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第1章:魔界の辺境

北境と南境を隔てる二つの山脈は、朝焼けの中でその輪郭をはっきりと浮かび上がらせていた。まるで眠れる巨竜の背骨のように天を横切り、東から西へと大地を断ち切るかのように延び続け、やがて海岸へと至る。まさしく天然の障壁である。


北方の山頂には一年を通して雪が積もり、朝日を浴びて冷ややかな銀光を放つ。対して南の山並みは幾分柔らかく、同じく険しい地形でありながら、陽光に包まれて黄金の輝きを纏っていた。


山麓には打ち捨てられた烽火台がひっそりと佇み、消え果てた火盆には未だ硝煙の残り香が漂うように思えた。やがて、二つの山脈のあいだに広がる森の姿が、朝の光とともに少しずつ鮮明になっていった。そこに広がるのは、静寂に包まれた樹海である。枝葉のあいだからは白い朝霧が絡みつき、差し込む光が金の斑点となって地表を照らしていた。時折、鳥のさえずりが響くが、すぐさま風にかき消され、深い静寂が戻る。――そんな中、遠くから足音が近づいてきた。


林の小径を二つの影が歩んでいく。先を行くのは魔王、そのすぐ後ろには勇者が従っていた。


ルシウスは自らの手の甲に刻まれた勇者の紋章を見つめ、そっと目を閉じる。心の中で問いかけた。


「……俺は、これで正しいのか?」


しかし刻印は沈黙を守ったまま、何の返答も返さない。


「それとも……間違っているのか?」


やはり沈黙だけが残る。


ルシウスは自問自答を続けた。

「勇者の力で魔王を癒せるってことは、少なくとも俺の行動は許されてるって証拠なんじゃないか? ……いや、違う。刻印が応えない以上、癒しができたからといって何の証明にもならない……」


思考の渦を断ち切るように、隣から声がした。


「――着いたわ。フェルティリア平原よ。」


森が途切れ、視界が一気に開ける。広大な大地が、目の前に広がっていた。一本の大河が森を抜け、平原を縦断するように流れている。その流れはやがて東の海へと注ぎ込む。廃墟が点々と散らばり、崩れた壁の間には雑草が伸び放題に生えていた。


ニクシアが遠くに見える建物群を指差す。

「あれが前方の城よ。そこを越えれば魔界。着いたら、あなたにご馳走してあげる。」


ルシウスの視線は再び刻印に落ちた。

「……『アウレヴィア(Aurevia)』。まさか、こんな形で足を踏み入れることになるとはな。」


魔王は彼の視線を追い、同じく紋章を一瞥する。

「今は真実を確かめることが先決よ。余計なことに囚われてる暇はない。」


勇者は迷いを振り払うように大きく息を吐き、頷いた。

「……そうだな。行こう。」


二人の足音が、平原の静寂の中へと溶けていった。


辺境都市オーレヴィアは北境山脈の関門の麓に位置し、険しい山肌に寄り添うように築かれている。ここは人界と魔界をつなぐ重要な通路であった。

西側には天を衝くような山峰がそびえ立ち、山頂の雪は白雲と溶け合って一体となっている。対して東側の峰はやや低く、そのさらに東では地形が急激に落ち込み、やがて海岸へと至る。


かつてオーレヴィアは人類軍が魔界へと進軍する際の要衝であり、その名も「勝利」を意味していた。だが今や都市は魔族の手に落ち、それ以北はすべて魔界の支配下。ゆえに人々はここを「魔界の門」と呼ぶようになった。


二人が街へと歩みを進め、ついに外城壁の関所へ近づいたとき――

艶やかな肢体に蛇の尾を引きずるナ―ガの女が正面から現れた。腰に佩いた二振りの刀は尾の動きに合わせてカランと音を立て、背後には数名の魔族兵が控えており、鋭い視線をこちらに向けている。


