第12話 最終話 最愛物語
最①
午後六時。
ついに最後の角を曲がって表通りに出た。真田幸一の家の前を通り過ぎようとしたが、その時真田家から俺と同い年位の男女が出てきた。
「あれ、吉田、帰ってきたのか?」
「お久しぶりです、吉田君」
甲本栞さんは写真で見るよりも、実際に見た方が美人だった。
話は聞いている、三〇歳までしか生きられないと。まさしく美人薄命というやつだ。
「実は俺達婚約しているんだ」
真田幸一は自慢するように言った。
「メールで見た」
俺達は淡々と話すことにした。
「あの、あなたが吉田君の婚約者さんですか?」
「はい」
早貴ちゃんは少し恥ずかしそうだった。
「どこの大学?」
あ、訊いてはいけない質問だ。
「本州大学」
俺が代わりに答えた。
「お前のことは知っている」
因みに、甲本栞と早貴ちゃんは同い年位に見える。
甲本さんは童顔だから。
「あの、私まだ高校生です」
「あ、どうりで若く見えるわけだ」
こいつ絶対同い年だと思っているな。
「大学受験大変でしょう?」
やっぱり。
「私、まだ一年生です」
「何歳だ?」
女性に年齢を訊くな。
「一五歳です」
そこ、わざわざ答えなくていい。
最②
「結婚できないじゃないか」
「婚約に年齢制限はありません」
俺はきっぱりと言い切った。
「こちら、中森早貴さん。一五歳の高校一年生。そして、例の事件の最後の被害者だ」
自己紹介に一つ付け加えた。
「例の事件って、あの連続強姦殺人事件の」
「っことは、背中に5って刻まれているんですね」
「はい。一度はお嫁にいけないと、諦めていましたが、幸一さんがもらってくれたんです」
……あんまりもらうという表現はしない方が良いよ。
「早貴ちゃんが告白してくれたがら、お付き合いすることにしたんだ」
早貴ちゃんが告白したという事実を強調しておく。俺の意志ではなく、早貴ちゃん自身の意志によるものだ。
「そうか、君からか。吉田が全然モテないからって、教え子に手を出したのかと思ったよ」
甲本さんも安心した顔つきになった。
危うく危ない人と誤解されるところだった。
「幸一さんは、優しいから大好きですよ」
恥ずかしいセリフ不許可!
「大変だったでしょう、傷口は塞がった?」
甲本さんは早貴ちゃんの心配をしてくれる。相変わらず俺が好きだったころの甲本さんのままだ。
早貴ちゃんも、俺の初恋の相手である理由が理解できたらしい
最③
自分との共通点は、優しく、親切だということ。
「料理上手ですよね」
「うん。あなたも?」
「幸一さんとお父さんにいつも作っています」
家庭の事情を察したのだろう。母親がいないと。
「なあ、吉田はちゃんと君を手伝ってくれているか?」
「はい。家にいるときは、家事を手伝ってもらっています。時々、代わりに料理を作ってもらいました」
「こっちの幸一君は、料理が全くできないんだよ」
両方とも幸一だから紛らわしい。
あえてこういう風に書いたが分かるだろう。
「ってことはこれから両親に合わせるのか? そういえばお兄さんが帰ってきているみたいだよ」
兄か……少し気が重いな。
比べられるんだろうな。
そろそろ行こうか、と言って、二人はスーパーマーケットの方に歩いていった。
向こうは、長い間恋人同士だったから親も知っているが、俺達の場合はそう簡単にいかないだろう。
そう思いながら門扉を開けて、中に入っていった。
車庫に車がある。もう真二さんが来ているだろう。
一歩一歩、ザッザッと地面の小石を踏みしめながら、玄関に向かって、インターホンの釦を押した。
俺の兄、吉田晋は兎に角出来が良い。
東京にある一流私立大学だ。
最④
はやいネタ大学だ。
ネタ(案)が早く出るくらい頭が良いのだ。
中学時代は学校内でトップの成績だったものだから、弟の俺も期待されていたが、過度の期待は俺を苦しめ続けた。
俺は兄とは違って出来損ないなのだ。
成績がトップだったことはないし、まあそれで怒られ続けた。
兄の時と比べて、ゆとり教育の分内容が簡単になっているのにどうして成績トップを取れないんだバカ息子、といつも言われていた。
ゆとり教育で簡単になったと言うが、実際前の教育を受けていない自分にとっては、これが普通の状態で、昔の教育を受けたら難しく感じるだろう。
