ、悪い」
と言って、その人は走り去って行った。
「……」
痛い。
傷口に直撃した。
「危ないな。早貴、大丈夫か?」
「う、うん」
涙目になっているのは、いつものことだ。
圭ちゃんが心配してくれたことが嬉しくて泣いているのだと思いたい。
「全く、廊下を走るなんて……」
「怪我はないか、早貴ちゃん?」
圭ちゃんは二人に気付かれないように、私の背中を見た。
「大丈夫、傷は開いていないみたいだ」
と私にしか聞こえないくらい小さい声で教えてくれた。
「うん、ありがとう。圭ちゃん」
私はいつものように笑顔で返した。
午後の体育は当然見学。隣の二組と合同の授業。
包帯が見えると困るため、着替えることもできない。
みんなこっちを見ているように見える。
何だか落ち着かない。
「やっぱり、中森さんが例の被害者じゃない? 事件の後からずっと体育を見学しているから」
「背中に包帯巻いているんじゃないの? 誰か確かめようぜ」
何か嫌な会話が聞こえるのは気のせいじゃないよね・・・・・・
うう、圭ちゃんに守ってもらうしかないのかな?
「私語禁止。俺の話を聞け」
体育の末田先生は声を張り上げて注意するが、あまり効果がないようだ。
落ち着かない。
何だか私、迷惑かけているのかな?
急になぜか、自分がここにいない方が良いような気がした。
「男子はサッカー。女子はテニス。先週と同じだ。準備運動きちんとしろよ。怪我したらいけないからな」
何で、みんな私を見るの?
はあ、体育が終わって、女子は二組の教室で、男子は一組の教室で着替える。
「ちゃんとカーテン閉めててね。中森さん、ドアの外を見張ってて」
私の役目は、男子が教室の中を覗かないようにするための見張り。
一組が何やら騒がしい。男子は着替える時も騒がしいのかな?
ドアの前で立っていると、着替えが終わった二組の男子が一組の教室から出てきた。
そして、私を見つけるとすぐに声をかけてきた。
「ああ、見張りかい。君も大変だね。そこにいると、仲間はずれにされている気がしないかい?」
「いえ、そうでもないですよ」
少し他愛もない話をして、女子の着替えが終わったことを確認して、移動し始めた。
「次、何だっけ?」
「化学だよ」
という、良くある会話をしながら、自分の席に着く前に、手紙のような物を、ある人の机の中に入れた。
「今日の放課後、屋上で待っています。中森早貴より」
放課後、早貴ちゃんは、手紙に書いたとおりに、屋上にいるだろう彼の所へ行こうとしたが、階段を下りて帰って行く圭ちゃんが目の前にいる。
彼も、圭ちゃんと同じように、私を嫌うかもしれない……
一度始まった疑心暗鬼は、悪循環を繰り返して行く。
しかし、早貴ちゃんは信じてみようと思った。
階段を一段一段登って行く。それと同時に、期待と不安が増していく。
告白を断られるのか、それとも付き合ってもらえるのか。
考えても無駄だから、今は何も考えずに、ただ彼を待ち続けようと思った。
そして、ついに屋上に着いた。
そこには、ベンチがあり、一緒にお弁当をみんなで食べたことがある。
懐かしい風景がそこにあった。
そして、この前告白して、圭ちゃんが用事があるから、と言って帰った寂しさ。
その後、家に帰って幸一さんに慰めてもらったこと。
幸一さん・・・・・・私、頑張ります。たとえ彼に断られても、私は生きて行きます。だって、幸一さんと約束しましたから。何があっても自殺はしないって。
幸一side
「だ~、なんで、何故、どうして、勝てないんだ」
大富豪で負けた末本は吼えていた。
「勝ち急ぎすぎるんだよ。あと、全員のことが見えていないようだな」
二人で戦っているんじゃない。四人で戦っているんだ。
「何故、どうして?」
「略して、『など』」
「というより、古文単語」
なんか懐かしいことを思い出したな。
合田と甲田は末本に合わせて恒例のギャグをかました。
「おかしいやろ~。ありえんやろ~」
末本の迷言が始まった。
こいつは、勝負に負けるといつもこんなことを言う。
別に笑いをとっているつもりはないのかも知れないが、なぜか笑ってしまう。
我が文芸部では時々、笑い声が響く。恐らく、ここでしか通じないものがあるのだろう。
そんなものをみんな持っているのではないのかな?
