120話 研鑽
西の街道にあった寺子屋の経営権をツネタロウが引き継ぎ、代わりにイカラシを師範代として雇うことになった。そのイカラシは、チヨの道場にて研鑽を積むため朝から受けることになった。
手習道場にて
道場主であるチヨ師範の下で、郎郎団から2名と西道場からイカラシが研鑽を受ける。
チヨ「まもなく子供たちが来ます。研鑽は慣れるまで苦労するかもしれませんがなるべく独り立ちできるように務めてください。今日は初日ですので、私たちの動きを見て覚えてください。研鑽中でも皆さんのことは名前の後ろに『先生』とお呼びします。三人を子供たちのことを見るとなると子供たちが困惑するでしょうから、郎郎団からお一人は、カヨ先生の下で教わってください。残りのお二人は、勉学の流れや教え方を学びながら子供たちのことも見てください」
研鑽を積むことが大事とはいえ、経験者のイカラシには有利に働くものだと思われる。
カヨ「チヨ先生から言われた通り、雑務をお教えします。これが出来ないと皆食も仮眠も出来なくなります。記録をつけるのも雑務の仕事です。必ず覚えてください」
カヨの雑務もかなり様になっており板についたという表現が似合うようになった。
ヘイジ「チヨ先生。今日もボクが教える感じでよいでしょうか」
チヨ「助かります。こちらは、ヘイジ先生です。見ての通りの武士ですが、登城することなくこちらで働くようになりました。師範代という立場ですが、身分は武家になります。大殿様よりホマレダ様の助けになるようにと言われこちらで働いていただいてます」
ヘイジ「なので、基本的に登城しません。家から直接こちらに来て帰ることになります。私の自己紹介はこのくらいでよろしいでしょうか」
パンと手をたたく
チヨ「それでは、子供たちが来るまでに準備をしましょう」
火鉢の場所や机の並べ方、紙の場所などを準備しながら教える。
順序良く覚えていくことを目指す。
チヨ「子供たちが来ました。あちらの雑務をしているカヨ先生をご覧ください。用紙に誰が来たのか。支払いがある子から受け取った額を書き込み間違いのないようにしていますね。これも大事な仕事です。物品を渡されることがあります。それも用紙に書き込んでますね。なにを受け取ったのか。懐事情は各家ごとに違います。それらを人に見せることなく伝えることもしてはいけません。手習道場だけが知っていればそれでよいのです」
チヨによる研鑽をよそ目に、ヘイジは今日はどういうことを伝えようかと思案する。
チヨ「こちらをご覧ください。ヘイジ先生が思案中です。このように、今日どうやって伝えていこうかと思案しています。これも大事なことなので、ここに来てからでよいので考えるようにしてください。考えもせずに教えるのは難しいことですからね」
チヨの的確な指示が飛ぶ。
四つ半の鐘がなる。
チヨ「では、ヘイジ先生お願いします」
その一言で、ヘイジはこの日の勉学を始める。
その型が出来ていることにイカラシは感心する。
イカラシが経営していた寺子屋では、自習に近い自由にさせていた。聞かれたら答える。読み書きを学ぶ者、絵を描いて遊ぶ者、そろばんを使って計算をする者。など、自由にしていたため師範代が教えるということに関心を持った。また、子供たちもそれを当たり前に受けていることにも強い関心を持つ。
読み書きは毎日朝いちばんにすることになっている。手習道場での第一の目標が、読み書きができるようになることであり、そのためにマサズミより手当を出してもらっている。
計算や絵は、皆食・仮眠の後にすることになっている。そのように、道場主であるチヨが制定した。
勉学が進むと流れが変わる瞬間がある。
チヨの代から変わったことではあるが、師範代ではない習いに来ている子供が前に来て子供たちを教える。これは目を疑う。子供が子供を教える。どういうことなのかと。
チヨやヘイジが決めた読み書きが得意な子供を前もって選出しており、みんなの前で発表するというのをはじめた。成績優秀な子供が半分務め、残りの半分を苦手としている子供に他の子どもたちの前に立ち発表させる。
苦手としている子供は、恥ずかしい気持ちになるが、なにが分からないのかを人に言うことで、共感を呼び、同じようなことで悩んでいる子供の役に立つ。分かる子供たちが分からない子供たちに教えることで、より噛み砕いた説明になり理解力が高まることがある。もちろん、理解力が高まらないこともあるが、その場合は、師範代たちが教えることで解決することがある。
何が分からないのかが分からないということもあるが、それはそれで口にすることで解決が少しでも早まり誰一人置いていかれることなく勉学に励むことができる。
これらは、チヨが身をもって経験したことであり、どうすればわかりやすく説明できるだろうかと考えた末にできた教育方針となった。道場主に昇格したことで、より一層励むようになったとツネタロウは、どこかでほくそ笑んでいる。に違いない。
イカラシは何から何まで違いすぎることで、この研鑽は重要なことだと気づく。研鑽を積まなければ師範代として役に立たない。これまでの経験は経験者としてあまりにもお粗末だったと痛感しきりだ。
当時から世間では、「子供はなにもしなくても勝手に育(そだ9つ」と言われていたため、自習させるだけの寺子屋でもそれなりに子供たちは育った。良い環境ではなくても子供は勝手に育つのは確かではあるが、さらに良い環境を与えることで伸びしろをさらに拡張することができる。
ツネタロウが教える教育方針とは違う方向にあるが、それは道場主によって違ってくるのは良いことである。子供たちが、どこで習うか決めることができれば尚良いだろう。
チヨの代になって教育の質が、一段・二段と高まっていくのが分かる。
それ故に、ツネタロウが新たに研鑽を積む場所としてチヨの道場を紹介するのが手っ取り早いと考えたのやも知れぬ。
【あとがき】
元西の街道にある寺子屋を経営していたイカラシにとって研鑽はまったくの別物と思いどこか大変さを感じたと思われます。自習スタイルで経営していた時と打って変わって、教え方が異なる点しかないことに不安を感じたことでしょう。「自分にできるだろうか」。これを月1300文で雇われることに不安を持ち始めた。耐えられることを願って。




