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人間恐怖症

人間恐怖症

制作・脚本:松岡楓馬


第一章「亀の甲羅」

太陽が昇り、カーテンの隙間から太陽の光が部屋に入る。その光のせいで目が覚めてしまった。 毎日、朝は退屈だ。学校が嫌いな僕は中学生の受験生。 学校が嫌いな理由は、勉強とか酷いトラブルとかにあるんじゃなくて、人間が怖いから。

僕は昔からコミュ障で、ろくに会話もできないことで有名だ。自称・心理学的調べだけど。 分かっているだろうけど、学校というのは人間の集まり場であって、人間がうじゃうじゃいる。僕にとっては最悪だ……。 そうは言っても、勉強もろくにできない人間にはなりたくないと、それだけには謎の既視感がある。

仕方なく毎日学校へ行く。でも、今日は珍しく休んだ。 理由は虚しくも体調不良。超辛い。 まぁ人間の体の性質上、体調が悪くなるのも仕方ないので、僕はベッドに横たわり、カーテンのわずかな隙間から来る太陽の光に悶絶しながら寝ていた。

次に目が覚めた時間は十二時を過ぎていた。 お母さんからは「ご飯あるから温めて食べてね」と言われていたが、それも食べる自信がなく、また寝ようとしたのも束の間。 家のインターホンが鳴り響く。

こんな時に誰だ? と現れる怒りを純粋に心の奥にしまい、インターホンの映像を見た。そこにいたのは警察だった。 慌てるのも当たり前。僕は心臓の鼓動で耳に蓋をして、玄関の扉をゆっくりと開ける。

目を開けると警察官が一人。横にはスーツ姿の人がいた。多分弁護士だ。 警察官は挨拶した後に母の名前を告げ、こう言った。 「息子さんで間違い無いですね」 僕は頷く。 「どうしたんですか?」と聞きたいが言葉が喉に詰まり、少しの間、無言の時間が続いていると警察官が語る。

「実は、あなたのお母さんが事故をしてしまい、相手は意識不明。お母さんは警察署です」 僕は喉に詰まった言葉ごと唾を飲み込んだ。察した僕に、後付けの調味料でもかける様に話す。 「……重度な犯罪です」

僕はしばらく学校を休んだ。悲しいとか憎しみの気持ちはなく、ただ悔しい。 母はいつも僕のために何かしてくれていた。喋れない僕の代わりに話してくれたり、困った時にはいつも相談に乗ってくれた。そんな母が目標だった。

でも、ここ最近は母に当たり過ぎた。学校でのストレスがよく溜まって、それを全部母にぶちまけていた。 後悔はした。でも気持ちだけ。身体が言うことを聞かないのだ。 最期の最期まで僕のために……そう思うと胸が叩きつけられる。

僕はその後、取り調べや色んなことをして、最終的にはおばあちゃんの家に住むことになった。 でも、おばあちゃんは好きじゃない。それはただ話しづらいから。 いつも喋ったり会う母なら話しやすいけど、たまにしか会わない家族たちには話しづらい。特におばあちゃんとは中学生になってから話すことがあまりなかった。

だから食卓も茶の間でも喋らなかった。ただスマホの音と外の風の声だけを聴いていた。 僕は用意された自分専用の仮部屋に引きこもっていた。 そんなある日、おばあちゃんに呼ばれた。

緊張はしてないが、何故だか身体全体が震えている。 天気は曇りで、薄暗い茶の間には座布団が二つ。おばあちゃんはそこに座っていた。 「座って」 おばあちゃんはいつもとは違く、トーンが重かった。僕が座るにつれ、おばあちゃんは喋り出した。 「最近……悩んでてねぇ……」 ゆっくりと優しい喋り方で語り出した。僕は窓に映る景色に目を当てていた。 「それで……おばあちゃん、心配になっちゃって」 その言葉に、僕は窓の景色からおばあちゃんへと目を移した。 「お母さん、好きだったでしょうに。最近、顔が浮いてる気がしてて」