早貴side
屋上には先客がいた。
同じクラスの韮田圭一君。
「中森さん、手紙で呼び出して、何か用かな?」
韮田君は、クラスでも、カッコイイ男子として、女子から人気である。
幸一さんや、圭ちゃんとは違った魅力がある。
何かこう、格好つけたがるというか、根は優しそうだけれど、少し強く話すところがある。
「あの、私、韮田君のことが好きです」
「……君は、東圭一のことが好きじゃなかったのかい?」
昨日のことを思い出した。
「振られました」
「そうか……今も東のこと好きか?」
「友達としては好きです」
「そうか。中森さんは可愛いよね。勉強もできるし、男子から人気があることは知っている?」
初耳だった。
「俺で良かったら、喜んで付き合うよ」
「あ、うん。ありがとう……」
韮田君は私と付き合うことを了承してくれたが、その時、幸一さんの言葉が蘇った。
『傷のことを話して、付き合ってもらえなかったら、それまでの人。仮に傷のことを隠したままだったら、もっと酷い別れ方になる。仮に、付き合ってもらえたら、君のことを、心の底から、外見だけでなく、内面も好きで、永くつき合ってもらえる人だから、大切にしなさい』
やっぱり、言っておいた方が良いかな?
圭ちゃんみたいに、微妙な関係になっちゃうのかな?
それとも……
韮田君は早貴ちゃんが少し考え事をしているのに気が付いた。
「中森さん、何か、困ったことでもあるの? 俺でよかったら、相談に乗るよ」
優しく声をかけてくれる。一応、恋人なんだよね、今は……
「うん。大事なことを忘れていた。ごめん……あの、私……」
「何かあるの? 噂のことなら信じてないから安心して。それとも、もうすぐ引っ越すんだ、とかそういう話かな?」
信じていない……そう言われると、話しにくくなるんだけれど、話さないとフェアじゃないから……
「あのね、引っ越しじゃなくて、その噂なんだけど、実は、本当なの」
「え?」
「ほら、包帯巻いているでしょ?」
早貴ちゃんは背中の包帯の一部を解いて、5の下の部分を見せた。
縫ってあるが、明らかに傷痕が見える。
「う……酷い。これはひどい……」
絶句……
早貴ちゃんは、包帯を巻き直し、制服も元に戻した。
「こんな私でも、良いなら、お付き合いしてください」
早貴ちゃんは、韮田君の顔を見れなかった。
いや、見ない方が良かったと言った方が良いだろう。
「は、ははは、危うく騙されるところだったぜ。可愛い顔して、見えるところは本当に美少女そのまま。しかし、実態は、傷物で、穢れているとはな……俺をなめているのか?」
「あ、そ、その、ごめんなさい」
韮田君は右手を振り上げた。
「俺を弄んで楽しかったか? 中森早貴さん、よ……」
パチンという音がして、私は倒れた。
床に倒れた後、頬に痛みを感じた。
「入学した時に一目ぼれした俺が馬鹿だったよ。優しく接していたのは、お前に好かれたかったからだったけれど、もうそんなのどうでもいいや。俺を弄んだんだ。覚悟できているよな?」
早貴ちゃんは、ただ泣きながら謝り続けた。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
「噂は本当だったって、言いふらしてやる。そうしたら、誰もお前に話しかけてくれなくなるよなぁ? 仲良しの東圭一も、木田由里も三谷美華も、誰ひとり、お前に話しかけて来なくなるよなぁ?」
今は、圭ちゃんがその状態で……クラスメイトは噂を信じていないから、話しかけてくれる。でも、噂が本当だったと言いふらされたら、彼の言う通り、誰も……幼馴染の由里ちゃんも、高校での初めての友達の三谷さんも……
「お、お願い、誰にも言わないで……」
「年上には敬語を遣え! お前、自分の立場、分かっているのか?」
再び振り下ろされる右手、背中に痛みが走る……
「痛い。傷が開いちゃうよ……」
「安心しろ、これ以上酷くなることはない。なにせ、傷物だからなぁ」
カシャッという音がした。
「いや、撮らないで……」
包帯を撮られた。
