太陽の下に
色々な事が起こり月一で投稿するのが早くも崩れてしまいましたが、再開する事が出来ました。
登場する団体や人物は実際のものとは何も関係がありません。
時代的には2200年前後を想定しています。
朝日が照らす空気の気持ち良さを吸い込み、身体の疲労を吐き出すように大きく深呼吸する。日課のウォーキングを終え自宅の前で時計を見ると時間が進んでいる。
支度を終え職場へと歩き出す。朝からウォーキングをするようになってから身体の調子が良い。朝の気怠さもなく、肩こりもしなくなっていた。気分も前向きになったような気がしている。国の健康管理プロジェクトは私の日々に充実感を与えている。
「ほら。1・2・1・2」職場へ向かう道中、反対車線側の歩道から一際大きな声が聞こえてくる。国の健康管理官の掛け声に促されて、手足を大きく動かして歩いている男性がいた。どうしてあんなになるまで歩かないのだろうか。私には全く理解が出来なかった。
会社に着いて自分の席でお気に入りのアールグレイを飲む。ここまでが私にとっての通勤となっている。その後データのチェックを終え、午前中の打ち合わせに参加する。オンラインでの打ち合わせなので画面を見ていると今日もまた先週より参加者が減っている事に気付く。そのことに気付いた何人かが溜息とともに落胆の表情で画面を眺めているのが見て取れる。
国際団体のニュースでは話題になってはいないが毎日人が消えて行く。世間では誰も怖がって話題に出さないが皆が異変に気付いていた。昨日までいた人がいなくなっていく。そんな消えていく人達の特徴は、最初は遅刻が増える。その後段々と顔を見る機会が減っていくがある日突然、世間の流れについてこれるようになる。それは健康管理官の指導を受け、生活習慣が見直されるからである。それにより社会復帰するが、しかしそれもほとんどの人が一時的なものである。一度でも生活習慣が乱れた者が、完全に社会の時間についていけるようになるのは難しいものである。そこで復帰する人もまれにいるが、ほとんどは二度と日の目を拝むことは出来なくなる。
事の発端は去年である。国際団体が主観時間という技術を作り出した。誰もが等しく過ぎていく時間の流れが、人によって変わるというものである。そしてそれは時間を止める事も進める事も、国際団体の自由自在となる。ただし巻き戻す事は出来ない。そして元々の時間という概念は標準時間として使用することになった。しかしそれは国際団体がその進行を記録しているものの、もはや人類の生活には何の意味もなさなかった。そして主観時間に国際健康団体が連携して新しい世界のルールを作り上げた。健康の為、毎朝ウォーキングをするまでは時間が朝の8時で止まってしまう。そして夜は寝なければ24時で時間が止まってしまうというものである。太陽や月までもがその時間になると定められた行動をしなければ止まってしまう。そしてさらに働き方にも言及され、夜勤といった体内リズムを崩しかねない要因は人体に悪影響との事で禁止された。それにより朝のウォーキングが億劫となり一日を始められない者が次第に増えていった。朝8時にウォーキングせずにだらだらと過ごしたり、仕事や趣味の時間に費やしたりなど人によって様々になった。そして夜はいくら夜更かししても時間が進まないという事で好き放題夜更かしする者が出てきた。だがそういった行動を起こす者は全員、体調が著しく悪くなっていった。今までは強制的にやってくる仕事や学校の時間といった、タイムリミットのおかげで生活リズムを正されることになっていた。だが、それが無くなったことにより人々は健康を意識することなく際限なく生活リズムを自ら狂わしていった。国際健康団体はそれも目的の1つであった。
もともと国際健康団体は様々な人体実験を行う為に作られた組織だった。その実験成果の1つと言われているものが血管に小さなチップを入れるというものである。当初は安全性やプライバシーの問題など様々な事が問題視されていたが、国際健康団体はただひたすら沈黙を貫き、時が経つと次第にその世論も落ち着いた。またそのチップにより血液検査を常に行えて健康診断が可能となり、その精度が高く評判の良さが広がり、世論を落ち着かせるのに貢献していた。そういった人類の健康問題を改善していくというのは実際に行いつつも、それは表向きの部分であった。新たな成果である時間を意図的に止める仕組みにより、もともと生活リズムが狂いやすい人類をあぶり出していった。そしてその者達の健康改善を指導して改善された者は元の生活へ戻していった。しかしそれでも改善されない者は検査及び健康指導という名目で様々な人体実験を行っていた。そうして様々な実験によりその後の行方が誰も分からない者もいた。しかし生活リズムが狂って消えていった者達のその後の事など気にする者はいなくなっていた。国際健康団体が掲げたルールにより、人類は自由に使える時間が無くなり思考という行為そのものが省略され、また技術の発展により高度な知識や技術は全て自動化されていったが故に人類は考えるという行為から縁遠くなっていった。なんとか生活していけている人類のほとんどは、朝はウォーキング、食事は国際団体の指定されたメニューを食べ、仕事中も小まめに休息を取り軽いストレッチをし、仕事を終えると職場に設置義務となっている社内ジムにてヨガをする。休日ももちろん食事管理や適度な運動、メンタルケアなどのカウンセリングを受けたりする事が義務付けられていた為それに時間を費やす。そうしてただ国際健康団体の言いつけ通りに生きる人間だけが生き残っていった。そうした人々はもはや健康を維持する為に生きていると言える程に、生活するうえでのほとんどの時間を健康問題に費やさなければいけなくなっていた。
