File040 〜鍵探し〜 後編
「それから......どうなったんですか?」
コナーはドワイトを見上げる。ドワイトは細い木の枝をいじりながら、寂しげな表情で続ける。
「それから......そうだな......彼は、よく笑うようになったと思うよ」
ドワイトの言葉にコナーは眉を顰める。
「それって普通反対ですよ。嫌なことがあったら、大抵は笑わなくなるもんだと思うんすけど」
「うん、でも、ナッシュは凄く優しいから、自分が辛い顔をしていたら周りも辛くなることを知っていたんだよ。怒ったり、笑ったり表情豊かな彼だけれど、でも彼は辛そうな顔はコナー君にはなかなか見せなかったんじゃないかな」
「......」
確かに、ナッシュが辛そうな表情を見せたことが、かつてあっただろうか。
コナーは考えたが、彼と会ってから今までそんな場面が無かったことに気づいて驚いた。
ナッシュは怒るか笑うかのどっちかであった。いつもどこか楽しんでいるかのような、上手く掴めない雲のようなふわふわとした存在と言ってもいいかもしれない。
「リアーナもチャールズもきっといつか戻ってくるって信じているよ。私たちはそんな会社に務めているんだから。何が起こるかなんて予想も出来ないんだ」
「でも、飛行機が消えるなんて......」
想像もできない嘘のような話に、コナーは未だ分からなかった。飛行機が忽然と姿を消すなど、この会社に務めてでもいなければ誰も信じられないのではないのか。
「バミューダトライアングルって知っているかい?」
「バミューダトライアングル?」
聞いたことがない単語にコナーは首を傾げる。ドワイトが「そうだよ」と頷いて説明をくれた。
「ある三点を結ぶとできあがる水域の名前なんだ。別名『魔の三角水域』と言ってね、そこでは何世紀も前から船や飛行機が行方不明になる事件が多発している。機体や船体、その残骸すら見つかっていない。それに乗っていた人達もね」
「それ......」
「リアーナとチャールズが乗っていた飛行機は空路から考えてその近くを飛んでいたそうなんだ。最近では様々な原因が挙げられているよ。強い気流が発生しているとか、磁気の異常分布だとか、宇宙人の仕業なんじゃないか、とか。でもきっとリアーナならこう言うと思うんだ」
ドワイトが微笑んだ。
「文書に書いてあった世界に行ったんだ、って。あの不思議な世界への扉が開いたんだろう、ってね」
コナーは黙って彼の話に耳を傾ける。
「実際に異世界への入口なんじゃないか、っていう説もあるくらいなんだ。夢を見続ける誇り高い研究員なんだよ、リアーナは。もし戻ってきたらコナー君やカーラにも紹介してあげたいくらいだ」
ドワイトは乾いた声で笑った。
コナーは膝を抱えて考え込む。
自分は数年前まで彼のもとで仕事をしてきて、彼のことを全く知ることができなかった。興味がなかったというわけではない。だが、聞こうという気が起きなかった。おそらく、ナッシュが気づかないうちに自分に「そう思わせていた」のかもしれない。過去については分かったが、彼に関して理解したかと問われればコナーは首を傾げる他なかった。
それから二人は寝袋に入った。火が消えるとかなり心細くなったが、コナーは歩き疲れていたのだろうか。
気づけばあっという間に眠っていた。
*****
次の日、目が覚めるとコナーはドワイトの背中を見た。火が再び洞窟の中を優しく照らしている。
「おや、起きたかい?」
寝袋の擦れる音に反応したのかドワイトが振り返る。
「おはよう。よく眠れたかな」
「まあ、それなりに」
欠伸をしながら寝袋を出て、焚き火の周りでくつろいだ。ドワイトは朝食のスープを温めてくれていたらしい。熱いよ、と言って渡してくれたのをコナーはちびちびとすする。
「今日はすぐに出るんですか?」
