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Black File  作者: 葱鮪命
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File044 〜君の死に顔を拝みたい〜 後編

 長い夢の中に居るようだった。


 朝、オフィスに行くと自分のデスクに手紙が置いてあった。それは、今から自分の先輩が危険な超常現象に挑みいく、そしてそのために命を落とす可能性があるという信じ難い内容だった。そんなことを文字面だけで簡単に飲み込めるほどアーバンは単純な人間ではなかった。


 文字を何度も目で追っている間に電話が鳴って、その電話にて自分の先輩の死の知らせを聞いた。状況を飲み込みよりも早く届いたその現実に、アーバンは完全に取り残されてしまった。


 *****


「そう、それは悲しい事ね」


 アーバンは気づけば医務室のベッドの上で横になっていた。女医のシャーロット・ホワイトリー(Charlotte Whiteley)が何度か質問をしてきて、アーバンは思い出したくもないあの出来事を彼女に話をした。

 彼女は頷いて話を親身になって聞いてくれた。アーバンが涙で言葉に詰まると静かにティッシュを差し出してきてくれた。ゴミ箱はすぐアーバンが鼻をかんで涙を拭いたティッシュでいっぱいになった。


「さっきあなたの親友とその先輩がお見舞いに来てくれたわよ。今はゆっくり休んで、って」

「......コーデルとデビットさんが?」

「ええ、そう。二人の言う通り、今は少しお休みが必要ね」

「でも......俺、何をしたらいいか分からないです」


 休みと言われて完全な休みを想像したアーバンだったが、シャーロットは自分に一日一つ宿題を出すことを決めた。その宿題の答えを見つけたら彼女に報告しに行くという約束をした。


