11 それぞれの剣
オルレイン公爵家に仕えるヒビリア家は、古くから優秀な騎士を育て上げ、有事の際には公爵家の剣となり盾となってきた。
ヒビリア家の人間は幼い頃から剣を持たされ、その重みを知る。剣とは、命を刈り取るものであり、誰かを守るためのものだと言い聞かせられながら育つ。
また、その多彩な型や流派を各個人に合わせることで優秀な剣士を育てるのは、ヒビリア家だけだった。それ故、輩出する騎士の剣の腕は王国内でも一級品で、右に出るものはいないと評されている。
そのため、ヒビリア家に起きた五年前のある事件は王国中を騒然とさせた。
王国の近くには一切魔物が出ないと言われる「安寧の森」がある。ある日、ヒビリア家の長男と次男がその森で剣の稽古をしていた。その日は昼から暗雲が漂うようになり、二人は家に帰ろうとした。
―――事が起きたのはその時だった。
魔物が出ないはずの森に四足歩行の魔獣が現れた。今になってそれは狼が魔物と化したものだったと分かっている。が、そんなことは些細な事象でしかない。
二人は騎士となるために育てられてきたため、勇敢にも立ち向かった。だが、それがよくなかった。
魔狼の餌食になったのは次男だった。長男は魔狼の注意が弟に向いている隙を狙って魔狼の首を落とした。
そうして魔狼は無事退治したものの、その時すでに次男は上半身を食い裂かれ死んでいた。
この事件を経て、ヒビリア家の長男⋯⋯ベリク・ヒビリアは、弟を殺された憎しみだけを糧に剣の技能を高めるようになっていった。
ベリクが修めた剣技の中で最も特筆すべきなのは、何と言っても絶大な貫通力を誇る突きだろう。
目まぐるしい剣撃の中で不意に放たれる突きは、初見ではまず見切れない。見切れたとしても避ける以外はそれなりの危険が伴う、相手にとっては最悪の剣だ。
そのことから、ベリク自身も誰にも負けないという自負があった。少なくとも、アルカトル王国には自分に敵うものは一人もいないと思っていた。
しかし―――。
今、目の前にいるシュレットという男にだけは勝てる見込みが無かった。
「はぁッ!」
公爵家の庭園。ここが護衛試験の会場だった。
庭園には木剣がぶつかり合う、甲高い音が響いていた。
ベリクはシュレットの重い一薙ぎに、後方に返されながらも、その勢いを利用して渾身の突きをくり出す。
「⋯⋯⋯⋯」
シュレットは無表情、突きを木剣の胴で受け止める。いや、最小の力で突きの軌道をずらすように受け流す。
これだ。これが今までベリクが戦ってきた相手たちと違うところだ。ベリクの突きは速く鋭い。そのため受け流す時間や力は紙一重の程度でなければならない。
シュレットはその神技を幾度となくやってのけるのだ。
一瞬の力の入れ具合が並みの剣士とはわけが違う。彼は一撃一撃に自身の持てる限りの力をのせるのが格段に上手い。
「⋯⋯終わり、かな」
「―――っ!」
その瞬間、目にもとまらぬ速さでシュレットの剣先は弧を描きベリクの剣を絡め取った。
主を失った木剣はくるくると空を舞い地面に落ちた。
「そこまでッ!!」
監督騎士の終了の合図。
そこでベリクは、護衛試験の最中だったことを思い出す。
そう、いつもなら騎士団で剣の訓練をしているベリクだが、今日はオルレイン公爵にシュレットという男の護衛試験の相手となるよう頼まれていたのだった。
初めて彼を見た時は、黒い仮面をつけたただの不審な男にしか見えなかった。だが試験を始めてからの最初の一太刀で、その認識は一蹴させられた。シュレットの剣は確実にベリクの剣を勝っていた。
「⋯⋯これは俺の完敗か」
天を仰いで誰にも聞こえぬようにぽそりと呟く。
すると、シュレットは地面に落ちた木剣を拾い上げベリクの前に立つ。
「君と戦えて楽しかったよ」
「⋯⋯ああ」
その時、ベリクは自分の中で何かが引っかかっていた。
シュレットは黒い仮面をつけており明らかに怪しい面相だが、なぜか彼に対して不信感をおぼえない。まるで一度どこかで会っているような気がした。
