3話
太陽の光が差し込む。クレアは眩しくて目を覚ました。
ヴィクターは昨晩とほぼ変わらない様子で座っている。
「一睡もしてないの?」
「ああ」
砕けた口調で答えた。前日の話を覚えているようだ。
ヴィクターはクレアを一瞥した。
「君はもう少し警戒したほうがいい」
「何を?」
「良く知らない男の前で寝ることをだ」
「ちゃんと相手を見て行動しているわ。あなたは安心でしょう?」
ヴィクターはため息をついた。
「もう日が高くなってきた。歩けるか?」
クレアは頷く。
僅かに感じていた足の捻挫の痛みが、歩く程に悪くなる。クレアはつい何度も立ち止まった。
ヴィクターは身を屈めると、クレアを荷物の様に肩に担ごうとした。
「それはもうやめて。頭に血がのぼるわ!」
ヴィクターはクレアを背中に負った。クレアの重さをものともせず、ずんずん森を進む。
ヴィクターの香りが心地良くて、ついうなじに鼻を近づける。ヴィクターが身じろぎして、クレアははっと我に返った。
森を抜け暫く進むと、草原の中に石の境界標が見えた。
「ここからアレントンだ。」
クレアには、13年ぶりのアレントンだった。
小さな村に着くと、ヴィクターは村民と交渉した。ヴィクターが銀貨を支払う。宿の代わりに小屋を借りることになった。
「ご夫婦で旅ですか?」
老年の男性が尋ねた。
「ああ」
クレアはぎょっとして隣のヴィクターを見上げた。
小さな小屋は、農具と藁があるだけで寝台も無い。それでもクレアは屋外でないだけで有り難く感じた。
「どうして夫婦のふりをしたの?」
「伯爵の親族だとは言わない方がいい。良く思われない。」
ヴィクターは再び小屋の外に出かけると、二人分の着替えをもらってきた。
クレアはウールの長いチュニックを受け取る。着替えに隠れる場所が無い。
「着替えたいの。あっちを向いてくれる?」
破れた服を脱ぎ、擦り傷に修道院から持ってきたハーブオイルを塗る。修道女長が持たせてくれた傷薬だ。
甘いさわやかな香りが小屋に漂った。
クレアはヴィクターが貰ってきたグレーのウールのチュニックを着た。清潔で実用的な作りをしている。
「終わったわ」
頷いたヴィクターがいきなりその場で上着を脱ぐ。クレアは驚き、つい小さく叫んだ。
ヴィクターの背中には新しい挫創があった。崖から落ちた時のものだろう。クレアの傷より酷い。打身も見える。
ずっとヴィクターの傷付いた背中に負われていたクレアは、良心が痛んだ。
思えばヴィクターはクレアに巻き込まれて崖から落ちたのに、一度も文句を言ってこない。
「ごめんなさい」
ヴィクターが振り返る。
「なんだ?」
「背中に怪我してるわ」
「ああ、良くあることだ」
「手当てさせて」
クレアは再びオイルを瓶から手の平に出した。
ヴィクターはオイルで濡れたクレアの手の平をじっと見ている。
「いや⋯⋯いい」
新しいチュニックを着ると、ヴィクターは藁の上にドサリと横たわった。
「修道院に昔から伝わる薬なのよ。変なものじゃないわ」
ヴィクターは返事をしない変わりに、苛立たしげに息を吐いた。
所在なく、クレアも藁に横たわる。ヴィクターが不機嫌になった理由が分からない。
暫くして、にじり寄って覗き込むと、ヴィクターは目を瞑って眠っていた。