それに、内容が薄くなっているせいで、少しのケアレスミスで順位が下がるくらい差が小さくなっているのだ。
数学のテストは一〇〇点もしくは九八点を取らないとトップになれないのだ。
兄の時代は、勉強した分点数が取れて、少しのケアレスミスでも、五点差くらいで余裕でトップを取れただろう。だが、今のゆとり教育では、成績上位者の争いは熾烈で、ゆとりなんてなかった。
いくら勉強しても、少しのミスでトップになれないから、怒られる。そして、勉強させられる。しかし、トップになれない。だから怒られる……という悪循環だった。
最⑤
そんなことが中学卒業まで一年半続き、しまいにはやる気をなくした。
高校に進学すると、気持ちを一新して、勉強を始めたが、兄がハヤイネタ大学に通り、俺にもそういう大学に通るように親は勉強をさせる。
そして、高校三年生になると、全く勉強したくなくなった。本当にやる気がなくなったのである。模試の結果が帰ってくる度に怒られ続けたからだ。勉強をしても、怒られるなら、やっても無駄だ、そう思って、予習復習をしなくなった。数学ⅢCでついて行けない単元が出てきた。
因みに、兄は文系に進み、俺は理系に進んだ。兄と違う道に進めば、怒られることはなくなるだろうと思ったが、理系だと、父が九州の旧帝国大学出身だったから、俺にもK大を受けさせた。
一応、数学ⅢCと物理の波以外は、平均より少し高い成績だったから、辛うじて、K大学はE判定はなかった。因みに、遊びで東京大学を選んでいたが、やはり一度も判定がE以外になることはなかった。最初はD判定を目指していたのだが。
しかし、やる気を失ったとはいえ、2年生までに、数ⅢCの半分、他の教科もほとんど終わっていたから、本州大学農学部後期の入試には問題なかった。俺が得意な数ⅠAⅡBしか出なかったからだ。
最⑥
因みに何故本州大学を受けたのか、それは家に居たくなかったからだ。顔を合わせる度に親に怒られると思ったからだ。
だが、前期入試を終えた時点で俺の親は、俺を出来損ないと認定し、一切期待しなくなった。ある意味悲しいが、嬉しくもあった。もうこの苦しみから解放されるんだ、と思ったからだ。
長々と、俺の過去を話したが、中学時代の失恋は流石に苦しかった。悲しみを通り越していた。
心の支えを失ったという感じだった。
初めての失恋だったからかもしれないが。
そんなことを考えていたら、ドアの向こうからドンドンという音が大きくなってきた。階段を下りる時はいつもそういう音がしていた。
ドアの鍵を開けたのは、出来が良い兄だった。
「今お客さんが来ているんだが」
何か嫌そうな顔をしているな。
久し振りに会う、出来の悪い弟の存在が気に食わないのか? 早貴ちゃんに気づいて、一度嫌な顔を引っ込めた。
「あ、もしかして会わせたい人ってそちらの方?」
「そうだよ」
そして、俺の顔を見て何か言いたそうな顔をした。
危ない人認定しやがったな。
「どうぞ」
と言ったが、やはり何か言いたそうだ。
その顔は止めてくれ。
俺の家は二世帯住宅で、一階は祖母の家で、二階が俺の家族の家である。
階段を上ると、リビングに真二さんがいた。
真二さんから、早貴ちゃんの話は聞いているらしい。
兄はわざと訊いたのだろう。
早貴ちゃんは自己紹介をした。
「可愛い娘さんですね」
俺の母、真美はお客さんとして早貴ちゃんを見ている。
どうやら、婚約者という話はしていないようだ。
「それにしても、偶然ですね。家の息子が家庭教師だったなんて」
父、吉田真は、仕事仲間の真二さんに言う。
「お前が家庭教師?」
兄は俺を馬鹿にしたいようだ。お前よりは馬鹿だが、教えるのと頭が良いのとは違うんだよ。
「家の息子は役に立っていますか? 何か迷惑とかかけていませんか?」
よくある会話だが、俺にとっては何となく、本当に心配してそうだ。出来が悪い弟だから。
「いえ、息子さんは本当に役に立っていますよ。いつも早貴の話し相手になってもらって、助かっています」
両親と兄は信じられないようだ。
「まさか幸一が人様の役に立つとは。驚いたな」
何が、まさか、だ。
「いや、幸一はあまり出来が良くない息子でしたが、そうですか、大学生になって一人暮らしをしている内に、立派になったものだ」
……褒めてる?
