1 贖罪―1
光印歴 654年
今日、大罪人が釈放された。
約千人もの人々の命を奪った大罪人は、一時、王国で最も堅牢な刑務所に入れられていた。しかし、厳正で公正なる裁判において、釈放の審判が神から下されたことにより、彼は釈放となった。
王国裁判において神の審判は絶対であり、たとえ最高位神官であろうともそれは覆せない。
千人もの人々を殺した罪は重い。死んだ人間の家族、あるいは友人、または家族は許そうとも許しがたいはずだ。末代まで呪おうとも足りないくらいに。
だが、神が釈放の審判を下した。それだけで判決は決定した。
◆◆◇
アルカトル王国は建国当初より神を崇拝してきた。
治世が乱れれば神に助言を仰ぎ、天災が降り掛かれば神に救いを求めた。
神と交信する者は王国の中でも三人しかいない。
それは、国王と、神継ぎの巫女と、最高位神官である。
国王は神とともに統治を行い、巫女は神とともに天災を抑え、最高位神官は神の名の下に裁判を行う。これらにより王国は長きにわたって平穏を保ってきた。
だがそれも長くは続かない。
巫女が殺された。
一人の大罪人によって、巫女は殺された。
神と交信する力を持つ巫女は、その力を奪われ、死んでしまったのだ。
大罪人は奪った力を思うがままに使い、王国に住む民たちを殺した。
大罪人はその罪で死刑になるはずだった。
しかし、神はそれを赦した。
自身の一番の信仰者を殺した者を、神は赦した。
今日はその大罪人の釈放日である。
「んー、久しぶりだなぁ。外に出るのは」
随分と外が久しく感じる。この満たされた空気、暖かい陽の光、そしてどこまでも青い空。
牢に入れられていたのは二ヶ月の間だけなのにすごく懐かしく感じる。
それはやはり、俺が無意識の内に外に出たいと思っていたからか。自由になりたいと思っていたからか。
⋯⋯違う。贖罪だ。彼女への。
贖罪がしたかったのだ。あの、愛しくてたまらなかった彼女への。
殺された巫女は王国の筆頭公爵家、オルレイン家の令嬢だった。
十歳の頃に神に見出され、それから十年の間、神継ぎの巫女として奮闘した。
民からの信頼も厚く、将来は王国を背負っていくような、そんな人物だった。
そんな素晴らしい女が、俺のような平民を選んだのだから、家族や国王はさぞ心配だっただろう。
結果的にその心配は的中したわけだが。
しかし過ぎ去った過去を悔いても何も変わらない。
釈放された大罪人はまず王都にある彼女の家に向かった。
目的は言うまでもなく、彼女を殺したことへの謝罪。
はたして彼女の家族は俺の話を聞いてくれるのか。聞いてくれるわけがない。家にも上がらせてくれないだろう。
だがそれでも、俺は彼女の家族へ謝罪がしたかった。
王都はあの事件が起こる前と何ら変わらない活気で満ちていた。あの事件で少なからず犠牲になった人間もいたというのに。
あの日は王国全域を黒い雲が覆った。
そして約千人、王都や王都周辺、もしくは辺境で無差別に民が死んでいった。
さっきまで普通に生活していた人間が、一瞬で死んだらしい。ただ気絶しているだけと言う人もいたが、心臓は確かに止まっていた。
ただ一人の人間をおいて、それらの葬儀はまとめて行われた。それが二ヶ月前の話だ。だからだろう、王都に住む民たちにとってあの事件はとうに過ぎた話。べつに薄情ということではない。あんな事があった後でも、前に進もうとしているのだ。
「⋯⋯君が愛した民たちは本当に強いなぁ」
などと大罪人は歩きながら呟いてみる。
だが、彼女は応えてくれない。
当然だ。俺が殺したのだから。
家の前につくと彼女の弟がいた。
名はアルライト。彼女にはアルと呼ばれていた。まだ十歳の少年だ。
ついこの前までは俺のことを兄と慕ってくれていた子だが、今は⋯⋯幼いながら鋭い剣幕で俺のことを見ている。
そりゃそうだ。実の姉を殺されておいて、その犯人と仲良くできるわけが無い。
「やぁ、久しぶり。二ヶ月ぶりかな」
「⋯⋯何しに来たんだ」
俺を睨んでアルは小声で言った。
「君たち家族への謝罪に」
「謝罪⋯⋯?」
「そう、彼女を殺したことへの」
「謝ったら、それで許されるとでも?」
「もちろん許されるとは思ってない」
彼女はこの家の中心にいつも居た。
部外者の俺にも分かるほどに。
この家に彼女を愛していない者などいない。俺はその誰にも許されないだろう。
「あなたは、本当に姉を愛していたのか?」
「ああ」
「一生を添い遂げる覚悟は?」
「もちろんあった」