僕は心の奥の何かが動いた。 「おばあちゃん……大丈夫だよ」 えっ……? 今、喋った? 気づけば、僕はおばあちゃんに喋っていたのだ。


第二章「もう一人の僕」

おばあちゃんと話した後に考え続けた。あの時、僕はどうして喋れたんだろう。いつもは喋る時に左胸が苦しくて、言葉が喉に魚の骨の様に突っかかっていたはず。

その瞬間、「おい」と何処かで冷たい声が耳に響く。 「え……誰?」 その声に怯えながら周りを見渡すが誰もいない。 「気づいていない様だな、そこにはいない。だが、ここにいる」 「どういうこと?」 「俺はお前、イマジナリーさ」 「つまりどういうことだよ」 「まったく……理解度が低いなぁ」

僕の中の僕、通称「俺」によると、「喋りたくない」と「喋らないといけない」という強い意志のせいで別人格が誕生したらしい。 「さっきおばあちゃんに喋れたのも俺のおかげ。まぁとりあえず、寝るわ。ほんじゃ」 「ちょ、待て俺!」 自分なのに自分の答えを無視して消えた。 「あれが、僕……? まるで別人だ……」

いつも自分の心の声を聴いて、本当の自分を知った気でいた。でも違った。知った気でいた自分は、本当の自分を知ろうとしてなかった。自分を見失っていたんだ。 夜の風。星の輝き。雨の音。僕は眠れなかった。

「眠れないのか?」 眠れない僕の目の前にいる「俺」が喋り始めた。 「うわああっ!?」 「そんなビビるなって、俺はお前だろ? 害はない」 「は、はぁ……」 俺は僕の部屋の椅子に足を組みながら腰を下ろした。 「寝られねぇのは、外に出ねぇからだ」 「え?」 「当たり前だろ。体内時計が狂って、運動不足になって。特に中学生という時期に……一番大事なことだ」 「そ、その通りです……」

僕は僕の正論に突き刺され、夜の外に出ることにした。 「雨……やんでないけど」 「傘させりゃ大丈夫だろ」 夜の外は、肌寒く、どこか寂しい。でも心が深い海に沈む感覚で心地が良い。人はおらず、自分の嫌なことを忘れるくらいには気持ちが良かった。

「どうだ? 外もいいだろ?」 長い沈黙、雨の音が耳に残った後に答えた。 「……うん」 「で……どうしたい?」 「何が?」 「受験」 考えてる。 「将来の夢、叶えたいんだろ?」

受験って言葉は聞きたくなかった。左胸が苦しくて息が乱れる。 「明日、登校する」 僕は答えた。このままじゃ嫌だから。それと……夢を捨てきれないから。 「……頑張れよ。俺」 俺はそう小声で言いながら消えていった。


第三章「珈琲は大人の味」

朝日が昇る前、カーテンに光は差し込まず、代わりに月明かりが照らす。僕は今日の学校のために早めに起きた。というか寝れなかったからなんだけど。 冷たい制服。ドアノブを掴む。肌寒い外。まだ良い子も悪い子も寝ている時間。野良猫の鳴き声が静かな住宅街を追う。

「ニャー」 その鳴き声に釣られたかのように、野良猫の横には俺がいた。 「おはようって言っても、まだこんばんはの時か?」 僕は俺の横を去り、歩き始めるが俺が後をつける。 「なんだなんだ? 反抗期かぁ?」 「……なんでもいい」

僕はコンビニへ向かい走るけど、俺は後を絶たない。 「待てよー」 「ウザい」 「なんだよー」 「うるさい」 曲がり角を曲がり、俺を巻いたかと思いきや、耳元で呟いた。 「逃げられないよ〜」 「うわっ!?」

俺は擁壁の上に立っていた。 「あんたビビりやな」 「信じられん! 俺の存在が」 「冗談でも?」 「冗談でも」 「そんなわけない」 「そんなわけあるかも。普通に考えて、頭おかしくないとそんな事、起きるはずがない」 「頭おかしいんじゃね?」 「はぁ?」 僕と俺は町の静けさを失くす。 「うるせぇ!」 横の窓が開き、住民が怒鳴った。 「す、すみません!!」

