60話:黒翼の目覚め、密命の風穴
その夜、王都の北端。静寂に包まれた古塔の地下
——忘れ去られた書庫の奥深くにて、ひとりの男が目を覚ました。
「……予兆は現実となったか」
その男、ラシュド・ヴァレン。
王国の密偵組織《黒翼》の副主導者であり、
かつてセイマの政治的参謀として影から王国の改革を支えた智将。
表舞台に立たぬ者として、記録にも名を残さず、ただ“影”として存在してきた。
その目は崩落の光が走った王城の中心を正確に捉えていた。
「風が崩れたのではない。風を恐れた者たちが、それを封じただけだ」
王の間が崩れた直後、王都各地では“風穴”と呼ばれる現象が確認され始めていた。
空間が微かに歪み、音が消え、重力が一瞬乱れる
——それは、かつて神則流の開祖ムサシが“風を通す剣”を振るった際に残した、という伝承に酷似していた。
「……ならば、ハクはまだ、生きている」
ラシュドは古の地図を広げ、王城下の秘密通路の入り口を探し当てる。
「この道を辿れ。彼がその先にいる」
闇から姿を現した数人の密偵たちが静かに頷く。
「玉座を狙う“牙”が動き出す前に、遺された“風”を拾え」
それは命令ではなく、祈りのようでもあった。
塔を出るラシュドの背中に、黒き風がまとわりつく。
「風は消えぬ。たとえ大地に埋もれても——それは必ず、吹き返す」
そしてその時、黒翼は新たな命を得た。
それは“剣なき王国”に突きつけられた、もう一つの風だった。




