7 運命―1
俺はある路地裏で目を覚ました。
目を覚ますと、まずは謎の息苦しさに襲われた。勢いで慌てて顔を触って、その理由を理解した。
なぜか俺は黒い仮面をつけていたのだ。しかも外せない。
なぜだ?と俺は考える。
誰かが俺につけて行ったのか。それとも無意識の内に自分でつけたのか。自分でつけていたらそれはそれで怖い。
だが違うだろう。
埒が明かなくなって、俺は動くことにした。
路地裏から出ると、そこは見慣れた街並みだった。
アルカトル王国。二度と来ないと思っていた場所に、また帰ってきていた。
俺の決意の薄さに可笑しくなり、不意に彼女の言葉を思い出した。
―――私たちはまた会える。そうなるようにしますから。
俺は胸を突かれたような気分になった。
帰って来る見込みなど無かったはずなのに、彼女の言葉は見事的中してしまった。
「⋯⋯やっぱりこわ」
まさかこれも“未来を確定させる”力の影響なのだろうか。そうだとしたら俺は未だアリアの掌の上にいることになってしまうのだが、流石にそれはないと信じたい。
過去に戻ってきたのはあくまでも俺の意思に基づくものであり、彼女の意思によるものではない。いくらなんでもこれは考えすぎだ。
「―――なにがこわいんですか、お義兄さん」
あの声が今度は現実になった。
いつの間にか俺の後ろに少女が立っていて、掴みどころのない顔でこちらを見つめている。
「君は⋯⋯」
肩まで切りそろえられた金髪。俺を見つめるくりんとした淡い水色の瞳。
「アリアロット⋯⋯なのか」
「はい。過去でもまた会えましたね」
俺の中には今衝撃と困惑の二つが入り混じっている。だがこれで一つ確信した。ここは、やはり過去であることには変わりない、ということだ。
しかしこの状況はどういうことなのか。なぜ過去のアリアが未来から戻ってきた俺のことを認知している?
アリアはこの前あった時よりも小さい。七歳くらいだろうか。ここは過去なのだからこれは当然だ。
そう、ここは過去だ。未来から来た俺のことなんてアリアには解りようもないことだろう。この状況は明らかにおかしい。いや、そもそもひとえに過去と言っても、俺はどのくらい時間を遡ってきたのだろう。
「君は⋯⋯なぜ俺のことを?」
「簡単なことですよ。あなたがいた未来の私から、過去の私へ、記憶を移したんです」
「記憶を? それも巫女の力?」
「いえ、巫女の力というより神にお願いしただけです。けれどそれで、私も記憶を過去に引き継ぐことができた」
なるほど。つまりアリアはある種俺とは別の方法で過去に戻ってきたということか。
「⋯⋯相変わらず君はとんでもないことをするな」
「それは、褒め言葉ではないんでしょう?」
「正解」
しっかりと俺の意図も汲み取れている。たしかに、この少女は未来のアリアであることに間違いはなさそうだ。
「ところで、今は光印歴何年なの?」
「六百四十九年です。つまり元の時間より五年前ということになります」
「⋯⋯そんなに戻ってきちゃったか」
「龍の時を操る力も便利ではないみたいですね」
「それも知ってるのか」
「もちろん」
アリアの誇らしげな言い方に俺は苦笑する。
完全にアリアの掌の上でなくても、掌の端くらいには俺はいたらしい。
まぁ重要なのはそこではない。重要なのは、あの事件が起こる五年前にやってきてしまったという事である。
「てことは直近一年で何か起こる可能性は低いってことか⋯⋯」
当初は一年前くらいに戻って来る想定だったのだ。
「でも、お義兄さんにとってはいいことなんじゃないですか?」
「え?」
「だって、未来通りに事件が起こるなら、あと五年は猶予があるということです。その猶予で事件の犯人なり、事件の原因なりを探れるじゃないですか」
「まぁ、たしかにそうではあるんだけどね」
五年も時間があれば事件自体を未然に防げるかもしれない。首謀者を探し出し、誰にも見つからず密かに殺せばそれで終わる話だ。
それで贖罪の旅は終わる。
「でも、これはあくまでも未来通りに事が起こるならという想定でしかないです」
アリアは石畳を鳴らして俺に近づいてくる。
「お義兄さんには言っておかなければならないことがあります。よく聞いて下さい」
「⋯⋯なにかな」
「過去は、完全に同じ過去ということではありません。時間を遡ったあなたという存在、記憶を過去に移した私という存在、この二つのせいで少しずつ運命がねじ曲がっています」
「⋯⋯⋯⋯」
運命がねじ曲がっている⋯⋯つまり全てが未来通りにいくわけではないということか。何かしら俺たちが知る未来とは異なる点が出てくるのだろう。
「なるほど、それが代償ってことか」
「⋯⋯驚かないんですか?」
「いや、驚いてるよ。でも何となくそんな気はしてた。龍は特に何も言ってなかったけど、時を操る力に代償が無いわけがない」
あの龍はこの代償についてまったく話してくれなかった。しかしこれは見当違いで、彼もまた代償について知らなかったのだろう。
時を操る龍などと評されながら、おそらく彼自身がこの力を使ったことはなかった。
「ほんとに、いろいろな意味で面倒な力をもらっちゃったよ」
「でも、もう後戻りはできませんね」
「べつにする気はないって。ただ、自分がこの力をうまく制御し切れるかが不安なだけ」
「それ以外にも、不安なことはあるんでしょう?」
「⋯⋯そうだね」
だがそれでも前に進むしかない。たとえ道中死んだっていい。元々生かされていた命だ、それが俺の罰になるならそれでもいい。
ただし停滞だけはあってはならない。もしかしたら己の現状に満足して罪から逃れてしまうことこそ一番の不安なのかもしれない。
そう考えると簡単なことじゃないか。
「ところで⋯⋯君は何しに過去まで戻ってきたの?」
「あなたを手伝うためですが、それ以外に何かありますか」
「えぇ⋯⋯そうなんだ」
「不服そうですね」
アリアはニコニコと過去一番の笑顔を見せる。
一体どういうことだ。この子は何を考えているのだろう。
「えぇっと、一応聞いておくんだけど、君は俺の邪魔がしたいの?」
「いえ、邪魔ではなく手伝いがしたいです」
「それ本当?」
「本当です」
一度は家族になる予定だったのに、俺がこの子のことをよく知らないのも悪いんだと思う。しかし、俺は本心からこの子のことがよく解らない。
「信じられない、という顔ですね」
「そりゃね、あの家の中でさえ君と関わることは少なかったし」
「⋯⋯分かりました。では勝手に手伝わせてもらいます」
「あ、強行手段」
そして彼女はまた突拍子もないことを言った。
「まずは私の家庭教師になってください」
「やだ」
俺が逃げようとすると。
「無駄ですよ。もう推薦状はお父様に出してあります。もし、私からの誘いを無下にしたら⋯⋯わかりますよね?」
「え、ちょっと、用意周到⋯⋯」
「絶対に逃げられませんよ」
その瞬間だけ周りの空気が異常に低かった。ような気がする。多分。ほとんど俺の恐怖心がそうさせたんだろうけど。錯覚だと信じたい。
結局俺はオルレイン家に連れて行かれることになった。






