9 運命―3
かつてはオルレイン公爵家の夫人も神継ぎの巫女であった。その名をヘルミナ・オルレイン。巫女は国王、最高位神官と並び立ち民を導く存在である。
レーナが前の運命で民に尽くしたように、彼女もまた国の行く末を案じその責任を果たそうとしていた。
しかし彼女はある時、何者かによって意識を奪われてしまった。
「母はその時、国王との会議のため城に出向いていました。私も母に連れ添って城に行きました。そこで私は見たんです、母が倒れる瞬間を」
巫女は一番に神の恩恵を預かることができる。巫女の力は“万物を分解する”力と、“未来を確定させる”力の他にもあと一つ力があった。
それは“生命を再生させる”力。どんな傷も癒すことができる力だ。そして完全な巫女であればその全ての力を使える。ヘルミナは若くして巫女となったこともあり全ての力を使えた。
故に、倒れるわけが無いのだ。巫女は人間であり、人間の範疇を抜けた存在でもある。完全な巫女が倒れる、その事実は明らかに常軌を逸していたのである。
「私はとっさに隠れたので大丈夫でしたが、母は巫女の力をほとんど奪われていました」
「レーナの時とまったく同じってわけか。どんな奴だったか見たの?」
「箱の中に隠れたので見てません。でも、聞き覚えのある声でした」
「誰?」
「それが⋯⋯分からないんです。聞いたことのある声なのは確かなんですけど、それが誰だったか具体的に思い出せない」
「ふむ、なるほどね」
ヘルミナ・オルレインが倒れた時、俺はまだレーナと出会っていなかった。つまり少なくとも二年前の話ということになる。アリアはその時五歳だ。鮮明に覚えていないのも無理はない。
だが、これで解ったこともある。レーナが死んでから俺がオルレイン家に行った時、アリアだけから怒りを感じなかった理由は。
「君は知っていたんだね。巫女を殺した犯人が別にいるって」
「巫女の力を奪われて死ぬ。状況が母の時と一致していましたから」
「そのまま俺がヘルミナ様も殺した奴だとは思わなかったの?」
「言ったでしょう。母を殺した犯人の声には聞き覚えがあったって。その時はまだシュレットさんとは話したこともないですよ」
「じゃあ、犯人の仲間だとは?」
「思いませんでしたね。だってシュレットさん、魔法ほとんど使えないじゃないですか。過去姉さんに話していたことは知ってますよ」
「ちょ、ちょっと、恋人同士の甘い会話を盗み聞きしちゃ駄目でしょ」
「別に甘くもなんともない会話しかしてなかったので大丈夫です」
「しっかり全部聞いてるね」
魔法が剣生成以外使えないことは自分でも気にしているところではある。レーナ以外には話さないつもりでいたが、見事アリアに盗み聞きされていたとは。
というか剣生成についてレーナに話したのは恋人になってすぐのことだったような⋯⋯。となると二人ともまだ結構初心の時。かなり恥ずかしい会話を聞かれていたのかもしれない。
「よし、話を戻そうか。とりあえず、これで犯人探しの外枠が埋まったね」
「はい。おそらく犯人は私たちの近くにいる。それと、犯人が用いた巫女の力を奪う手段は魔法です」
「魔法⋯⋯か。俺の時は勝手に身体から陣が浮かび上がってきたんだよね」
「それで巫女の力を奪う何らかの魔法が発動したと?」
「あぁ。明らかに普通の魔法じゃなかった。遠隔で他人に魔法を使わせるのもそうだけど」
そんなことが可能なのは、その危険性から今は封印されてしまった魔法くらいだ。
アリアが言った。
「やっぱり犯人探しの前に原因の魔法を探すことが先決かもしれないですね」
「俺としては犯人探しの方がやる気は出るんだけど」
「闇雲に探しても意味はありません。犯人が用いた魔法を明らかにすることで、あるいは犯人に辿り着けるかも」
「⋯⋯まぁ、それも一理あるか」
思えば、操られたくせして俺は犯人の声すら知らない。それならば、どんなに小さいことでも今の俺にとっては大きな手掛かりだ。ここは大人しくアリアと行動していた方が色々と事が進むかもしれない。
「だったらまずはどうすればいい?」
「だから、家庭教師」
と言うと、アリアは眠るヘルミナに「また来ます」と囁いて部屋から出ていってしまった。
「⋯⋯そういうことね」
