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1.記憶喪失


あなたが好きな恋の歌を

お願い ただ私にだけ聞かせて

あなたが閉じたその瞼の裏側に

映し出したのは誰だか 教えないで


花のように咲き乱れる あなたの笑顔

花が向くのは いつだって


…花が向くのは

…?


花が…花が…?


…?



気がついたら歌を口ずさみながらボンヤリと山の向こうからやってくる朝焼けを眺めていた。

今口ずさんでいる歌の歌詞の続き…思い出せない。


そのうちそもそも何を歌っていたのかすら思い出せなくなって歌うのを辞めた。




私は立派な石造りの壁に寄りかかるようにして座り、足をダランと草原に投げ出して寛いでいた。




空気はとても澄んでいて清らか。

目一杯空気を吸い込みたくなる。

これから沈みゆく夜に名残惜しさを、そしてこれから始まる朝に何とも筆舌しがたい淡い高揚感を感じてしまう。

なーんてね、綺麗な景色だなぁ。

こういう雄大な大自然は人を詩人みたいにするもんだね。


ところで今いるこの場所。

両側にそびえ立つ立派な崖と崖の隙間。

峡谷かぁ、これ…崖崩れとかしないもんかな?

峡谷に行く手を遮るようにして構えられた石造りの壁と門。

背中の石に手を当ててみると、石は少し夜露の湿気を孕んでいてひんやりと冷たい。

苔むした匂いと辺りに残る湿気が爽やかな気分にさせてくれる。


門の中の方から何やら賑やかな声が男女の声が聞こえてくる。

何だろう、楽しそうだね。


「っしゃあ!来た来た!来ました来ましたっ!まーた俺の勝ちだな!」

「くそっ、何だよお前本っ当!ひょっとしてズルしてんじゃねえだろうなぁ?」

「はは、男の僻みなんてみっともないよ。悔しいけど負けだね」

「そろそろ朝だから終わりだぞ。今夜はルーカスの独り勝ちだったな」

「ちぇっ、勝ち逃げかよー」

「へへ、時間的に仕方ねえよ!はー懐が潤った事だし、帰ったら女遊びでもしようかなー?」

「はん、あたしみたいな美女が居るのに、よくもまぁ粗末なモンおっ立てながらヌケヌケとそんな事が言えるねえ!デリカシーってモンがないんだよ全くさ」

「ははっ、今更デリカシーもクソもあるかよ!ま、次の当番でな、じゃあな!」

「あいよー、風邪引くなよー」


何か賭け事でもしていたのかな。

聞いているだけで少し楽しい気分になる会話。


それにしても向こうの空、薄明色の空、凄く綺麗だなぁ。


「なっ!お、お前いつの間にっ!?」

「えっ、あれっ!?使用人…!?ええっ…なんでここにメイド…見習い…?ええっ…一人で…!?」


ふと声がする方に目をやる。

門の中から槍を持った兵士のような男が2人出てきた。

かと思ったら私を見て素っ頓狂な声を上げる。


「あ、あ、あの……」


はは、誰かってそりゃ…

ん?あれ?あれれ?


よくよく冷静に自身を確認。


真っ黒なスカート…ローブ?いや、白いエプロンもしてる…ワンピースかな?

兎に角…使用人みたいな服を着ているみたい。

履いている靴はこれまた黒くて少し底の厚い靴。

ベルトで足首に固定しているような靴。


使用人みたいと言うか…思い切り使用人の出で立ちだね。

ん?メイド見習い?見習い…いやいや、今はそんな見習いかどうかなんて違いどうでもよくて…私、メイド?


いやいやいや…私、そう言えばいつからここに座っていたんだ?

って言うかそもそも、ここ何処?


あれ?あれ?

何だ何だ?


そもそも、…私は誰なんだっけ。

何だろうこれ。

何も分からない。


あれ?あれれ?あるぇー?

えーっ!?何だこの感覚。

っていうか何でこんな格好でこんな所に座ってるの!?

えええっ!?うわうわっ、なんだなんだ!?

よく考えたら何この状況!?


「あ、あの……えーと?あー……」


言葉に詰まる。

私、ひょっとしなくても記憶喪失ってヤツかも…

何も憶えていないから、当然何も答えられない。


「す、すいません……わ、分かりません……」


そうとしか言いようがない。

仕方ない、本当に訳が分からないんだもん。

兵士達、明らかに困惑してる。

そらそうだろう、私だってこの場をどう切り抜けるべきか困惑してる。


「まだ幼いようだが、両親とか…ほら、一緒に居た大人は居ないのか?」

「主の一団からはぐれたのかい?いやぁ…でもそんな一団通ってねえなぁ…」


一緒に居た大人?

