特別編 最愛物語 before story
最愛物語 before story
二〇〇九年 四月
吉田幸一は、N県にある国公立大学の一つ『本州大学』の農学部に入学した。
キャンパスはN県の広い地域に分かれていて、教養部がある中野キャンパスには、医学部、薬学部を除く全ての一年生が来る。学部学科コースによって、二年生になると他のキャンパスに移ることになるところもある。特に農学部は、学科でキャンパスが変わる。
農業機械学科は中信地方の諏訪キャンパス、農政経済学科は一年ごとに変わるようで、諏訪キャンパス、本庄キャンパス、飯倉キャンパスに行くことになる。
DNA、微生物などを扱う応用生物学科は二年生で飯倉キャンパス、三年生で本庄キャンパスに行く。
そして、俺が入学した生物環境学科は、二年前学期に安曇野キャンパス、三年前学期から本庄キャンパスに行くことになる。厳密には、一年後期でコース希望調査があり、応用 生物コースだけは応用生物学科について行くことになる。
俺は今のところ、生物環境保全コースに行くつもりだから、飯倉キャンパスにはいかない予定だ。
さて、中野キャンパスだが、志賀高原が近いから、当然の如くスキーサークルやスノボーサークルがある。教育学部、文学部、経済学部、法学部は中野キャンパスのまま動かないから、サークルの人はほとんどが文系学部だ。医学部の人がいるのは、医学部がある長野キャンパスが近いからだ。双眼鏡で見えるくらいの距離だ。
そんな中、俺は懐かしい風景を見た。そう、ここは高校の修学旅行で来たところだった。
俺がこの大学を選んだ理由の一つは、もう一度ここに来たかったからだ。もう一つは、実家から離れて一人暮らしがしたかったからだ。
俺はスキーサークルに入り、志賀高原二度目の(人生三度目の)スキーを冬に楽しむことにした。このサークルは、春夏秋の間は、ゲームして遊ぶのだ。男子は格闘ゲームなどを好み、女子はパーティゲームなどを好むようだ。少なくともこのサークルでは。
部室は案外広く、サークル会館1階の半分、つまり一〇〇人教室一つ分の広さがあるが、ロッカーや棚で仕切られていて、スノボーサークルとの共同部屋だったが、話し合いで、一つの部室を全員で使うことにした。そして、今年から、一階の他のサークルと、ゲーム部、将棋部、文芸部も、ここに集うようになった。
あとで分かったのだが、実は各サークルの部長か副部長は互いに中が良く、部室の改装作業を手伝いあっていたらしい。
それゆえ、テレビは四台あり(地デジ対応ではない三台はゲーム専用。)、冷蔵庫は二つ、折りたたみ式こたつは四つ、折りたたみ式テーブルは二つ、赤外線ストーブ二つ、扇風機四つ、そして入り口は二つという不思議な快適空間が出来上がっていた。なぜなら、二部屋に分けることを前提に作られた部屋を一部屋にしているから、これくらいではブレイカ―が落ちない。さすがにこたつ四つ点けたら、テレビ三つは厳しいが。他のことをすれば良いし、ここはもともとスキー、スノボーサークルだ。冬はスキー場に行く。残るのは、文芸部とゲーム部と将棋部くらいだろう。
このような複雑かつ不可思議な空間の中、摩訶不思議な団体でよくトーナメント戦をやっていた。個人戦とチーム戦、団体戦、サークル対向戦などを、テレビゲームではレース、格闘、パーティ(すごろくのようなもの)、落ち物パズルもの、などなど多種多様。こたつが四つあるから、麻雀大会もやった。ルールを知らない人用の卓、喰いタンなしの卓、喰いタンありの卓、お菓子やジュースをかける卓に分かれていた(全員で分けたあとに残ったものをかけて争う。要は学校給食の御替わりじゃんけんのようなもの)。
曜日ごとにコロコロ変わっていたのは最初の一か月だけで、それからはみんな好きなことをし始めた。要は最初の一か月はここの空気に慣れさせるための先輩方の配慮だったのだろう。俺はゲーム大会と麻雀大会、そして将棋オセロチェス(盤ゲーム大会と呼んだ)、トランプ大会などをやっていた。そこで俺は末本、合田、甲田というやつにあった。末本は俺と同じく色々な大会をして、何度も挑戦するが、結果一位になれないやつだ。