僕はその場から急いで走り、近くのコンビニへ着いた。お目当てのおにぎりを買って、コンビニの前で座り込み食べる。 「……うま」 俺は横に座り、どこか遠くを眺めていた。僕は口が滑り、口が開く。 「どした?」 「外の空気はうめぇし、綺麗だなって思ってさ」 「なにそれ……」 手元のおにぎりを俺に向ける。 「いる?」 「いらない」 「なんで?」 「俺はお前だから。胃袋も体調もお前と同時に動いてる」 「それはそれでなんか……キモいな」

時計の針が六を向く頃、僕は学校へと足を踏み入れた。チャイムの音が鳴り響く。教室の扉の前に着いた。 ゆっくりとドアを開ける。 教室には一人の女の子が座っていた。彼女は「ささき」。僕の幼馴染で、あまり話す機会はなかったが、不登校の時に心配してプリントを届けてくれた優しい子だ。

彼女は僕を見た瞬間に咄嗟に向かってきた。 「久しぶり!」 僕はその場から離れたいのと、ここにいたい気持ちの二つがあり困惑していると、彼女は口を開く。 「お母さんのこと、大丈夫?」 僕は頷く。 「そっか……」 ありそうな感じで言うもんだから、気まずい空気が流れる。

「告れよ」 その声に反応し、僕は喋ってしまう。 「うわっ?!」 彼女はその声にびっくりした目で見つめる。僕は慌てて首を思いっきり振り、トイレへ駆け込んだ。 「おい……! 余計なこと言うな!!!」 「すまんすまん、まさかあそこまでビビり散らかすとは思わんくて〜」

トイレの便座に座り込む僕。 「はぁ……勘弁」 「そんで? 好きなんだろ? ささきが」 僕はトイレを超えて全校に響くぐらいのでかい声で放つ。 「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ!?!」 「そ、そんなわけ、な、な、な、な……」 「ほら詰まってる」 「違う! あれは!」 「ははっ」 「ただ……あの子に無理させたくないんだ……」

僕は猫背になりトイレから出た。 教室の扉を開けると、さっきまで空のコップだったのに、一杯注がれたかのように人がいた。全員僕の方を見つめては喋り出す。その中でささきはこっちを見ていた。 「おはようございます」 教室の隅で座っていると先生が入ってくる。次々と出席をとり、僕の番になると僕を見つめる先生。 先生は僕を呼ぶが、当たり前だ、僕は返事をできない。全員がこっちを見つめだす。今にも吐き気がする。

僕の瞳が迷路の様に廻り出した瞬間。 「はい!!」 ……え? しゃ、喋った……? 周りのみんなもきょとんとした顔で見ていた。 「あ……いや……あの……その……」 僕は返そうとしたが喉に引っかかり、小声になってしまった。

休み時間。トイレに行き、鏡で自分の顔を見た瞬間。 「よっ」 「うわぁぁぁ?!」 「相変わらずビビるね〜。恐怖心耐性でもつけたらどうだ?」 僕は沈黙の後に、口をゆっくりと開かせる。 「さっきのも……あんたか……」 「そうだけど?」 僕はひっくり返った体を起こし、俺の映る鏡を叩く。 「余計なことしないで!」 「余計か?」 「余計だよ! 勝手すぎるよ!!!」 「じゃあお前はどうする」 「何が!」 「面接」 「……え?」 「赤の他人と、目を合わせて怯えず、喋ることができるのか?」 さっきまでうるさかった自分の口をチャックで閉まい、黙り込んだ。


第四章「疲労」

下校の時間。斜陽の光が教室の黒板に差す。 僕は先生に「放課後来い」と言われたから行くことにする。内容は受験を受けるかどうか。 受けなくていいなら受けたくない。でも受けないと自分の夢を叶えられない。 夢というのは、お母さんみたいになりたいこと。お母さんは努力をしている。成功をした人物は、過去に必死に勉強したから報われている。僕は何もしていない無力。さっきも言ったが、勉強はなるべくしていたんだ。