 *****


「それで、コーデルが好きなものを聞いてきてくれ、って言われたんだ」


 アーバンは食堂の席でコーデルに言った。


 一つ目の宿題はコーデルの好物は何かを教えて欲しいというものだった。コーデルの隣でデビットが「へえ」と優しく目を細める。


「確かに長いこと一緒に居て、コーデルの好物を知っているかと問われても答えられる自信はないな。アーバンは予想がついた?」

「いいえ、俺もさっぱりで......」

「俺の好物かあ」


 コーデルが食べる手を止めて宙を見つめて考え始める。


「まさか無いとか言わないだろうね」

 デビットが今度は違う意味で目を細めて彼を見やった。

「いや、ありますよ。じゃあ二人にちょっとしたクイズ」

 コーデルがニヤニヤ笑ってそう言った。


「きつね色のケーキ」

「きつね色?」

「ケーキ?」


 コーデルのクイズにアーバンとデビットは顔を見合わせる。アーバンは分かったらしく、

「チーズケーキ!」

 と子供のように答えた。


「ピンポーン」

 コーデルがアーバンに対して正解の音を投げる。


「チーズケーキか。へえ、知らなかった」

「まあ、デビットさんには言ってませんからね。此処の食堂だと年に一回くらいメニュー表には載るけど食べたことないんですよ」

「俺ある。美味しかったよ」

「本当か? アーバンが言うなら間違いないな」


 アーバンは宿題が早速終わったことに満足感を覚えた。チーズケーキ、ともう一度口の中で唱えて、親友の好物を忘れないように頭の中にしまいこんだ。


 *****


「チーズケーキ、私も大好きよ」

 シャーロットは宿題の答えを聞いてうっとりとそう言った。


「親友のコーデルについて聞かれても、案外分からないことが分かった?」

「はい。いつも近くにいるけど、好物とかは考えたことがなかったかも」

「じゃあ今度はデビットさんについても調べてみましょう。好きな物は何かしらね? 今度は予想をしてみましょうか」

「いつもお肉いっぱいのサンドイッチを食べているような気がします」

「お肉? 意外と見ているじゃない。がっつり食べるタイプなのねえ」


 シャーロットはくすくすと楽しげに笑っている。アーバンもつられて笑った。


 その時、医務室の扉が開いた。シャーロットがハッと顔を上げる。入ってきたのはナッシュだった。彼の足は床に引きづられていた。


「シャーロットさん、急患です」

「今用意するわね。あと三分だけ待ってね」

「はい」


 アーバンは避けるべきだろうか、と座っていた椅子から立ち上がりかけるが、


「あなたは私の助手をしてくれるかしら?」


 シャーロットが振り返ってそう言った。アーバンは思わず「え!? 俺!?」と自分を指さす。


「そうよ、簡単なことしか頼まないから大丈夫」

「は、はい」


 シャーロットが外で待機しているらしいナッシュに一言二言声をかけ、早速準備に取り掛かっている。アーバンは言われたものを取ってきたり、消毒液をボウルのような入れ物に移す作業をしたり、汚れた布巾を洗って消毒するなどの簡単な作業を任された。


 運ばれてきたのは二人のペアの研究員だった。腕の肉が見えるほどの怪我を負っており、アーバンはなるべく其方に目を向けないように努力した。自分が怪我をしていないのに、彼らが怪我をしている箇所がソワソワした。

 話を聞いている限り超常現象の実験による怪我のようだ。

 消毒によって痛みを訴える彼らの声は耳を塞ぎたい衝動に駆られると同時に、アーバンは自分の先輩の姿と彼らを重ねた。


 マシューも痛がったに違いない。彼の怪我の様子はブライスから聞いていたのだ。代われるのなら自分が代わってあげたかった。


 気づけばアーバンの目からは涙が溢れていた。


 *****


「心的外傷後ストレス障害と言ってね、思い出して感情の起伏が激しくなることがあるの。今の彼の感情はシーソーのように右左どちらにも傾くことが多いのよ」


 アーバンが自室に戻り、シャーロットはコーデルとデビットを医務室に呼んでいた。


「その時の光景がフラッシュバックしたり、眠れなくなったり、症状は色々あるのよ」


 アーバンの今の症状には長い名前がついていた。多くの研究員が近しい人を亡くすと引き起こされる可能性が多いものようで、アーバンの場合はその典型的な例だと言う。


「今日は彼に私の助手として医務室で頑張ってもらったわ」


 そう、アーバンはシャーロットのオフィスで彼女の助手として簡単な仕事を任されたと言う。


 それを聞いた時コーデルもデビットも耳を疑った。医務室に運ばれてきたのは超常現象によって怪我を負った研究員で、アーバンがその彼らを見てマシューの死を連想するのはたかが知れている。当たり前のように彼は治療の途中で泣き崩れたと言う。


「それも治療の一環なんですか?」

 デビットが聞いた。シャーロットは「そうよ」と微笑んだ。


「敢えて記憶からそのショックな出来事を呼び起こして、乗り越えてもらうの。傍から見たら残酷な治療法かもしれないけれどね」

「......たしかに」


 床に泣崩れる親友の姿はコーデルは望んでいない。俯く彼にシャーロットは優しく微笑む。


「宿題の答え、アーバンから聞いたの。あなたはチーズケーキが好きなのね」


「あ......そうです。そう言えば、今日の食事の時間に聞かれたんですよ」


「嬉しそうに報告してたわ」


「あれもまた治療のひとつなんですか?」


「そう。私なりのね。一日小さな目標を持たせるのって案外大事なことなのよ。アーバンには今、小さくてもいいから、目標になる旗が必要なの。確実にその旗に触れられるように、二人はサポートをしてあげてくれるかしら」


「それは構いません」


 デビットが力強く頷く。


「アーバンとあれだけきちんと会話をしたのは久々だったんです。私たちにとっても良い時間になっているのかもしれません」


「そうね。三人ともゆっくり休むといいわ。マシューさんの死と向き合うことは、きっとアーバンだけじゃなくて、あなたたちもだから」


 *****


「今日は、デビットさんが好きな動物を聞いてきて欲しいって言われたんです」


 アーバンが食堂で暴れてから二週間。彼があれから暴れることは無くなった。シャーロットの治療が上手くいっているのか、最初に聞いていた感情の起伏というのも見られず、彼は一日穏やかだ。