私って子供なの?

そ、それも覚えてない…


「ほ、本当に……あ、あの、なっ、何も分かりません……」

「名前とかよ、年齢とかは?」


名前くらい分かんないか?

頭をギューッと絞っても何も出て来そうもない。


「す、すいません……な、何も……おっ、覚えてません」

「ルーカス、どうするよ?」

「いやぁ…どうするったって…そ、そりゃあよ?あれだ…子供なら保護しねえとだよ」

「だよなぁ…おー、そうかそうかぁ…ええー…?」


わ、私って一体何者なんだろう。

そんな人として生きていく上でのスタート地点の記憶から躓いているんですけど…

頭をぐーるぐる働かせても何も記憶が出てきそうもない。

思い出せー、思い出せー、私は何者だぁ?


「おーい、どうしたんだー?何かあったかぁ?」


門の中からガチャガチャと金属の音を立てながら声がしてきた。

ど、どんどん集まってくる…!

あわわわ…!


「それがよ、まだ幼い女の子が壁にもたれ掛かって座ってたんだよ。どっか良いとこの使用人っぽいけど、どうやら記憶喪失らしいぜ?」


初めに声をかけてきた方の兵士の一人が門の中へ向かってそんなふうに声を上げた。


「女の子!?こんな時間にか!?」

「へえ、あたしは何の気配も感じなかったけどねえ…」


門の中から目の前にいる兵士とはまた別の鎧を身に纏った男女の兵士が出てきた。

さっきの声の主だね。


「あらホントだ。まだ子供だねえ…。こんな辺鄙な峡谷にこんな時間に?んー…んんっ?」

「棄てられた…という歳でもなさそうだな。魔物に襲われて一団からはぐれたというところか…」


今きた男女の兵士がそう言って私の顔を覗き込む。

まじまじと見られると照れる。

照れてる場合じゃないか…


「あれだな…、ダンジョンなんかでそういう類の転移トラップがあるって傭兵連中から聞いたことがあるぜ?転移魔法は…そんなの聞いたことねえな…」

「あー、俺もトラップは聞いた事あるなぁ。お嬢ちゃんひょっとして傭兵かい?出で立ちからするに使用人にしか見えねえけど。よ、傭兵はねえな。側仕えで同行してたとか…?」


ダンジョン…転移トラップ…魔法…?

何か聞いたことがある気がするな。

それに何となく魔法は使える気がする。

でもそんな聞き覚えのあるキーワード達は私の失念してしまっている記憶に繋がりそうもない。


「ま、魔法……は、つ、使えます……多分?」

「ほうほう。護衛出来る使用人かね?貴族のパーティー…えぇー…?ま、まぁとりあえずこっち来いよ、な?」


4人の兵士達に促されるまま門の中へ入ってゆく。




門の中にはテーブルや椅子など、ちょっとした生活空間みたいな詰め所が併設されていた。


私一人が促されるままに椅子に座る。

みんな困った顔してる。

そりゃそうだよね、こちとら記憶喪失してるしさ。


はじめに声をかけてきた兵士の人が口を開いた。


「何も覚えてないって言ってたけど、逆に何か自分の事で分かることはあるかい?」


分かること…分かること…


「あ、何も……わ、分かりません……」


兵士達は視線を交えて黙り込む。

やがて女性の兵士が私の前の席に座る。

優しそうな表情だ。


「お嬢ちゃん、本当に記憶喪失になってるんだね。こりゃほら吹きの顔じゃないよ」


女性の兵士の人はそう言ってふーっと息を吐いた。


「わ、私……き、記憶喪失……」


私もそう思う、間違いない。

残念ながら記憶喪失で間違いない。

言葉や時々視界に入る文字は読める。

でも自分が何者なのかという段階からその先が全く何も分からない。


「そ、そうですね……。き、記憶喪失だと……お、思います。じっ、自分が誰で、なな、なぜこんな時間に……こ、こ、こんな場所で座っていたのか……な、何も分かりません。……っただ、気がついたらボンヤリ……や、山の向こうを、な、眺めてました……」

「因みにここは東のユージニア王国と西のスーゼラニア王国とを結ぶサン・モンジュレ街道。旧街道だね。そのサン・モンジュレ街道にあるアルマー峡谷の国境の検問所がここって訳さ。で、ここまでで何かピンと来た言葉はあった?」


女性の兵士の人の言葉を反芻してみる。


ユージニア王国。

スーゼラニア王国。

サン・モンジュレ街道。

アルマー峡谷。


んー…なるほど!

