第2章:冒険者ギルド
厚い木の扉を押し開けると、目の前に広がったのは広々としたホールだった。
中央は大きく開けており、低めのソファやテーブルがいくつか点在しているだけ。その配置は、冒険者たちが立ち止まって話し合ったり、資料を広げたりできるように計算されているようだった。
三方の壁には巨大な掲示板が掛けられている。どれも整理が行き届いており、遠目にも種類ごとに分類されているのが分かるが、内容を読むには近づく必要がある。掲示板の下には小さな机と椅子が並び、冒険者たちが腰を下ろして記録を取ったり、作戦を練ったりしていた。
ホールの中は人の出入りが絶えない。低く交わされる会話、掲示板に近づいて依頼を確認し、再びソファへ戻って仲間と相談する者。
賑わいはあるが、酒場のような騒がしさはなく、むしろ秩序と効率の香りが漂っていた。
「へぇ、いいところじゃないか。」
ルシウスは周囲を見回しながら、目を輝かせた。「それで、依頼ってどうやって受けるんだ?」
カシアンが片眉を上げる。「……知らないのか?」
「噂では聞いたことあるけど、実際に来るのは初めてなんだ。」
ルシウスが肩をすくめると、カシアンは小さく笑い、手で合図して彼を促した。
まず二人が向かったのは、右端の掲示板。深紅の縁取りが炎のように見えるその板には、依頼の数こそ少ないが、どれも重厚な印章と特別な紋章で押さえられていた。
「ここは特別依頼用だ。危険度が高い上に、ギルドは仲介するだけ。依頼人が直接面談して、合格した冒険者とだけ正式契約を結ぶ。」
ルシウスはなるほどと頷いた。
次に二人は正面の掲示板へ向かう。
黄金の縁取りが施されたその板には、護衛、討伐、探索といった定番の依頼がずらりと並んでいた。
「こっちは実力を必要とする依頼だ。このギルドでの実績に基づいて評価される。力量が足りないと判断されれば、受けたくても断られる。」
「じゃあ、他の街のトップ冒険者が来たらどうなるんだ? 最初からやり直しか?」
「まさか。」カシアンは手を振った。「推薦状を持っていれば、他のギルドでの実力をそのまま証明できる。」
最後に二人が向かったのは左側の掲示板だった。
青銅色の縁が穏やかに輝き、全体に落ち着いた雰囲気を漂わせている。
「ここは誰でも受けられる依頼だ。」カシアンは淡々と言う。「素材の採集、荷物運び、使い走り……たまに骨の折れるものもあるが、命までは取られない。大抵の冒険者はここから始める。――今回は、お前もその中から選ぶといい。」
ルシウスは軽く笑い、腕を組んで胸を張った。
「ハハッ、俺は普通の人間じゃないからな。――だから、この辺の依頼はスキップしようぜ。」
カシアンは半ば呆れたように肩をすくめる。
「確かに“普通”ではないけどな。とはいえ、依頼の実績はゼロだし、他のギルドの推薦状もない。だから、ここから始めるしかないんだ。」
「仕方ないなぁ……」
ルシウスは苦笑して頭をかきながら、青い縁取りの掲示板に目を走らせた。
「なあ、なんで一部の依頼は青いインクで書かれてるんだ?」
「それは魔法使いギルドが出してる依頼だ。」
カシアンが横を向いて答える。「あれは魔術師ギルドが出した依頼だ。冒険者ギルドとは提携関係にあって、そういう依頼には特別な印が付けられている。報酬も普通よりずっといい。」
ルシウスは動きを止め、青いインクで書かれた一枚の依頼に目を留めた。
「これ、報酬高いな。いいじゃん……けど、俺たちでできるか?」
「ん? ああ、それか。」カシアンは一瞥して笑った。「それなら俺が詳しい。俺と一緒なら問題ない。」