そんなことを廊下で、足元に目線を向けながら考え事をしていた僕。 周りの風景がガラリと変わり、僕の心理界に来ていた。そこは真っ黒で、周りを見渡すが何もない。奥に行くと俺が突っ立っていた。 「おい、俺」 「あ?」 「今こそ助けてくれ」 俺は枕を持って今にも寝そうだ。 「自分で頑張れよ〜。ふがふが……」

ムカムカしながら、僕は俺の体を叩く。現実の世界では僕が僕を叩いていた。そこを通った先生が少し驚いていたようだった。 「起きろ!!」 「あーもう! わかったって!」 俺は職員室の扉をノックした。 「失礼します」

その後……陽も山に隠れる頃。先生とは30分に及ぶ長い受験に関する話をした。その30分間はほとんど俺に話してもらっていて、僕は殻に引きこもっていた。 そのせいで俺は疲れで寝ている。家に向かっている僕は過労で死にそうだ。俺の分まで疲れがある。 そういえば今日は、おばあちゃんがいない日だった。だから夕食は自分で買うことにしていた。近くにあったハンバーガーチェーン店へ足を踏み込んだ。

「何名様でしょうか?」 「店員さんが来たぞ! 俺!」 自分の心理界に俺を探し呼んだが、俺は過労で倒れているようだ。仕方なく人差し指だけを立てた。 「一名様ですね、あちらの席にお座りください」

僕はなんとなく気づいていたことがあった。お母さんが死ぬ直前の出来事。 朝目が覚めた時、お母さんが埃の溜まった部屋に入ってきた。 「体調大丈夫? お母さん少し用事があるから行ってくるね。ご飯は温めて食べてね」と言って出て行った。 思い返すと、これが最後の会話だった。

途方に暮れながらも、さっき頼んだチーズバーガーを一口。その味に起きたのか、俺が飛び起きた。 「ハンバーグか! 久しぶりの外食はやはり絶品だな!」 「僕の回想を邪魔しないでくれ」

さっきの話に戻るけど、気になることはお母さんがどこへ向かったのか。用事というのは一体どれだけの重要性と必要性を持っていたのか。 事故を起こしたところは隣の県。謎が多すぎる。 事故の原因の相手は「黒沢信雄」。通称「のぶお」とでも言おうか。のぶおは重度なアル中で、酒を飲みながら突っ走ったとのこと。今現在は署にいるらしい。

「でもよー、それ、未解決事件なんじゃねぇの?」 ポテトを食いながら僕の会話に入ってきたのは、俺。 「まぁそうだけど」 「そんならさ、お母さんが事故ったんじゃなくって、わざと事故らせたっていうこともなくはねぇんじゃねぇの?」 薄々気づいていたけど、無視をしていた。お母さんの死ぬ前日、意味深なことをしていたんだ。

夜中、トイレに行きたくてリビングを抜けて行こうとすると、なんだか珍しくお母さんが紙に何かを書いていた。何かと思いながらも「おやすみ」と言いながら我慢していたトイレに向かった。 お母さんが死んだあと、手元にはバラバラになっていて読めもしなくなった一枚の紙を掴んでいたそう。それはきっと遺言なのではと。

「深く考えすぎな気もするけどね」 「……そっか」 俺は元気がなかった。どうせ疲れているのだろう、そう思っていた。 店を出て、涼しい風が体をなびく。それと同時に俺が口を開きだした。 「お前には、黙ってたことがあるんだ」 「どうした?」 さっきよりさらに元気がなく、流石に心配をして声をかけようとした瞬間だった。耳の中に俺の精神を促す言葉を放った。 「俺は……お前の真実を知っている」


第五章「真相」

俺の声は、今まで聞いたことがないほど太くて、元気がないなんてレベルではなかった。 「お前が人間恐怖症になった理由……お前は、壊されたんだよ。あの夏に」 俺の言葉が、脳の奥にある鍵のかかった扉を無理やりこじ開けていく。 「いじめ……?」 僕の心臓は恐怖と共に昂っていく。

