第2章:海を越えて、任務の島へ
ルシウスは船室の中でじっとしていられなかった。
寝返りを打っては天井を見上げ、ついには我慢できず、カシアンの腕を引いて甲板へと向かった。
扉を押し開けた瞬間、潮風が勢いよく頬を撫でる。
塩の香りに陽光の匂いが混じり、果てしなく広がる海面は天の光を受けてきらめいていた。
遠く、靄の中に島影がぼんやりと浮かび上がる。それはまるで空に漂う墨のしみのようだった。
数羽の海鳥が船首を掠め、水面を叩くたびに飛沫が白い光を散らす。
甲板には帆柱と綱以外、いくつかの木樽と貨箱が並ぶばかり。
乗客たちは思い思いに欄干にもたれて潮風を浴びたり、箱の上に腰掛けて暇を潰していた。
「ふう……やっぱり甲板の方が気持ちいいな」
ルシウスは伸びをしながら海を眺めようとした――だが、そのまま動きを止める。
少し離れた場所。
真っ白なテーブルクロスが整然と敷かれた小卓の上、湯気の立つ磁器のカップと、銀の皿に盛られた繊細な菓子。
魔王は軽やかな白いショールを肩に掛け、折りたたみ式の寝椅子に優雅に身を預けていた。
片手で茶杯を持ち、もう一方の手で装丁の美しい小冊子を気まぐれに繰る――その姿はまるでこの世の憂いを知らぬ貴婦人。
ルシウスはしばらく呆然と立ち尽くし、やがてぼそりと呟いた。
「……頭等船室なんてあったのか? いや、チケットは全員同じだったはずだろ!」
魔王は茶を一口含み、唇に微笑を浮かべる。
侍女ベアトリスはその傍らに静かに立ち、両手を前で組み、完璧な姿勢で控えていた。
その瞳には、わずかな誇らしさが滲んでいる――まるで「この優雅な光景はすべて私の手によるものです」と無言で告げるかのように。
ルシウスは見つめるうちに堪えきれず、小声でつぶやいた。
「……どう見ても、任務じゃなくて休暇だよな」
カシアンはちらりと魔王に目をやり、淡々と答える。
「彼女の実力からすれば、今回の任務など休暇のようなものだ」
魔王は本を閉じ、ゆるやかに視線を上げた。
「せっかくの機会だ。暮らしを楽しむのは当然のことだろう?」
ルシウスは眉をひそめ、不満げに言い返す。
「俺たちは任務中なんだぞ。緊張感ってもんがないのか?」
魔王は首をゆるやかに振り、柔らかく笑った。
「それは違うわ。楽しむことこそが、命に意味を与えるの。
あなたは任務を楽しんでいる。私は――生を楽しんでいるだけ」
ルシウスは言葉を失い、口を開きかけて、結局そっぽを向いた。
「……もういい。好きにすればいいさ」
そう言って手を振り、船の反対側へと歩いていく。
欄干に両腕を預け、遠くの海と島影を見つめる。
風が髪を乱し、背後では茶の香りと柔らかな笑い声が遠のいていく。
残されたのは、波が船腹を叩く音だけだった。




