業
2004年4月22日、僕は生まれた。名前は「業」。父が「どんな困難にも耐え抜いてほしい」と願いを込めてつけたらしい。母は「そんな名前、プレッシャーになるだけじゃないの?」と呆れたように言ったそうだけど、最終的にはその名前で決まったという話だ。
幼稚園の年中組だった頃、名前のことでからかわれたことがある。砂場でスコップを握っていた太一が、急に僕の名前を言いながら笑い出した。
「ゴウって、なんか変な名前じゃね?悪いことした罰みたいな感じ!」
その言葉に、周りの子どもたちも笑い出した。「本当に悪いことしたの?」と隣の女の子が無邪気に尋ねてくる。僕はただ「違うよ……」と小さく呟いたけど、その声は誰にも届かなかった。指先が砂を掘り返しているだけで、顔を上げることもできなかった。
その日の帰り道、迎えに来てくれた祖母に手を引かれながら、ぽつりと呟いた。
「僕の名前、変だって言われた……。」
祖母は少し驚いた顔をしたけれど、すぐに笑顔を見せた。
「変じゃないよ。業って名前にはね、とても強い意味があるんだよ。」祖母はそう言いながらしゃがみ込んで、僕の目線に合わせた。「早く生まれてきて、みんな心配したけど、こうして元気に走り回ってる。それだけで、十分すごいことだよ。」
その言葉に救われた気がした。でも、頭の中には太一たちの笑い声がずっと残っていて、僕は何も言えなかった。
家に帰ると、リビングでは7歳上の姉が数学の問題集を広げていて、4歳上の姉が台所で何かを作っていた。姉たちは何でもそつなくこなして、親の期待に応えるのが当たり前のように見えた。
「業、ちゃんと手洗った?」
リビングの姉が振り返って声をかける。
「……うん。」
そのとき、台所から母の声が響いた。
「業、宿題終わってるの?ちゃんと確認しなさいよ!」
「……まだ……。」
僕の小さな声に、母は深いため息をついた。
「姉さんたちは、帰ったらすぐに宿題を終わらせるのよ。どうしてあんたはそういうことができないの?」
僕は反論することもできず、洗面所に向かって歩いた。姉たちが何でも完璧にこなす姿が、リビングの光の中で浮かび上がって見えた。
その夜、姉たちの部屋から小さな声が聞こえてきた。
「業、今日また怒られてたね。」
「仕方ないよ。まだ小さいんだし。」
「でも、業も頑張ってるよね。」
姉たちの優しさが逆に胸に刺さる。それが僕にとっては痛みになった。自分が守られる存在でしかないことが、どうしようもなく情けなかった。
その夜、布団の中で目を閉じていると、祖父がそっと部屋に入ってきた。
「起きてるか?」
僕は黙って頷くと、祖父が枕元に腰を下ろした。
「業という名前をつけたのは、お前が強く生きていけるようにって願いを込めてのことなんだよ。」祖父は静かに語り始めた。「お前が早く生まれて、みんな心配した。でも、こうして元気に育っている。それが何よりも嬉しいことなんだ。」
祖父の手が僕の頭を撫でる。その手の温かさが、目を閉じたままの僕に届く。
「お前はお前でいい。それで十分だよ。姉さんたちと比べる必要なんてない。お前が自分の道を進めばいい。」
僕はその言葉に、ほんの少しだけ胸が軽くなるのを感じた。布団の中で「ありがとう」と小さく呟くと、祖父は静かに部屋を出て行った。
その夜、初めて自分の名前を少しだけ受け入れられるようになった気がした。でも、その気持ちが本当に心に根付くには、まだ時間がかかる。