呟き、俺もアリアに続いた。
◇◇◆
「そういえば、シュレットさんって何か得意な科目あります?」
オルレイン家の門を出ようとした時、アリアは唐突にそう聞いてきた。
「うーん、ないけど。どうして?」
「ほら、家庭教師の話。ある程度お父さまに専門の科目を披露してもらうんです」
「へぇー、そうなんだ⋯⋯て、それじゃ俺まずくない? 多分教えられることなんて一つもないよ」
「何かないんですか?」
「いや、ほんとに無い」
なにしろ俺は学園というものに行っていなかった。
学園は大抵の場合試験を受けて合格すれば入ることができるため、貴族もいれば平民もいる。十歳から七年通うことができ、学園内では身分の差は関係なく成績が物を言う。
俺は勉強が大の苦手だった。学園を出ればある程度の役職は保証されるが、俺の場合勉強をやりたくない一心から学園には通わなかった。
「どうしましょう。まずいですね。これではシュレットさんが家庭教師になれません」
「最悪なれなくてもいいんだけどね」
「なった方がお得ですよ。私の付き人として学園に入れますし、もしかすると教員しか入れない禁書庫にも入れるかもしれません」
「禁書庫か、それはちょっと気になるな」
「でしょう!」
「でもねぇ⋯⋯」
シュレットは腕を組んで考える。
「俺は何も教えられないっていうのが事実だからさ。正直厳しいよ」
「そこを何とか頑張るんです」
「ちょっとちょっと、もう少し妥当性のある話してくれない?」
「では真面目な話をしましょう。もし、シュレットさんが何もできない人だったことが知れたら、娘をたぶらかした犯罪者としてお父さまによって騎士団に送られます」
「うん、すごく真面目な話だ」
騎士団に送られたら少なくとも一ヶ月は牢獄暮らしを覚悟しなければならない。だがそんなことは絶対に御免だ。試験当日までに家庭教師足り得る価値を用意する必要がある。
「ちなみに剣術とかはやらないの?」
「学園ではやることもありますが、今回はそれは使えません」
「うーん、そうか⋯⋯」
俺の価値といえば剣術くらいしか思い当たらないのだが、それが使えないとなるとやはり辛い。
このままでは本当に牢獄行きだ。とは言っても、最悪逃げられるか。なにせ時を操る龍から与えられた多種多様な魔法がある。それらを駆使すれば脱獄なんていとも簡単に⋯⋯。
「あっ、そうだ」
シュレットは気付いた。
そうだ、俺にはこれがあった。なぜさっきまで気づかなかったのか。俺が教えられること、魔法があるじゃないか。
「シュレットさん? 急にどうしたんですか?」
アリアはきょとんとした顔で聞く。
「俺にもあったんだよ。君に教えられること」
「それはなんです?」
「魔法だよ」
「⋯⋯え? たしかシュレットさんって魔法は剣生成以外使えないはずじゃ⋯⋯」
「いや、龍に会った時に色々あって今はほとんどの魔法を使えるんだ」
そう、色々あった。自衛または戦闘用として押し付けられたと言うべきか。しかし結果としてそれは思わぬところで役に立ちそうだ。
「そうだったんですか。それは私も知りませんでした」
「あれ、神は教えてくれなかったの?」
「はい。まったく」
「⋯⋯へぇ」
普通これこそ第一に伝えるべきことだろう、とシュレットは思った。
神というのは肝心なところで伝えるべきことを伝えてくれない。そこのところは少しアリアに似ている気がしなくもないが、アリアがそれに似てしまったのだろうか。
シュレットはやがてそれが意味のないことだと気づいて考えるのをやめた。
「とにかく、家庭教師として売り出せるところは見つかったわけだし今日のところはこれで帰るよ」
「はい。私も良かったです。次はまた三日後に来てください」
「随分早いね」
「これでもお父さまに頼んだんですよ。家庭教師を選ぶ日を遅らせてくれって」
「うそ、これで⋯⋯?」
シュレットは目を見開いた。
本当にアリアは計画性があるように見せかけて計画性がない。俺が過去に来るのがもう少し後だったらどうしていたというのか。
「君といると、行き当たりばったりだよ」
皮肉を言ったつもりだったが、アリアはそれを気にもとめずに笑った。
「楽しいでしょ?」
「いや、全然」
シュレットは疲れた顔で返した。