今日の仕事を終わらせて夕飯の買い物に向かう。夕日はまだ落ちておらず外も明るかった。出社の時と同じく帰路にも健康管理官に指導されてウォーキングしている者がいた。私は誰にも打ち明けずに現在の社会の仕組みに疑問を抱いていた。主観時間によって仕事もそうだが、プライベートで誰かと遊ぶ際にも待ち合わせ時間を決めるのが物凄く困難になっていた。待ち合わせ時間は標準時間を使えば同じタイミングで会う事は可能だ。だが主観時間が人によって今が何時か違うのだから、誰かと同じ状況で待ち合わせするのは非常に困難である。片方は真夜中、片方は真昼間なんて事が当然のようにおこる。お互いに時間の差を把握して調整する事も可能ではある。しかしそれも夜の24時までには寝ていないとそこで一度時間が止まってしまう。朝もウォーキングをしっかり終わらせて時間が止まらないようにしなければ相手との時間が狂ってしまう。この前の久々の友達との食事は相手にとっては早朝。私にとっては夕方のディナーとなった。当然相手はご飯が胃に入らず、お酒もほとんど飲まずに残念な食事会となってしまった。しかし私の心はそれに対して何も感じていなかった。苛立ちや悲しさ、不満も何一つ感じず就寝時間が迫ったから帰宅した。適度な運動と十分な睡眠は心と体を健康にする、というのが国際団体の指針である。実際のところ私はそれにより健康的な身体と気持ちも前向きで明るくなれている気がしている。しかしそれと同時に、私の心を完全に蝕んでいる事を薄々理解していた。しかしここ最近は、何を理解しているのかすら分からなくなっていた。他人から見れば今の私は明るい人間に見えているのか、それとも中身の無い笑顔を振り撒いた、形容し難い恐ろしさを抱えた人間に見えているのか、はたまた単純に暗い顔に見えているのか、それとも無表情のロボットに見えているのか。ふとそんな事が気になったが直ぐに考えることをやめた。気が付けば国際団体指定の食材を購入して家に着いたことで、私の自由な時間は無くなったからである。食事を作り終え、出来上がった夕飯を食べながらテレビを見ていると海が映っていた。それを見た途端私の心の中で波の音が聞こえ、日の光に照らされた砂浜の暖かさを感じた。久しく見ていない海に異様に心が惹かれていく。幸いにも明日はお休みである。1人で海に行く分には誰とも時間を合わせる必要も無い。すぐに私は明日は海を見に行くと決めた。壊れかけていた精神は無性に膨大な水を求めていた。波立つ海であれば尚良い。そんな事を願いながら食器の後片付けをし、そして枕に頭を預けた。
次の日の朝。カーテンを開け外を見ると一面曇り空だった。近隣の歩道に植えられた木々が揺れているのが見える。願った通りの完璧な日だと思った。いったいいつ以来だろうか。心が躍るのを感じている。私は急いでウォーキングを終え、身支度して海へ向かう。ウォーキングを終えるといつものように時間が進み、雲越しに太陽が動き出したのを感じる。そんな太陽が空に出ていないのは私の気分を高揚させていた。なぜなら太陽が全てを狂わせたと感じていたからだ。今までは朝を告げ、夜へ消えていく太陽であった。それが今や私達の生活行動をきっかけに動く一見受動的な存在に見受けられるが、実際のところ私達の生活行動のパターンを強制的に定め、それに従わない者は恐らく二度と太陽を浴びることはないのだろう。昨日までは何が起ころうと心が全く動じない、虚無の中で生活をしていたが、主観時間が始まってからの生活を思い返すと堪らなく太陽が憎いと思えた。時間や太陽という存在がとにかく憎く思えた。私の家族や友達、自由、目標といった何もかもを消し去っていった存在。そうして憎みながら海へと歩いていくと潮風が鼻腔に滲むように入ってきた。すると今までただただ憎いという感情しかなかった心に光が差すような感覚が湧いてきた。失った全てを取り戻さねばならない。ただ諦めて憎んでいるだけでは駄目だと思えた。四肢もあり、思考も出来て、生きながら死んだような生活を受け入れた訳でもない。海に向かった理由の1つに死ぬのも悪くないかもしれないと思えていた部分はあった。しかしそんなものは潮風1つで一瞬に消え去った。私は生きている。幸か不幸か健康体でもある。そうして足はいつしか浜辺の砂を踏みしめていた。不思議な感じがした。曇り空だというのにまるで太陽に照らされたかのように温かい砂浜は、私に生きた心地を分け与えているかのようだった。足の裏から伝わる暖かい活気は膝を通り抜け、腸を巡り、胃を起点に胸全体へ広がる感覚がした。そして私は潮風を多分に含んだ空気を大きく吸い込んだ。咽頭を通り抜け、肺へと伝わり、全身を駆け巡っていく空気は、そこに太陽がある事を確信させた。見上げれば確かに曇り空のおおむね昼時だと分かる。しかし全身が目に見える景色を否定していた。今度は目を閉じて足裏の砂と吸い込む空気に集中する。するとさらに確信に近づく。太陽が全てを照らしている。そこには雲一つなく、全てを暖かさで包む太陽が間違いなく存在している。そうして奇妙な感覚に陥っているとどこからか足音が近づいてくる。その音は間違いなく私の方へと向かっている。健康管理官だろうか。しかし私にやましい事はなにもない。色々考えていると足音の主は私に話しかけた。
「あなたも太陽を取り戻した後ですか」声の主は白髪で、とても威厳のあるスーツ姿の男性だった。男性の目は久々に見る活きた人の目だった。おかしなルールが世界にはびこる前には、私の周りで有り触れていた一生懸命生きている人の目を思い起こさせた。そんな目つきに惹かれながら質問の意味が分からなかった事がゆっくりと気になり始めた。
「取り戻したとは、今雲に隠れている太陽の事ですか」私がそう質問すると男性は少し意外な表情をして私をじっと見つめた。そして少し考えた後に口を開いた。
「先ほどあなたが太陽の光を浴びているように見受けられたので、既に取り除いた人だと思ったのですが違うようですね。どうでしょう、もし良ろしければ時間と太陽の取り戻し方を教えましょうか」男性の発言に理解が追い付かなかった。取り戻すも何も私は自分でも誇れるほどかなり規則正しい生活をしている。一度も健康管理官の指導を受けた事もないし、それどころか医者などにも健康状態に関して褒められている。それ故一度も太陽が止まった事もない、つまり時間に置いていかれた事もない。唯一なかなか寝付けず寝る時間が24時を過ぎる事はあったが、しかしそれも頻度は少ないはずである。