「私が好きな動物かあ」


 シャーロットからデビットとコーデルが注意されていたのは、簡単に宿題の答えをアーバンに教えないことだった。アーバンと共にその答えをじっくり考え、三人の団欒の時間を長くし、食事も楽しむ。


 アーバンにとってこの宿題は本当に大事なもので、マシューの死を忘れさせると言うよりは生活の中に溶け込ませて少しずつ慣らしていくものなのだ。


「そうだなあ、難しいね。一緒に家で暮らせる動物がいいな」

「それは、犬とか猫とか?」

「ありふれたものというよりは、少し珍しいものかな」

「じゃあ鳥とかじゃないかな。梟とか、インコとか」

「鳥もいいね。でも、もし窓が開いていて外に出ていったらと思うと怖いかもね」

「デビットさん鈍臭いんで追いつけなそうですよね」

「何だって?」


 コーデルもデビットもこの時間を素直に楽しんでいた。アーバンの治療であるという自覚も薄れ、すっかり先輩と助手として楽しい団欒だと考えている。


「モルモットなんかどうですか?」

「モルモットかい? いいじゃないか。そう言えば昔はよくモルモットの動画を見ていたよ。友人が飼っていたから送られてきたんだ」

「モルモットって何食うんです?」

「野菜とかじゃないか?」

「健康的で良いですね」


 アーバンが言うので二人は笑った。三人の席はいつも柔らかい雰囲気に包まれていた。


 *****


「これがその資料です」


 シャーロットはブライスからアーバンに取り付いていると言う憑依型の超常現象について資料を受け取った。それに軽く目を通して、なるほどねえ、とシャーロットは首を傾げる。


「今のところ私の治療法で過不足はないように感じるけれど......ブライスさんはどう思う?」


「俺も特に問題は無いように感じています。実際、その超常現象が彼の中で暴れているのかも怪しいところですが」


「ええ、もしかしたら彼の症状に名前がついてしまっただけなのかもね。地上でそれが増えているというのは少し興味深いけれど......アーバンは今のところ何も問題ないと思うわ」


 シャーロットは資料を彼に返す。ブライスはそれを受け取りながら、


「アーバンがもし暴れてしまった時は、その時の対処をコーデルとデビットに任せるという話は聞いていますか」

「ええ、もちろん」


 シャーロットは頷く。そして、


「ベティも言っていたけれど、この会社で一番大きな荷物を抱えているのはブライスさんよ。仕事とは言え、あなたも少しお休みをした方がいいんじゃない?」

「......」


 ブライスは目を資料に落とした。が、その目は動かず、ただ文字の一点を見つめているだけのようだ。


「いえ、大丈夫です」

 ブライスはそう言って小さく一礼すると医務室を出て行った。


 *****


「じゃ、またな」


 此処にジャメル・エッカート(Jamel Eckert)と言う研究員が居る。彼はアーバンの自室のルームメイトだ。ペアの研究員と別れてアーバンが居る自室に向かう。


 彼もアーバンが今置かれている状況については本人の口から聞いていた。少しの間暗いかもしれないけど、ごめんな、と最初の夜に言われたきり、彼はマシューのことを話さない。


 ただ、同じ部屋に住むジャメルだからこそ把握していることは、アーバンはマシューの遺灰が入ったペンダントを顔の近くで握りしめて眠るということだった。


 彼なりに前を向こうと頑張っているのだ。


 アーバンの親友であるコーデルも、その先輩であるデビットもその気持ちを支えてあげていた。ジャメルももちろん、そうするつもりである。


「ただいま」

 ジャメルは自室の扉を開く。


 最近はアーバンの帰りが早く、彼はジャメルが自室に戻る頃には先にシャワーを浴び、眠っている。コーデルを通して聞いたシャーロットの話によれば、心的外傷後ストレス障害にはまずたっぷり寝ることが大切のようだ。マシューが亡くなって数日はアーバンの寝つきが悪かったが、シャーロットの治療を受けている時の彼は扉を開け閉めする音では起きないほどに深く眠っている。時折涙を流しているのは、マシューの夢を見ているのだろう。