「なんで勝てないんだ!」
お前が悪い。他に言いようがない。末本は案外強いのだが、油断して欲が出るとすぐに負けてしまう。
例えば、ある時レースゲームをしていたら、一位のくせに近道をして大差で勝ってやろうとして、失敗して二位になってしまった。またある時には、格闘ゲームで――落下したら負けのゲームで――止めを刺そうとして失敗して先に落ちて負けた。まあ、これは俺がわざと誘って攻撃を避けたのだが。通称『地獄落とし』は、当たれば即落下の強力技だが、動作が長く、隙が大きい。外してしまうと逆に『地獄落とし』を食らってしまうか、勢い余ってそのままの速度で落下してしまう。
入学したばかりだと、なかなか友達が出来ない人もいるだろうが、共通の話題で盛り上がって行く内に仲良くなって行くものだ。
こうして春は瞬く間に過ぎて行った。
梅雨入りして、雨が鬱陶しくなると思ったら、この地方は夏より冬の方が降水量が多いようだ。さすがに台風や低気圧の影響で雨は降るが、基本的に雨はあまり降らない。
麻雀牌がくっついてやり辛くなったら、トランプ大会に変わった。
夏になると、海に行くことはなく、ただ部室で扇風機と小型のクーラーを動かして、いつものようにゲーム大会をしていた。そろそろ前学期試験がある。勉強部屋というスペースを将棋部が作って、そこで勉強することも、将棋を指すことも出来た。役割分担と言うやつだ。文芸部では小説や漫画などの書庫のような役割(キチンと鍵付きの棚の中に入っていた)、ゲーム部ではマニアックなゲーム(18禁ではなく、希少価値が高いものや、あまり人気がないもの、一人用のゲームなど)ができた。
夏季休講になると、実家に帰省する者、部室に寄生もとい泊まり込みで遊ぶ者、さまざまだった。俺は実家に帰省がてら鉄道旅行をした。
そして、夏季休講が終わると、一〇月病というやつか、講義に出ずにサボるやつが出始める頃だったが、ここのサークルでは、時間割を部員が把握し、キチンと出席することが暗黙の了解として伝統的にあった。遊ぶ時は遊び、勉強する時は勉強するというのが決まり、掟だった。まあ、講義中何をしていてもかまわないわけで、俺はよく趣味で小説を書いていた。講義の内容がつまらない時は、板書をノートに書き写した後、ある程度教授の話をメモして、雑談に入った途端、ノートの最終ページか、小説用のノートにネタやシナリオを書いていた。
そんなこんなの毎日を過ごしていたら、あっという間に冬になってしまった。
スキーサークルでの活動が本格化してスキー場で滑ることになった。
末本は案外うまく滑っていた。
俺も経験者だから、基本動作は出来た。あくまで基本だ。綺麗なターンとかは出来ない。
末本はかっこつけて出来もしないのにやって見せて、見事に転んだ。転ぶときは横か後ろに転べよ。決して末本のように前に転ぶなよ。立ち上がりづらいし、怪我をする。
リフトから降りる時に毎回こける末本を見て、中学の頃を思い出した。
親友の真田幸一は三日目まで毎回リフトから降りる時にこけていたな。まあ、末本のようにリフトを止めたことはなかったが。
そして、もう一人のことも思い出した。
俺の初恋の甲本栞さんだ。
「今どうしているんだろうか」
と思った、しみじみと。
中学二年の三月、つまり修学旅行が終わって一カ月後くらいに、彼女はN県に引っ越していた。
この県に、である。
別に追いかけてきたわけじゃない。
同じ高校に通った真田はどうだったか分からないが。
本当に今はどうしているのだろう。
そう言えば、N県で思い出したが、夏季休講中の帰省がてら鉄道旅行中の俺は、N県のどこかの中学校の修学旅行生に会った。あまり覚えていないが、確か中学二年生だったな。別にどうこうした物でもないが何となくN県で思い出しただけだ……
そう……あれはあの時だ。
☆
九月五日
吉田幸一は大学1年生の夏季休講の後半、N県の本州大学中野キャンパス近くのアパート葉桜荘から実家がある九州のF県まで帰省していた。
ただし、新幹線ではなく、青春18きっぷで旅をしながら。
今日の目標は静岡県沼津駅だ。宿と言っていいか分からないが、泊まるところは漫画喫茶やインターネットカフェ(以下ネカフェ)だ。一泊二〇〇〇円で漫画ジュース無料だ。
