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1話:沈黙の山、風を知る少年

 風の音しか、聞こえなかった。


 都の喧騒も、誰かの声も、どこにもない。

 カザマ神則流――一子相伝の剣が、ただ一人の継承者を育てるために隠された山。

 そこに、二人の少年が連れてこられた。


 兄、カイル・カザマ。

 弟、ハヤト・カザマ。

 剣を捨てた父・セイマに代わり、継承の可能性を託された者たち。


 だがこの山での修行に、「二人で継ぐ」などという考えは存在しない。

 剣はただ一人にしか託されぬ――それが、この剣術の絶対。


 


 「剣を振るな。まずは水を汲め。薪を割れ。火を起こせ。話しかけるな」


 初日、出迎えたのは無口な男――五代目継承者・カイエン・カザマ。

 父・セイマの弟。

 剣に生き、剣で老い、剣と共に死ぬ覚悟の男。


 


 修行は、剣などとは程遠いものだった。

 朝四時に起き、飯炊きと掃除。

 昼は薪割りと畑仕事。

 夕方になってようやく、木刀を手渡される。


「百回、振れ。終わったら逆手で百回。次の日も、だ」


 それだけ。

 構えも型も、なにも教えられなかった。


 


 だが、兄・カイルは違った。

 何も教わらずとも、構えが美しかった。

 振るう姿に、迷いがなかった。

 腕の角度、腰の入り、足の運び。

 どれも、初日から「完成」に近かった。


 


 ハヤトは、遅れをとった。

 剣を握る手が震えた。

 刃がぶれて、音が濁る。


 カイエンは何も言わない。

 だが、一度だけカイルを見て、目を細めて微笑んだ。


 


 (ああ……やっぱり。兄さんなんだ)

 (俺じゃないんだ)


 


 ハヤトは、自分を“おまけ”だと知っていた。

 剣を継ぐ器ではなく、“兄の付き添い”。

 都にいた頃から、ずっとそうだった。


 でも、それでも。


 あきらめきれなかった。


 


 夜になると、ハヤトは道場の裏に回った。

 誰にも見られず、誰にも言われず。

 ただ、黙って木刀を振る。


 


 「なかなか、筋がいいな」


 その夜。月明かりの下で、ふいに声がした。

 背後を振り返ると、そこには杖を手にした老人が立っていた。


「じっちゃん……!」


 それは、祖父――ゲンジ・カザマだった。

 四代目の継承者にして、流派の完成者。

 もう隠居したはずのその男が、なぜかそこにいた。


「構えるな。力むな。……まずは“空気”を斬ってみろ」


 そう言って、杖の先で風をなぞるように一本の“線”を描いた。


 


 その日から、ハヤトの“もうひとつの修行”が始まった。


 


 型ではなく、理を。

 技ではなく、間を。

 音ではなく、気配を。

 誰にも教えられない、“神則流の核”を、ゲンジは少しずつ、夜の空気の中で伝えていった。


 


 「剣の本質は“間合い”じゃない。“心の距離”だ」

 「刃の届かぬところで、すでに勝負は決まっている」

 「“風”が読めたら、“敵”も読める。風を斬れ、ハヤト」


 それから数年がたち……


 カイルは順調だった。

 ある日、カイエンが言った。


「お前はもう、“型”に入れる。明日から、技の口伝に入る」


 それは、実質的に「継承候補として前進した」証。

 兄の目がまっすぐだった。

 迷いのない、優等生の目。


 その晩、ハヤトは笑って拍手を送った。


 けれど、胸の奥に何かが沈んだ。


 


 (ここから先は、“俺が見てはいけない剣”だ)


 


 その夜も、彼は木刀を持って裏へ向かった。

 月はやけに高く、風が冷たかった。


 


 「よし、今日で終わりだな」


 ゲンジの声がした。

 ハヤトは驚いた顔で振り向く。


「……どうして」


「これから先は、教えることがない。

 あとはお前が、自分の剣を見つけるだけだ」


 その言葉は、まるで「旅立て」と言っているようだった。


 


 ――その翌朝、ハヤトはいなかった。


 


 誰にも告げず、荷物をまとめて、山を降りていた。


 見送ったのは、ただ一人。


 カイエンが、道場の縁側で空を見上げ、ぽつりとつぶやいた。


 


 「……ようやく行ったか、“あの剣”が」


 


 風が、山を吹き抜ける。

 その風の中に、ひとつの“間合い”が生まれていた。


 名もなき少年が、“剣の世界”へと歩み出した朝だった。



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