2 贖罪―2
「お父さまに会う方法を教えてあげますよ、お義兄さん」
そう呼び止められ、一瞬俺は返す言葉が見当たらなくなった。
得体の知れない少女だった。一見可愛らしいただの子供に見えてしまうが、その表情はまるで可愛らしくない。作り物の笑みだ。
「えー、っと。君はたしか⋯⋯」
「アリアロット」
「そう、それだ。アリアロット」
「忘れてたんですか?」
「あぁー⋯⋯そうだね。忘れてた」
この子はレーナに、アリアとよく呼ばれていた。
彼女に似た容姿をしていて、背の高さと、かろうじて目の色が違うことが彼女たちを見分ける唯一の特徴だった。
レーナは金色の目で、アリアは淡い水色の目。
この子は確かに淡い水色の目だ。彼女ではない。落ち着け。彼女がここにいるわけがない。
俺はぐっとまどう心を押さえつける。
「それで、どうしたんだい? もしかして君が公爵に会わせてくれるの?」
「違います。私はあくまで方法を教えてあげるだけです」
「じゃあ、その方法って?」
「方法は二つあります」
アリアは指を立てて、言う。
「一つは、私を人質にして父を呼び出す。もう一つは、我が家の領地の魔物を討伐する。どちらがいいですか?」
結構ヤバいことが発言の中に入っていた気がするのだが。アリアは平然とニコニコしている。この少女がちょっと怖くなってきた。
しかも俺の回答を待たず、さらに追い打ちをかけることを言い放った。
「前者の方がいいですか?」
「んー? なんで? 俺は後者を選ぶよ」
「前者の方が手っ取り早くて楽ですよ」
「まぁそうだね」
「だったら前者で」
「嫌だよ。なんでそんな勧めるの? 楽だからって、さらに罪を重ねるようなことはしたくない」
「それは残念」
残念とはどういう意味だ。もしかしてアリアはわざと攫われて俺をもっと酷い極悪非道な人間に仕立て上げようとしているのか。あり得なくもない。アリアも彼女の妹だ、俺を憎んでいようと俺は何も言い返せない。
しかし、仕返しの仕方がおかしすぎるだろう。自分を犠牲にしてまで俺を地獄に落とそうとするとか、どれだけの思考回路をお持ちなのか。
「では討伐してほしい魔物について、詳細をお教えします」
おっと、重要情報だ。意味のないことを考えるのはやめよう。
俺はよこしまな思考を止めて、アリアの話に集中する。
「件の魔物は我が領地の中でも農耕地帯にいます。牛型の魔物でかなりの雑食らしく、作物を食い荒らされているみたいです。最近出現した魔物なのでまだ騎士団には話は行ってません」
「それで俺、と」
「そのとおりです。何か質問はありますか?」
「なら一つだけ」
「何でしょう」
「その牛型の魔物ってどこから出てきたの?」
「牧場の牛が魔物化して、はるばる農耕地帯までやって来たみたいですよ」
「あ、そう。⋯⋯なるほどね」
既存の魔物以外の動物が魔物化することはよくある話だ。その原因は未だに不明だが、突発的に起こることが多い。おそらくその牛も急に魔物化したのだろう。
魔物化した場合、もとに戻すこともできないため、ほとんどが討伐対象になる。正確にはもとに戻す術はあるのかもしれないが、まだそれは見つかっていない。
「ちょっと可哀想だけど、まあぱぱっと討伐してくるよ」
「はい。気をつけていってきてください」
「ありがとう。じゃ、行ってくるかな⋯⋯」
俺は一歩足を踏み出して、次の足を止めた。
一番聞きたかったことが、頭をよぎった。
「あ⋯⋯やっぱり、あともう一つだけ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「君は、俺を憎んでないの?」
聞くと、アリアは黙ってしまった。流石にいきなり聞いたのはまずかったか。
アリアは会ってからやけに友好的だったから、俺自身感覚が狂っていた。しかし、よくよく考えれば肉親を殺した相手に急にそんなことを聞かれても怒り心頭なだけだろう。
すると少女は数秒沈黙してから、頰を緩めて言った。
「どうでしょうね」
◆◇◇
オルレイン公爵家の公爵領まではそれほどかからなかった。もともと王都が公爵領と隣接しているのもあり、あれから俺は徒歩で約一時間ほど歩いた。
