第8話 おかしい
侯爵家での「お試し」生活が始まった。
けれどなぜか、私が思っていたものとは少し……いや、かなり違うものだった。
「私の部屋は、本当にここなんですか?」
「はい。旦那様からこちらにお部屋をご準備するようにとおおせつかっておりますので」
メイドたちは、てきぱきと部屋の準備を進めてくれていた。ビロードのソファや樫材の机。部屋の奥には天蓋付きのシルクのベッド。
(……いくらなんでも、豪華すぎるわ)
確かに私は、侯爵家に住み込みで働くことに同意した。
しかしこの部屋は、明らかに使用人の部屋ではない。ここは3階だ。住み込みの使用人は階下の使用人の区画で寝泊まりしているはず。てっきり私も、そちらに部屋をあてがわれると思っていたのに……。
3階には、カテリーナ様が過ごす子供部屋がある。そして2階は旦那様の私室。そんなご家族だけの居住スペースに、私のような使用人の部屋があるなんて絶対に変だ。
レオナルド様に確認したものの、当然の事のように「間違いではない」と言われて、私は面食らってしまった。
おかしい。
そう思いながら、住み込みの家庭教師として過ごして2週間ほど経ったある日。
私は前侯爵夫人の執務室に呼ばれた。
「ソフィアにぜひやって欲しい仕事があるの! 絶対に得意だと思うのよ」
「はい。どういった仕事でしょうか?」
住み込みの使用人になったので今までより時間に余裕があった。別の仕事が増えるのは全く問題ない。
夫人は書類を手に、嬉しそうに説明を始める。
「大きくは2つ。ひとつ目はルチアーニ侯爵家の家政。そしてふたつめは事業の管理よ。事業の方はレオナルドと手分けしてやることになるけど、家政の方はソフィアに一任したいわ。カーリア家やヴェルディ家を取り仕切ってきたあなたなら安心。レオナルドが全然再婚しないもんだから仕方なく私がやっていたけど、これでようやく私もこの家を出て悠々自適の生活が送れるわ。というわけで、早速説明をするとね……」
「あ、あの! お待ちください!」
「あら、何か質問かしら?」
やっぱり、おかしい。
だって、夫人が今言った仕事はどれも侯爵家の女主人の仕事だ。使用人としての仕事の領分を明らかに超えている。
やんわりと抗議を口にすると、夫人が怪訝な顔をした。
「……もしかして、まだレオナルドから何も聞いていないのかしら?」
「はい。業務の追加については、何も」
「業務のことだけではなくてね……ほら? なんていうか、他のことっていうか」
「他のこと? 他のこととは、何のことでしょうか?」
夫人はぎゅっと片眉を上げた。そして「はあ……」と大きなため息をつく。
「まったくあの子ったら! いい歳してウダウダして……! ごめんなさいねソフィア。あなたは何も悪くないのよ? 悪いのは、全部あの子」
「どういうことでしょうか……?」
「気にしないで。忘れて頂戴。さあ、仕事の話を続けましょ」
何が何やらわからなかったが、有無を言わさぬ夫人のペースにすっかりのまれてしまう。仕事の話が始まると、ついていくのに必死で何も聞けなくなってしまったのだ。
そして、翌日。
「とりあえず見ておいてね」と前侯爵夫人から渡されたルチアーニ家の帳簿をパラパラとめくっていた時。
私は、ある重要な情報を目にしてしまったのだ。
「……ミラン宝飾店で……指輪?」
しかも購入者の欄に書かれていたのは、レオナルド様の名前。
ミラン宝飾店は王家御用達の老舗だ。代々王家がお后様をお迎えする際、婚約指輪を送られることで有名な店だった。
それに倣い、名家の貴族が奥様をお迎えするときも、この店の婚約指輪を贈ることが多いのだが……。
――レオナルド様は、ついに新しい奥様をお迎えになるのかしら?