信じられないな。かれこれ七年くらい褒められてないからな。
「家事は娘さんが全部しているんですか?」
「はい。お恥ずかしいですが、ずっと妻に頼ってきましたから、私は料理が全然できずに、妻が亡くなったあとは、ずっと早貴が家事をしています」
「学業もあるのに、主婦もしているのね。よくできた娘さんですね」
なんだか良い雰囲気だな。
家族団欒という物か? ああ、未来のだが。
「時々、幸一さんに手伝ってもらっています」
「家庭教師兼お手伝いだからな。月謝は食費などで、格安だ」
「本当に欲がないね。昔から……」
昔からか……そうでもないんだがな。一応欲はあったつもりだが、○○欲しいと言っても買ってくれなかったし、○○したいと言ってもさせてもらえなかったからな。我慢することを覚えたから、表に出さなかっただけだ。
「それで、やっていけるの?」
「食費が減るだけでも結構楽になるよ」
家賃のことは今は話さない方が良いだろう。
「それに、家賃もかかりませんし」
あ……なぜそこで言うのかな、早貴ちゃん。
「家賃って?」
うわ、何て言えばいいのかな? あ、正直に話そう。俺は嘘が苦手だったからな。正直に話せば、信じてくれないかもしれないから、そうだ、そうしよう。
「実は、幸一さんは私の家に住んでいるんです」
俺が言おうとしたのに……
「住み込みで家庭教師兼家事兼話し相手をしているんだ」
何て言われるかな?
「そう……」
それだけ? 何この沈黙。
そわそわするような静寂。表通りに面しているから、いつも車の音が絶えないのに、なぜか今は、車が一台も通っていないし、烏や猫の鳴き声もしない。
「仲が良いのね」
……何か言いたそうだな。
「はい。幸一さんには、いつも助けられてばかりで、いつか恩返しがしたいです」
俺は別に恩を着せたつもりはない。ただ助けたいから助けただけだ。
早貴ちゃんは満円の笑みを浮かべている。男だったら魅了されるに違いない、年上好きの人以外は、な。因みに、兄は年上好きのようだ。子供が嫌い、年下のやつが嫌い。だから俺に色々文句を言ってくるのか。それとも俺が出来そこないだから、弟が嫌で、年下が嫌いなのか?
いつか、こんなことを兄に言われた。
「何でこんなものを欲しがるんだ。お前ガキだな」
それは俺が小学四年生、兄が中学三年、つまり受験生だった。
当時、この年頃の子どもは、テレビゲーム世代と呼ばれるほど、テレビゲームばかりしていた。赤い帽子の鬚オヤジを操作して、亀の化け物を倒すゲームとか、爆弾を仕掛けて、 すぐに横の道に避難して敵を倒していくゲームとか……まあ、そんなものだ。
五歳離れている兄は一世代異なる人のように思えた。
確かに、たった五歳でそれは言いすぎかもしれないが、俺だけが生まれた時代が違う。つまり、両親と兄は昭和の生まれで、俺は平成の生まれだ。
このことは、心の奥底では、兄だけでなく、両親も思っていたのだろう。
自分たちとは考え方が違う、価値観も違う人なのだと。
個人差だけでは説明がつかない時代の流れの中、俺だけが会話に入れなかった。
関係ないが、昭和六三年度生まれの方は、誕生日で、同級生の中で、生まれた年が違う人がいたんだな。昭和六四年生まれの人は一クラスに何人いたのだろうか。
「恩返しするようなことを、幸一にしてもらったんだ」
何か言いたいならはっきり言ってくれ。
「はい。幸一さんは命の恩人なんです」
早貴ちゃんは、事件の話をした。
俺から貰ったお守りのおかげでナイフが心臓に届かずに即死を免れ、病院で命懸けで輸血して貰って、一命を取り留めたこと、そしてその後、自分に生きる大切さを教わって、 自殺を止めてもらったこと。
「その時、頬を本気で叩かれました」
背中の傷と、産婦人科の話。初恋を応援してもらっていたことと、失恋の話。
そして……
「私は幸一さんにデートをしてもらって、その後、私は、幸一さんに告白しました」
ついに来たか。
「背中の傷のこともありますし、断られると思っていたのですが、指輪を貰って付き合ってもらいました」
恋人同士……あの時のことを思い出す。公園の階段の途中で初キスをしたことを。
「指輪って?」
「告白指輪って言って、地元では有名な告白の時に渡す指輪なんだ」
告白指輪の説明をした。
「こんな傷だらけの私を愛してもらいました。その後……」
「早貴ちゃんの良さは、よく知っているつもりだから、俺は彼女に婚約指輪を渡したんだ」
ついに婚約者。
「お母さん、幸一さんとの結婚を許してください」
「俺からも頼む」
俺からの頼みなんて久しぶりだろう。
「私からも、良いですか。娘の幸せを願うのは、親として当然ですから」
真二さん、ありがとうございます。
しばしの沈黙の後、俺の父が口を開いた。
「早貴さん、真二さん。幸一をよろしくお願いします。幸一のことだから、過ちは犯さないでしょうが、真二さんと一緒に暮らしていくなら、結婚を許可します」
結婚を許可。やった。
「ありがとうございます。お義父さんお義母さん、お義兄さん」
ああ、こいつ義兄になるんだよな、結婚したら。
十歳離れた、義理の妹だよ、兄さん。ああ、一一歳か一〇歳だな。兄の誕生日は一〇月一〇日だからな。
いきなり義理の妹が出来るなんて思わなかっただろう。
そう思っていたが、その後、事実を告げられる。実は遠い親戚だった……のではなく、俺は養子だった……でもない。
「実は、以前出張した時の話だが」そう言って俺の父は話し始めた。
「真二さんに、冗談のつもりだったんだが、『そんなにしっかりした娘さんなら、息子を安心して任せられるだろう。喜んで幸一を渡しますよ』と言ったんだ」
「で、今日ここに来てすぐに、『この後、早貴と息子さんがデートして、結婚の許可をお願いしに来ます』と言ったんだよ」
ということは、最初から半分以上決まっていたのか?