「そうだ。あの主犯格の親は、この県の有力者だった。お前が学校に行けなくなった後も、あいつらは裏で圧力をかけてきた。お前を頭のおかしい奴扱いして、母さんを追い詰めた」 心臓の鼓動が耳元でうるさく鳴り響く。 「じゃあ、母さんは……」

「母さんは、お前を壊した奴らを、一生許さないと決めていた。あの日、母さんが隣県へ向かったのは、加害者の親が所有する別荘があるからだ。そこへ、お前がいじめられていた証拠……母さんが夜な夜な書き溜めていた告発状を持って、直接対決しに行ったんだよ」

目の前が白くなる。お母さんが夜中に書いていた、あのバラバラになった紙の正体。それは僕への遺言なんかじゃなく、僕の尊厳を取り戻すための、母さんの記録だったんだ。

「事故の相手、黒沢信雄……あいつはただのアル中じゃない。加害者の家に雇われていた、いわば掃除屋だ。母さんの動きを察知したあいつらは、のぶおを使って母さんを黙らせようとした。……事故に見せかけてな」 その顔は、僕と同じはずなのに、どす黒い憎悪に満ちていた。

「母さんは、死ぬ間際までその紙を離さなかった。バラバラになったのは、あいつらが証拠を隠滅しようと引きちぎったからだ。……なぁ、俺。これでもまだ、黙って笑って過ごすつもりか?」 僕の喉に鱗が底を撫でた。 「お母さんは……僕のために、殺されたのか……?」 「そうだ。お前を守ろうとして、お前の声を奪った世界と戦って、散ったんだ。……復讐しようぜ、俺。あいつら全員、引きずり下ろしてやろう」

僕は冷たさで震える手を見つめた。さっきまで残っていた温かみはまるで消えていた。 「……何で、お前がそんなこと知ってるんだよ。見てたのか? まるで、その場にいたみたいに……」 「忘れたのか? あの日。あまりの恐怖に耐えきれなくて、お前は自分の心を真っ二つに割ったんだ。苦しい日々。憎しみの体温。母さんが泣きながら証拠を集めていた姿。お前はいらないものとして俺の中に放り込んだんだよ。唯一残ったのは嫌いな学校と退屈な朝だけだ」

僕の心は「人間恐怖心」をさらに増すように可笑しくなり始めた。……そして人間が嫌いになった。


第六章「刹那」

——2週間前。 僕はこの間のささきさんの件について謝りたかった。でも曖昧な時間帯のせいで会う機会も減っていた。俺も今は寝ていて、頼れそうにない。

そんな中、図書館に寄った。本は好きでよく読んでいたけど、最近では無縁だ。 ガラッと開けた図書館の中には、ささきさんが一人で本を片付けていた。それにびっくりしたささきさんは、持っていた本をどさーっと落としてしまった。 僕は動けずにいた。慌てて本をまとめるささきさんを見ているだけだった。 体が動かない。「動け! 動け!」と何度も心の中で叫ぶのに、体が言うことを聞かない。

でも。一歩歩いた僕は不運にも足元にあった紙で滑り、ささきさんへ向かって飛んでしまった。慌てた僕は俺のことを思い出した。 「慌てたらチャンス到来って思ったほうが楽だぞ」 僕は紙に「ごめん」と書いて、ささきさんに渡した。僕は俺に頼らず伝えられたという気持ちを背後に、そのまま走り逃げてしまった。

だけど、ささきさんと距離を縮められた気がした。 「少しずつでいい、全部乗り越えないで、昨日の自分から少しずつ階段を上がればいい」 そう思っていた一日だった。でも、その階段に登るための手すりも膝も崩れるのであった。

次の日、甲斐あってかささきさんと連絡先を交換させてもらった。 「明日の休みの日に遊びに行こ?」 「……え?」 それは最高だった。ささきさんから誘われて、遊ぶことになるなんて。向かった先は遊園地。 賑やかな歓声、豊かなアトラクション、見ても飽きないこの瞬間。僕は人生で一番楽しくて、あの日は一生の宝物だった。ささきさんは自分の唯一の希望の光でもあった。