「うん、もう半分まで来たからね。一緒に頑張ろうね」
「......はい」
*****
探険を再開すると、二人は水場や、体を屈めなければ通れないような狭い道を通ることになった。ゴツゴツとした岩に体を擦り付けるように前に進む必要があるのでかなり痛い。狭いのと暗いのとで心細くなるが、ドワイトという人間は全く弱音を吐かなかった。
「泳ぐのは久しぶりだなあ、プールだと思って泳いじゃおっか!」
だとか、
「狭いけど、此処を通ったらきっとゴールだよ!! コナー君は体が細いからスイスイ進めるかもね?」
だとか、彼は常にスリルを楽しんでいる。コナーは彼のおかげかいつの間にかこの冒険に楽しみを見いだせていた。ミゲルがついていっていたのはこんな人の背中なのだな、とコナーは思いながら黙々と彼の後ろを歩いた。
*****
狭い道を抜けて歩くこと二時間。急に開けた場所に出た。
「......あっ」
その空間にポツンと平たい岩があった。その上にきらりと鈍く光り輝くものが置いてある。
「あった、鍵だよ!」
ドワイトがそれを手に取った。覗いてみると古い鍵である。
「これで出口の扉が開くんでしたっけか」
「そうだよ」
ドワイトが鍵をポケットに入れて、周りを見回す。今来たルートとはまた違う道が用意されているようだ。
「帰りはこっちを通ってみよう!」
「......昨日みたいな渓谷はないっすよね」
「ふふ、それはどうかなあ」
ドワイトが楽しげに笑った。
*****
帰り道は割と平坦だった。二時間も歩けば二人の前には扉が現れた。ドワイトが鍵穴にさっき拾った鍵をさす。かちゃん、と小気味の良い音がして扉は開いた。そこは、昨日と変わらない実験準備室だった。
「うん、戻ってこられたよ」
ドワイトが準備室に入り、背負っていた荷物を下ろす。
「そうみたいっすね」
コナーは後ろを振り返る。洞窟は消えていて、いつもの実験室にすり変わっていた。あのときのようだ、と彼は思った。あの時も扉の向こうは洞窟から普通の実験室になっていて、自分は既にあの洞窟に入ることすらできなかった。ミゲルの亡骸は今もあの洞窟の中に寂しく落ちているのだろう。
「コナー君」
名前を呼ばれてコナーはドワイトの方を振り返った。彼が自分に対して片手を差し出していた。
「ありがとう、とても心強かったよ」
予想外の言葉にコナーは驚いたが、それを表に出さないようにして彼を見上げた。
「......一人でも行けたんじゃないっすか」
手を握るのを躊躇してそう言う彼に、ドワイトは笑ってみせた。
「私はあの日から洞窟というものに入るのを心の何処かで怖がっていたんだ。でも、君といて楽しいと感じたよ。君が後ろに居てくれるだけでミゲルの温もりを感じられるような、懐かしさがあった。そんな貴重な体験をさせてくれて、どうもありがとう」
「......」
コナーはおずおずと手を差し出す。ドワイトがしっかりと手を握った。ゴツゴツとした大きな手は暖かく、いつもミゲルの柔らかい髪を撫でていた。昔は彼と共に撫でてもらっていたが、いつからかそれすら受け付けなくなった。
ぼんやりと過去の記憶を思い返していると、ドワイトは反対の手でコナーの橙の髪をわしゃ、と撫でた。
_____いつぶりだろう。
調査に行く前なら明らかに嫌だったろうに、今はとても心地が良いと感じるのだった。
*****
「おや、おかえり」
オフィスに戻る途中の廊下で、二人はナッシュに会った。どうやら今から会議のようで、腕に分厚いファイルや大量の資料を抱えていた。
「お疲れ様、ナッシュ」
「ドワイトもね。楽しかったかい?」
「うん、コナー君が私を沢山助けてくれたんだよ」
ドワイトの言葉にナッシュは目を丸くしてコナーを見た。
「なんて顔してんすか」