「なるほど。じゃあすぐ出発か?」
「まず依頼の内容をちゃんと覚えて、二階の受付で正式に契約してからだ。」
二人は階段を上り、二階のカウンターへ向かった。
ルシウスは肘をカウンターに乗せ、少し照れくさそうに口を開く。
「えっと……その……これ……」
受付の女性職員が顔を上げ、柔らかく微笑む。
「はい、どのようなご用件でしょうか?」
ルシウスはちらりとカシアンを見て、小声でつぶやいた。
「えーっと……なんて言うんだっけ?」
カシアンが一歩前に出て、代わりに答える。
「青の三番。依頼の受注を。」
「青の三番?」ルシウスはきょとんとした顔をした。
カシアンは額を押さえ、小さくため息をつく。
「依頼の最初に番号が振ってあるだろ。看板の色と合わせて言えば、受付はすぐにどの依頼か分かるんだよ。」
職員はうなずき、慣れた手つきで引き出しから一枚の依頼書を取り出した。
それを整然と二人の前に差し出す。
「こちら、『滴水岩』から『鯨背洞』のエリアまでの依頼です。――受注を確認してもよろしいでしょうか?」
「はい、問題ない。」
カシアンは軽く頷き、ルシウスへと視線を向けて促した。
「署名してくれ。」
ルシウスはペンを取り、少しぎこちない手つきで名前を書き始める。文字はやや歪んでいた。
書きながらぼそりと呟く。
「なんでまた、区域まで分けてんだ……?」
カシアンは淡々と説明を続けた。
「水晶を採る場所は海辺なんだ。海風と波の侵食で“風”と“水”の魔力が結晶化する。範囲が広いから、魔導士ギルドが区域を分けてそれぞれ依頼を出してるんだよ。おかげで浜全体の水晶を無駄なく回収できるってわけ。」
ルシウスは頷きながら、署名を終えた契約書を受付嬢に差し出す。
「なるほど、合理的だな。」
立ち上がろうとした瞬間——
「まだ終わってないよ。」
カシアンが苦笑まじりに言った。
ルシウスが首を傾げると、受付嬢は分厚い台帳を開き、羽根ペンを走らせる。紙の上をサラサラと音が滑り、書き終えると、正本を整えて引き出しに収めた。
代わりに下敷きになっていた契約の写しを取り出し、二人へ差し出す。
「ご利用ありがとうございました。契約の完了をお待ちしております。」
ルシウスは受け取りながら眉を上げた。
「あっちにはまだ写しがあるのか?」
「君が受けたのは魔導士ギルドの依頼だからね。あっちにも控えが渡るんだ。」
二人が出口へ向かうと、ちょうどニクシアと鉢合わせた。
彼女は片手を腰に当て、唇の端を上げて言う。
「あなたたち、まさかあの“ベビークエスト”を受けたの?」
カシアンが眉をひそめる。
「“ベビークエスト”? ……魔力結晶の採取依頼のことか?」
「そうよ。あれ、初心者用の依頼でしょ?」
ルシウスの表情が一瞬で曇る。胸の奥から込み上げる怒りが、今にも爆発しそうだった——
だが次の瞬間、何かを思いついたように口角を上げ、逆に余裕の笑みを浮かべる。
「ふん。いくら強くても、実績がなきゃ同じだ。お前だってギルドじゃ“ベビー”から始めるんだよ。」
ニクシアは受け流すように微笑み、肩をすくめた。
「そう。安全で退屈そうだし、私はパス。せいぜい頑張って。」
踵を返して歩き出すニクシアに、カシアンが軽く笑いかける。
「海辺の景色は悪くないよ。暇つぶしにはちょうどいい、どうだい?」
「結構。私にはもっと大事な用事があるの。」
手を振りながら、軽やかな声だけが残った。
「――ショッピング、ね。」
その言葉が遠ざかるころには、彼女の姿もすでに人混みに溶けていた。




