4 贖罪―4
かつて世界には時を操る龍がいたと言われている。その龍は貌が定まっていなかった。ある時は美麗な姿で、ある時は邪龍のような姿をしていたという。
その龍が邪龍であった時、人々は災いをもたらすと考え、龍討伐に出た。
しかし人々は、龍の圧倒的な強さを前に敗れてしまった。なんとか龍を果ての洞窟に追いやることには成功したものの、それから人々は龍を恐れるようになった。
この話を聞いたのは、ベリクとの会話の中でだった。戦闘好き、もとい戦闘狂のベリクはよくこういった類いの言い伝えを聞き集めているらしい。
俺がその中でも気になったのが、時を操る龍の話だった。この話はもう四百年も前の話で、時を操る龍は今なお大陸の果ての洞窟で眠っているそうだ。
オルレイン家との別れを済ませた俺は、王国を出て果ての洞窟を目指した。何度も馬車を乗り継ぎ、いくつかの街に立ち寄り、龍が眠る洞窟に着いたのは、それから二ヶ月後のことだった。
俺が龍の下を目指した理由はただ一つ、時を操る力を得られないかと思ったからだ。龍を討伐、あるいは龍と意思疎通できれば、彼女がまだ生きていた世界に戻れるかもしれない。
現状は一縷の望みでしかないが、もし戻ることができたら、ようやく本当の贖罪を全うできるかもしれない。
結局、俺も罪から逃れたかったのだ。公爵が言っていたことも否定はできなかった。
龍が眠る洞窟はどす黒い魔力で満ちていた。この魔力は生物が死んだ時によく出る。洞窟全体を埋め尽くすほどの黒い魔力で満ちているため、過去何度か大量に生物が死んだ可能性がある。
そのため、洞窟内に魔物はいない。魔物はいないが奥へ奥へと進んでいくにつれて呼吸は困難になっていく。
「⋯⋯はぁ、はぁ、はぁ」
喉が焼けるように痛く、視界がぐるぐると回転する。熱を出した時の何倍もひどい症状だ。それは魔物もこんなところには近付かない。
なら、この奥に眠っている龍は一体何なのか。よくこんな劣悪環境の中で何百年も眠ってこられたものだ。
三十分も歩くと、脳がうまく回らなくなってきた。両足に鉛を掛けられたかのように足も重い。
それからさらに進み、ついに意識を手放しそうになった時、俺は異様な空間に出た。
「⋯⋯ここは?」
謎の発光体がふよふよと空中をさまよい、さっきまでの黒い魔力は全く無い。とても澄んだ空気と正常な魔力が流れている。
俺は安堵と疲れで倒れ込みそうになった。
すると地面を覆い尽くすほどの数、花が咲いていることに気付いた。
葉と白い花弁が水晶のように透き通っている。
ガラス細工のように硬そうなのに、少し触れるとそこから綻ぶ。
とても綺麗で、儚い花だ。
見ていると意識が朦朧としてくる。
だがそれも心地良い。
「あー、疲れた⋯⋯」
俺は我慢できずにその場に倒れた。
下にあった花々は押し潰され、パキン、パキンと音を鳴らして宙に浮いた。それはやがて小さな粒子となって謎の発光体と同じように空中をさまよう。
謎の発光体の正体はこの花だったようだ。
「⋯⋯きれいだ」
呟くと、不意に穏やかな声が耳に入ってきた。
「―――その花は我の魔力が結晶化したものだよ」
老年の枯れた音と、若く瑞々しい二つの音が入り混じったような不思議な声。どこからともなく声がしたから妖精なんじゃないかと思った。しかしその声の主はまったくの別物であった。
霊が実体を持つように、透き通って風景と同化していた巨体が徐々に姿を現す。
太い腕、鋭い爪。全身に鱗を纏い、胴体の左右には翼が折り畳まれている。地面に咲いている花と同様水晶で作られたような体。家一個分くらいの大きさだろうか。全てが計算して作り込まれた芸術品を思わせる、見事な龍だ。
「あなたは⋯⋯?」
身を起こして聞くと、またあの独特な声が返ってくる。
「龍だよ。まだ伝わるか分からないが⋯⋯君たち人間はかつて我のことを時を操る龍、貌なき龍と呼んでいた」
この龍が時を操る龍。
正直なところ半信半疑でここまで来たのだが、本当に存在したのか。
「あなたは眠っていると聞いたんだけど⋯⋯」
「あぁそうだ。我はついさっきまで眠りについていた。けれど珍しい来客があったものだから目が覚めてしまったんだよ」
明らかに俺のことだ。俺のせいで安眠が妨げられてしまったということか。
「勝手に寝床に入ってしまって申し訳ない」
「ふふ、謝らなくていいよ。むしろ我に謝る人間がいるとは驚きだ」
「あなたこそ人間の俺を嫌悪しないのか? 話によると人間はあなたを討伐しようとしてきたそうだけど」
「それはもう大昔のこと。今更人間のことをどうとは思わないよ。それに我も多くの人間を殺した。若い命、老いた命、その全てを奪った」
龍は行いを悔いるように目を伏せる。
「あの時は災いをもたらす姿だったのも良くなかった。どうも一つの姿を保っていられなくてね、困ったものだよ」
「じゃあ、ここで眠っているのも人間に危害を加えないために?」
「あぁ。洞窟に充満した黒い魔力を見ただろう? ここなら人は近付かない」
「なるほど」
話を聞くにかなり人に友好的な龍だ。龍をこの洞窟へ追いやったのは完全に人間側の失態であったと言えるだろう。
しかしそれでも人間を恨んでいる様子はない。俺にとっては好都合だ。これは誰かがまた討伐に来る前に会えて幸運だったかもしれない。
「なぁ龍さん」
「なんだい?」
俺は少々身構えて聞いた。
「俺を過去に戻すことってできる? 俺がここに来たのはあなたの力を借りたいからなんだ」
「ふむむ⋯⋯そうだな、できるといえばできなくもない。できなかったら『時を操る龍』の名がすたるからね」
「だったら、貸してくれるか?」
「それも良い。が、まずは君がそれを望む理由を聞かせてくれないか。それが君に我の力を貸す理由と成り得るなら喜んで貸そう」
思いもよらぬ返事だった。とても龍とは思えない⋯⋯。
「ふっ、真面目な龍だな」
「そうとも。我は真面目なんだよ」
そう言い、龍が微かに笑った気がした。龍の笑顔なんて見たこともなかったが。
それから俺は小一時間ほど事の経緯を話した。
何者かにレーナと国民を殺した罪を被せられたことや、それで王国を追放され贖罪の旅をしていることなど。信用してもらうために、なるべく事細かに事情を伝えた。
すると―――。
「⋯⋯あぁー! なんと、なんと可哀想な! 君はそんな酷いことをされてきたのか⋯⋯」
「あ、あぁ⋯⋯」
すごい同情された。
龍だから人間社会のことを説明されても解らないだろうとか考えていたのだが。いらない心配だったようだ。
「とりあえず、これで力を貸してくれるか?」
「よし、分かった! 我の力、ぜひとも君に貸そう!」
「そっか、ありがとう」
龍は悲しみモードから元の状態に戻ると、今度は時を操る力に関する事を俺に説明した。
「それでなのだが、実は時を操る力は我自身に行使できる力ではないのだ」
「⋯⋯? どういうことだ?」
聞くと、龍は重苦しい声で言った。
「この力は我の魔力に宿るもの、しかし我は魔力の制御ができない。すなわち、時を操る力を行使する方法はただ一つ。我を殺し、我ごと魔石にするしかないということだ」
龍とお友達