「いやあ、ドワイトの手助けになったなんて、信じ難いな。一体何をやらかしたって言うんだい?」
「人聞きの悪いことばっか言ってんじゃないっすよ」
「まあまあ」
ナッシュとコナーの間にドワイトが入った。
「そういえば、カーラはちゃんとやっているかな」
ドワイトが問うと、ナッシュが「ああ」と微笑んだ。
「食堂で見た時はノールズたちと楽しそうに話していたよ」
「そっか、それは良かった」
ノールズやラシュレイと楽しげに会話をしている助手の姿を想像してドワイトはホッと息をついた。
「じゃあオフィスに行こう。報告書を書かないとね」
「はい」
素直に頷いているコナーにナッシュはニヤニヤと笑っている。
「面白い画だなあ。頑張ってくれよコナー。くれぐれもドワイトを困らせないようにね」
「うっさいっす」
*****
ドワイトが報告書を書いて、提出はコナーが行くことになった。彼から紙を受け取りコナーはオフィスの扉に手をかける。
「コナー君」
ドワイトが呼び止めたので其方を向くと何かを差し出していた。コナーはそれを受け取る。それは折り目がついた硬い紙だった。
「ひっくり返してみて」
「......?」
コナーは怪訝に思いながらその紙を裏返す。それは写真だった。古くなっているが、その中にはミゲルが居た。ドワイトと二人で寄り添っている幸せな光景が切り取られている。
「これ......」
コナーはこの写真を知っている。
星2に昇格するための試験の時、周りの研究員はファイルの中に自分とその先輩のツーショット写真を入れている人が多かった。
ミゲルがそれに憧れて、合格発表があった日にその場でドワイトと撮っていた。確かカメラマンはナッシュだったような気がする。
ミゲルには「ナッシュさんとコナーも撮ってあげる!」と言われたが、彼と撮るくらいならドワイトと撮る、と言い放った覚えがある。
そんな写真を一体どうして自分に渡してくるというのか。
「君にあげるよ」
「えっ」
コナーは写真から顔を上げた。ドワイトは優しい目でコナーを見ていた。
「ミゲルが居なくなってから私はその写真を目に入れるのが億劫になってしまった。ミゲルを一番大事に思ってくれている君に持って貰っていた方が、彼もきっと喜ぶと思うんだ」
「......」
「気に入らなければ、私のところは切り離してもらって構わないさ。とにかく、君に持っていてもらいたい」
コナーは再び写真に目を落とす。水色髪の少年の優しい笑顔は、ドワイトの助手としてピッタリだ。あの時期の少年にしては高い声や、分かりやすい困り顔も、まだコナーは思い出せる。
「......わかりました」
ぼそりと言って、コナーは今度こそオフィスを出た。
*****
報告書の提出を終えると、コナーはカーラとばったり会った。彼女もまた報告書の提出に来たようだ。
「コナーさん、お疲れ様です!」
「カーラ、お疲れ。そっちは大丈夫か?」
「はい、充実しています!」
カーラの表情は生き生きとしていた。ノールズとラシュレイが上手く彼女をフォローしてくれているようだ。
ただやはり自分のオフィスが最も落ち着いて仕事ができるだろう。きっと彼女はドワイトが恋しいはずだ。
「なんか奢るよ。こっち来て」
コナーは歩き始める。
「え、いいですよ!」
「いいから」
コナーはカーラを引き連れて休憩スペースに入った。自動販売機で紅茶を買い、彼女に手渡す。自分も同じものを買って、二人でベンチに腰を下ろした。
「どうでしたか? 実験は」
カーラが恐る恐る聞いてくる。最初の雰囲気はあまり良くなかったので心配してくれていたらしい。
「ああ、まあ......なんとか、できたかな」
他に思いつく言葉がなくて、コナーはそんな事を言った。
「良かったです。ドワイトさんとコナーさんには昔みたいに仲良しになって欲しかったんです」