 今日も今日とて彼はベッドに先に潜っているのだ。

 そう思ってジャメルはぱち、と真っ暗な部屋の電気をつけた。


「......あれ?」

 アーバンのベッドには誰も居なかった。


「アーバン?」


 いつもはベッドにてペンダントを握りしめて眠っているはずのルームメイトが居ない。ならばシャワーかと浴室を覗いても誰もいなかった。しかし、


「......え」


 ジャメルは洗面台にある銀色のチェーンに目がついた。ペンダントのチェーンだったが、肝心のペンダントトップの部分が引きちぎられている。


「なんだこれ......」


 何処かに引っ掛けてしまったのだろうか。それにしては随分乱暴に引きちぎったようにも見える。じゃあ、壊れたとして、アーバンはブライスに新しいペンダントトップを貰いに行ったのかもしれない。そうだとしたら、この部屋に居ないのも頷ける。


 しかし、ジャメルは更に目を疑うものを見つけた。


 部屋に入った時はアーバンが居ないことばかりに目がいって、全く共通のデスクの方には目を向けなかったのだが、デスクの上には蓋が開いて中身が空っぽのペンダントトップと、まだ濡れている空のグラスが置いてあった。


 *****


「え? アーバンが居なくなった?」


 コーデルのオフィスに電話がかかってきたのは、デビットと共にアーバンの経過観察の確認をして戻ってきてすぐだった。電話の向こうではアーバンのルームメイトであるジャメルが焦り気味に事の事情を説明したところだった。


 アーバンが部屋に戻ったら居なくなっていたらしい。彼はマシューが居なくなってから、午後七時になればよたよた自室に戻る準備をする。ジャメルからは夜の八時にはもう眠るのだと聞いていた。


 その彼が今日はベッドに居ない。シャワーを浴びているわけでもトイレをしているわけでもなく、自室から姿を消していたという。ベッドの捲れ具合から、一度ベッドに入った痕跡はあるようだ。だが、更に奇妙なことを聞いた。


『マシューさんの遺灰が入ったペンダントが空っぽになってたんだよ。それに、近くに空のコップが置いてあったんだ』

「空......」


 コーデルは嫌な予感がした。デビットが心配げに此方を見ている。


 嫌な予感は的中した。そんなことない、と考えようとしたが、ジャメルは彼の考えをそっくりそのまま口にした。


『彼奴、マシューさんの遺灰を飲んだんだ』


 *****


「アーバン!!」


 彼の最初の発見者となったのは、幸運なことにコーデルであった。


 幸運なことに、というのはアーバンが現在置かれている状況が指していた。彼は会議室に入って暴れていた。鍵がかかっていなかったのか、その会議室には彼が一人立ち尽くしていた。一通り暴れた後のようで、息を切らしているのがコーデルには確認できた。


「アーバン、しっかりしろ!」


 近づこうとしたその時、アーバンが突然此方を振り返って悪魔のような形相で迫ってきた。その手には何処かから持ってきたらしい鉄の短いポールが握られている。コーデルはすぐそれを避けたが、彼は暴れる牛のようにまた振り返って向かってきた。


「なあ、返事しろよ!! 頼むから!!」

 コーデルは必死に呼びかける。


「アンタに死なれちゃ俺困るんだよ!!」


 そう、彼が元に戻らなければ、コーデルは彼を殺さなければならない。ブライスとした約束はそうである。親友の最期に自ら介入すると言ったのは自分だ。


「さっきまで一緒に仕事してたじゃんかよ。今日の朝の質問、好きなベーグルの種類だったんじゃないか? その宿題、ちゃんとシャーロットさんに伝えたのか?」


 ぶん、と音がしてポールが耳の横の空気を切った。コーデルはまだ諦めない。


「何がダメだったんだよ、教えろよ!! 俺もデビットさんもできる限りアンタに寄り添ってんだ!! 必要なものはちゃんと言わなきゃ分かんないじゃんか!!」


 次の攻撃は避けきれなかった。腕を顔の横に素早く持ってくると、がちん、と音を立てて腕が痛んだ。


「マシューさん飲み込んで、何してんだよ......飲んだら戻ってくるとでも思ったわけ?」


 コーデルの視界が滲む。親友のこんな姿をもうこれ以上見ていられなかった。あっちも必死なのは伝わるのだ。自分が何に見えているのかは分からないが、倒したくて、倒さなければ自分が死ぬとでも思っているかのようだ。


