72話:炎の咆哮、封じられし咢
呪炎の獣が崩れ伏したその直後、大地が軋む音と共に谷底が割れた──
「まだ……何か来るぞ!」ナギが叫ぶ。
炎の奥、谷の底。かすかに光る魔印が浮かび上がり、溶岩の底から這い出すように現れたのは、さらに巨大な魔獣。
──“紅蓮魔喰”《グラザム・イグナ》
全長三十メートル、体躯を覆う鎧のような紅岩の鱗。
「これは……さっきのとは比べものにならない……!」ジノの声が震える。
だが、ハクの目は静かだった。
「……風が、戻ってきてる」
灼熱と瘴気の中に、かすかに通る風の脈動。
「ナギ、ジノ。あれを封じる」
三人は再び、陣を組むように散開。
魔獣の咆哮が谷を揺らし、紅蓮のブレスが吐き出された。
「っ、熱い……! でも、読める──!」
ハクが地を駆け、魔獣の死角へ。
ジノが崖上から矢を射ち、ナギが結界で仲間を援護する。
「ここだ──“風牙・双影抜”!」
木刀が放つ二連の閃きが、魔獣の首元を斬り裂いた。
だがグラザムは倒れない。
「やっぱり、こいつも核がある……!」ナギが叫ぶ。
ハクの目が風を追う。谷の熱風のなかで、唯一乱れない“風の縒れ”があった。
「そこか!」
跳躍と同時に魔獣の体内へ──ハクが突き立てた木刀の刃が、風と一体化し、核へと到達した。
──“風陣・貫牙震”!
灼熱が弾け、風が吹き抜ける。
魔獣が一声咆哮を上げると、身体が砕け、崩れ落ちていく。
谷に静寂が戻る。
三人は肩を上下させながらも、生き残った。
だが、遠く谷の先、別の“気配”が目覚めようとしていた──
崩れ落ちた紅蓮魔喰の巨体を背に、三人は荒れ果てた谷の底に立ち尽くしていた。
「……終わったのか?」ジノが息を吐く。
ナギが耳を澄ます。「いいえ。まだ、何か……音がする」
──ゴウッ……ゴォオ……
谷の底、溶岩の底から聞こえる微かな脈動。それは、紅蓮の魔喰すら“封”としていた、さらに古い力の鼓動。
「これは……炎じゃない、もっと……深い影の……」
ナギの顔色が変わった。足元の岩がひび割れ、風が震えるように舞い上がる。
「封印が……別の“何か”を解こうとしている」
ハクは木刀を握り直した。
「じゃあ、止めなきゃ」
「でも……これ、私たちの手に負える相手じゃ……」ナギの言葉を遮るように、地響きが谷を貫いた。
──その瞬間、ハクの木刀が震えた。
風が──警告していた。
「ナギ、ジノ、ここは退こう。一度、風に従う」
判断は早かった。
三人は崩れゆく谷底から飛び出し、再び岩場を駆け上がる。
背後、影のような黒炎が吹き上がり、巨大な“門”のような何かが岩の奥に口を開いた。
「……これは、災厄の封印……」
ナギが呟く。彼女の家系が代々記録してきた古文書にあった──“焔と影を喰らう災い”の名。
逃げ切った三人は、稜線の裏で肩を並べ、遠く谷底の崩壊を見下ろす。
「どうする……?」ジノが問う。
「もう一度、準備して戻るしかない。でも今は、風がまだ時じゃないと言ってる」
ハクは、空を見上げた。
風は、彼らを次なる地へ導こうとしていた。