「⋯⋯どうかした?」
「あ⋯⋯いや。何でもない」
ベリクは木剣を受け取る。すると、いつの間にかシュレットの横にはアリアロットが立っていた。
ベリクはもう少し彼と話がしてみたいと思ったが、アリアロットはシュレットを引っ張るようにして公爵邸の中に連れ去ってしまった。
公爵はそんなアリアロットの行動にやれやれという顔をしつつ試験を終了させた。
試験が終了してからもベリクはしばらくシュレットとの戦いを反芻していた。
試験とはいえ戦いに負けた悔しさはある。ベリクは弟を魔物に殺されてから強さだけを求めた。そして自分の中で最高に至ったと思っていたところで、彼にそれを覆された。
だが、悔しさと同じくらい、妙な高揚感に満たされている。まるで彼と戦うことが悠久からの望みだったように思える。
そして、自分はまだ上に上がれる。そう言われているような気がするのだ。
「ベリク」
ベリクは公爵に声をかけられる。
「何でしょう?」
「君から見て、彼はどうだった?」
「⋯⋯強かったです。正直、俺に勝てる剣士がいるとは思っていませんでした」
「はははっ、ずいぶん強気じゃないか」
「⋯⋯俺はまだまだでした」
もし先刻の戦いが木剣ではなく真剣だったなら、間違いなくベリクは死んでいただろう。それが意味するところは、己の限界値を定めそこに満足してしまった自分の慢心以外の何ものでもない。
ベリク自身、驕っていたつもりは毛頭ない。だが、今回ばかりはまだ見ぬ強者がいることを知らされた。
これはさらに修練を積まなければならない。弟の分も、もっと、もっと高みに至るために。
「俺はそろそろ騎士団にもどらせていただきます」
「いや、すこし待ちなさい」
「まだ他に何か?」
ベリクが問うと、公爵は指を立てて言った。
「君にはある役目を与えようと思っているのだ」
◆◆◆
ベリクとの護衛試験が終了した後、シュレットはアリアに連れられて公爵邸の空き部屋に来ていた。なんでも、誰にも見られない必要があるらしい。
「こんなところに来て、一体何するの?」
何の説明も無しに連れてこられたシュレットは腕を組んでアリアに問う。
「知りたいですか?」
「あぁ、知りたい。こっちは運動したばかりで疲れてるんでね」
「ふふ、ふふふ、いいですよ。じゃあまずは⋯⋯」
「―――え?」
驚嘆をもらしたのはシュレットだ。
アリアの思いがけない行動にシュレットはまったく反応できなかった。
「⋯⋯どういうつもり?」
アリアがシュレットに向かって飛び込み、シュレットは床に倒れてしまった。
シュレットの体の上にちょこんと乗ったアリアは、艶めかしい笑みを浮かべる。
「動かないでくださいね」
そう言ってシュレットの黒い仮面に手をつけ、そしていとも簡単に外してしまう。
過去のアルカトル王国に戻ってきたとき、シュレットがどれだけ外そうと力を入れても外れなかった仮面は、今は嘘のようにアリアの手の上にある。
「それを俺につけたのはやっぱり君だったのか」
「ふふ、なぜそう思うんです? 私に外せたからといって私がつけたことにはなりませんよ」
「一度、巫女の力の恩恵を受けたからわかるんだよ。その仮面、巫女の力が宿ってる」
「わかってましたか。さすがですね」
レーナの時は金色だったが、この仮面には薄っすらと水色の魔力が視えていた。おそらくこれがアリアの巫女の力を表す色なのだろう。
「で、どういうつもりなの? 今それを外す意図は?」
誰にも見られたくない、もといシュレットを床に追い込んでまでやることだ。単なるおふざけではないのだろうが、やはりシュレットにはアリアの意図が読めない。
何か痛々しいことが待っているのか、はたまた仮面のみならずさらに物理的な枷をつけるつもりなのか。などとシュレットが考えていると、アリアは過去一番にとんでもないことを言った。
「今から少しキスさせてください」
「は⋯⋯?」