「私は毎朝ウォーキングをしてますし、夜も夜更かしせずに寝てるので時間も太陽もほとんど失った事はないですよ」私の発言に男性は何かを納得した表情で私を諭すような優しい目となり、見せたいものがあると言い、ついてくるよう促した。見ず知らずの人間に、ましてや何を言っているか理解出来ない男性についていく恐怖心もあったが、私が何を失ったか知りたいという好奇心が勝り自然と足が動いていた。今日の私の心が躍動しているせいだろうか。普段ならナンパなど無視してその場を離れるがどうにも興味をそそられる。それにナンパをするような年齢の男性には見えない。もしかしたら今もなお元気な方なのかもしれないが。そんな男性は海沿いの道を少し眩しそうに歩いていく。今まであまり深く気にしていなかったが人によって時間が違うだけでなく、天候も違うのかもしれない。しかしそれだと過去、私が雨が降っていたので傘を差している時に他の人間も傘を差していた事の説明がつかない。本当にこの男性の世界では今は曇天ではなく晴天なのだろうか。それとも時間と太陽を取り戻すという訳の分からない理屈を信じ込ませる為の細かい演技なのだろうか。どちらにしろ今の私には何も分からなかった。ただ付いていく事しか出来なかった。かなりご高齢の男性に見受けられるし、もし危なくなれば逃げようと思えばいつでも逃げれそうではあった。男性はそんな私の気配を察してか安心させようと優しい言葉を投げかけてきた。
そうして引き込まれるように会話に夢中になっていると突然男性が足を止める。どうやら目的地に着いたようだ。道中どこかで気が付かなければおかしいほどそこかしこに大きな屋敷が並んでいる。男性との会話はその事に全く気が付かせない魅力があった。屋敷は最近では全く見なくなった和風建築で、私を怯ませるには十分過ぎる程の重々しい厳威を放っていた。途端に後悔が押し寄せる。得体の知れない所へ来てしまった。今日は冒険しようという意識が普段なら絶対に警戒して近寄らない領域まで私を連れて来てしまった。恐らく私がここで社会から消えることになっても、それは健康指導で姿を消していった人達と同じ扱いを受けるだろう。そういう事まで想定してしまうほど異質な地域に来てしまった。私が気縺れしたような表情になっているの見てか男性はまた優しく声をかけた。
「どうやら怖がらせてしまいましたかな。確かに時間と太陽を取り戻すという言葉と、もはや我が家のような建物は地方でも見なくなりましたからな。色々と異様に思われるでしょう。もちろん中に入るのが嫌でしたらすぐにでも駅まで送りますよ」まるで私の心を全て見透かしているかのように、私が気になっている事を徹頭徹尾言われてしまった。真っ先に浮かんだ事はここで冒険を終え、帰宅するべきだという事だった。しかしどうしても時間と太陽を取り戻すという言葉が気になった。私は思わず聞いてしまった。
「時間と太陽を取り戻すってどういう意味ですか。それが分からないと何も決められません」男性はその言葉を聞いて少し考えた後、見せたいものがあるからそこで待っていてほしいと伝えた。私はそれを了承し屋敷の門の前で待つことにした。空を見上げると雲越しの太陽は夕方へ差し迫ろうとしていた。この辺りはどの家も一際大きく、またどれもよく手入れされた大きな庭があった。きっと繋がりがある有力者たちで固まって住んでいるのだろう。そう思わせるほど何かこの辺りは妙な一体感が見受けられた。そうした気配が私をより一層不安にさせる。ここで一人待っていれば少し心が落ち着くかと思われたが、まるで別の世界に踏み入ってしまったような状況は私を余計に混乱させた。ただここに立ち、待っていると足の感覚が遠のくような気がして少し足を動かす。すると思っていた以上に足が強張っていたのか縺れて転びそうになってしまった。
「おっと、大丈夫ですか。やはり中で待って頂くべきでしたね。失礼しました」転びそうになった私の肩を戻ってきた男性が支えながら気を遣う。私は礼と、少し躓いただけで大したことない事を伝えると直ぐに男性が手に持った物に目が釘付けになる。それはかつてニュースになっていた今や全人類が血管に入れているチップを大きくした模型だった。
「これって血管の中にある健診用のやつですよね。これが見せたいものですか」私はさっぱり理解出来なかった。これのどこが時間と太陽に関係しているのだろうか。そもそもこのチップが導入されたのは随分と昔の事だった。今の主観時間とは導入されたタイミングが全く違っていた。そんな事を考えている私の顔を男性はゆったりとした表情で見守り、私が一通り考えた後を見計らうように時間を置いてから口を開いた。
「実は時間というのは今も昔も誰にとっても等しく流れているんですよ。ただこのチップがそういう風に見せないように出来ているだけで」その言葉を聞き、信じがたいという感情に襲われつつも原理はすぐに理解した。きっと人類の行動パターンに合わせてチップが今が朝なのか、夜なのかを誤認させているのだろう。そうであればある日突然、地球規模で人々の時間が誰に対しても等しく絶対的なものではなくなった理屈も納得出来る。そもそもこの制度が導入された時に人々は一度は疑問に思った。特に何もしていないのに唐突に主観時間という制度が実行され、全ての人間が自分のみの時間の流れを持ち、今までの絶対的な時間を失うという事が可能なのだろうか。だがそんな疑問の集合体が世論として形成される事はなかった。その時の私はなぜ世界中で誰も騒がないのか理解出来なかったが、特段それは拒むような出来事では無い、そう全人類が判断したのだろうと思った。そう考えるとそこに疑問を持つ自分がきっとおかしいのだろうと思い始め、そう考えてしまう自分が恥ずかしくなっていた。しかし今、きっとこの目の前の男性はそこに疑問を持ち続け、その真相を突き止めたのかもしれない。私がそこまで考え終えると同時に男性は口を開き始めた。きっと私の表情をしっかり見て、私が何を考えているのか汲み取っているのだろう。