さっぱりわからん。

有りそうな名前ではあるなーと思うけど、ちょっと聞いたことはないかなぁ。


「あ、すいません、し、知りません……。お、王国だとか峡谷…という言葉の意味は、わ、分かります……」


これはダメだね。

いくら考えても初耳な地名ばかり。

王国だとか峡谷だとか、言葉の意味は流石にわかる。

サン…モン…モンジャラ…?

なんじゃそりゃ?


「アルマー峡谷って地名は兎も角、ユージニアとスーゼラニアを知らねえヤツなんて赤ん坊かボケた老人くらいだぞ」

「だよなぁ。お嬢ちゃんは記憶喪失で間違いなさそうだなぁ。確かにサラの言ったとおり嘘をついてるヤツの顔じゃねえしな」

「そうだなぁ。俺もサラとルーカスの意見に賛成。ダンは?」

「ああ、俺もみんなの意見に同意だ」


記憶喪失…

これからどうすればいいんだろう。


「ねえみんな、どうする?見つけたのはユージニア側だけどさ、とりあえずあたしが身柄を保護するかい?女同士、そっちの方がいいだろう?」


そうか、私そう言えば女なんだ。

何というか自分の性別にもピンと来ないな。

でも確かに申し訳程度に膨らんだ胸、そして股を手の甲でさり気なく確認した。


うん、女の子だね。

記憶喪失って性別も忘れるんだ…


「治安的にもうちの国よりスーゼラニアの方が安心ではあるよな」

「だな。情けねえ話だけどよ、俺たちの国で記憶喪失の女の子一人ってのはちょーっとばかし心配だぜ」


最初に私を見つけた2人の兵士は肩を竦めてみせた。


「ねえお嬢ちゃん、あたし達もう少ししたらここの仕事が終わって町に戻るんだけどさ、女同士一緒に来ないかい?」


確かに女の人について行くのが一番安心かな。

私も一応女だし、有り難くそうさせて貰おう。

多分一人じゃ途方に暮れそうだよ。


「お、お願い出来ますか……?」

「任された!あたしはサラ。スーゼラニア王国で兵士をやってるんだ。お嬢ちゃんはとりあえずまだ幼いみたいだし、うちの国の方で色々あちこち調べてあげるから安心して頂戴ね」


サラさんがスッと右手を差し出してきた。

握手に応じておこう。

手、暖かいな…


「俺はダン。サラと同じくスーゼラニア王国の兵士だ。もう暫くしたら交代の奴らが乗った馬車が来る。それに乗ってとりあえず町に行こう」


サラさんと同じ鎧を着たお兄さんはダンと名乗った。

真面目で誠実そうな印象を与えるお兄さん。

うむ、信頼できそう。

いやいや、別にユージ…ニア?の兵士さんが信頼できなさそうって訳じゃないよ?


おっとっと、世話になるんだ。

とりあえず立って頭下げなきゃね。


「あ、よっ、よろしくお願いします……!」

「俺達はユージニア王国の兵士で、俺がルーカス。こっちがジョン。お嬢ちゃん安心しな、サラもダンも普通に良い奴らだ。悪いようにはしねえ」

「よろしくなお嬢ちゃん」


ルーカスさんとジョンさんは人懐っこい笑みを浮かべた。


「まーボチボチ通行人が来る時間だから、お嬢ちゃんはスーゼラニアの詰め所で待ってた方がいいんじゃねえか?」

「そうだね、よしっ!お嬢ちゃん、あたし達の国の方にいらっしゃいな」


サラさんとダンさんについて行く感じだね?

足早いな…!

わっと、ルーカスさんとジョンさんにもお礼言わないと…!


「あ、ありがとうございました……!」


ルーカスさんとジョンさん、にっこり笑って手を振ってる。

あー、初めて会った人たちが良い人たちで良かったな。

これがとんでもない悪い輩だったらと思うとぞっとするよ。


さて、そして私はこれから何をどうすればいいのやら……


面白かったという方はブックマークや☆を頂けますと幸いです。

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