ふと俺は兄の方を見た。
口を押さえて笑ってやがる。お前、楽しんでやがったな。
「しかし、実際会ってみると、外見的に若いお嬢さんだから、少し心配しました」
何の心配だ。そんな顔をしていると、兄がわざわざ説明してくれた。
「お前がロリコンかと心配したんだ」
そういうセリフは慎んでくれ。
「ロリコンって何ですか?」
ほら、早貴ちゃんが訊いて……ロリコンという言葉を知らないのか?
「家庭教師だろう、教えてやれよ」
やっぱりお前は俺で楽しんでやがるな。
俺はきちんとロリコンのことを説明した。そして、五つの年の差婚は昔からよくあることだ、と話して誤解のないようにした。ロリコンの定義は俺も知らない。
「で、式はいつにするつもりなんだ?」
父と面と向かって話すのは久しぶりだ。
「婚姻届を出すのは、一一月一五日以降ですね。早貴ちゃんが一六歳にならないと、結婚できないから」
「すみません」
いや、そこは謝るところじゃないから。
「それと、式は費用の関係で挙げないことにする。写真撮影で済ませるつもりだ。早貴ちゃんも納得している」
早貴ちゃんは頷く。二人で話し合って決めたことだから、ということで誰も反対しなかった。
俺達はその後、母が作った料理を堪能して、風呂に入ったあと、部屋で寝た。
俺は自室。兄は隣の部屋。早貴ちゃんと真二さんは一階の客間で寝た。
自分の部屋に入るのは久しぶりだった。
今思うと、本当に道のりが長かった。
しかし、あっという間に過ぎて行った。
部屋の中には、漫画、小説用の本棚と勉強机がある。何も手を付けていないようだ。
その中でも一際目に止まったのが、恋愛ものの漫画だ。
その最終巻の最終話。
俺はそれを見て、ふと思い出す。確か、町役場にこれに似ていた掲示物を見た気がする。
今度確かめようと思った。もしかしたら、タダ同然で結婚式を挙げられるかもしれない。
それからというもの、あっという間に二週間が過ぎた。
兄は俺が来た翌々日に勤務地の北海道に戻った。
早貴ちゃんの本領発揮。
料理を食べた全員が絶賛した。
家事もこなす年下の少女に驚いただろう。
また、母から俺の好みの味付けと、家庭料理を教えてもらっていた。
早貴ちゃんは料理好きだからすぐにマスターするだろう。
そうして、ついに真二さんの出張が終わり、一緒に中森家に帰ることになった。
「それでは、お正月に」
そうそう、お正月だ。
早貴ちゃんのおせち料理も楽しみだな。
「色々とありがとうございました」
こんな時、俺は何て言えばいいのだろうか。少し考えて俺は、「行って来ます」と言った。
中森家に着くまでの間、相変らず早貴ちゃんは良く眠っていた。
帰りの新幹線の中でも、早貴ちゃんは俺にもたれ掛かってくる。そして膝枕をしてあげた。
新幹線で博多から名古屋へ行き、それから在来線で帰る。
日本アルプスを敢えて迂回することにした。
「二〇年後にはリニアが通っているんだよな」
予定ですがそうですね。
そうなると、名古屋から、新飯田(仮)までリニアで行って、それから飯田線で北上する方が良いのか、それとも今まで通り、中津川まで在来線で行って、高速バスで飯田まで行って、飯田線で北上すべきか、今回のようにすべきか……
運賃のことを考えると、リニアは使わない方が良いだろう。
また、福岡空港から、信州まつもと空港まで飛行機で行くことも可能だ。
中森家に着いてから、数日が経過し、ついに夏休み最後の日。宿題終わってない組のみんなが忙しい中、キチンと終わらせている早貴ちゃんは、家でいつも通り、家事をしていた。
数日の間に、早貴ちゃんの水着姿を――もちろん背中の傷が見えないかどうか――見て、水着と制服(冬服)を買いに行った。
こう言っては何だが、早貴ちゃんは制服が良く似合っていた。告白する男子がいてもおかしくないと思うのだが、
「もう、幸一さんと婚約していますから、キチンとお断りしますよ」
と言ったので、婚約していることを言わないようにと、もう一度言っておいた。
俺の両親にも言われたことだが、真二さんから、
「早貴が高校卒業するまで、エッチなことは禁止するよ」
と俺だけに言った。早貴ちゃんから頼まれることは……ないだろう。多分、事件を思い出すだろうから。真二さんも、そのことを配慮していたのだろう。
毎日早貴ちゃんの料理が食べられるというのは、本当に幸せだ。
どこにでもある幸せだが、こういう何でもない日常が、一番の幸福なのだろう。
