第1章:鍛錬の日々
朝焼けが薄れ、世界は光に包まれていた。だが冷気は闇と共に消え去ることなく、微風にまだ残っている。
木の下で勇者は精神を集中し、魔力を全身へと流そうと試みる。しかし、何度やっても魔力は肩のあたりで止まってしまった。
「ひとつ助言をしよう」
見守っていた魔王が、近づきながら口を開いた。
「脈の鼓動を感じろ。その流れに魔力を重ねるんだ。血と共に力が全身を巡るはずだ」
今回は魔力が肩を越え、光が全身へと広がった。
「ほんとだ、このアドバイスめちゃくちゃ効くよ!」
ニクシアの口元がわずかに吊り上がり、得意げな表情を浮かべる。
「ふふん、やっぱりお前、意外と才能あるじゃない」
その言葉が終わらぬうちに、魔力は肩へと退いてしまった。
「くそっ!」
「どうした」
「さっき褒められた途端、感覚が消えちゃったんだ。また探してみるよ」
短い沈黙の後、ニクシアは軽く咳払いをした。
「とにかく、体力の鍛錬も欠かすな。魔力はあくまで増幅。肉体の基礎が強ければ強いほど効果も増す」
そう言うと魔王はひらりと跳び上がり、手刀で太い枝を二本切り落とした。断面はきれいで、腕ほどの太さがある。
「行くぞ。もはや道具もろくにない。これを負重代わりにしろ」
ルシウスは一本を肩に横担ぎ、もう一本を手に提げた。
「力尽きそうになったら魔力で筋肉を補強しろ。ただし使う魔力量が少ないほど、鍛錬効果は大きいぞ」
太陽はすでに天頂を越え、ゆっくりと地平線へ傾き始めていた。北境の山々と山麓の森との境界を、西へと三人は進んでいく。荷物を背負ったメイドは最後尾、先頭を行くのは魔王、その後ろを一定の距離を保って勇者が続く。
ルシウスは上半身裸のまま、両手で剣の柄を握りしめ、ひたすらに剣を振り続けていた。汗がこめかみを伝って目に落ちるが、彼は肩で乱暴に拭い、その動きも足取りも止めることはなかった。――そのまま、西へ西へと歩みを進める。
やがて夕暮れ。薄暗い空の下、開けた空地で勇者は魔力による全身強化をほぼ維持できるようになっていた。ベアトリスはかがみ込み、一方の手で焚き火を調整し、火勢を穏やかに保ちながら、もう一方の手で串をゆっくり回す。串には野鳥が刺され、腹を割かれて内臓を抜かれた簡素な下処理がされている。不必要なものは取り除かれ、必要な部分だけが残されていた。少し離れたところで、ニクシアは額に手を当て、忙しく動くメイドを眺めながら、何やら考え込んでいた。
夜が明け、朝。勇者は脚を組んで座り、体内の魔力の流れを感じつつ魔王へ声をかけた。
「どうせ負重にしてた木は最後には捨てるんだし、いっそ売っちゃうってのはどう?」
「売る? あんな適当に切った枝を? 買うやつなんているのか?」
「農民なら毎日薪を使うよ。飯を炊くにも、暖をとるにも、肉を燻すにも、穀物を乾かすにも。一年中使うんだ。自分で薪を伐って持ち帰るのは大変だし、出来合いがあればそっちを買いたいはずさ」
ルシウスは遠くに見える実りかけの畑を指さしながら続ける。
「今はまだ山裾だから薪を集めるのもいくらでもできる。でも平原に出たら、畑が増えて木が減る。そうなると、火を焚くには買うしかなくなるんだ」
「……言われてみれば一理あるな」ニクシアは小首をかしげる。「つまり、木を切れない場所じゃ、暖をとるのにも金がかかるのか」
勇者は手を振った。
「そこまで深刻じゃないさ。金がなければ、朝早く山に入って自分で切ればいい」
「なるほどな。まあ、売る売らないはお前の勝手だ。――それより、そろそろ次の段階に入るか」ニクシアは頭上に広がる木々の枝を仰ぎ見た。
「任せてくれ!」ルシウスが自ら志願する。「効果を試してみたい」
ルシウスの体を光が包み、拳を木に叩きつける。大きく揺れた木から、枯れ葉がはらはらと舞い落ちた。
すぐに剣を抜いて跳び上がり、一息のうちに太い枝を二本切り落とす。枝を数本に切り分け、余計な枝分かれを払い、茂みから引き抜いた蔦を使って手際よく背負い木の架を組み上げる。残った蔦で木を縛り、薪の架に括りつけ――準備を整えると、そのまま再び歩き出した。