 マシューを飲んだ理由は分からない。ただただ彼の最期の足掻きかもしれない。理性を保ち続けようとした彼の足掻きかもしれない。自分の中に取り込めば魂が二分割されてマシューが生み出されるとでも思ったのかもしれない。


 馬鹿なことしやがって。


 コーデルはポケットに片腕を突っ込んだ。これ以上は危険だと判断した。もう親友に苦しんで欲しくない。彼は十分頑張ったじゃないか。


 もう、良いのだ。彼は最初からマシューの元に行きたかったのかもしれない。


 アーバンが大きく腕を振るった。

 コーデルはそれを避けて、アーバンの足を大きくはらった。完全にアーバンが転んで、コーデルは彼の上に馬乗りになる。


「今楽にしてやる。待ってろ、待ってろよ」

 コーデルはポケットからナイフを取り出した。胸を一突きすればきっと彼は_____。


「クリームチーズ......あと、クルミ。生ハムも」


 アーバンがうわ言のように呟いた。コーデルは小さく目を見開く。彼は何処か遠くを見つめていた。彼の瞼が少しずつ下がる様子を見て、コーデルは彼に憑依している超常現象を思い出す。


 初めて食堂で彼が暴れた時、彼は自分に押し倒されて眠ってしまった。なら、もう彼は眠る寸前なのだ。眠ってしまえ、そうすればまた戻るのに_____。


 そう思ったのに、何故かコーデルは彼の言葉に返答をした。


「......そうだ、俺の好きなベーグルの味な」

「デビットさんは、ローストビーフの、やつだっけ」


 眠たげな彼が気だるそうに言った。遠くを見つめる瞳が少しずつコーデルを捉え始めるが、アーバンの声に張りは無い。


「そうそう、相変わらず肉好きだよなあ。あの人」

「チーズケーキ、食べろよ。上手いからさ、食堂のやつ」

「ああ、うん、食うよ。食うって。食うからさ......もう、喋んなよ、アンタ」


 アーバンの頬が濡れた。コーデルの視界を揺らしているものだった。眠たげな会話に終わりの兆しが見え始める。アーバンが小さく笑った。この笑みを知っている。何年も見てきた笑みなのだ。ずっと抱えていたい感情は、落ちゆく涙の雫の分だけコーデルの心を締め付けていく。


「あーあ......何だってアンタなんだよ、これじゃ立派な殺人犯じゃん」

「そうだな。研究員じゃなくて、殺人犯って肩書き背負っちゃうな」

「そうなんだよ。でもさ、でも、俺に殺されちゃダメだろ」

「いいんだ、コーデルだから。俺は嬉しいよ」

「そーかよ」


 コーデルは腕を振り上げた。両手をきちんと添えた。


 彼の瞼が落ちていく。そのまま寝てしまえ、頼むから、寝てくれ。


「マシューさんの遺灰、何で飲んだの」


 なんで会話を続けてしまうのだろう。


「コーデルに、無理させたくなかったんだよ。もしかしたら、もっと簡単な方法でマシューさんのところに行けたかもって」

「......そっか。アンタらしいじゃんか」


 コーデルは微笑んだ。


 寝てくれよ、いつもみたいに。


「後悔はないな」

「ないよ」

「幽霊になって出てくんなよな。呪い殺したら許さねーから」

「迷うなあ」


 二人は笑った。穏やかな時間が流れていた。


「んじゃあ......おやすみ」

「ん、おやすみ」


 彼が目を瞑った。安定した呼吸。声をかけてももう起きない。


 ナイフを彼は振り下ろした。


 *****


 デビットは助手をやっと見つけた。第六会議室の中で、彼はアーバンの上に固まっていた。後ろ姿から分かった。彼が覚悟を決めた後だったということが。


 デビットが近づくと、コーデルはやはり泣いていた。アーバンの胸に深深と刺さったナイフを引き抜くことも無く、両手を添えていた。


「これ......ブライスさんに」


 コーデルが右足で床をとんとんと軽く二度打った。彼の右足の傍に白いメモ用紙が折りたたまれて置かれていた。デビットはそれを拾い上げる。中には頼りない文字が並んでいた。