でも、さらなる追い打ちをかけたのは。 翌日、チャイムが鳴り響く。それは突然だった。内容は——。 「ささきさんが入院した」


第七章「蝋燭の火が消える時」

その報告を聞いた途端、僕は咄嗟に玄関から突き抜けて、走り出した。 息が切れる。肺が千切れそう。その時、俺の言っていた「外に出ていないからだ」という回想を思い出す。 全部、自分のせいだ、それも自己満足だった。

病院について、真っ先に扉を開ける。その先には、ささきさんがこの間とは別人のように瞳を瞑っていた。 ささきさんは昔から重い病気を抱えていた。その病気のせいで寿命も減るどころか、中学生すらも卒業できないと言われていた。それもそのはず、学校で保健室に行くことが多々あった。それに気づかなかった自分を責める。

ささきさんは掠れた声で一生懸命僕に語り始めた。 「この前……言ってたこと……私が……希望だって……でも守れなくて……ごめんね」 初めて僕は気がついた……人が生きていて欲しいと。 僕の視点がボヤけていく。それと同時に、心電図の音が速まる。 「……いま……まで……ありが……」

神様は最期に喋ることすら許さずに、宿命を終わらせた。 周りが涙の海になる中。僕は下を向きながら外へ出た。 外の雨に打たれる。傘もささずに。 「冷たい」 それは彼女の手も同じだった。でも雨とは違う。 ほんのわずかな温もりだけが残っていた。

倒れ込んだ。もう何も聴こえない。 聞こえるのはうるさい雨の音。頬をなぞる涙と雨。 僕は叫んだ。喉がはち切れても。喉の奥が渇ききっても。 それでも……それでも……僕は初めて自ら声を出したんだ。 全然……嬉しくない……。


第八章「生きる理由」

1週間……だっけな……もう部屋から出ていない。 母親の真相、希望の消滅。 暗い部屋。明るい外。まるで太陽と月の様に反対する存在になっていた。

思い返してみると、この間にささきさんと行ったお寺参り。そこで僕は受験お守りを買った時に聞いた。 「ささきさんはお守り買わないの?」 「うん、きっと使わないから」 その言葉の意味を理解できなかった僕の純粋さを恨んだ。それは、受験の日まで生きられないと悟っていたからだったんだ。

僕はどうしたらいいんだろうか。いっそのこと死んでしまえば楽になるのに。死ぬことすらする気力もない。受験生はみんなこんな感じなのか? みんな、重い過去を背負っているのか? ダメだ……もう……意識が。

「おい……」 「……ん?」 瞼を開くと、そこには俺が立っていた。 「だから、健康管理ぐらい自分で守ってもらわないと困る」 話を聞く気力すらなかった僕は、また倒れてしまった。 「……はぁ、ったく仕方ねぇ奴だぜ」

俺は僕の体に憑依した。薄暗い部屋の中、時計の針は十二を指していた。 「学校は……行かなくていいか」 一旦リビングに戻り、おばあちゃんに久しぶりに挨拶をした。 「ちーっす」 おばあちゃんはポカーンとした表情をしていた。 「あ、急に言われてもびっくりするな。僕の体の中にいるもう一人の俺……すなわち……二重人格さ」 いくら言っても理解するはずもなく、俺は買い出しをした。 一日分の食材を買い、今日の晩飯を作って、僕が目覚めるまで、健康管理を意識して、復讐のために、この体は借りることにした。

「僕」の心が底をついてから一週間。代わりに表に出た俺は、事件のさらなる真相を確認するために学校へ向かった。図書館の前に貼ってある一ヶ月前の地元の小さな記事。その記事の一言で、俺の足がピタッと止まった。

