12 龍の魔力―1
アルカトル王国の学園は、国土を半分に割る山脈をはさんで城都とは反対側にある。
城都やその周辺の村や町に住む者が学園に行くには、迂回をしなければならず、かなりの時間を要する。そのため、学園の周辺は様々な店が立ち並び、城都並みの防壁が張られ、一つの街として成り立っていた。
そして、学園本体の敷地内には学生用の寮もあり、ほとんどの生徒が寮に入っている。
学園には出自、性格、技能がさまざまな者が入ってくる。
優秀な生徒がいれば、不出来な生徒もいる。真面目な生徒がいれば、不真面目な生徒もいる。
魔物を好んで研究する生徒だって、魔法に一生を捧げる生徒だっている。
中には、私事に過度に力を入れ、授業を怠ける者もいる。
ユフラ・ロンド。
学内魔法成績二位の彼もまたその中の一人だ。
「おい! ユフラ! 早くでてこい!」
ドンドンドンッと部屋のドアが叩かれる。
現在の時刻は朝の七時三十分。
一限目は八時から始まる。よって、ユフラは今すぐにベッドから起きて学園に行く支度をしなければならなかった。
ユフラは覇気のない声で応答する。
「ん〜、まだねむらせてよぉ」
すると、ドアを叩いていた生徒が遠慮なく部屋に入ってくる。
「夜ふかししている奴が何を言っているんだ。早く起きろ」
「あははぁ〜。それ不法侵入だよ〜、アルぅ」
ユフラが言うと、アルことアシュル・ハイクスータは、鬼の形相でユフラを睨みつける。
「おい、本気でさっさと起きろ」
「お〜こわ」
「お、き、ろ」
「⋯⋯はいはい、起きますよ」
ユフラはのったりとした動きでベッドからおり、クローゼットから制服を取りだす。
盛大に爆発した髪を鏡で整え、机に散乱した研究資料の中から教科書や筆記用具を見つけカバンに入れる。
常時横ではアルが腕を組んでユフラの動向を監視している。ユフラはあくびすら気軽にできない。
「終わったか?」
「おわった〜」
「ならさっさと行くぞ。ミレイナ先輩も外で待ってる」
「え、男子寮の前で? そりゃ早く行かなきゃまずいなぁ」
気の抜けた反応をしながらユフラもアルに続く。
「昨夜はまた『あの龍』の研究か?」
「そうだよ。なぜか最近魔力が消えちゃったんだけどね」
『あの龍』とは、アルカトル王国に古くから伝わる邪竜のことだ。幼少の頃、本に載っていた邪竜に関する伝説に魅了されてから、食事や睡眠の時間を削ってまで彼はその研究に勤しんでいた。
「研究に浸るのもほどほどにしておけよ」
「え〜、なんでぇ~」
「お前は授業にでないくせに魔法の成績は学園で二位だからだ。先生たちを敵に回さず、もっと自分の外面を作ったほうがいい」
「はっはっはっ。アルくん、それは嫉妬かな?」
「ほとんどはお前のために言っている」
「ふぅ~ん。ほとんどは、ねぇ」
アルの魔法成績は学内で三位。彼はしっかり毎時間授業にでているが、魔法だけはユフラより上の成績をとることができていなかった。
ひとえに才能の差と言ってしまえば楽だが、努力を惜しまないアルにとって、才能で結果を片づけるのは忌み嫌うことだった。
「ま、安心しな。ボクでも勝てない方がいらっしゃるから。ぜひ精進したまえよ」
「それはこっちのセリフだ」
「ふっふっふ。⋯⋯お、噂をすれば」
誰よりも魔法に長けたユフラでも勝てない相手。
男子寮の前で、一人立つ女子生徒がいた。
ミレイナ・ リネ・アルカトル。
さらりとした白髪、大海をその身に閉じ込めたかのような瑠璃色の瞳。ひときわ他者の目を引くその美貌は、周囲の男子から見れば明らかに目に毒なものだった。
二人が男子寮の門の前まででると、ミレイナはユフラに近づく。
「おはようございます。ユフラ」
「おはようございまーす」
ミレイナは学園に入学してから常に上級生をも出し抜いて魔法成績一位をとってきた。彼女こそがユフラやアルが一生かけても勝てないであろう先輩だ。
するとその先輩はユフラに詰め寄る。
「ユフラ」
「はい? なんです?」
