プロローグ:剣を継がぬ男たち
かつて、
この大陸を百年にわたる戦乱から救った剣士がいた。
その名はムサシ・カザマ。
一人で国を屠り、百の流派を斬り伏せ、戦を終わらせた“理を断つ剣豪”である。
彼が遺した一子相伝の剣術――カザマ神則流は、いまなお伝説として語られている。
そして五代目継承者、カイエン・カザマ。
その名が、現在この流派を受け継ぐ唯一の剣士として、静かに山の庵で暮らしていた。
「……で、どうするつもりだ? このまま誰にも継がせず、隠れて死ぬのか?」
静寂を破ったのは、白髪の老人
――カザマ神則流四代目継承者、ゲンジ・カザマ。
眼光鋭く、まるで刀そのもののような存在感。
怒りに湯気を立てる茶釜のような顔で、カイエンを睨みつけていた。
「もう五十過ぎたんだろう。弟子も取らん、嫁ももらわん、
お前さん、このままいけばカザマ神則流は断絶だぞ。どーすんの?」
「……時間は、まだある」
「あるかバカタレ! ワシの寿命が先に切れるわ!」
ゲンジの杖が床をドン!と鳴らす。
そして言葉の刃がさらに鋭く飛んだ。
「継がせられんのなら、せめて探せ。自分の血が絶えるのが怖いのなら、兄貴にでも頼め!」
「兄に、頭を下げろと……?」
「そうじゃ。“剣を捨てた兄”に、“剣を継がせる子をよこせ”ってな。まさか、それすらできんのか?」
カイエンは黙って湯呑みを口に運んだ。
苦い。茶ではない。人生の味だ。
「……行く」
「おっ、やっとその気か」
「ただし、“ワシが泣きついた”とは言うなよ」
「はっ、当たり前だ。“弟の不出来”ってことで伝えとけ」
「やはりお前は鬼か」
それから数日後――王都。
カザマ家の屋敷は、政治家としてのセイマ・カザマの権威を象徴するような、荘厳な造りだった。
石畳の中庭には植え込みが整えられ、書庫の窓からは陽光が静かに射している。
その奥、応接の間に二人の男が向き合っていた。
一人は、精悍な顔立ちに隠しきれぬ疲労を帯びた中年。
王国評議会筆頭顧問にして、政界随一の理詰めの使い手――セイマ・カザマ。
そしてもう一人は、旅衣に剣ひと振りという山男然とした風貌――カイエン・カザマである。
「……まさかお前がこの家に来るとはな」
「俺も、来るとは思わなかった」
「で、何の用だ」
カイエンは、目を伏せ、言った。
「継承者を……預けてほしい」
「……は?」
「俺には子も、弟子もいない。……だから、お前の子を」
数秒、沈黙が落ちた。
セイマの目が細くなる。
「剣を捨てた俺に、“剣を託す者”をよこせ、か……」
「……その剣を捨てたことが、どれだけ重かったか、今なら分かる」
「……」
「ワシ……じゃない。オヤジが怒っててな」
「やっぱりか」
「でも、俺も……もう、継げる者が必要だと思ってる。誰かに、ムサシの剣を――」
そのとき、障子の奥から二人の少年の声が聞こえてきた。
「父上、客人って――」
「おう、叔父さんだって」
現れたのは、セイマの息子たち。
凛とした佇まいの次男カイル・カザマ、
そして、どこかおどおどした雰囲気を持つ三男ハヤト・カザマ。
その姿を見た瞬間、カイエンは直感した。
――この中に、いる。
剣を継ぐべき“刃”が。
「二人とも、山へ来い。剣を学びたいなら、俺のところで修行させる」
「……お前達は、どうしたい?」
セイマが問う。
「お父上のお申し付けであれば…」
カイルが言うと、ハヤトは頷いた。
「俺が背負えなかった剣だ。もし奴らが背負ってくれるなら、それが俺の償いになる」
セイマはゆっくりと頷いた。
「いいだろう。好きに育ててくれ」
こうして、二人の少年が山へと向かうことになる。
一人は、誰から見ても剣の申し子。
もう一人は、兄の陰に隠れていた少年。
だが、その少年こそが――
やがて“神の理を斬る者”となることを、
今は誰も知らない