『交通死亡事故の容疑者、釈放後に自宅で死亡。自殺と断定』

そこには、お母さんを轢いた男、黒沢信雄の名前があった。事故からわずか三日後。お母さんの葬儀も終わっていない頃に、そいつは自ら命を絶っていたのだ。 「……は?」 喉の奥から、乾いた声が漏れた。

コンビニの前。俺はおにぎりを無表情で頬張った。米の甘みも、海苔の風味も、何一つ感じない。 「……逃げやがったのか」 足元には、野良猫。 「あんたも、呆れてるのか」 猫は鳴き、俺の脛に体を擦り寄せた。温かい。

「……復讐は、終わりか」 いくら叫ぼうが、喚こうが、復讐相手がいない。でもそれは絶望じゃない。俺の「僕」がこれ以上、人殺しの人間にならなくて済む。これ以上、手を汚さなくて済むという、お母さんからの最後の願いだったのかもしれない。

「……帰るか」 俺は俺としての役割が終わったことを悟った。復讐のために生まれた人格は、復讐相手がいなくなった瞬間に、その刃を下ろし、幕を閉じたのであった。

家への帰り道。おばあちゃんが、玄関先で僕を待っていた。 「おかえり、今日は、いい顔してるね」 僕は、一瞬だけ立ち止まった。そして、心の奥底で目を覚ました僕に向かって、語りかけた。 「……おい。あとは、お前が歩けよ」

俺の意識が、ゆっくりと薄れていく。代わりに、喉の奥から声が込み上げてきた。 「……ただいま、おばあちゃん」 それは、僕の、意思の声だった。 人間は怖い。でも、さっきのおにぎりはたぶん、明日になればもっと美味しいし、きっと、人間も関われば、いつか和解して、綺麗な赤い糸の様に解けるはずだ。


第九章「受験」

生き絶えていた僕の感性が徐々に復帰をしてきた頃。僕は俺と共に面接の練習をしていた。 「私が志望した理由は……」 「違う! その目線! 何で逸らすんだ!」 厳しく指導をされ続けていたからか、身体がみるみると面接の仕方を理解し始めた。 謎の自信が湧いた僕は、先生と面接練習をすると決めた。

静かな教室に二つの椅子。そこに先生と僕が座り、ただの面会だ。そのはずなのに。何でだろう。先生がこっちを見ているのに、話しかけているのに、どうしてだろうか、喋ることができない。 聞こえるのは先生の声より先に、僕の心臓の音。どこかで鳴り響く空耳の音色。 気づいた時には、見知らぬ天井。

保健室に来ていたみたいだ。僕はあまりにも恐怖心が高まり、先生との面接を台無しにした。きっと緊張で倒れたんだ。 「……相変わらず……変わらねぇな」 俺の声が聞こえた。でもなんだか、いつもより薄く聞こえた。

その瞬間、僕の前には俺が立っていた。僕は知らない人と面接をしている。また会話ができない、その自分にムカつく。恐怖、緊迫、無心。僕は咄嗟に扉から逃げ出していた。 走っても、周りは暗い。走っても周りは変わらず、変化したのは僕の乱した呼吸。 「……不合格です」 面接官に告げられた言葉。 嫌だ、嫌だ、そんなの! 嫌だ!!!

「ハッ……!」 っとして瞼を強く開く。夢だったようだ。魘されていた。でも目眩がする。これは、熱か……? 僕の身体はまた倒れてしまった。

僕の体が徐々に消えていく。手の第一関節は全て消えてしまった。これは、悪夢? また夢を見ているのか? 明晰を反して僕はうとうとしていた。その時、僕の先には俺がいた。 「……お前は、用済みだ……」 「……え?」 俺は僕に「用済みだ」と話す。目は暗く、ハイライトが見えない。僕の人格は徐々に薄れていき、最終的には僕は消え、俺になってしまった。 嫌だ、またこんな結末、望んでない……