「そう、このチップが誤った時間を見せているのです。そしてこのチップに疑問を持たせないようにチップ自身がコントロールしている。だから誰もこれに声を上げることは出来ないし、このチップ自体の事を考える事は出来なくなっている」男性は今までに何度もこうして説明している経験があるのだろう。話し始めるタイミングも話自体も滑らかに、だがどこか単調に話していく。その単調具合と反して私の心はどんどん狼狽していった。言っている理屈は理解出来ている。言われてみればチップ以外何もそれらしい原理が思い浮かばなかった。なぜなら国際団体含めどこの公的機関も主観時間の原理を説明している者はいなかった。機密事項の為、公に発表出来ないということだった。しかし今目の前に一切の証拠は見せないままだが、その原理を説明している者がいる。もはやそれは自分の知識を超えていてそれが正しいかどうか分からず、ただ信じるか信じないか。コインを投げて表か裏かのようなものである。恐らく多くの人はこういった話をすぐに信じて陰謀論にはまっていくのだろう。だが今の私にはそれが陰謀論かどうか判断する術がない。心の動揺も相まって理論的な判断が出来る状況ではない。そこに関してはもはや諦めていた。ただ唐突な話過ぎて少し状況と気持ちの整理をしたかった。
「すいません、少しだけ考える時間を貰っていいですか」男性は二つ返事でそれを了承し、今度は屋敷の中へ案内をしてくれた。玄関を入り中も立派な家具がある事に妙な安心感を覚えた。しかしその家具は和風な外観と違い、和洋折衷な組み合わせになっていた。案内された部屋で椅子に座るとすぐに執事と名乗る者が現れ、紅茶かコーヒーのどちらが良いか尋ねられたので紅茶を頼んだ。深呼吸しながらゆっくりと周りを見る。高級家具以外に目に付いたのは写真が多く飾ってある事だった。写っているのは男性とその友人達であろうか。どの写真も写っている者全員が笑顔だった。満面の笑みの者、楽しそうにしながらもどこか恥ずかし気な笑みの者、ただ笑っているだけなのに気品を感じさせる笑みの者、涙目になり泣き笑いしている者。背景や状況、着ている服、表情、姿勢など色んな要素が組み合わさり、写真1枚で写っている者達の人生を物語っているかのようだった。ふと窓の外を見ると相変わらず曇り空だが夕方となっていた。
執事がアールグレイと茶菓子を趣のあるヴィンテージティートロリーに乗せて運んできた。それを見て私はふと、このまま何もせずに帰ったとしてもお茶代としていくら支払わなければいけないのか心配になった。その心配をよそに執事は気品のある所作でアールグレイを注いでくれた。それを見ているとすぐに気が付いた。注いだ時の香りだけで普段飲んでいるお気に入りのアールグレイより上質なものだと。私も紅茶には拘っているのでこんな良い香りの物があるのかと少し悔しい思いをした。紅茶を頼んだ時、出来ればアールグレイで、と伝えていた。これだけのお屋敷で出されるアールグレイが私のお気に入りのアールグレイよりも美味しいのか気になったからである。先ほどまで動揺していて冷静に物事を考えられなかったのに紅茶と聞くと勝負心が沸いていた。それに注文した時は勝ち目がある勝負だと思っていた。しかし1口飲んでみるとそんな悔しさや勝負という思いはすぐに消え去った。それは普段飲んでいる物より華やかさが格段に上だった。もはや私のお気に入りとどちらが美味しいか勝負という土俵には立たせない、圧倒的な気品を漂わせていた。私は完敗を受け入れながら窓の外を見つつ紅茶と茶菓子を口にした。
そうしているとすっかりと心は落ち着いていた。するとタイミング良く男性が部屋にやってきて声をかけてくれた。
「遅くなり申し訳ない。先ほどの話の考えは纏まりましたかな」男性はそう喋りながら目の前の椅子に腰をかけ、そして執事にコーヒーを頼んだ。私は落ち着くだけ落ち着いてまだ何も考えていなかった。慌ててあれこれと考える。そうして思いついた事を片っ端から聞いていった。チップの事を疑う事は出来ないはずなのにどうして男性はそれに気がついたのか。どうやって体中のチップを取り除いたのか。そもそも国際団体はなぜこんな事をしているのか。仮にチップを取り除いた場合に国際団体に目をつけられたりしないのか。いったいいくつの質問をしたか分からないほど窓の外は夜の帳が下りていた。男性はすらすらと淀みなく全ての質問に答えていった。私はその返答を聞くたび踏み入ってはいけない世界への階段を上がっているような錯覚を覚えていた。きっと今までに何人も同じように話を聞き、そして恐らくチップを取り除く決断をしたのだろう。きっと私もその道を辿る事になる。もはや何が正しいか何が間違っているかではなく、入ってしまったからには引き返せないという気持ちが私の四肢を掴み椅子に縛り付けているかのようだった。私はもしかしたら人生で最後になるかもしれないという気持ちで、冷えたアールグレイを注ぎ飲み干した。そして私の意思を伝えると男性は意外なことに、一度家に帰ってからでも遅くないので明日、またこの屋敷へ来るよう促した。私はそれに従い屋敷をあとにすることにした。