俺にとっては、宝くじで四億円当たることよりも、幸せなものだ。
「何か買ってほしいものはない?」
そう言っても、早貴ちゃんは大体、「いえ、今は良いです」と言う。たまに買ってほしいと強請られるが、そういうときは大体、必要な物だった。
制服然り、水着然り(学校指定の背中の傷が見えないやつ)、その他鍋など……早貴ちゃんは欲という物はないのか。いや、恐らく料理を作って俺と真二さんの役に立てることが嬉しいのではないのか? 時々そう思える節がある。
だから、社会人になってからは、たまには早貴ちゃんの手伝いをしようと思う。
就活で忙しくなったら、あまり手伝えないと思うが。
そして、二学期が始まり、いきなり実力考査が始まった。
早貴ちゃんはきちんと勉強していたので、いつも通り高得点だったが、東圭一君は、なんとか平均点が取れたようだ。
実は、時々中森家に、三谷さん、木田さんと一緒に勉強しに来るのである。
家庭教師というより、塾のようになっているのだがまあいい。もちろん月謝なんて取らない。親御さんからもきちんと許可を頂いている。月謝を心配していた親御さんにはきちんと無料だと伝えて安心してもらった。もともと中森早貴さんの家庭教師で、そこでも月謝を貰っていないことを話して安心してもらったのである。月謝のかわりなのか、時々お菓子や料理の 御裾分けをしてもらっている。
気にしないで良いと思う。時間は九時頃までとなっている。
夕食は早貴ちゃん、三谷さんや俺で作る。俺は補助だけだが。
花嫁修業にも丁度良いと思ったのだろう。うまく有効活用してもらっている。早貴ちゃんには、ちゃんと友達がいるんだ。こんなに良い友達が。一生付き合っていく友達だ。
俺にはそういう友達はいただろうか? おそらくいるに違いないが、何分故郷を離れているので、幼馴染という人にはあまり会っていない。真田と甲本さんくらいか。
サークル仲間はどうだろう。末本は南信地方の出身だ。甲田は茅野市の出身、合田は広島県の出身だ。
そう言えば、あと一人、岐阜県出身のやつがいたな。幽霊部員みたいなやつだ。
名前忘れた。ああ、山田だったか?
サークルで思い出したが、キチンと作品を書いている。来年十一月の大学祭で完結するように書いている。今年は、サークルでの出来事をネタに書いた作品「本州大学本庄キャンパス文芸部の日常」を提示する。そして来年には……
「幸一さん、夕食が出来ましたよ」
そう、これがいつもの日常。こういう日常が大切だ、というテーマの作品にする予定だ。題名はまだ決めていない。完成してから着けることにしている。
今日の料理はなぜかごちそうだ。さて、何故だろうか。
「今日は両親の結婚記念日です」
真二さんと美貴さんの結婚記念日か。初耳だ。絶対初耳だ。因みに今日は九月の第一日曜日。
「そうなんだ」
「お父さんは話さなかったんですか? おかしいな。こういう話はすぐにするんだけど」
確かにそういう人だ。自己紹介の時、真二さんは風邪をひいていたから、多分忘れたんだろう。本調子じゃなかったからな。何せ、大事な一人娘を迎えに来られないくらいだったからな。そのおかげで、今があるのだが。
「そう言えばそうだったな」
本人も話していないことを忘れていたのか。
「チョコレートのホールケーキを持ってきてくれたから、てっきり知っているのかと思ったよ」
以前と同じく、サークル仲間で勝負して勝った賞品だった。末本も懲りないやつだ。そこがいいのだが。因みに、前のイチゴのホールケーキは、俺と早貴ちゃんが婚約を結んだ次の日に食べた。
「いえ、偶然です」
「そうか。因みに来週の土曜日は美貴の誕生日だ」
そうですか。
「毎年、祝っているんだよ。そして、美貴の命日でもあるんだ」
誕生日が命日、まるで坂本竜馬みたいだ。まあ、その日は一一月一五日で、早貴ちゃんの誕生日なんだが。
「そういうことで、キチンとお供えしているんですよ」
ケーキを慰影の前に。
「で、翌日俺が食べる」
やはりそうですか。
「もう、お父さんったら」
ははは……
ついにこの時が来た、俺の夏休みが終わる時が。
きちんと履修登録を済ませて改めて、時間割を見てみると、一限目の講義が一つもない。
正確にはあるんだが、卒業の単位は十分だから、とらなくても良いのである。
「ほう、キチンと単位を取っているんだな」
真二さんは俺の成績を見ていた。