 アーバンが苦しんだ二週間、彼の中身を着実に蝕んでいた超常現象について、彼なりにまとめたものなのだろう。


 アーバンはアーバンで、自分を巣食う超常現象の正体を知っていたのだ。きっと、シャーロットの治療で治ることがないと把握していたのだろう。彼が何処まで偽ってコーデルとデビットを騙して話をしていたのかは分からない。


 しかし、彼自身、きちんとマシューの死と向き合おうとしていたのだ。周りを巻き込まないように、自分の弱さに屈することなく、最期まで理性を保とうと努力したのだ。


「俺の親友、とんでもない奴ですよ」

 コーデルは肩を震わせて声を絞り出した。


「優しすぎますよね」

 ぼたっとアーバンのまだ暖かい肌に涙が落ちた。


「......そうだな」

 デビットはコーデルの横にしゃがみこみ、彼の頭を抱き寄せた。

「お前も、優しい奴だよ」


 コーデルは声を上げて泣き出した。デビットも彼を抱く腕に力を込めた。


 *****


『記憶が時々飛ぶことがある。気づけば誰かが傷ついていて、初めはデビットさん、そしてコーデル。俺は短いフォークで彼らを刺したらしい。

 血の付いた先端がそれを示していた。コーデルが本当に悲しそうな声で名前を呼ぶから、俺は苦しかった。記憶にないところで俺は親友を傷つけた。マシューさんが居なくなって、俺はどうしちゃったんだ。


 シャーロットさんの治療法は確かに一般には通じるものだろうが、俺にはただ、デビットさんとコーデルと、マシューさんとで過ごした日々を回想させるものに過ぎなかった。でも、本当に楽しかったから、記憶が途切れることは減っていった。コーデルの好きな物はチーズケーキ、マシューさんは生粋の肉好きで、それと家で飼うならモルモット。俺の中にある黒いものを彼らの会話が浄化するようだった。あの黒いものは俺を内側から着々と蝕んで、夜になると本性を現す気がした。だから、多分寝るのが早かった。


 最近、遺灰を手に出して眺める時間が多くなっていることに気づいた。気づけば手のひらが粉っぽくて、マシューさんが手のひらに粉状になって存在していると考えると吐き気がした。矛盾してるかもだが、それを口に含みたくなる。もしそれを飲めば、たぶん、いや、確実に黒いものは消える気がしたんだ。だから灰を少しずつ口に含む日々を送る。三日で半分が減った。四日でその半分になった。マシューさん、飲めば楽になるって思ったのに。マシューさん、どうして俺は上手くいかないんだろう。マシューさん。


 コーデル、デビットさん。俺はもう此処までだ。さっき全部飲んだら、何だかな、もう、俺はとっくに壊れていて、ただそれを証明しているだけになったんだ。前のように会話できなくなってごめんな、コーデル。親友としてお前に殺されるのが本望だ。親友のお前なら、俺を殺すことくらい容易いことだろ? 寝る前に少し話がしたい。お前の顔を最期まで眺めてから死んでやる。喜んでくれ。


 俺の二週間の奮闘記です。ブライスさんの、研究の糧になりますように。もう誰も、俺みたいになりませんように。』

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― 新着の感想 ―
[良い点] 犠牲者の連鎖というか、大事な人を失った心の隙をつかれて厄介な超常現象に取り憑かれてしまったというか。絆が確固たるものであればあるほど残された側にも多大なダメージがありますね。 アーバンは…
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