家に着き玄関の鍵を開けて中に入った。ふと私はどこを通って帰ったのか、その間に何を考えていたのか全く分からない事に気が付いた。衝撃的な事実ゆえか、奇妙な世界に陶酔してしまったからなのか。恐ろしい世界に浸かっていた身体を、無事家に帰ってきた安心感で包み込もうと深く深呼吸した。ただ精神はもう染まりきっていた。部屋の電気をつけた時、いつもの明るさと違う感じがした。家具や小物も全てがいつもの位置と少しズレてるように感じた。実際のとこ埃の溜まり具合から当然、物は移動してないのは明らかである。しかし私自身の五感が今までと感じ方が違っていた。そんな感覚の違いに一瞬、知らぬ間にチップを取り除いて帰ってきてしまったのかと焦りもした。しかし標準時間を確認すると明らかに私の時間とズレている。直感的に自分に何が起こっているのか悟った。私は余計な事を知ってしまったが故に今まで見てきたもの、触れてきたものなどが全て違って見え、違う質感になってしまったのだろう。男性の一度帰ってからでも遅くないという言葉は全く持って意味を成していなかった。もはや手遅れだった。知ってしまったらもう選択肢が無い。私は既に深海に沈んでいながら陸に居残るか、海に入るかを考えているかのようなものだった。決心をする時間も思考も必要ない。既に私は飲み込まれた。
明くる日の朝は晴天となった。心持もそれに似て清々しいものとなっていた。そもそも私の人生は就職してから孤独なものへとなりつつあった。人との関りが少なくなり、感情の起伏もほとんど平坦なものとなっていた。そこに国際健康団体の新しい制度も相まって自分の時間がさらに取れなくなるだけでなく、人類全体も時間がなくなった事によりコミュニケーションはさらに減っていった。いつのまにか私は自分が女性なのか男性なのか、はたまたトランスジェンダーなのか。いや、恐らく一番近いのはAIなんだろうとさえ思っていた。ただただ健康を保ち続けながら働き続ける。その見事な社会の歯車っぷりは自分自身に対し、皮肉も含めて誇っている部分になっていた。私は与えられた役割を見事にこなしている。だからこそそんな役割を捨てれるかもしれないという男性の話に、私は晴れ晴れとした気持ちで迎え入れようとしているのだろう。なんの迷いもなかった。私はお気に入りのアールグレイを飲み終え、改めてそれに賛辞を送り家をでた。
昨日は覚えていなかった帰路を、昨日とは逆方向に通って男性の家へと向かう。どうやって帰ったか覚えていないはずなのにしっかりと昨日通った道だと認識出来ている。昨日は一体なんだったのだろうか。まして逆方向となると道が分からなくなりそうなものだが、何の迷いもなく歩いていける。そうして歩いていくと男性の家に時間もそうかからず辿り着いた。門を叩くと執事がお出迎えしてくれていた。またコーヒーか紅茶か聞かれたので私はまたアールグレイを頼んだ。そうして昨日と同じ椅子に座り、同じ香りと味を楽しんでいると男性が現れた。男性は私の顔を見るやいなや私の決心を悟ったようだった。そして少し体を横に向け半身になりながら手を扉の奥へと向ける。
「おはようございます。決心されたようで何よりです。こちらへどうぞ」私が席を立ち男性の方へ歩み寄ると男性は扉の奥へと進み先導していく。私はその背中を見ながらついていく。
「チップを取り除くとなると大掛かりな手術となります。なにせ血管内に入り込んだ異物を取り除く事になるので。その手術を出来る病院と医者を紹介します。さて、こちらの部屋です」男性は書斎へと案内した。私は案内されるがまま書斎の椅子に座る。書斎は広めの空間と窓1つない暗めの部屋となっており、それはまるで宇宙の真ん中にいるかのように全方面を本に囲まれている。男性は机の引き出しから紹介状と手術費用を茶封筒に包んで私に差し出した。私は困惑してすぐに尋ねた。
「これはお金ですか。さすがにこれは受け取れません」動揺した私は同じ単語を繰り返しながら男性の手に何度も返そうとする。すると男性は手術代は決して安いものではないという事と、今までもこうして色んな人に無償で渡してきたことを説明した。それを聞いて私はこんな大金を簡単に渡すなんて、やはりこの男性が怪しい人間であるなと思うと同時に、個人的な正義感から色んな人を助けてきた目だなと思える力強さに戸惑っていた。二度もこうしてこの屋敷に来ておきながら未だにどこか詐欺の可能性を考えていたからである。しかし同時に詐欺なら詐欺でもかまわないという投げやりな感情も芽生えていた。今の人生には飽き飽きしていた。死ぬことは怖いので考えた事はなかったが、出来ることならAIになりたいとは思っていた。ここで手術を受けてどうなろうともはや思い残すことはないとさえ思えていた。吉と出るか凶と出るか、手術がどう転ぼうとそれも一興と感じ始めている。そしてしばらく男性の説得を聞いた後、私は茶封筒を受け取り屋敷をあとにした。
手術の日はそう遠くなかった。長期の休みを取るため会社で仕事の段取りをしていると、あれよあれよと入院日の前日となっていた。私の心は驚くほど落ち着いていた。無心で入院用の荷物の用意を終えるとすぐに床に就いた。ベッドの中で明日のことを考える。明日はいよいよ未知の手術の為の入院日である。きっとどういう結果になろうが明後日から私の人生は変わるのだろう。もはや失うことなど何もない私が何かを手に入れる。きっとそれは時間と太陽などという枠には収まらないだろう。恐らく全てが変わってしまう。良くなるか悪くなるか、もはやそれはどちらでも良いとさえ思えた。ひとまず明日になるのを待とう。そうして私は眠りについた。
入院日の朝の天気は晴れていた。私は急ぎ最後になるであろうウォーキングを終えて病院へ向かった。病院への道中はなぜか子供の時の事を思い出していた。自転車に乗る練習をして転んで泣いた事や逆上がりの練習をして手が滑って背中から落ちて泣いた事。なぜか何かを失敗して泣いた事を思い返していた。初めて告白してフラれた時もそういえば泣きながら家へ帰った。急にこんな事を思い出すなんて不吉だなと思い少し後悔した。これからの出来事もはたして泣く事になるんだろうか。だがいつだって挑戦してきた結果ではあった。涙こそ流したが、後悔はなかった。時間が経てば誇らしかったり笑い話になったりしてきた。今回もきっと上手くいく。そう言い聞かせるようにしているうちに病院へ着いた。そこからはただ時が経つのを待った。説明を受け、先に検査を受けて、部屋に着き、明日の手術に備えることになった。夜は他の部屋の患者が騒いで暴れているようだったが、私の心は風一つない水面のように落ち着いていた。そしてベッドに吸い込まれるように眠りに着いた。