「よっ、イシス。久しぶりね」

ニクシアが軽く手を上げて合図する。


「彼女を知ってるのか?」

ルシウスが何気なく尋ねる。口調は軽い。


「まあね。あの子が“魔道の刃”の称号を授かったときに知り合ったの」


「魔道の刃? それは何だ?」


「魔王軍の武闘大会よ。上位十二名に『魔道十二鋒』の称号が与えられるの。形式上は魔王が授けるものだけど」


「ってことは……一応お前の部下ってことか?」


「まあ……そういうことになるかもね。ただ、このナ―ガたちはもともと大人しく従うような連中じゃないけど」


会話を交わすうちに、ナ―ガの女はすでに目の前まで歩み寄ってきていた。


魔族の兵たちも周囲へと散開し、それぞれの方向を睨み警戒の色を浮かべる。


「……これはどういうつもりだ?」


「ご安心を。魔王様のご安全のために、オーレヴィアまでお護りするだけですわ」


「もし、私が行かないと言ったら?」


「それは――魔王様のご意志では決められません」


「ふん、謀反でも起こすつもりか?」


ナ―ガの女は首を横に振り、口元に薄い笑みを浮かべた。

「魔王様こそ、すでに人間に屈した身。陛下がどうして反逆をなさるのでしょう?」

その声音にはあからさまな嘲りが滲んでいた。


ニクシアの表情が沈み込む。

「……たかが“魔道の刃”の末席が、無礼な真似を。この本王の前に跪け!」


イシスはにやりと笑い、肩をすくめた。

「失礼、今のは言葉を間違えました。正しくは――“前魔王様”、いえ、“お尋ね者のレディ”と呼ぶべきでしたね」


「ふん……なるほど。もう新しい王が玉座に座ったか。やはり朕の王位を狙っていた輩がいたのだな」


イシスの視線がルシウスに流れる。

「何をおっしゃいますやら。ご自分から王位を投げ捨て、勇者の犬に成り下がったのは、あなたでしょう?」


「ち、ちがっ……そんなつもりじゃ……!」

勇者が慌てて否定するが、その言葉を最後まで聞く前に、ニクシアはすでに踏み込んでいた。


影の力を凝らして刃を成し、その長剣を手に、一直線にイシスへ突撃する。

兵士たちが慌てて立ちはだかるが――魔王の一撃に耐えられる者は、一人としていなかった。


魔王は剣先をイシスに突きつけ、冷たく言い放った。

「この私にそんな口をきくとは……死ぬ覚悟はできているのだろうな」


ナァガの女戦士は双刀を抜き放ち、魔力を注ぎ込む。一本には雷が纏わりつき、もう一本は灼熱の炎を噴き上げる。

イシスは嘲るように肩をすくめ、唇を歪めた。

「ふふ……ご自分は今、何の装備も持たずにここに立っている。誰が死ぬのか――まだわかりませんわよ」


「そうか」

魔王は再び影の力を凝らし、剣を形作ると一気に斬りかかった。


双剣と双刀が激しくぶつかり合う。最初は拮抗していたが、次第にイシスが押され始める。黒き刃が時折彼女の鎧を叩き、まだ防御は崩れないものの、後退を余儀なくされた。


劣勢を悟ったイシスは防御を固めつつ、魔力を尾に集中させる。

次の瞬間、尾が震え、「雷鳴尾!」の轟音が響き渡った。


「……ッ!」

魔王は咄嗟に二本の剣を交差させ、衝撃波を受け止める。だが凄まじい爆発的な力に弾き飛ばされ、十メートル先へと吹き飛ばされた。


イシスは着地を待たずに双刀を合わせ、刃に纏った雷と炎を一点に凝縮させていく。剣尖に眩い光球が生まれ、空気が震える。

「雷炎集束!」


青白く燃え盛る炎が奔流となり、一直線に放たれる。


「ふっ……!」

魔王は空中で身をひるがえし、地に降り立つと同時に掌に暗紫の魔力を収束させた。

「暗黒奔流!」


闇の光束が放たれ、雷炎の奔流と正面衝突。

轟音と共に炸裂したエネルギーが周囲を飲み込み、光と熱が爆ぜ、地面には幾筋もの亀裂が刻まれた。


やがて爆煙が薄れると、イシスの同族の精鋭部下たちが、いつの間にか背後からじりじりと包囲していた。


「……さすがは魔王様。いまの私では、到底敵いませんわね」

イシスは口元を冷たく吊り上げ、続ける。

「ですが――あなたの相手は、この私ひとりだけではありませんのよ」


「大変申し訳ありません、助けていただけますか?」

ルシウスは、駆けつけた兵士たちに地面に押さえつけられ、手足を縛られていた。まるで魚のように身をよじり、逃れようとするが、縛られた縄の強さを思い知るだけだった。


ニクシアは素早く周囲を見渡し、口元を引き締めた。「次に来るときは、命を取りに来るからな」

そう言うと、彼女は素早くルシウスのもとへ突進し、一拳で押さえつけていた兵士たちを吹き飛ばし、毛虫のように縛られたルシウスを軽々と腕の下に抱え込んだ。


「大変申し訳ありません……」

ルシウスは苦笑いを浮かべる。


イシスはすぐに叫ぶ。「動け、魔界の敵を捕らえることは大功の一つだ!」

兵士たちは声に応じ、一斉に襲いかかる。


ニクシアは腕を掲げ、空中に魔力の塊を放った。「暗黒領域・広域化!」

その魔力球は激しく光を吸い込み、天地はまるで無月の夜のような漆黒に包まれた。

ニクシアは影を駆使して極めて高速でその闇を縫うように進み、一瞬のうちに領域の端へ到達する。気づけば、ルシウスの手足を縛っていた縄は跡形もなく消えていた。


魔王はルシウスを地面に下ろし、低く囁く。「早く逃げろ、この領域はもうすぐ維持できなくなる」


二人が足を踏み出すや否や、暗黒は濃霧のように消え去り、背後にはかすかにイシスの怒声が響く。ルシウスは振り返る余裕もなく、魔王と共に森の影に身を隠した。

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