「GDPは3いっているのか」
GDPとは、不可・放棄を0、可を1、良を2、優を3、秀を4として計算して、その合計を、科目数で割ったものであり、就活の時に役立つものだ。と言っても、大体どっちにしようか迷った時に使われることが多い。
大体企業は、不可のチェックと単位数そしてGDPの確認をしている。卒業が危うい人に内々定を与えても、卒業出来ないと意味がないからだ。
「これなら、俺が働いている会社を受けても大丈夫だと思うよ」
そう言って貰えたので、良かった。
「早貴の成績も良いね。やっぱり教える人が優秀だからかな」
「教える人の頭の良さと、実際に教えることは違いますよ。それに、相性が一番重要です」
「相性ね、愛情ってか?」
後ろで早貴ちゃんが聞いている。
食後のデザートの寒天の準備をしているのだ。
寒天と言えば、伊那市に何かあったような気がする。忘れた。
「早貴ちゃんは頭が良いですよ」
俺は自分を信じられない。つまり自信がない。ずっと出来そこないとおもって生きていたからだ。兄の劣化品だと。
「はい。できました」
缶詰の餡子に牛乳寒天、果物を切ったものを盛り合わせている。
N県は果物でも有名だ。Y県もだが。
「美味い」
早貴ちゃんが作る物は大体美味い。一部例外として、菜の花は苦い。
「幸一君は幸せ者だな」
「お父さんもでしょう」
ははは……
早貴ちゃんといるだけで幸せだ。近くにいるだけで、みんなが幸せになれる。そういった不思議な力を早貴ちゃんは持っている。
料理は心を伝える。そう俺は実感した。
とうとうこの日がやってきた、早貴ちゃん一五歳最後の土曜日、俺達はデートをした。
宮原町の中で、川沿いの公園や、宮原高校の方、そして事件があった現場の売り家は未だに警察によって立ち入りが禁止されたままだ。どうもこの空家を残すようだ。二度とこのような事件がないように。終止符を打った場所として。
高校の方まで行くと、巡回中のパトカーが俺達の近くで止まった。
「よう、デート中か? ラブラブだな」
運転席から、田中刑事が窓を開けて見上げている。
田中刑事にも、婚約したことを伝えている。
「そうだ、これやるよ」
田中刑事はチラシをくれた。
そのチラシにはこう書かれていた。
「花嫁花婿のモデル募集。結婚式用パンフレットの写真を募集します。詳しくは、宮原町の○○教会まで。式の体験も出来ます。一六歳以上の男女のカップルで、応募してください」
少子高齢化の対策の一つか? よく見ると、宮原町役場とか書いているような気がするが。
なるほど。これだったら良いかもしれない。町役場で婚姻の手続きをして、そのまま式の体験をする。そして写真を撮る。
「これ、俺の家の郵便受けに入っていたんだ。宿舎じゃなくて、アパートで暮らしていたんだよ。で、郵便受けにこんなやつが、ね。俺にはその……相手がいないからな」
因みに、紅葉荘の近くの銀杏アパートに住んでいるらしい。
「ありがとうございます」
願ってもないことだった。無料で式が挙げられるのだから。
「ついでに、俺も呼んでくれよ。事件の後始末の一部だからな」
その後、田中刑事はパトロールを続けた。七宮ロード、つまり事件現場の方へと行く。
来年には田中刑事は東京の警察庁に戻る。
最後の仕事として、早貴ちゃんが幸せに暮らせるようにしてくれたのだろう。
俺達は、飯原ロードで紅葉荘の方へと行った。
まるで、人生の分かれ道のような場所であるかのように。
三つの道は続いて行く。
この飯原ロードはあまり通ったことがない。
この道を行くと、中森家からは遠いからである。
この先には、特に何もなく、ただコンビニレッドがあるだけだ。
その前を真っ直ぐ東へ通り過ぎて、少し歩くと紅葉荘が見えてきた。
とくに何気ない風景だが、早貴ちゃんと歩くと、そうでもないように感じる。
全てが桃色に染まっているような、何と言うか、要は幸せなのだ。
紅葉荘を通り越して、坂を下ったところにある交差点。コンビニブルーが見えるこの交差点に来た。
「ここから始まったんですね」
「そうだね」
あの夜のことは今でもはっきりと覚えている。
そう、ここで早貴ちゃんと会って、その後、紅葉荘に泊めてあげて……
あの夜から、もう半年経っている。早いものだ。
「これからどうする?」
「そうですね。ここが、昔県庁所在地だったことは知っていますか?」
明治初期数年間? いや数カ月間だったか?