手術日当日。ここでもウォーキングは欠かさなかった。病院からはウォーキングはしてもしなくてもどちらでも構わないという説明だった。ただ今まで1日たりとも欠かすこと無く時間通りこなしてきたことなので、それをしないのは違和感で落ち着かなかったのでやる事にした。昨日で最後になると思っていたので少し拍子抜けしたがいつもと違うコースを歩いたので新鮮で楽しかった。病室へ戻り窓の外を見ると朝日が部屋を照らしていた。この光も果たして偽物なのだろうか。もし仮に今が真夜中の人間がいたとしたら部屋の隅は暗く見えているのだろうか。仮に月が部屋を照らしていても部屋の角であれば光は直接は当たらない。反射して当たる光も限られたもののはず。そうであれば暗くて何も見えないはずなのではないだろうか。私は主観時間が大きく標準時間とずれた事がないので、そこの見える感覚に違和感を覚えたことはなかった。そうしてしばらくの間、主観時間の仕組みなどを考えていると、少しでも早く手術を終わらせたくなった。やはりこんな制度は間違っている。健康になる事に追われ、人々は孤立化していく。たまに誰かと朝まで飲み明かした事が懐かしい。今そんな事をしようとすると24時で時間が止まってしまい、朝が来ないが故に歯止めが効かずアルコール中毒になってしまう事が社会問題になっている。お店側も夜勤は禁止されているので昼間の時間になっている者を出勤させるなど管理が大変になっている。それを食い止めようとなぜか国際団体は酒税の引き上げを検討している。食い止めるにしても方向性が違うのではないかと思う。それに人間の酒への執着は底知れぬものがある。きっとそれに対抗しようと大きな争いになるだろう。
何もかもが誰かが考えた机上の空論に狂わされている。そんな世界から1秒でも早く抜け出したくなった。そこにちょうど良く看護師が現れ手術室へ向かう準備をし始めた。私はそれに行儀良く従った。てっきり移動式ベッドに乗せられると思っていたが、不調なところはどこにも無いため歩いて手術室へと向かうことになった。緊張は微塵も感じていない。むしろ歩いて向かっていることでこれから私が私自身を手術するといった意気込みすら湧いてきた。まるで医者のような面持ちで手術室へ入るとそこは独特な匂いと空気が立ち込めていた。手術とは縁のない人生だったので少し怯んだ。そしてゆっくり右から左へ部屋全体を眺め、その後医者たちの表情を見る。まるで私を人間ではなくロボットとして見ているかのような医者達の立ち振るまいが、私を奇妙な人形かのように仕立てあげ、天井から糸が垂れ下がり私の身体の節々を捉え手術台へと誘うかのようだった。移動式ベッドに乗っていないのに部屋の入口に立った瞬間から自動で身体が動いているかのようだった。そこにはもはや緊張や恐怖、平常心などというものは存在しなかった。感情がなくただ時が進むのを待つだけ。私はまるで人体模型になったかのような気分だった。
手術は終了した。手術自体は麻酔により何も覚えていなかった。意識が戻り気が付けばベッドに横たわっていた。状況を確認しようと体を起こそうとすると、すぐに尿意に襲われた。私はそのまま慌ててトイレに行こうとしたところを病室に入ってきた看護師に止められて横になるよう促された。トイレに行きたいことを伝えると看護師は尿道カテーテルが挿入されていることを説明し、先生を呼んでくるので少し待っているように言った。そうして待っていると身体の感覚がだんだんと戻ってきた。窓の外を見る。太陽が世界を照らしている。それを見て直感的に理解した。手術は無事終わり、時間が標準時間で進んでいる。私はきっと元の世界に戻ってきた。窓の外の太陽の光の眩さが今までとは格段に違う。光自体に温もりを感じる。窓から直接光が差し込んでくる訳ではないし、部屋の中は人口の光に照らされている。しかし窓の外の太陽の光が世界を照らす様は、まるで昔見た雲に覆われているなか、雲間から一点だけ光が差し込み光の道が降りている。そんな光景を思い起こさせた。そんな光景に心を震わせていると先生が病室へ入ってきた。予想通り無事終わった事と、術後1週間は安静にしているよう説明があった。
久々の仕事に向かう。しばらく自宅でのんびりと過ごしていたので少し身体が鈍っていたが、久方ぶりの朝の空気は気持ち良い。術後思ったより体の気怠さが取れなかった為、安静にするよう医者に言われた事をしっかりと守っていた。その為1週間ずっと家の中で過ごしていた。安静にしていた直後にいきなり仕事なので体力的に少し不安だが、溜まっている仕事を考えるとそちらの不安の方が大きくなっていた。通勤の朝の風景は何も変わっていない。もともと標準時間とさほど大きなずれがないので太陽の位置も手術前と大きくは変わっていないだろう。だが今こうして私を照らしている太陽は今までの太陽とは違う。病室で感じた本物の太陽の光への感動は今は特に感じない。やはり術後直ぐという事での気持ちの問題なのだろうか。しかし確かに今、私は本物の太陽の下にいる。その確信は何も変わらない。私は堂々とした面持ちで空を見上げる。そうして晴れ晴れとした気持ちで職場へと向かう。ふと気付いたのは今日は健康管理官に指導されている者は一人も見かけない。珍しい事もあるんだなと思った。