包帯を巻いているという事実だけで、信憑性は増す。
「メール送信完了。これでもう、お前は終わりだ」
終わり……、あの時も、終わりを感じたな……
事件が起きたあの家で、一度逃げ出すチャンスが出来たあの瞬間……玄関のドアが開きづらくて、時間かかっていたら、首に手を回されて、引きずられて、元の場所まで連れていかれて、うつ伏せにされて、制服を捲られて、背中に何か熱い物をかけられて、その上から、ナイフで刻まれて……また、異物を入れられて、最後は制服を着て、立つように言われて、左胸に血が付いたナイフを……
「うう、酷いよ……」
気付いたら、夕焼け空が見えていた。
微かな声は、誰にも聞こえなかった。
「目が覚めたか?」
気が付くと、私は病院にいた。
そうだった。あの後、屋上に来た田中刑事さんと、検診のために病院に行ったんだった。
そして、寝ている間に検診があったんだった。
確か、性病とかというものを調べる検診で、麻酔を使ったんだった。
横に幸一さんと田中刑事がいる。
「早貴ちゃん、大丈夫?」
幸一さんにみっともない姿を見せてしまったのかと思うと、急に恥ずかしくなった。
私の気持ちを察したのか、田中刑事は、幸一君が来たのは検診が済んで包帯を巻いた後だよ、と言った。
安心したのと同時に、私はまだ裸を見られるのが恥ずかしいと感じていることに安心した。
まだ、心は壊れていない。それを、実感した。
田中刑事や、先生方には見られただろうが、それは仕方ないとして、幸一さんに見られるのは、とても恥ずかしく感じた。
胸が、急にドキドキし始めた。
私にとって、幸一さんは特別な存在。
やっぱり、今も圭ちゃんのことは好き、でも、幸一さんのことも……好き。
私は、幸一さんの胸に飛び込んだ。
頭を撫で撫でされると嬉しい。
手を握ってもらえると、温かい、優しい感じが伝わってくる。
幸一さんの水色のシャツは、私の涙で、濡れていく。
涙で濡れたところは、染みて青くなる。
乾いたらそこだけ少し色が変わってしまうだろう。
いつか、謝ろうと思う。
いつか……その『いつか』を幸一さんと共に迎えられたら……
幸一side
田中刑事に中森家まで車で送ってもらった後、早貴ちゃんの手料理を食べた。
怪我人に料理をしてもらうのは、正直気が引けるが、早貴ちゃんが料理を作りたいと言ったので、意思を尊重することにした。
俺は早貴ちゃんの隣で野菜を切る。
早貴ちゃんは、俺に切り方の指示をして、味付けをした。
調味料の組み合わせは、感覚で覚えないといけない。
早貴ちゃんには、その感覚がある。
生まれつきのものなのか。経験が物を言うのかは知らないが、早貴ちゃんには花嫁修業はいらない。お母さんの代わりに、ずっと主婦をしてきたようなものだから。
もう、十分すぎるほど、早貴ちゃんの素晴らしさが伝わってくる。
料理だけでなく、家事もできるし、お願いしたこともきちんとしてくれるし、言わなくても親切に丁寧にしてくれる。
正直言うと、俺は早貴ちゃんみたいな人と結婚したい。
生憎、大学にはそう言った人は、あまりいないと思う。
少なくとも、二人くらいしか知らない。同級生の平田真実さんや山本文華さんだ。
しかし、彼女は人気があり、おそらくすごい倍率だろう。
お付き合いしてほしいなんて言ったら、周りの奴が……いや、止めておこう。
俺からは告白しない。俺は、告白されたい。そして、プロポーズは俺からしたい。
それが俺のポリシーだ。
なんてことをずっと考えてきたから、未だに恋人がいないのだろう。
まぁ、男子校に行ったのも原因の一つだろうが。
隣を見ると、嬉しそうな早貴ちゃんの笑顔が、そこにあった。ダシの味見をして、満足できる味に仕上がったらしい。
眩しい。正直言って眩しい。
「幸一さん、切った野菜をこっちの鍋に入れてください」
今日の夕食は鍋、鍋の素ではなく、早貴ちゃんオリジナルのダシが入る。
一〇分くらいして、野菜が柔らかくなったら、食べごろだ。
最後には、ご飯を入れてお粥にして食べる。