俺は朝早くに前もって買っていた青春18きっぷを使わずに、信州中野駅で切符を買って長野駅まで行った。なぜ使えないのか、それはJRではなく、長野電鉄という私鉄だからだ。
この駅は、二〇〇二年までは河東線の一部の木島線と呼ばれる路線の始発駅で、木島線廃止後、しなの鉄道の駅がある屋代駅まで繋がっていた屋代線に路線名称が変更された。
と、鉄道研究会の人に聞いた。
というわけで、長野駅方面(長野線)に間違えずに乗った。
そして、改札を出て、スーパーで飲料を買ってJR長野駅の改札で青春18きっぷの一日目の判子を押してもらった。
JR東日本の判子だ。
そして、特急ではなく普通列車に乗った。きちんと切符の裏面を見てくれ、急行、特急には乗れないと書いてある。
俺は、信越本線、篠ノ井線、で松本駅まで行き、そこで牛めし(牛丼ではなく)を食べて、篠ノ井線中央本線岡谷経由飯田線辰野行きに乗って、ゆっくりと長旅することにした。岡谷駅で前後逆転した。因みに飯田線は辰野豊橋間の4つの鉄道会社を国鉄が買い占めて一つにしたものだ。現在も四つの管轄に分かれているらしい(鉄研談)。
辰野駅で豊橋行きの列車に乗り換えた。
俺は来年行く本庄キャンパスのがある町を見に行くのだ。車窓を見るだけだが。
Ωカーブ(鉄研部員談)をいくつか過ぎ、途中最大勾配らしいところも過ぎ、本庄キャンパスがある宮原町の玄関口、飯原駅に着いた。それにしても、車掌さんは大変だな。無人駅だと後ろから前に行って乗客に切符を売って、駅に着くとホームに降りて、切符を受け取り、最後尾まで走って、扉閉め、列車が動き出したら、駅の安全確認をして、車内を前まで歩いて行く、これを繰り返す。
飯原駅を出発すると、次は大学の最寄駅である本庄駅だ。
ずっとのどかな田園風景かと思いきや、日本アルプスの山々の間をくねくねと迂回する。林の中を走ることもよくあった。
宮原町は二つのアルプスが見える町として有名らしい。
特に本庄駅の次の七宮駅は駅から見る日本アルプスが綺麗なことで有名だ。
地元の中学生だろうか、買い物のために飯倉市に行くらしい。
飯倉駅と隣のG県の中津川駅まで、国鉄が伸びるつもりだったらしいが、中央自動車道が出来たため、計画が頓挫して、トンネル跡が残っているらしい(鉄研談)。
飯倉駅に着くと、ほとんどの乗客が降りて、少し寂しくなった。特急列車が先に発車するようで、少し時間に余裕が出来たが、駅の中の売店で飲み物を買って列車に戻った。
席を取らないとあとが面倒だからだ。
昼間だったからか、あまり人が乗ってこなかった。
「眠い」
静かになったからである。
列車は山の中を進んで行く。橋を渡って反対側の岸に渡るのかと思いきや、またこっちの岸に戻ってくるところもあった。
険しい山の中を進んでいるから、こういう橋も必要なのだろう。
そして、いつの間にか俺は眠っていた。起きたら新城駅に着いていた。
それからしばらくすると、大きな橋を渡って終点の豊橋駅に着いた。
すぐ隣には名鉄のホームがあった。
そう言えば、名鉄線と共同で線路を使っているんだったな(鉄研談)。
俺はすぐに東海道本線普通列車に乗って静岡方面沼津駅に行った、富士山を見るために。
☆
二日目、ネカフェでシャワーを浴びてすっきりして寝たおかげで、気分が良い。
駅前のグリーンバーガーのハンバーガーを二つ買って、京都駅に向かった。改札で二日目の判子を押してもらった。JR東海の判子である。
豊橋まで普通列車、そこから先は特別快速で米子、そこから、新快速で京都まで乗った。
駅から徒歩で北東に40分かけて清水寺に行き、飛び降りずに、京阪清水五条駅から東福寺まで乗って、そこから隣駅の伏見稲荷駅までJR奈良線に乗った。
さすがに、頂上まで登るのはきつかったが、振り返ってみた景色はなかなか良かった。
そのあと奈良の東大寺に行き、商店街で飲み物を買って、京都に大阪経由で戻った。
☆
三日目、目標は香川県高松駅。讃岐うどんを食べに行く。
京都駅の改札でJR西日本の判子を押してもらい、新快速で姫路まで行き、そこから岡山まで普通列車に乗り換えた。