カーラが微笑んだ。彼女もまたミゲルに似た柔らかい雰囲気を持っている。
「なあ」
「はい」
カップに口を付けていたカーラが慌てて口を離した。
「何でミゲルのこと知ってるの?」
「え?」
「誰かからドワイトさんの前の助手の話を聞いたのか?」
コナーは疑問だった。カーラがミゲルのことなど知るはずがない。ドワイトが自分から話すわけがないだろうし、彼のオフィスにミゲルが居た痕跡はほとんど残されていないはずだ。
カーラは紅茶で唇を湿らせている。少しして、
「ナッシュさんに聞きました。私がオフィスで写真を見つけたんです。その写真に写ってるのが、ミゲルさんでした」
「それって、この写真か?」
コナーは白衣のポケットに入れた、さっきドワイトがくれた写真を彼女に見せる。彼女は「そうです」と頷いた。
「これ、さっきドワイトさんが俺にくれたんだ。自分よりも俺の方がミゲルを一番に大事に思ってくれているから、って」
コナーの言葉にカーラは何か言おうとした。
「でも、間違いだよな」
コナーは間を空けずに言った。
「そんなわけない。あの人が一番にミゲルを思ってるし、一番あいつを近くで見てきて、俺なんかよりずっと大事にしてるんだ」
「......」
カーラは黙っていたが、内心とても嬉しかった。ドワイトと実験を組む前のコナーならばきっとそんなことを言うはずがなかった。ドワイトを心から恨んでいた彼からそんな言葉が出てくるはずがない。彼の心境に少なからず変化が現れているようだ。
「助手が一番可愛い、ってよく言うだろ。きっとドワイトさんだって例外じゃない。ていうか、誰よりもそれを分かってるはずだ」
「......そうですね」
カーラは頷いた。何度もそう思う場面はあった。彼は誰よりも助手を見てくれる。
「......ドワイトさんは、コナーさんのことだって大事にしていると思いますよ」
カーラが言った。コナーは目を丸くして彼女の顔を覗き込む。
「俺のこと? 助手でもないのに?」
「はい。ドワイトさんはミゲルさんと仲が良かったコナーさんのことも、きっと助手と変わらない目で見ています。ドワイトさんは凄く、凄く優しい目でコナーさんを見ています。自分で言うのもなんですが、私に向けられている目と同じです」
カーラが照れ臭そうに笑った。コナーは口をぽかんと開けたまま彼女を見つめる。
知らなかった。彼は誰にだって平等な人間だが、自分がそんなふうに見られているとは。
「昔も今もその目は変わっていないはずです。どんなことがあっても、楽しかった過去は変えられないものです」
カーラは何処か遠いところを見つめていた。
「だから、ミゲルさんとコナーさんへの気持ちは、昔からずっと変わっていないですよ」
コナーはあの日を思い出す。あの日、大怪我をした彼が背負ってきたものは、あんなに可愛がっていた自分の助手ではなかった。何故ミゲルを連れてこないのか、自分は彼の胸ぐらを掴んで怒鳴ったのだ。
だが、今なら彼のその行動の意味もコナーには分かった。ドワイトは光の下で自分の助手を見たくなかったから、と言っていたが果たしてそれだけの理由なのだろうか。
彼は自分自身のためではなく、コナーのためにもあの洞窟に助手を置き去りにしてきたのかもしれない。
ドワイトの優しさは想像以上に深いものだ。自分に彼の亡骸を見せたくなかったのかもしれない。死を肯定させたくなかったのかもしれない。
ミゲルが死んだとだけ伝えた彼だったが、その詳細は話してくれない。自分の心が傷つかない最低限のことだけを話して、あとは黙ってくれている。
ドワイトという人間は、誰よりも優しく、そして誰よりも強い人間だった。
コナーは紅茶を喉に流し込んで、小さく息をついた。
「俺も、心の底では、本当は変わってないのかもな」