そうこうしていると職場へ着いた。久方ぶりの職場でのアールグレイと思ったが落ち着いて飲めるような状況ではなかった。パソコンにもデスクにもタスクが溜まっている。こうなっているだろうという事は覚悟していたし、たくさん休んだので怯みはしない。気合を入れて終わらせようと直ぐに取り掛かった。そうしてひたすらに仕事を片付けていき、気付けば夜遅くになっていた。私は後回しに出来るタスクを残し後片付けをして帰宅した。今日は仕事をしていたので主観時間が終わり、標準時間のなか生活している事の実感が通勤時間を除けば特に感じられなかった。ただ実際のところその違いを実感するのは24時の寝る時間と朝6時のウォーキングの時間である。そこで就寝時間をずらしたり、ウォーキングをサボっても特に何も問題ない。そもそもウォーキングはもうする必要はないのではとも思っている。それは主観時間が始まる以前の生活そのままである。私はいつものように自宅で晩御飯を作り食事を済ませる。そしてお風呂に入った後、少し読書をしてからベッドに横になる。ひとまず次の休みまではひたすら仕事を頑張ろう。そう思い目を閉じるがなかなか寝付けない。久方ぶりの仕事で身体が興奮しているのだろうか。疲れているはずなのになかなか寝付けず横向きになったり、うつ伏せになったり、仰向けに戻ったりを繰り返した。しかし全く眠れない。困ったものだ。主観時間でなくなった私は眠れなくても時間が進んでいく。職場の出勤時間は朝9時ではあるが、それも人によって違う為それぞれ各自の朝9時に出勤となる。そしてそれは自己申告制のフレックス制度なので仮に朝の時間を嘘をついても問題はない。ただし月の就業時間を不足していると減給対象になってはしまうが、遅刻という概念は存在しなくなった。もしこのまま眠れず睡眠時間が削られてしまったら、本当は自分にとって12時だとしても朝の9時と嘘をついて出勤しよう。今までそんな事はしたことなかったが、私は睡眠時間が短すぎると途端に体調を崩してしまう。それゆえ今まで時間に正確に行動し、健康を維持し、毎日しっかりと7時間は眠っていた。睡眠時間は削れない。そうして嘘をつく覚悟を決めるといつの間にか眠ってしまっていた。
私はお昼の12時には職場に着いた。計算通りの時間に着いてしまい、我ながら時間管理が上手いのか下手なのか分からなくなっていたが、今日の分の大量のタスクを見た途端そんなことはどうでもよくなった。昨日は長らく休んでいたせいで私は仕事に追われていた。皆はそんな私を見てきっとタスクを私に振るのを少し遠慮していたのだろう。昨日は無かったタスクが大量に来ている。久方ぶりの仕事に加えて溜まりすぎていた仕事を処理していたからだろうか。大量のタスクの中には私が昨日ミスしている部分が指摘されて戻ってきていた。それらを見て私は覚悟を決めて軽く腕まくりをして早急に取り掛かり始めた。そうしてまた気付けば夜も更けっていた。昼食も持参した弁当を食べたが、仕事に追われたせいで、自分で作り自分が食べたのに何を食べたのか覚えていなかった。こうして今日も遅くまで残業したせいで、身体の疲労が帰路の足取りすらも遅くさせる。家に着くころにはもう明け方の5時頃になっていた。空もうっすらと明るみを帯びてきて、このまま外にいれば夜勤明けの疲れた体を癒すような朝日が昇ってくるのだろう。だがそんな時間を待っていれば明日の仕事は何時出勤になってしまうのか。このまま朝日を見たいとも思う気持ちも少しあったが、立ち止まることなく玄関の鍵を開ける。ご飯とお風呂を早々に済ませて寝なければいけない。明日も仕事がたくさんある。
そうして私はしばらく仕事に追われる日々を送った。そして追われているのは仕事だけではなくなっていた。私が追っているのか、追われているのか。どちらかは分からないが、今や主観時間が標準時間となったその時間と、朝9時という出勤時間の時差が大きくなっていた。時には夜の9時に朝9時と偽って出勤していた。そんな生活をしているから当然だろう。日を追うごとに私の体調は悪くなっていった。主観時間などという仕組みが出来る前は当たり前のように出来ていた時間管理が出来なくなっているばかりか、今や嘘に嘘を重ね続けて自分の本当の時間と他人に告げる用の客観的な時間の2つの時間で生きている。主観時間という仕組みが出来てからもほとんど狂う事なく生活出来ていたのに、なぜそれが今出来なくなっているのか。仕事に追われているからなのか、一度生活リズムが狂ってもどうにかなってしまう社会の仕組みになっているがゆえに、その部分に甘えてしまっているからなのか。仕事も今まででは有り得ないようなミスをしている。きっと疲労のせいだろうと思ってはいるが、この疲労が健康問題にまで発展してはまずいなと思い始めた。近い内に健康診断がある。あの男性が言うには健康診断は男性が教えてくれたいくつかの病院のどれかで受けなければ、血液中のチップが無い事がバレてしまいトラブルになる可能性が高いと教えられている。そうなるとチップ関係は何も問題ないだろうが、本来の目的の健康面が問題である。疲労の蓄積と自律神経が乱れているのだろう。肌荒れもひどく、体も常に気怠さがあり体全体に何かが重くのしかかっているかのような感覚に苛まれている。食事もだんだんと喉を通らなくなってきている。幸い明日は休みである。しっかり休息をとって疲労回復をして、生活リズムを正すことに集中しよう。
明くる日、友人Aから連絡が届いた。先日、共通の友人である友人Bが事故で亡くなったと泣きながら連絡してきた。友人Bの家族も気が動転しており、親戚や会社関係には既に連絡済みであったが友人関係に連絡が遅くなっていたとのことである。その関係で本日がお通夜である事を聞かせられた。少しの間を置いて窓の外を眺めた途端、私はショックで泣き崩れた。ここしばらくは会えてなかったとは言え、学生時代からの友人と唐突にお別れとなってしまった事が受け入れられなかった。しかしお通夜の時間は刻一刻と迫ってくる。私は疲労によるものなのかショックによるものなのか、自分でも分からないが異様に震える膝に手を当てて、なんとか立ち上がり疲労で蓄積した身体を引きずってお通夜へ向かった。