時間に余裕があったので、尾道に行くことにした。
このころは特に有名ではなかったが、この後、日本放送教会のドラマの舞台になったので観光客が増えた。
千光寺ロープウェイで上り、尾道大橋を望む雄大な景色を展望台から眺めた。
その後、下に歩いて降りて、踏切を渡って、商店街に行った。しまなみ海道は柑橘類の産地で有名で、八朔を使った饅頭が商店街にあった。
そして岡山に引き返し、マリンライナー(快速)で高松まで行った。
うどん屋を探して少し彷徨ったが、30分もしないうちに辿り着き、肉うどんを食べた。
九州の実家の近くのうどん屋は量が多い。それに慣れているせいか、少し少なく感じた。
コンビニで食べ物を買ってネカフェに行った。持ち込み可ということは予め調べておいた。
畳の部屋でゆっくりして、翌日実家に帰る予定だ。
☆
九月九日、高松駅でJR四国の判子を押してもらって、俺はマリンライナーで岡山に行き、山陽本線に乗り換えて、岩国まで行った。
岩国の駅前の全国チェーンの弁当屋、厳密には色々あるようだがそれは置いておいて、そこで親子丼弁当を買って、30分後に発車する岩徳線に乗って徳山まで行き、山陽本線で下関まで行った。因みに岩徳線は旧山陽本線だったらしいが特急列車が走るには少し難しかったらしく、最初の山陽本線(柳井線)を再び山陽本線に戻したらしい(鉄研談)。
その後、関門トンネルを抜けて小倉駅まで行った。トンネルを抜けてすぐに一度車内の電気が消えたが、何か意味があるのだろう。
小倉からは準快速列車(折尾~赤間間各駅停車)に乗って、南福岡駅まで乗った。夕飯はいらないと言っておいたので、食べて帰らなくてはならない。駅前の裏通りに入って、そのまままっすぐ行くと、親友の真田幸一に教えてもらったラーメン屋があった。
腹が減っていたので、替え玉を数回繰り返した。
その後、家に帰った。
「ああ、疲れた」
この四日間あまり喋らなかったからな。いや喋れないくらい疲れていたのだ。体力の温存というやつだ。ただ、こういう旅は誰か同行者がいた方が良い。
あと二人いればトランプが出来る。
これは俺の経験が語っている。間違いない。二人じゃ、お互い無反応になってしまう。
三人揃えば文殊の知恵というやつか、それとも天下三分の計か。
俺は両親と軽く話して、風呂に入って寝た。
明日は九月一〇日。青春18きっぷの有効期限最後の日で、五日目である。
大分県中津市に行って、から揚げを買ってこようと思った。
☆☆☆
一方、中森早貴(中学二年生一三才) は、修学旅行で九州に来ていた。
夏休み明けの九月九日に宮原中学校を出発して、バスは三洲街道を通って松川ICから高速道路に入った。名古屋駅にまでバスで行き、その後新幹線で新下関駅に行きバスで関門トンネルではなく関門橋を渡って九州に行き、夕方頃に、門司港で自由時間になる。そして北九州市の旅館に泊まって、次の日に長崎に行き、半日ハウステンボスに行き、その後博多駅までバスで行き、新幹線で名古屋駅まで行って、バスで学校まで戻るという日程だった。
中森早貴はバスの中で木田由里ちゃん達とトランプをしていた。
よくある風景だ。誰もがこんなことをしただろう。
飯田市のトンネルを抜けるとすぐに岐阜県との県境になる。
バスガイドさんの、そろそろ県境ですよ、という合図に、カウントダウンをする人、なぜか息を止める人(止めておけ)がいた。
その現象は、関門橋で九州に渡る時も起こった。
早貴ちゃんは、新幹線の中ではぐっすりと眠っていた。
由里ちゃんに起こされて、気が付いたら、まもなく新下関……というアナウンスが流れていた。
因みに、新幹線は自動ドアなので、扉を開けようと手を伸ばさないようにと、学校で言われていた。自動ドアに馴染みがないので注意されていた。宮原町を通る鉄道は手で扉を開ける駅が多いのだ。
そして、ついに門司港に降り立った。
グループで回るようにと言われていたので、私は木田由里ちゃんと数人のグループで街を街をまわった。
高い建物に上って風景を見たり、駅前の噴水を見て回っていた。
早貴ちゃんは普段見ないレトロな建物を見ている内に、みんなとはぐれてしまった。