今度はカーラが目を丸くしてコナーを見る番だった。
「コナーさん_____」
「オフィスに戻らないと。色々話聞いてくれてありがとうな」
コナーはカーラが何か言う前に立ち上がって、その場を後にした。一人ベンチに残されたカーラはふふ、と笑みを漏らした。その場を去る時のコナーが耳まで真っ赤になっていたのを、彼女は見逃しはしなかった。
*****
「......戻りました」
「おや、おかえり、コナー君。食堂で夕食を買ってきたよ。一緒に食べよう」
「はあ、ありがとうございます」
コナーはドワイトから袋を受け取った。中にはハンバーガーが入っている。それを黙々と食べながら、何となくオフィスの中を見回してみた。綺麗に整頓されているが、伝説の博士であるドワイトはやはり自分のような研究員と比べてファイルの分厚さが桁違いだ。隣に並んでいる薄いファイルはきっとカーラのだろうな、と彼は咀嚼しながら考える。
「そう言えば、今日は私の部屋で寝てくれるんだったね」
ドワイトがくるりと振り返ったので、コナーも椅子を回転させる。
「そういや、そんなことも書いてありましたね」
ラシュレイとカーラから貰った紙に書いてあった事項をコナーは頭に思い浮かべた。
「久しぶりだなあ。私の部屋で誰かが寝てくれるのは」
ドワイトは嬉しそうだ。コナーはその様子を見ながら、ハンバーガーをコーラで流し込んだ。
*****
ドワイトの部屋は何の飾り気もない質素な部屋だった。二つあるベッドのもう一つは誰かが使っている気配はなく、シワひとつないシーツがピンと張られて敷かれている。
「コナー君が来るからカバーもシーツも全部洗って、アイロンをかけておいたよ」
「はあ......そりゃどうも」
どこまでも準備を怠らない人だな、と思いながらコナーはおずおずと部屋に入る。
「着替えは持ってきたかい?」
「はい。あります」
持ってきていた服を見せると、ドワイトは、
「じゃあ先にシャワーを浴びるといいよ。私は後でいいから」
と言って脱衣場の方に姿を消す。
「いいんですか。俺客人なのに」
「おや、今日はお客さんを部屋に入れているつもりはないよ」
彼が扉の向こうから顔を覗かせていたずらっぽく笑った。コナーはそれを見てそうだった、と思い出す。
自分は今彼の助手をしているのだった。だとしてもやはりドワイトを先に入れる方が良いような気がするが......それを言っていてはキリがないので諦めるしかないようだ。
*****
シャワーを浴びて、戻ってくるとドワイトは部屋に一つだけ用意されているデスクで書き物をしていた。残っている仕事だろうか。伝説の博士は仕事量が多い。ナッシュのもとで助手をしていた時も、ナッシュは毎晩遅くまでオフィスに残っていた。
「ドワイトさん、上がりましたよ」
「ああ、うん。じゃあ入ろうかな。コナー君はもう寝ていてもいいからね。疲れただろう」
「まあ、はい」
ドワイトが部屋を出ていき、コナーは持ってきた荷物を探った。歯磨きをするためにコップと歯ブラシを手にして洗面所に向かう。歯磨きをしながら、彼はぼんやりと鏡の中の自分を見た。
ドワイトに対する嫌悪感が薄まったのかは知らないが、彼と居て普通の顔ができるようになったと思った。この二日間、自分は確かに変化した。過去の事件を忘れるつもりは無いが、ドワイトともこの先上手くやっていける兆しが見えてきたような気がする。
蛇口を捻って水を出すと、冷たい水が勢いよく出てきた。それはコナーの指先を冷やし、彼の頭も少しだけ眠気から覚めた。
_____思えば、ミゲルもこの部屋で生活していたんだな。
ドワイトと共にきっと色んな話をしたのだろう。
「......」
彼にもう一度会えるのならば、言わなくてはならないことが沢山あるだろう。