「なら、なんで殺したんだッ!!!!」
俺だって、本当は殺したくなかった。
愛しくて、愛しくてたまらなかった彼女を。殺したくはなかった。
「⋯⋯理由を言え」
「それは君には言えない」
「父には言うのか?」
「いや」
「母には」
「いいや、言わない」
「⋯⋯呆れた。あなたがこんな最低最悪な人間だとは思わなかった」
そう言うと、彼は背を向けた。
「あっ、ちょっと待って。俺をご両親に会わせて欲しいんだけど⋯⋯」
「寝言は寝てから言え」
「もう十分牢の中で寝たさ」
「さっさと帰れ」
冗談は通じなかったようだ。
彼は、後のことは任せるとでも言わんばかりに門番に口添えしてから、家に戻って行った。
門は不快な金属音を立てて閉じてしまった。
「早急にお帰りください」
二人の門番は圧をかけるように詰め寄ってくる。
これはもはやダメそうだ。この二人に掛け合ったところで家に入れてくれるはずもない。
俺は一旦、大人しくオルレイン家をあとにした。
◆◆◇
オルレイン家に入れてもらえず、何か方法はないものかと俺は露店街をぶらついていた。
ここは、彼女⋯⋯レーナとのお忍びデートもとい初デートの場所だった。宝石やアクセサリー、珍味などが並び、半日は歩き回っていたことを懐かしく思い出す。
彼女と過ごしたここでなら何か良いアイデアが浮かぶかもしれないと期待していたが、結局まだ何も浮かんでこない。
まずいのは、王都に留まれる期間が最長でもあと三日しかないということだ。一応俺は、表向きは力を失い追放された扱いだからそれまでに絶対に国外に出なければならない。それに俺が国内に留まることで国が乱れてしまうのも本意ではない。
よって、レーナの家族に会ってもらうための猶予は残り三日しか残されていない。
「どうしたものかなぁ」
俺が今、一番に会わなければいけないのが彼女の父、オルレイン公爵だ。彼には謝罪と共にどうしても返さなければいけない物がある。
それは俺が持つべきでない物であり、返すことによって彼らと俺の関係を断つことを意味する物である。
と同時に返し難くもある。なにせそれは公爵の方から贈ってくれた、彼女と俺の婚約指輪なのだから。
王国において一般に身分差の婚約は不可能なことではない。
過去に王族の婚姻において、王子が平民を娶って成立した話もあるくらいだ。身分差の婚約は少数ではあれど、まったく前例がないことでもなかった。とは言っても例が少ないことも事実であり、俺と彼女の婚約について周囲からはあまり認められていなかったのも事実である。
そんな中で彼女の父のオルレイン公爵はこの婚約を推し進めてくれた。俺自身、どこの馬の骨かも分からない平民に自分の娘を簡単にくれてやるなど簡単にしてくれないだろうと思っていたから、正直驚いた。
決して柔和な人ではなく、むしろ人一倍厳格そうな人だったが、公爵は周囲に反して喜んでいた。公爵の計らいもあり、俺は彼女の家族にも徐々に受け入れられるようになっていった。
しかしそこで今回の事件である。信じていた男は自分の娘を殺し、信頼を裏切る行為に及んだ。公爵はさぞ落胆しただろう。絶望しただろう。⋯⋯俺を憎んだだろう。
信じていたからこそ、その反動は大きい。おそらくオルレイン家の中で一番俺に会いたくないのはオルレイン公爵だろう。
先刻、アルライトに激しく糾弾されたばかりなのに、それより酷く怒り狂っているだろう公爵に会うのは至難の業だ。
一回突っぱねられてからあれこれと考えているが、正直方法はないように思える。打つ手なし。チェスであれば、ほぼ詰みの状況。もういっそのこと忍び込んでしまおうか。どうせ俺は大罪人なのだし、今から一個や二個罪を重ねたところで地獄行きは変わらない気がする。
などと不誠実な考えが頭をよぎる。
いや、駄目だろう。謝罪するために会いに行くのに不法侵入をしたら騎士団を呼ばれて即終わり。何か他の方法で入るべきだ。
「うーん、方法かぁ。方法、方法⋯⋯」
と、ぶつぶつ呟いている内に、俺は露店街を抜けて噴水前に来てしまっていた。
ここも覚えている。噴水前の誰もいない場所に目をやると、彼女の姿が見えてくるようだ。彼女の仕草も、笑顔も、すべてが愛おしかった。あの時が一番幸せだった。
俺は思わず頰が緩んだ。
―――その時だった。俺のローブに誰かの手がかけられたのは。
「ん? なんだ?」
俺が振り向くと、そこには彼女によく似た小さな女の子が立っていた。
「お父さまに会う方法を教えてあげますよ、お義兄さん」