「あなたは私に何か言うべきことがあるのではないですか?」
「えぇ⋯⋯何かあったっけ⋯⋯」
「あるでしょう。昨日のことをよく思い出してください」
「⋯⋯あ、あれか!」
ユフラは手を合わせ、まるで劇をするかのようにうるんだ瞳でミレイナに言う。
「朝から殿下を拝することができるなんて、光栄でございます!」
「違います。それではありません」
「えッ!?!!」
「私は昨日のことを、と言いました。今の話ではありません」
「えぇーーー。あの⋯⋯何かありましたっけぇ?」
「ユフラ⋯⋯あなたという人は本当に人を怒らせるのが得意ですね」
にこりと冷たく微笑むミレイナ。ユフラは反射的に肩をびくっと震わせる。
「あなたは昨日、借りたい本があるからと図書室の前で私に五冊も本を持たせましたよね?」
「あ⋯⋯」
「なっ⋯⋯!」
先刻まで黙って聞いていたアルもさすがに声を抑えきれなかった。
ミレイナは続ける。
「そこまではいいのです。私もあなたとはよき友人でありたいですから。けれど⋯⋯」
「そ、そうだ。その後たしか⋯⋯」
「ようやく思いだしました? そうです、あなたは私に何も言わず別の通路から図書室をでて、そのまま知らぬ顔で寮に戻りましたね?」
「ユフラ、お前⋯⋯!」
「すいませんでしたぁッ!」
ユフラはすかさず頭を下げる。寝癖がきいた緑髪がミレイナの前に差し出される。
「私はその後二時間待ったんです。その時何時だったと思います? 九時ですよ、九時。ユフラ、私の時間を無駄にした罪は⋯⋯」
「何でもします! 殿下、何でも、何でも、何なりとお申しつけください!!!」
「⋯⋯⋯⋯」
喉が枯れんばかりの声量でユフラはただただ謝罪を重ねる。
「はい、よろしい! では残り一年間、私の言うことをすべて聞いてもらいます」
「⋯⋯へ?」
極寒の雰囲気を漂わせていたミレイナの顔がパッと柔らかくなる。
ユフラは気の抜けた声で思わず顔を上げる。
「え、えっ、え?」
「言質はとりましたよ、ユフラ」
「えぇ、あ、え!?」
状況が飲み込めないユフラ。しかし、これは確実にミレイナに嵌められた。
「では最初の頼み事を聞いてもらいましょう」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」
「何ですか?」
「いや、さっき言ったことは言葉の綾というか、あのぉ⋯⋯覚悟を知っていただきたかっただけで⋯⋯」
「自分で蒔いた種だ、大人しく聞け」
アルが鋭く叱責を入れる。ユフラは「アルまで殿下の味方!?」と叫ぶ。
「ふふ。安心して、最初は簡単な頼み事ですから」
「もし、断ったら⋯⋯」
「利己的な理由で私を待たせたこと、嘘をついたことで、不敬罪です」
「わ、わかりました⋯⋯」
―――その時。
リーッ リーリリーッ!
うなだれるユフラの懐から奇怪な音が鳴り響いた。
「あっ⋯⋯」
ユフラは懐から黒と金が混ざり合ったこれまた奇妙な水晶を取りだす。彼はなぜ今水晶が鳴ったのかをわかっているようだった。
「何だ? ユフラ、それは⋯⋯」
「ごめん、アル。学園、先に行ってて」
とだけ言うと、ユフラは走り出す。
「あっ、おい! 待て! どこに行くんだ!」
「ちょっと『龍』の魔力が感知しやすいところまで!」
「はぁ? いったいどういう⋯⋯」
「アシュル、私たちは早く行きましょう。授業に遅れてしまうわ」
「殿下! ここで放り出したらあいつは絶対に来ないですよ」
「好きにさせましょう。私の頼み事も急用ではないですしね」
「⋯⋯⋯⋯」
アルは静かにため息。何があったのかは量り兼ねるが、とにかくユフラがああなってしまったらもはや止めようはない。
入学してからずっと彼の側にいるアルだから解ることだった。すでにユフラの姿はどこにも見えない。授業に連れて行こうと思っても、もう手遅れだろう。
「⋯⋯はぁ」
再度ため息を吐く。
アルは仕方なく先に歩き出したミレイナの後ろをついていった。