公爵領までの道のりは、王都まで続く街道を遡るだけで、ただただ草原を貫く道を進むだけだった。
公爵領の農耕地帯に着くと、一面に黄金色が広がる。ちょうど収穫の時期だったようだ。牛型の魔物もこれに誘われてやって来たのだろう。
それから俺は一度ギルドの方に向かった。
ギルドには様々な依頼が来る。魔物討伐から薬草採取まで、基本的には王国騎士団の手が回らないところから仕事が回ってくる。
すでにアリアはオルレイン公爵に話をつけていたようで、ギルドに行くとすぐに依頼受注が完了した。そしてそのまま討伐へ向かえるかと思いきや、例の魔物は夜にしか出没しないらしく、俺は夜まで待つことになった。
そうして気落ちしつつも俺が受付から離れると、中級ランクと見える赤毛の男が怪訝そうな顔で話しかけてきた。
「なぁ、お前⋯⋯それってあの最近出てきた牛型の魔物の依頼だよな?」
「え? あぁ、そうだね」
「その魔物の討伐依頼は出てなかったはずだが⋯⋯もしかして公爵様から直々の指名か?」
男は低い声で聞く。
ギルドに来るのは騎士団からあぶれた仕事ばかり、ゆえに公爵家からの依頼なんて滅多にない。それどころか、そもそも貴族からの依頼は来ない。いきなりやって来た新顔の俺が公爵からの依頼を受けていたらそりゃ不審だろう。
そんな奴を妬んでいるのか嫉妬しているのか。俺が頷くと、しかし男は興奮気味に肩を組んできた。
「マジか! すげぇなお前! いったい何ランクなんだ?」
「⋯⋯⋯⋯」
予想外の反応だ。もっと悪口とか言われるのかと思っていた。
「ねぇ、不思議だと思わないの?」
「あん? 何がだよ」
「俺は今日初めてギルドに来たんだよ。騎士団の人間でもない。そんなのが公爵家の依頼受けるって普通に考えておかしいでしょ」
「あーまぁ、確かに⋯⋯? けどお前、相当強いだろ」
「その根拠は?」
「ただの勘だよ。よく分からねぇけど、なんかビビッときたんだよな。お前は強いって」
「ふっ、すごい勘だねぇ」
それから夜まで待つ間、彼は俺についてきた。
聞けば彼はベリクという名で、俺は中級ランクほどと勝手に格付けしたが、ギルドではそこそこ名のしれた戦士だった。
フリーの戦士で、討伐依頼の時だけパーティーを組んでいるらしい。本人が結構な実力者なのもあり、かなりの戦闘好きだ。
「いいな〜、いいな〜。オレもその魔物と戦ってみたいぜ」
「君は強い魔物と戦いたいのかい?」
「それもあるけどな。理想言っちゃうなら最強の仲間と一緒にパーティー組んで、最強の敵とずっと戦ってたい」
「ふ〜ん」
「まぁ、理想だけどな。戦いはいつでもどっちかが格上だ。オレらも敵もどっちも最強なんてありえない話だ」
「理想⋯⋯か」
理想。人には理想がある。ベリクの場合は夢と言い換えてもいいだろう。こうなりたい、何をしたい、何が欲しい、そういう理想を人は追い求める。人はそのために生きる。
俺はどうだろう。今の俺に何か理想と呼べるべきものはあるのだろうか。何者かの策略にまんまと嵌り、恋人を殺し、俺を謀った人間を探そうともせず、ただ大罪人として贖罪の時を生きる。
理想などあるものか。俺にあるのは後悔ばかりだ。あの時こうしていればよかった、と悪夢にうなされ続ける日々しか俺にはない。
「少し、君が羨ましいかもな⋯⋯」
呟いて、俺は席を立った。
そろそろ夕時だ。いつ魔物が現れるか分からない。張り込みは早くからのほうがいいだろう。
「もう行くのか?」
「ああ」
「まだ夕方だぜ?」
彼は名残惜しそうな顔をする。
「俺はせっかちなんでね。とにかくこの依頼は早く終わらせたいんだ」
「⋯⋯そうか、お前が言うんだったらしょうがねえ。その依頼が終わったらまた会おうぜ」
「会えたら、ね。でも、君との会話は楽しかったよ。ありがとう、ベリク」
「あぁ、こっちこそ」
彼は笑って言った。もし俺がなんのしがらみもなければ、これが贖罪の旅でなければ、彼と旅をしていたかもしれない。
その夜、俺は情報通り農地に現れた魔物を討伐し、王都に返った。結局、帰り際彼と会うことはなかった。