そして、道に迷ってしまう。
「どうしよう」
そんな時、後ろから、何やら良い匂いがする物を持った青年が近づいてきた。
一七時三〇分
幸一は、中津市で昼飯に味萬ラーメンを食べた後、お土産の唐揚げを買って、さらにお土産に豚まんを買いに門司港に行った。
豚まんを買う前に、レトロな景色を楽しんでいたら、修学旅行生のような少女に出会った。どうやら道に迷っているようだ
軽く自己紹介を交わして、少し話した。
「で、集合場所はどこだ?」
「駅前です」
駅前ね。海を目印に歩けば迷わないのだが、まあ土地勘がないから仕方がないか。俺もここには六年前に家族と一緒に車で来た以来で、ここを歩くのは初めてなのだが。
集合時間は一九時三〇分だそうだ。まだ一時間くらいある。今日のホテルは、北九州市らしい。話しながら駅の方に歩いていると、幼なじみの圭ちゃんという少年が現れた、数人の男女と一緒に。早貴ちゃんは、彼らと合流するが、何やら困っているようだ。
「夕食は自分たちで食べるように、と言われましたが、何かありますか?」
早貴ちゃんは俺に聞いてきた。
まあ、俺もあまり来たことないから知らないが……
話を聞くと、既におやつのような感じで、バナナチョコピザを食べたらしい。
高い建物に上った時に食べて来たそうだ。
②
「豚まん屋でもいいか?一応、ここの名物だが」
他に思いつかなかった。ここまで来て豚まんかよ、と言われそうだったが、特にそんなことは言われなかった。
どうやら、みんな豚まん好きのようだ。
特にツインテールのような髪型の一番背が小さい少女は。
たくさん食べて大きくなれよ小さい少女。
みんな俺に付いて来る。
道中俺と早貴ちゃんの関係をひそひそ話をする者がいたが、早貴ちゃんは特に動揺もせずに、道に迷ったら案内してくれた人として、俺を紹介した。
「ここが、例の豚まん屋なんだが……」
一つ一二〇円。案外残っているではないか。
表で蒸しているだけで、一五個はある。俺はお土産に一二個買って、店内でいくつか食べることにした。
時間が時間だから、店内でいくつか食べて、いくつかお持ち帰りして、バスの中で食べることにしたらしい。
駅前で、別れる時、「ありがとうございました」という、早貴ちゃんと圭ちゃんと数人の男女の声に後押しされながら、俺は駅に入った。
今年の夏休みの鉄道旅行最後の日の思い出になるのだろう。
駅の横のバスの停留所に向かって、少年少女は歩いて行った。
早貴side
「良い人だったな」
私は数人の男女と圭ちゃん、そして幼なじみの由里ちゃんとトランプをしている。
「なかなか美味しいよね、この豚まん」
夜食にいくつか買っておいた。
太るぞ、という圭ちゃんの発言は、由里ちゃんには効かなかった。
「欲しいのか? あげないよ」
という具合に、はぐらかされるのである。
実は由里ちゃんはずっと圭ちゃんと一緒にいた。
途中私と離れ離れになって、圭ちゃんと合流したようだ。
みんな、あの人のことは忘れて、トランプに熱中した。
私も、忘れることにした。いや、忘れてしまった。だって、今は圭ちゃんのことが好きだから。
覚えていられる程余裕はなかった
③
ED いつかの思い出
そして、二年の月日が流れて……
袖振り合うも多生の縁と言うが、案外、世間は狭いということを俺はまだ知らなかった。
ある日の夜、初夏なのに少し冷え込む日だった。
俺は夕食を買いに(時間的に夜食だな)、近くのコンビニに行った。
たまには弁当も良いだろうと思い、少し奮発して高めの弁当にした。
そんな時、帰り道の交差点の方から、少女の声が聞こえた。
「離してください」
数人の男に話かけられて、困っている女の子がいる。
いつもの交差点より一つ向こうだ。少し遠回りになるが、仕方がない。
無視もできずに、助けることにする。名前は、そうだ、栞にしよう。中学二年の時に失恋した初恋の同級生の名前だ。
「栞! 駅で待っていろと言っただろう?」
この日、俺達の運命が動き出した。
最愛物語before story
終
OVA的存在の話です。
時々更新します。
設定資料などなど。
OP ED 詩などなど。