大分遅れてお通夜の会場へ辿り着いた。友人関係や会社関係の人達はちょうど帰る頃合いだった。泣いている友人を無言で抱きしめ少し話をした後受付へと向かう。残っているのは親戚一同と奥のほうで友人の両親と友人の姉が泣きながら遺影を眺めていた。受付で香典を渡し終えてお焼香をあげようと思ったが、泣き崩れている友人Bの遺族達の前を私一人で遺影の元に行くのは少し躊躇われた。しかし遅れてきた私が悪いのだし、ましてやお焼香をあげずに帰るなんてことは私自身もそれを許さない。少し自分に喝を入れ、遠くから遺影を真っ直ぐ見ると途端に涙が溢れてきた。本当に亡くなったのだ。その事実は私の頭の中や心の内を置き去りにし、涙だけを溢れさせる。そして涙でぼんやりと見える友人Bの遺影に向かって歩いていき、友人Bの御遺族にお辞儀をした。そして頭を上げて間近でもう一度遺影を見ると、突然友人Bが亡くなったという事実がまた私を襲った。今度はまるで体の末端から順に、全身の血液が目に集まり、突然宇宙に放り投げられたかのように体のバランス感覚を失い倒れこみながら号泣している錯覚を覚えた。実際にはなんとか足が踏ん張っており、しっかりと立ってはいるがどうしても涙だけは止められなかった。私は涙でほとんど見えないままお焼香をあげ終え、また御遺族にお辞儀をして式場を出た。外の風に当たると血液が全身に行き渡っていくのを感じる。全身の感覚も元に戻っていき、しっかりと地面に足を着けているのを感じる。しかしその足が動かない。正確にはどこに動かせばいいのか分からない。どこに向かえばいいのか分からない。家に帰れば良いというのは分かっている。だが私はいったいどこからここにやってきたのか。自分の家の場所が分からない。車は持っていないので恐らく電車で来たのだろうが駅の場所が分からない。私は怖くなって目を閉じた。目を閉じてただひたすら頭に意識を集中させた。きっと友人を亡くしたショックで少し脳にダメージか何かが入っただけだ。そう言い聞かせながら部屋の情景を思い浮かべた。お気に入りのアールグレイ、奮発して買ったテーブル、帰ったら使うつもりの入浴剤、部屋に置いてあるそれらを思い浮かべているとふと頭の中に往路の記憶が蘇った。私は安堵して駅へと向かう。一体なんだったのだろうか。帰りの電車の中で少し恐怖に苛まれながら考えていた。少し思うところがあるのはここ最近は仕事の調子がおかしい。今までだと考えられないミスや、物忘れがひどくなっている。そして先ほどの記憶喪失。それはまるで透明な水の中に一滴の墨汁が入ったかのように私に一抹の不安を過らせる。あの手術はもしかしたらやってはいけなかったのかもしれない。
友人の葬儀から2か月程経ったある日、私は職場には何も告げずにただのんびりと部屋で過ごしている。今日のアールグレイは味が薄い気がする。平日の朝に私は家で椅子に座って窓の外を眺めている。私はどんどん考えるという行為が出来なくなっていた。直近の記憶力も失われていった。幸い昔のことは覚えている。家族の顔も通っていた学校も覚えている。人間はある日突然に空から降ってくるわけではない。過程は千差万別あれど人から生まれ、人に育てられ大人になっていく。私もこうして今大人として生きているわけなのだから家族に育てられたはず。そうして思い起こすと浮かぶ顔がきっと私の両親なのだ。大丈夫覚えている。大好きな友達や頑張っていた部活動の写真が部屋に飾られている。私以外が私の部屋にこんな写真を飾るはずがない。だからこれも私の思い出だ。忘れてはいない。私はきっと少し疲れているんだろう。久しぶりに実家に帰って母親の料理を食べたい。仕事はミスばかりして、もう行きたくはない。職場では周りの心配や懐疑的な目が私に突き刺さって息苦しい。私は母親に連絡を取ろうとスマートフォンを探す。どこに置いただろうか。よく置いてある場所を何ヵ所か探すが見つからない。そうしてあちこち探しているとインターフォンが鳴った。宅配か何かの勧誘だろうか。インターフォンの画面を見るとビシッとスーツを着こなす男性と女性がいた。よくある来客とは装いが明らかに違い、私は少し怖くなったが通話ボタンを押し対応することにした。「どちら様でしょうか」そう声をかけると一瞬男性の後ろに立っている女性の目がピクリと動いた。そして男性が応える。
「朝早くからすみません。健康管理官です。定期的にあちこちを周って直接お会いして健康問題に関する意見や要望、お困りごとなどがないか確認しております。可能でしたら少しお話だけでも伺えないでしょうか」そう言って男性はカメラに名刺と健康管理官のバッジを見せながら軽く会釈した。今日はのんびりするつもりだったし、それに私は会いにいく予定だった。そう、会いに。誰に会うつもりだったのだろうか。私は何をしようとしていたのか分からなくなってしまった。こういった事が最近はひっきりなしに起こる。大きな絵画を虫食い達があちらこちらからどんどん食い破っていくように、私の記憶は断片的にどんどん消えていった。インターフォンを虚ろ目で眺めながら必死に何をしようと思っていたのか思いだそうとすると、健康管理官が不審に思ったのかもう一度声をかける。「すいません。大丈夫でしょうか。お困りごとがあれば一先ず開けていただけないでしょうか」その声に私は慌てて応える。
「すいません。よく分からないんです。何も、何も分からないんです」私はそう言いながら鍵を開けていた。気持ちと行動が乖離し自分でも何をしているのか分からなくなってしまった。そうして私は健康管理官を招き入れ、いくつかの問診を受けた後に緊急入院する事になった。それは通常の病院ではない。国際健康団体が管理する病院で、主に主観時間が崩れていった者を診る病院となっていた。私はそこでただ聞こえてくる言葉に
「はい、はい」とだけ答えて時が過ぎるのを待った。
「はい。1・2・1・2」女性の健康管理官の声が朝の空に響き渡る。晴天の空、太陽は全てを平等に照らしていた。そんな日の光に当てられながら私はひたすら腕を振り、足を上げ歩いた。なんと幸せな事だろう。何も考える必要がない。ただ歩けばいい。
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