わーかほりっく
若堀くんは働き者です。
朝から晩までよく働きます。
ある時、その働きぶりが認められ、某社から引き抜きの声がかかりました。
若堀くんは、色々迷いましたが転職を決意しました。そして、心機一転、新しい職場の近くにマンションを借り、新生活をスタートさせることにしました。これが四月のことです。
ちなみにそのマンションは、駅に近くて、日当たりも良好、築間もないというのに家賃がウソのように安い優良物件。
「これは、いい部屋を借りることができた。」
若堀くんの新生活は、上々のスタートを切ることが出来たようです。
さて、若堀くん、新しい会社に入り、給与はいままでよりも段違いにアップしましたが、その分責任も重く、仕事もハード。
寝る暇もないような忙しさです。
土曜日や日曜日はもちろん、祝日もGWもありません。
会社で寝泊りするのなんて珍しくないし、最終電車は当たり前。何しろ、散髪に行くことすら出来ません。
そうして四月から始まった働きづめの毎日も、気がつけば八月。
ある日、いつものように深夜に帰宅した若堀くんは、家の中が随分と散らかっているのに気がつきました。
若堀くんは、大変疲れていたので、きっと強風でもあったのだろうと大して気にせず、そのまま寝ました。
何だか寝ている間にも、食器や家具が動いている気がしましたが、変な夢を見るものだと若堀くんはこれまた大して気にしていません。
翌日、寝ていると今度は耳元で女性のすすり泣く声が聞こえます。
何だろうと思いましたが、すぐに電話が鳴ったので、そちらを取ると真夜中にも関わらず、会社からの電話でした。何かトラブルが発生したようです。
慌てて着替えるものの、耳元では相変わらず女の人のすすり泣く声が聞こえます。多分、隣の部屋の学生が痴話げんかでもしているのだろうなと大して気に留めず、そそくさと出かけてしまいました。
ただ、女性を泣かせるなんて悪いヤツだな~とは思った若堀くんではありました。
さらに翌日--
お風呂に入ろうとした若堀くんは、浴槽にびっしりと女の人のものと思われる長い髪の毛が浮いているのを見つけました。
一瞬、ぎょっとなった若堀くんですが、すぐに冷静になりました。
なぜなら、若堀くんは散髪に行く暇もないくらい忙しいので、髪が女の人みたいに長く伸びていたのでした。
落ち着きを取り戻すと、若堀くんは一旦お風呂場を簡単に掃除をして後、念入りに体を洗ったそうです。
また翌日のこと--
寝ていると何だか息苦しくなり、起き上がろうとしましたが、体が全く動きません。目を開けることも出来ない有様です。何だか人が上にのっているような、そんな重苦しさと息苦しさです。
「これはきっと疲れているんだ。何とかしなければ、仕事に差支えが……」
さすがの若堀くんにも危機感が芽生えたようです。
次の日、若堀くんは、何とか時間をやりくりし、整体マッサージを受け、ついでに長いこと切っていなかった髪の毛も、散髪屋さんに行って綺麗にカットしてもらいました。
おかげで心も体もリフレッシュ。
再び、意欲的に仕事に取り組む若堀くん。
そして……。
翌朝--
目が覚めると、どうしたことか、テーブルの上に手紙が置いてあります。
何だか、ぐにゃぐにゃした字で、ところどころどす黒くにじんでいます。それに、その手紙は、何だか墨とかインクとかで書かれたものではありませんでした。
「血がにじむとこんな感じの色になるな」
若堀くんは一瞬そんなことを考えましたが、すぐにそんなことはないだろうと思い直しました。
でも、この字は若堀くんの筆跡とは違います。勿論、若堀くんもこんな手紙を書いた覚えなどありません。
誰の仕業かは分かりませんが、凝ったいたずらをする人もいるものだと若堀くんは妙なところで感心しています。
ちなみに、その手紙にはこう書かれていました。
『あなたにお会いして、すっかり自信を失くしました。これを機会に足を洗い、この世から失礼することと致します。長い間、おさがわせして申し訳ありませんでした』
若堀くんには、何のことだかさっぱり分かりませんでしたが、それでも何だか悪いことをしたような気になったそうです。それが「誰」に対してなのかは、彼にも分りません。
八月十六日の暑い日の出来事だったとか。