今日、彼のベッドを埋めるのは自分になってしまったが、明日は彼があのベッドを埋めているのならば、どんなに幸福か。
そう考えてコナーは冷たい水を口に含んだ。
*****
ミゲルのベッドは新品同様に綺麗だった。ドワイトがシーツを洗ってくれたりアイロンをかけてくれたりしたからということもあるのだろうが、一番は使用していた期間の短さだろう。ミゲルが研究員として活躍していた期間は半年もない。それだけ短い間に彼は命を落としたのだ。
コナーはベッドに座って上半身を横に倒してみる。丁度枕に頭が乗っかって、ぼふ、と音がした。顔を枕に埋めると、不思議とミゲルの柔らかい香りがするような気がした。実際八年前に別れた親友の香りなど覚えていないが。
横になるといよいよ一日の疲れによる眠気が襲ってきた。コナーは大人しくベッドに潜り込んだ。よく洗われた清潔なシーツは気持ちが良かった。うとうとしていると、ドワイトがシャワーからあがってきた。横になったコナーを起こさないように心がけているのか、静かに寝る準備をしているようだ。だが、少しして、
「もう寝ちゃったかな」
と控えめな声が聞こえてきた。完全に眠っていたわけではないのでコナーはゆっくりと目を開く。寝巻きに身を包んだドワイトが反対側のベッドに座って優しい顔で此方を見ていた。
目が合うと彼はふふ、と笑った。
「君と居られるのもあと僅かだね。明日の夕方には戻ってしまうんだろう?」
「......まあ、そうっすけど」
コナーは眠い目を擦って、頷いた。ドワイトは「じゃあ」と前のめりになる。
「少しだけお話をしようよ。子守唄にでも。誰のお話を聞きたい?」
「......」
コナーは眠い頭で考える。これを聞いていれば本当に子守唄のようにすやすやと眠ってしまうだろう。
ナッシュの話は洞窟の中で聞いた。ドワイトらの大学生時代の話だ。文書001の研究をしていた五人の大学生がB.F.を立ち上げたという、全ての始まりの話だった。
ならば、とコナーが考えたのはドワイトの元助手の顔である。自分もよく知る人物の話だ。だがそうなると少し物足りない。続いて新たな案が浮かんだが、果たして欲張りすぎてはいないだろうか。
「話しすぎても、明日はほとんど予定がないから、起きるのが遅くなってしまっても構わないよ」
そう言われてコナーの心は決まった。じゃあ、と彼は少しだけ体を起こす。
「ドワイトさんの......助手たちの話を聞かせてくれますか?」
「ミゲルと、カーラかい?」
「はい」
「うん、わかった。いいとも」
ドワイトは嬉しそうだった。コナーは眠らないようにと起き上がり、ベッドに座った。ドワイトと向き合うように、彼の顔をしっかり見るようにして話に耳を傾ける。
「ミゲルはね、寝る前によく君の話をしてくれたよ」
「俺の話?」
「そう。君とペアを組むことを夢見ていることとか、君と今日どんな話をした、とか。とても楽しそうに、毎晩お話を聞かせてくれたんだ」
「......」
「ミゲルが喘息持ちだったことは知っているよね。彼は夜にその症状が現れることが多くてね、私はその都度起きたよ。彼の症状が和らぐように煙草も止めた」
コナーは考える。洞窟に行った際にドワイトが持っていたジッポライターから、彼は本当に煙草を吸っていたのだろう。
「......どうしてそんなにあいつに尽くせるんですか。煙草って......止めるの大変なんですよね」
「うん。特に私はブライスやナッシュが止めに入るくらいに吸っていたような人間だったからね。ミゲルが来てくれたことで足を洗うには良い機会だと思ったんだ。彼が苦しむ顔は私だって望んでいないし、それに、助手を守るためにも体は大切にしたくてね」
ドワイトがにっこりと笑った。コナーは眉を顰める。
「そんな理由で止められるもんなんですか」
