3 贖罪―3
王都に戻ったのは夜明けの時間だった。
どこの店もまだ閉まっており、人通りはまったくと言っていいくらいに無い。王都に到着した俺はすぐに公爵邸に向かった。
公爵邸の前には昨日と同じように門番が立ってはおらず、代わりに小さな灯りを持った少女が立っていた。
肩くらいまでのさらりとした金髪と淡い水色の目。
アリアは相変わらず歳に似つかない雰囲気でこちらを見た。
「待っていました。討伐は無事済んだようですね」
この言い回し⋯⋯公爵への根回しも完璧か。しかも門番を下がらせて堂々と俺を待つなんて、頭が良いのか危ういのか。
「⋯⋯朝は冷えるよ。それにそんな薄着で出るような時間じゃない」
「ご心配なく。ここでこうして待っていたのは、つい五分前くらいからですので」
「それはそれは、ほぼジャストのタイミングだ。君は運が良いね」
俺が言うと、彼女は首を横に振る。
「運じゃありません。魔物が現れる時間も、今ここに戻って来る時間に合うように神が調整したんです。神がそうしたんです」
「冗談でしょ」
「冗談ではないですよ。ふふ」
アリアは怪しげに笑う。
彼女の言うことは本当に冗談ではないのか。もし冗談でないとしたら、一つ辻褄が合わないことが出てくる。
それは神と交信することのできる、巫女の力の居所だ。
アリアが今話したのは、紛れもなく“未来を確定させる”神継ぎの巫女の力。しかし、その力は現在俺の中にあるはず。当然だ、俺がレーナを殺して奪った力なのだから。
ならアリアの中にある力は一体どこから?
「アリア⋯⋯君のその力は⋯⋯」
「最近、神と話せるようになったんです」
「神と? 話せるように?」
「はい。姉が死んでから、姉のことを毎日のように話していました。そしたらいつの間にか巫女の力の一つを使えるようになっていたんです」
「えぇ⋯⋯」
俺は一度も話したことなんてないのに、と言おうとして、喉まで上がってきたところでそれを飲み込んだ。なんだか嫉妬しているみたいで自然と自制した。
というか正式に巫女と認められていなくても神と話せるのか。これは新情報だ。レーナでさえ神と交信するのに五ヶ月はかかっていたというのに、アリアは無意識の内にやってのけたのだ。
「君はいろんな意味で怖いよ」
「ありがとうございます」
「今の褒め言葉じゃないから」
「あれ? そうなんですか」
「そうだよ」
やはりアリアはどこか普通の少女とは違う気がしてならない。巫女としての才能もそうだが、初めてあったときから妙に違和感があった。俺の言葉の真意を知っている上で的確に返答してくるし、変に大人びているというかなんというか。
などと考えていると、アリアは俺の手を引いて言った。
「とりあえず、早く家に入りましょう。お父さまが待っています」
「あぁ⋯⋯って冷た! ちょっと、やっぱり冷えてるじゃん」
「私は冷え性なので」
「ならせめてベッドの中に居てよ。俺のせいで風引かれても困る」
「⋯⋯すみません」
アリアは珍しくしょんぼりとした。
俺はため息を吐きながらも、彼女の冷たい手を放すに放せず公爵の部屋までついて行った。
◆◆◇
アリアが公爵の部屋をノックすると、扉の奥からは「入りなさい」と重く掠れた返事が返ってきた。
俺とアリアは中に入る。
中はカーテンが閉め切られており、明かりと呼べるものは公爵の机の上で薄く橙色に灯るランタンだけだった。
公爵は相変わらずの厳かな面持ちでこちらを見ていた。一瞬圧倒されかけるが、初めて会ったときに比べれば幾らか耐性は付いている。
そう、あの時は場の空気が気まず過ぎて早く終わってくれないかとずっと思っていた。
だがそれ以来は和やかな雰囲気だった。今じゃ影すらも見えないが。
公爵は口を開いた。
「アリア、彼を連れてきてくれてありがとう。お前はもう部屋に戻っていなさい」
「はい」
アリアが出ていったことで部屋の空気はさらに下がった。具体的に言うと五度くらい下がった気がする。まるで初めて会った時の空気感そのまんまだ。
「⋯⋯⋯⋯」
沈黙が続く部屋。
どう切り出したものかと悩んでいると、公爵はトンッと机に指を叩いた。