陣屋ってやつだな。インターネットで見たことあるが、実際に行ったことはなかった。灯台は下の方は照らさないということだ。灯台に以前住んでいたのではなく。
「一応知っているよ」
俺達は交差点で右に曲がり、国道沿いに進んだ。前にも通った道だ。
この前は米を買って帰ったな。
今日はどうするんだろうか。
因みに、飯原駅の近くには、そば屋がある。さくら丼――牛丼の馬肉版――というこの町の名物料理を出している店のひとつでもある。
俺達は以前通った右の道ではなく、三洲街道という左の大通りを通ることにした。
鉄道を越えて、大学の方に歩く。
そして、末本の家の前を通って、商店街のケーキ屋に着いた。
「ここですよね。幸一さんがいつも買っているケーキ屋さんは」
俺が買っているんじゃなくて、末本が買っているんだが。
「そう、ここのケーキをいつも食べているんだよ」
嘘はついていないよ。
「明日は私の誕生日です。選んでも良いですか?」
もちろんそのつもりだ。
今日買わなければ、明日俺が買いに行くつもりだった。誕生日おめでとうと書いてあるような大層なものでなくていいとは聞いているが。
「これがいいです」
フルーツがたくさん乗っているケーキだ。
白いホイップクリームの上に、フルーツが乗っていて、中にもフルーツが入っているようだ。価格は二五〇〇円。なかなかの値段だ。
しかし、早貴ちゃんの誕生日だ。ただのデザートとはわけが違うのだ。
早貴ちゃんの希望通り、二五〇〇円のフルーツケーキを買って、俺達は中森家に向かった。
商店街の裏の道を上ると、本庄駅がある。
そのまままっすぐ行くと、東圭一君の家、そして七宮中学校があった。
そして、表通りに出て左に曲がると、おなじみMコープがあり、やはり中に入って買い物をした。
当然のごとく、お米袋を一つ買って、味噌、野菜などを買って、中森家に戻った。
三時間くらいのデートから帰ると、真二さんはリビングで寝ていた。
起こさないようにして、早貴ちゃんは料理を作り始めた。
少し速いが、今日誕生日会をする。
圭一君達も来るようだ。
賑やかになりそうだと思ったその時、インターホンがなり、肉まん娘が出た。
「木田由里だよ~開けて~」
相手を確認してから話すように。
俺は、玄関に言った、ドアを開けた。
「あれ? まだ誰も来ていないのか? 一番乗りか?」
相変らず元気なやつだ。
いつものように、小さな袋を持ち歩いている。中身は中華まんだ。
「チッチッチ、今日はいつもと違うんだな。見よ、期間限定米粉を使った米粉肉まんだ」
結局中華まんだ。というか、さっきMコープにいたような気がする。
「そうだよ。Mコープで買ったんだよ。ひとつ分けてあげるよ」
そうか。悪いな。
「いつかのお礼だよ」
はてな、いつかのお礼? 塾のことか? まあいいか。
「お、おじさんが寝ている」
寝ているんだから、静かにしてやってくれよ。
「ああ、いらっしゃい」
「おじさん。これで勝負だよ」
リビングに置いてあったチェスセットを持ってきた。
「ああ、良いよ」
そういえば時々この二人は遊んでいたな。
土日の塾の時とかに。
それにしても、チェス出来るんだな。
「将棋に比べると簡単だよ」
ある意味そうかもな。取った駒が使えないから、ナイトの使い方次第で、すぐに戦闘不能に陥るからな。
俺は二人の戦いを邪魔しないように、早貴ちゃんの手伝いをした。
「あ、ありがとうございます」
俺はいつものように野菜を切る。今日の夕食はスパゲティだ。ボロネーゼ、アラビアータ、そしてシチューとグラタンがある。総勢六人前のはずだったが、真二さんの計らいで、俺は文芸部の友達を(幽霊部員の彼は連絡が付かずに来なかった)、早貴ちゃんは田中刑事を誘った。
折りたたみ式のテーブルをいくつか用意して、丁度一一人分。
準備出来た。
文芸部用の折りたたみテーブルその一。
塾組用の折りたたみテーブルその二。
いつものテーブルには、料理が置かれていた。
末本はきちんとケーキを持ってきた。さすがケーキ君。
両方のケーキを一二分割して、一つを美貴さんの所に持って行き、翌日早貴ちゃんが食べるのである。
リビングは十分広く、もともとはこういう風に使うために広くしていたらしい。
美貴さんの要望だったそうだ。友達を呼んでパーティを開いて、料理を食べてもらう。