「……望んでないならお前が変えろ」 俺の声で目を覚ました。僕はしばらく寝込んでいたそうだ。さっきまでの唸りと目眩は薄れていて、俺がまた看病をしてくれていた。温かいお粥を一口。 「何で俺は、そんなに何でもできるんだよ」 「え?」 僕は俺に向かって自慢げに言う。 「……何でもできねぇよ」 「は? 料理だって、会話だって、何でもでき……」 「あのな? この世に完璧な人間はいないんだよ」 俺は食器を洗いながら話す。 「俺が何でもできる様に見えてるのは、ただの錯覚だ」 蛇口の水量が徐々に上がる。 「俺だってできないことたくさんあるぞ? ピアノだって弾けっこないし、あと数学も苦手だ。お前だって、できないことの方が多くても、少なからずできることがあるんじゃないか」

僕は口にしていたお粥の一粒一粒を味わっていた。 「話を聞けぇ!」 「冗談冗談」 その時、俺の体が倒れる。 「おいおい、大丈夫か?」 「大丈夫、滑っただけだ」 俺は自信ありげに言っていたが、また倒れる。 「おい!」

俺はしばらく休むことにさせた。俺の負担は僕の負担にもなる、それだと受験に関わるから。 受験まで残り数日になった。先生とも面接をすることができた。ささきさんもお母さんも、色んな人のために背負う負担を逆に足場にして歩いてきた。 それと同時に、失いかけていたものがあった。俺のことだ。話しかけても話しかけても反応はない。薄々勘づいていた、俺の復讐が終わったことを。復讐心で生まれた俺はもう生きる理由を失った、だから存在が薄れてきたんだ。 そうこうしていた僕に巡りゆくカレンダーの日付が、受験当日に変わった。


第十章「蝉の抜け殻」

僕は俺に話した。 「最後だけ立ち上がってくれ」 瞼を開かない俺に、カーテンの隙間からはみ出る朝日の光を浴びせてやった。 「……お前は、最後まで任せっきりだな」 俺は最後の力を振り絞り、起き上がってくれた。

おばあちゃんの家を出る時、鏡を見る。俺はいつになく静かで、皮肉も言わない。 「行ってくる」 と自分自身に言い聞かせる。引きこもっていた朝とは違い、足が震えていても、玄関を跨いだ。 「受験票ちゃんと持ったか?」 「うん」 電車に揺られ、静かな景色を眺めていた。その時間は長く、あくびをしながら向かった。

廊下の椅子で待っていた。深呼吸をゆっくりとしていた。 でも、突然俺の声が聞こえなくなる。 「おい! 喋ってくれよ!」 と心の中で叫ぶが、返事はない。不意に落ちる僕の心。僕は俺に頼り切っていたんだ。本当の孤独とは、本当の僕とは。抜け殻のような感覚に陥る。

受験番号を呼ばれた僕。心臓の音が高鳴っていく。手も膝も笑う。変わらず喉の奥には魚の骨が突っかかる。静かな間。面接官は僕を静かな目で見つめている。 面接官は僕に問いかけた。僕は頭が真っ白になる。喉に刺さる魚の骨が取れない。

これで不合格? もう終わりなのか?

そう諦めかけた僕に、流れ出してくる記憶たち。 お母さんの温かい声。 ささきさんの楽しげな音色。 おばあちゃんの優しさと豊かさ。 俺が支えてくれたこと。

「あんたはいつも変わらないから、ずっと心配していたんだ」 俺は優しく問いかけた。 「知ってるか? お前のことを一番信頼しているのは誰なのかと」 「お母さんでもない」 「ささきさんでもない」 「おばあちゃんでもない」 「一番お前を信頼しているのは……俺だぞ!!!」

なんだ……人間は暖かいんだな……。 「はい! ……」 震える声で、不器用な僕の声。それでも、それでも僕は生きたかった。

校門を出たところで、一気に緊張が解ける。ふと横を見ると、消えたと思っていた俺が、どこか満足そうに笑って消えていく。 空には陽が傾き、町が茜色に染まる。 僕は、前より少しだけ朝が好きになった。

でも変わらない。 毎日は相変わらず退屈だ。 相変わらず人間は怖い。 だけど、それがいちばんの幸せだと知ったんだ。 人間のおかげで。

(終わり)


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