「まずは、我が領の魔物を討伐してくれたこと礼を言う。それ相応の報酬は出そう。後でギルドで受け取るといい」
「ありがとうございます。それで⋯⋯」
「それで、貴様の目的は何だ」
アル程ではないものの、声の裏には怒りが見えた。しかし、さすがは公爵家当主様。娘が殺されてもなお、これほどまでに感情を抑えられるのはすごいことだ。
それと、公爵は俺の思惑も全部理解している。俺は善意だけで魔物討伐をしたわけではない。
「俺は⋯⋯あなたに謝るためにここに来ました」
「謝る⋯⋯? 貴様がか? 一体何を」
「レーナを殺したことへの」
「そうやって謝ったら全てが許される、などと考えているわけではないだろうな?」
「こんなことをしても到底許されないのは、十分承知しています」
これはアルにも言った。これは自分への戒めだ。
俺には謝ることしかできない。それだけのことをしたのだと、自身に刻みつける。
「だけど、謝らせてください」
「謝ってどうする? その先に何か得るものがあるのか」
「それは⋯⋯」
言いかけたところで公爵は侮蔑的に言う。
「貴様にはあるのだろうな。貴様の愚かな心はこの程度のことで満たされ、罪から解放されると思っているのだろうな。神から赦され、私たちにも赦され、自分自身で罪を赦し、罪を捨て去って、何食わぬ顔で新たな居場所を作る。あの子の思いさえも捨てて、生きてゆくつもりなのだろう?」
「⋯⋯⋯⋯」
「なぜ、とは問わんよ。貴様がなぜあの子を殺したかなど今更知っても意味がない。そのようなことであの子は帰ってこない。私の怒りが増すだけだ」
どくんと心臓が強く鼓動した。胸の内が抉られた感覚がした。
俺はこの人にも見放された。
俺が彼女を殺し、彼女が死んだ。その事実だけが公爵の中にはある。俺が何者かに謀られたなどと言っても、それはただの愚かな妄言にしか聞こえないだろう。
俺は、一人だ。一人で罪を背負っていく。
目元が熱くなった。それで、笑いそうになった。
なんだこれは? 俺は今更怖気づいたのか? この人にも理解されないことなんて、簡単に予想していたはずだろ?
「⋯⋯すみませんでした」
喉奥から必死に言葉を引きずり出す。
彼女を殺したことへ。公爵を裏切ったことへ。神に赦されたことへ。俺が生きていることへ。
そして、彼女を守れなかったことへ。
「謝罪はいらん。そんなもの少しの価値も無い。貴様はそれだけ持ち帰れ」
言うと、公爵は腕を組んで俺に背を向けた。とうとう顔も見たくなくなったのだろうか。
「次にこの家に入ることは許さん。私たちと、貴様はこれで最後だ」
「⋯⋯はい」
その言葉も、存外苦しいものだ。俺はこの家との繋がりを断ち切れなかった。醜く、愚かにまだ繋がり続けられると縋った。
しかし、それもこの瞬間をもって終わりだ。
この言葉を聞けた。それだけでも価値はあった。
俺は部屋から出ていく間際、公爵の机に一対の指輪が入った青い箱を置き、無言で頭を下げた。
―――もう、ここに来ることはない。
外に出ると、すっかり夜が明けていた。
門前まで出ると、またアリアが待っている。
「部屋に戻ったんじゃなかったの?」
「⋯⋯待っていました。あなたはこれでもう二度とこの家には来ないんでしょう?」
「そうだねえ。どう? すっきりしたでしょ」
「⋯⋯⋯⋯」
聞いてもアリアは無言。無言は肯定だが。
そのまま彼女は俺に聞いてくる。
「次はどこに向かうんですか」
「あれちょっと、無視?」
「どこに向かうんですか」
「えぇ⋯⋯。まぁ、どこかだよ。君は知らなくてもいい所」
次の目的地は既に決まっている。
昨日、戦闘好きのベリクから聞いた話で、すぐに俺が行くべき場所だと思った。
時を操ると言われる龍の住処。
「気をつけていってきてくださいね」
不意にアリアは言った。
俺は苦笑した。それは、また帰って来る前提の言葉だろうと。
「俺はもう帰ってこないよ?」
「いいです、それでも。私たちはまた会える、そうなるようにしますから」
「なんだそれ」
「なんでしょうね」
彼女はまた微笑んだ。