それが楽しみだったそうだ。早貴ちゃんは五歳の頃を思い出した。確かに、両親の友達、近所の人を呼んで、何かしていたことを。
俺は思う。この一家が開放的な原因はこういうところにあったのだと。
本当に楽しい一家だ。
そして、ついに、とうとう迎えたこの日、誕生日を過ぎて一六歳になった一〇日後、つまり一一月二五日。宮原町役場にて、真二さんには証人として一緒に来ていただいて、婚姻届を書いて、夫婦の欄を間違えないように書いた。
名字を中森に統一した。この瞬間俺は、中森幸一となった。
そして、チラシに書いてあった花嫁花婿募集、結婚式パンフレット用写真の応募をした。
一一月二六日土曜日、宮原教会にて、タキシードを着た俺と、背中の傷が見えないタイプのウエディングドレスを着た早貴ちゃんの後ろには、大勢のエキストラもとい近所の方々、そして前には神父さんがいた。
「……健やかなる時も、病める時も、その身を共にすることを誓いますか?」
「「はい、誓います」」
鐘が鳴り響く音しか聞こえない。
「では指輪を交換なさい。そして、誓いのキスを……」
俺は、たった今、大勢の方々の前で、堂々と合法的に早貴ちゃんとキスをする。
早貴ちゃんと手を握り、俺は少し屈んで、早貴ちゃんが目を閉じて、身を任せたことを確認して、俺は少しずつ、顔を近づけて、キスをした。
その時、堰き止めていた何かを一気に放出するかのごとく、怒涛のごとく歓声があがった。
何となく恥ずかしい。
それは早貴ちゃんも同じだった。
そして、教会の入り口までゆっくり歩き、花束を、ブーケを早貴ちゃんは出来るだけ高く投げた。
そして、そのブーケは、東圭一が手にした。
というより、三谷さんも一緒に掴んだようだ。
この時判定はどうなるのだろうか。まあ、どっちにしろ、効果は変わらないだろう。恋人同士の二人には。
このまま、ハネムーンに行きたいところだが、明日は学校に行かないといけない。
俺達は、写真撮影を終えて、着替えて、中森家へと向かった。
田中刑事のお別れ会も兼ねて、またパーティをすることになった。
ED3
田中刑事が本庁に向けて旅立った。
それから一年後、俺は、真二さんが勤めている信州環境保全会社の内々定をもらい、早貴ちゃんは将来の夢に向けて動き出した。成績上位なのにもったいないとみんなは言うが、俺ももちろん思ったが、早貴ちゃんの意思を尊重して、高校卒業後、飯倉市にある調理士免許を取れる専門学校に行くことにした。そして、信州環境保全会社の社員食堂で働くことにした。三人一緒に出勤することが楽しみだ。
そして、大学祭に出した、恋愛物語を、加筆修正して、インターネットの小説投稿サイトに投稿した。
その物語のタイトルは『最愛物語』。
~あなたにとって、最愛とはなんですか?~
あとがき
初めましての方が多いと思います。
吉田幸一です。
さて、この小説の中身ですが、真田幸一の『薄命物語』の外伝として設定された物語で、主人公は真田幸一君の親友、吉田幸一君です。
テーマは最愛、事件、一生残る大きな傷、そして前世からの縁です。
薄命物語のネタばれになるかも知れませんが、仮に、例の連続殺人事件が終結しなかったら、薄命物語の最初の歴史軸となります。
薄命物語の最終章の歴史軸は、最愛物語と同じ歴史軸です。
歴史軸というのは、歴史が木のように枝分かれをしていると言う考え方で、枝の一つ一つのことです。
ところで、気になった方もいらっしゃるとは思いますが、なぜ作者名と主人公の名前が同じなのか。それは、どっちがどの話しだったかを分かりやすくするためです。え?どっちも幸一だから分かりづらい?仕方ないです。分かりづらくしないと、以下略
というわけです。
この小説を読んでいただいた読者の皆さま、ありがとうございました。
いつの日かまた会えることを期待しつつ、お別れします。
吉田幸一 最愛物語
次回作予告
全てはここから始まった。
薄命の呪いを解く儀式、最愛の赤い糸の儀式、そして、記憶を残す転生の儀式、これらは古来より、巫女の力によって行われてきた。しかし、ある巫女が儀式の簡略化をして、より親しみやすくした。
真田幸一、吉田幸一が紡ぐ、完結編『転生物語』 制作決定。
※完成はいつになるのか分かりません。気長にお待ちください。
注: 薄命物語も完結していません。がんばれ真田幸一(自分)
追加、現状報告
最愛物語 特別編も作成中。
最愛物語 アフターストーリーも作成中。




