1話
「クレア。待ちなさい」
聖堂の前、クレアは修道女長に呼び止められた。隣には司教もいる。
修道女長がクレアの肩に手を添えた。ひとけの無い中庭の回廊までクレアを導く。
眉尻を下げた司教が申し訳なさそうに切り出した。
「クレア。突然だが、君には明日この修道院を出て行ってもらうことになった」
「え⋯⋯」
クレアは動揺した。顔が青ざめる。修道院では問題も起こさず、皆とも上手くやってきたつもりだ。
「君の伯父のアレントン伯爵から君を呼び戻す様に言われてね。どうも結婚相手が決まったらしい」
クレアは憤りを感じた。幼い頃に親を亡くし、この女子修道院に預けられた。初めは不満があった。だが今は一生を修道女として過ごす覚悟でいたのだ。
「私を修道院に入れたのは伯父だと聞いています。勝手に預けて、次は連れ戻して。あまりにも身勝手ではないですか?」
「不満を言ってはなりませんよ。一族の為に結婚するのも女の義務です。あなたも望んでここに来たわけじゃないでしょうクレア。これも幸運と思いなさい」
修道女長が言い聞かせる様にクレアの肩を叩く。
「でも私は伯父を全く覚えていないのです。信用できる方なのでしょうか」
司教と修道女長が顔を見合わせた。言葉につまっている。
「会えば分かるでしょう。さあもう暇はありません。早く荷造りをするのです」
「マザー⋯⋯」
無理やり話を切り上げた修道女長は、自室に向かうクレアの背中を見ながらため息をついた。
修道女長はクレアを可愛くは思っていた。小さい頃から育ててきたのだ。
それでもこの修道院をアレントン伯爵の脅威にさらすわけにはいかない。苦渋の決断だった。
クレアは部屋に戻ると、腰に下げた巾着から母の形見のロザリオを取り出した。突然の話に期待よりも不安がつのる。
母が亡くなったのはクレアが四つの頃だった。僅かに覚えている母の面影を聖母マリアに重ねる。クレアはロザリオの珠を指で辿った。繰り返し聖母へ祈りを唱えながら⋯⋯。
クレアは黒の修道服を脱ぎ、修道女長に貰った古い茶色のロングドレスとマントを着た。
「クレア、迎えの方が着きましたよ」
修道女長が呼びに来た。
「元気でね」
「マザー。今までありがとうございました」
長く暮らした狭い個室を目に焼き付けて、クレアは部屋を後にした。
門の外には茶色いクロークを着た黒髪の男がいた。腕を組んで木にもたれかかっている。
クレアに気付くと腕を下ろし、じっと目線を向けてくる。クレアは髪と服を撫でつけた。落ち着かない。
「シスタークレアですか?」
低く安定感のある、心地よい声だ。
「え、ええ。あなたが迎えの方ですか?」
男が頷いて近付く。
背が高い。とても鍛えられた屈強な体付きをしている。
修道女達とは全く違う。何処か魅惑的な香りがした。
男は眼をクレアから逸らさない。ごく薄い金色の眼。黒い瞳孔がひときわ目立ち、狼を連想させた。
クレアはそわそわする自分を抑えられず、思わず男から後ずさりをした。