たいていの名家の当主は、妻が亡くなればすぐに後妻を迎える。女主人がいなければ家政や社交が立ちいかないからだ。
けれどレオナルド様は、奥様が亡くなられて3年近くになるのにまだ独身のままだ。それは大変珍しいことだそうで。
ご令嬢から直接声をかけられることは数知れず。各家の当主から「うちの娘をぜひに」と引く手あまたにもかかわらず、恋人も作らず、浮いた噂ひとつないままだという。
――私がここに呼ばれたのは、そのためだったのね。
新しい奥様をお迎えするなら、使用人を増員しなければならないだろう。侍女やメイド、乳母だって必要だ。
ここに来てから、ずっと「おかしい」と思い続けてきた。ようやくそれらしい理由にたどり着くことができて、ほっと胸を撫で下ろす。
けれど明らかに、使用人の私が見てはいけない情報だ。まだ正式な発表前。知らないふりをしていなければならないだろう。
(娘のカテリーナ様に、あんなにも温かな愛情を注がれているレオナルド様ですもの。それに……)
私は、レオナルド様を看病した夜のことを思い出した。きっと新しく妻となる方の手も、あのように力強く握りしめるのだろう。そして心から、一途な愛を注がれるに違いないーー。
「ソフィア?」
「は、はいっ!?」
突然呼びかけられて、飛び上がりそうになる。顔を上げれば、困り顔のレオナルド様が。
「驚かせてすまない。一応ノックはしたんだが」
「ぼんやりして申し訳ありません。あ、あの、何かご用でしょうか?」
「ああ。実は、ソフィアに話さなければいけないことがある。ジェラルド・ヴェルディのことだ」
「ジェラルド様?」
元夫の名を聞き、私は背筋が寒くなる。
「ああ。ジェラルドは、やはりソフィアの悪口を言いふらしている。でも、そちらは対処しているので問題はない。問題なのは、奴がソフィアを探しているということだ」
「え……」
私はもうジェラルド様とは何の関係もない。わざわざ「今後ヴェルディ家との関係の一切を断つ」という契約書にサインまでさせられたというのに。
わざわざ探すなんて、きっとろくでもない理由だわ。
一体何が狙いなの?
けれどそんな不安以上に、私個人の抱えた問題が、レオナルド様の手を煩わせていることを申し訳なく思う。
「すみません。想定以上にご迷惑をおかけしているようで」
「謝る必要は全くない。だが、しばらく外出する際は気をつけてくれ。かならずルチアーニ家の護衛をつけてほしい。あいつは悪人だ。卑劣な手を使ってソフィアを狙ってくるかもしれない。これから何をしでかすか……」
私はレオナルド様の言葉にひっかかりを覚えた。悪人だなんて、まるで犯罪者でも呼ぶような口ぶりだ。
「離縁した私なんかに、害を及ぼすことまでするでしょうか。それではジェラルド様ご自身も罪に問われますし」
「奴ならやりかねない。ここまでの悪党だとは思っていなかったんだ。ソフィアを無事にこの家に連れてくることができて、本当に良かったと思っている」
ほっとしたような表情を見せるレオナルド様を、少し不思議に思う。
私はジェラルド様の件について、まだレオナルド様に話していないことがあるのを思い出した。
会話が途切れたのを見計らって、私は切り出す。
「旦那様。お役に立つかはわからないのですが……」
離縁後に問題が起こることを見越して、私は準備をしてきた。レオナルド様ほどの力はないけれど、私自身に出来るすべてのことを。
私は、ヴェルディ家に残してきたものについての話をレオナルド様に打ち明けた。
すべての話を聞き終えると、レオナルド様はなぜか、楽しそうに笑みを浮かべた。
「いいな、それ。ぜひ手に入れたいものだ。なんなら、それを持ってこの屋敷に直接来てくれたら手間が省けるんだが」
「えっ?……なぜそんな……」
「大丈夫だ。手は打つ」
ジェラルド様がこの屋敷に来る?
想像して、私はぞっとした。ジェラルド様には2度と会いたくなんかない。
面倒なことこの上ないのに、笑顔を見せるレオナルド様は、頼もしいというか恐ろしいというか……。
(すごい方だわ。レオナルド様は)
そう感心していたのも束の間のこと。
レオナルド様が望まれたその日は、思いのほか早く訪れることになる。