「いいや、本当は辛かったよ。でもミゲルの存在は本当に大きかったな。数ヶ月で私を別人のように変えてしまったんだ」
ドワイトは懐かしげに目を細める。
「彼が私を研究員として、成長させてくれたんだ」
ドワイトの言葉はゆっくりと耳の奥に染み込んでくる。ミゲルは自分から発言する積極性が、コナーに比べて少なかった。だが、彼がいた事で周りは確実に支えられていた。彼が消えてしまったことでそれは崩壊したが。
「......じゃあ、カーラの話をしようか」
ドワイトが膝の上に腕を組んで体を前のめりにした。
「カーラはね、私に役割をくれたんだよ」
「役割ですか」
「そう。助手を守るという役割、見守るという役割。先輩なら当然に思われるかもしれないけれど、彼女のことは絶対に守ってみせようと思ったんだ。ミゲルが居なくなったことも関係しているけれど、あの日、エスペラントに彼女らが誘拐されたときがあっただろう?」
「はい、ありました」
コナーは思い出す。自分は外で待っていたのでエスペラントの施設で何が起こっていたのかは詳しく知らないが、ドワイトとカーラがとても危険な状況にあったというのを聞いていた。
「彼女が命の危険に晒されたことが私にどれほどの心の変化をもたらしたか......あの日、私は怖かった。彼女を失いたくないと思った。ベルナルドに銃口を向けられた彼女を見た時、とにかく守らないとって思ったんだ。自分の体がどうなろうと、そんなの関係ないよ。助手を失うという経験は、もう二度としたくないからね。カーラには、まだあの優しい笑顔を見せて欲しいし、痛い思いだってして欲しくない。ずっと、ずっと幸せでいて欲しい」
ドワイトの優しい笑みは何処か寂しげだった。コナーはじっと彼を見つめる。
カーラはドワイトを支えている。彼女はきっと気づいてなどいないが。そしてドワイトも、またカーラを支えている。お互いに支え合って、知らないうちに助け合っている。これがきっと本来あるべき研究員とその助手の姿なのだろう。
コナーはあの写真を思い出す。
もうどう足掻いても戻ってきてはくれない彼の元助手。コナーの大の親友。
だがきっと、彼はドワイトを思っている。ドワイトが幸せであるとき、ミゲルもきっと幸せだ。
ミゲルは愛されていた。短い研究員の期間にこれだけの記憶を残した彼は、きっと好かれていた。彼の優しさは周りを変えた。
きっと今もドワイトとカーラのペアを優しい目で見ているに違いない。
彼はそういう人なのだから。人の幸せを、心から嬉しく思うような人なのだから。
ちょうどドワイトがそうであるように。そして、カーラもそうであるように。
あのオフィスに居る人間は、皆そうなる運命にある。魔法にかけられている。
コナーは写真を取り出した。そして、それをドワイトにそっと差し出した。
「これ、返します」
ドワイトは目を丸くして写真とコナーを交互に見る。
「ドワイトさんに持っていて欲しいんです。俺はもう、色々もらっちゃったんで」
コナーは目を逸らして、小さくそう言った。ドワイトは少しの間受け取るのを躊躇っているようだった。だが、やがて頷いた。
「うん、分かった」
写真を受け取って、ドワイトは目を細めた。
「これからもよろしくね。コナー」
*****
次の日、コナーは彼のオフィスを後にした。カーラと入れ替わるようにオフィスを出る。
「三日間お世話になりました」
カーラは丁寧にノールズとラシュレイに頭を下げている。
「いやあ、俺らも楽しかったよ!! なあ、ラシュレイ?」
「はい」
「本当にありがとう二人とも。コナーも、ありがとう」
「はい、俺もお世話になりました」
コナーはカーラと一瞬だけ目線を交わらせる。彼女は笑っていた。その笑みはいつかの彼女の兄弟子を思い起こさせるものだった。