ご飯と言えば、早貴ちゃんを家まで送った日に、Mコープで買った覚えがある。
さすがに、そろそろなくなるだろう。
何だか、今思えば遠い過去のような気がする。
昔から早貴ちゃんのことを知っていたかのような錯覚を感じることが時々ある。
鍋を食べた後、田中刑事に頼んでいたことを早貴ちゃんに話した。
下校時に、高校の正門の近くの守衛室にいてほしい。
万が一早貴ちゃんに何かあったら、助けに行って欲しいと頼んでいた。
田中刑事は、早貴ちゃんが全然来ないことを不審に思い、屋上を見上げたところ、早貴ちゃんが見えたので、屋上に向かったとのこと。
お互い納得して、田中刑事を見送った。
俺は早貴ちゃんと一緒に寝た。
手を握って。
俺がいない時は、ぬいぐるみを抱いて寝るらしい。
「お父さんが出張で寂しい時、由里ちゃんの家にお世話になっていました」
真二さんは、中森家にも、俺にも連絡してこない。
これは、俺を信頼していることと、早貴ちゃんが一人の時は、いつも木田家に行くことを知っていたからである。
因みに、真二さんは携帯電話を持っていない。
一人娘に対して、もう少し心配した方が良いのではないかと思うが……
「でも、一人で家で寝る時は、いつもこのシロポンを抱いて寝ていました」
白い、謎のぬいぐるみだ。白いペンギンだの、白クマだの、白いサカナだの、まあそんな感じのぬいぐるみだ。とりあえずシロポンということにした。
そう言えば、昔そんなアニメがあったような気がするな。
動物のようなキャラクターが、なぜか麻雀しているアニメが。
ポンッとなく白いやつと、カンッてなく桃色のやつ。
黙って狙い撃つ黒いやつ、ツモでしかあがらない青いやつ。
懐かしいな。
まあ、それは置いておくとして、俺はヌイグルミの代わりですか?
「幸一さんと一緒にいると、安心できるんです」
やっぱり、ヌイグルミですか? だったらいっそのこと抱……いやいやだめだ。
何考えているんだ俺は。これじゃあいつらと同じだ。手を出したら犯罪者と……
でも、早貴ちゃんが求めるなら……いや、やっぱり駄目だ。本来なら一緒に寝るのにも手順というものが……そうか、家族だ。恐らく俺を兄のように慕っているに違いない。そうか、兄か。となると、早貴ちゃんは、俺の可愛い妹、血がつながっていない……
ああもう、どうしてそっちに流れて行ってしまうんだ。
早貴ちゃんはまだ一八歳未満だ。
手を出すわけにはいかない。平常心平常心……
す~、す~
気付くと、早貴ちゃんは寝ていた。
俺の腕を抱いたまま。
あの、早貴ちゃん?
俺の手に何やら柔らかいような物が当たっているのですけれど……
いいのか? まぁ、俺は動けないのだから、どうしようもないのだが。
とりあえず、早貴ちゃんに布団を掛け直してあげた。
俺も風邪をひく訳にはいかない。
今日も俺は眠れないのか?
数週間が経って、早貴ちゃんの傷がほぼ完治した。
背中と胸以外には傷痕は残らなくて良かった。
そんなある日の夕食後のことだった。
「今度の土日に買い物につきあってもらえませんか? その……」
「ああ、冬服か」
申し訳なさそうに早貴ちゃんは、お金を出してほしい、と言った。
「いいよ」
制服屋は本州大学の近くにあるらしい。
「すみません、必ず返します」
「いや、別に返さなくてもいいよ。ご褒美とか関係なく、ね」
「分かりました。でもちゃんとお礼はします」
早貴ちゃんはタダで何かしてもらうのは、あまり好きではないらしい。
結局、何かお礼をしてくれる。
肩もみでも頼もうか?
「あと、いつか街に買い物に行きたいのですが……一緒に行ってもらえませんか?」
「いいよ。一緒に行ってあげるよ。お父さんに頼まれているからね」
まあ、頼まれなくても心配だからついて行くが。
「ありがとうございます」
「困った時は何でも言ってくれ。お金なら一〇〇万円持っているから」
「どうして、そんなに持っているのですか?」
驚くのも当然だ。
「去年のサマージャンボで当たった」
「運が良いですね。私にも分けてほしいです」
金が欲しいの?
あまり深く考えない方が良いようだ。
「他に買うものはある?」
早貴ちゃんは両手の人差し指の先を何度か当てながら、やはり申し訳なさそうに言う。
「お米が切れていますから、お願いします」
「ああ、いいよ」
そういえば、前もお米を運んだような。
「うふふ、幸一さんは、いつも優しいですね」
なんだか、嬉しそうだ。
久しぶりに笑顔を見た気がする。
「さてと、何か分からないところはある?」
本業? に戻ろう。
「はい。この最大値と最小値の場合分けなんですが」
二次関数の問題を解いている内に、夜は更けて行った。
いつものように、俺と早貴ちゃんは一緒の布団で横になる。
「あの、幸一さん」
「ん、何?」
「私は、まだ圭ちゃんのことが好きです。でも……」
「完全に振られたわけじゃないんだろう?」
「あ、はい。その……実は私、圭ちゃん以外にも好きな人がいまして……」
「そうかい」
「恋愛って難しいですね。幸一さんは今好きな人はいますか?」
ん? いきなりだな
「いるよ……結婚したいくらい好きな人がね……」
……
「そうですか……幸一さんに好かれる人は幸せ者ですね。優しいですし、かっこよくて、頼りになりますし……」
なんか、早貴ちゃんの声が半音下がった気がする。
気のせいか。
そういうことにしておこう。
「すみません、今日の私、変ですよね」
「心配事があるなら相談に乗るから、なんでも相談してくれ」
「はい。ありがとうございます」
……
「お休みなさい」
早貴ちゃんは、すぐ横で、添い寝する。
当たり前のようになっているが、あまり良くないだろう。
お父さんが帰ってきたら、ちゃんと言って、一緒に寝てもらおう。
一人で寝るのが怖いなら、お父さんと寝てもらった方が、教育上良いはずだから。
もしくは、ヌイグルミを抱いて寝てもらおう。
「……」
しかし、幸せそうな寝顔だ。
とても、この前事件にあった人とは思えないな。
ふと、田中刑事の言葉を思い出す。
「中森早貴さんは、今は君がいないと、精神的にきついだろう。生きていられるのは、そばで君が支えてあげているからだよ。信頼されているんだね」
その言葉通りだと、俺は早貴ちゃんのそばから離れられないのか?
お父さんが出張の時は……友達の家にお世話になればいいのでは?
俺はどうすればいいんだ?
こっちで就職すべきか?
一生を左右する決断だ。
「あなたがいないと生きられません」という言葉は、恋人や夫婦に、愛情表現として言われるなら聞こえは良いかもしれないが、早貴ちゃんの場合、俺がいなくなったら本当に死にそうで怖い。
早貴ちゃんが死んだら俺のせい、なのか?
そんなことを考えていたら、早貴ちゃんは寝言を言い始めた。
「く~、幸一さん。今日は一緒に……」
一緒になんだ?
「ありがとうございます。幸一さん、今日は楽しかったです。また、一緒に街にお出かけしたいです」
買い物か?
「色々と買ってもらって、本当に助かりました」
俺が色々奢っているのか? なんだか大変だな夢の中の俺。
まあ、早貴ちゃんがおねだりしてきたら、買ってあげてもいいかな。
早貴ちゃんには笑っていてもらいたいから。
俺は早貴ちゃんの笑顔を見ていたい。ただそれだけだ。
俺は何か胸の中で熱いものを感じた。
ずっと早貴ちゃんのそばにいたい。
いつしか、そう思うようになった。
これが、愛。しかも、早貴ちゃんの心を救うことができる、『最愛』だと確信するのに時間はあまりかからなかった。
一緒に寝てほしいと言われる関係だ。そんなことは、好意を抱いている人にしか言えないはずだ。
つまり、早貴ちゃんは俺のことが好き?
いや、ただ単に天然なだけかもしれない。早貴ちゃんが告白してくれるまで待っておこう。告白してくれたら、俺もきちんと自分の気持ちを伝えよう。
早貴ちゃんはまだ一五才だ。まだまだ出会いがあるはずだ。
俺から告白して、未来の選択肢を狭めたらいけない。俺と付き合うよりも、幸せな人生を送れるかもしれないから。
好きだからこそ、俺は早貴ちゃんの幸せを願う。
これは、当たり前なことだ。
ED
次回予告
「真二さんが帰ってくる。今夜は、御馳走だ」
「私は、圭ちゃんに返事を聞くことにした」
次回 最愛物語 第八話 お父さんの帰宅
「お父さんにも、事件のことを話さないといけない……」
「真二さん、驚くだろうな……」