始まりの研究室
リアーナ・レイン(Liana Raine)は世界で注目され始めているモデルだった。
花のような笑顔、美しい佇まいは、カメラ越しに彼女を見る者はもちろん、紙越しでも見る者に影響を与えるほどのものであったという。
当然様々なメディアで引っ張りだことなり、街を歩けば誰もが振り返るような絶世の美女だとも謳われていた。
そんな彼女も大学に合格をし、そこである研究に打ち込むこととなる。
それが文書001だ。
数ヶ月前に発見されたその文書は、専門家が読解を試みたが、手も足も出ずに匙を投げてしまったので、ダメもとで国が大学に託した。
大学は生徒の中から優秀な五名を選んで、彼らをひとつの研究グループとして集結させた。それが、B.F.の始まりである。
読解は文学部が主に使用する会議室を貸し切って行われることとなり、そこに五人の男女が集められた。
リアーナ・レイン、そして彼女が一年生の時に出会ったナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)は、見事にそのメンバーに入っていた。
「まさか、君が選ばれるなんてね」
ナッシュが会議室に向かいながら、隣のリアーナに言った。
一年生からの長い付き合いのためか、彼はリアーナに毒を吐くことが多い。
だが、彼女は「ふふん」と誇らしげに胸を張ってみせる。
「まあね、モデルの仕事もしつつ、勉強だって手を抜いていなかった成果よ!」
リアーナは明るい女性だった。友達も多く、裏表のない性格から、その才能に嫉妬して嫌がらせをするような生徒は全くもって現れなかった。
彼女自身、周りに敵を作りたくない主義のようで、常に花のような笑顔を浮かべて、困っている人には手を差し伸べ、勉強も仕事も一切の妥協を許さないのだ。
ナッシュもそんな彼女とは相性が良いようで、一年生の頃から彼女の隣には大抵彼がいた。
「それにしても」
ナッシュがうんざりした顔で廊下の奥の方を見つめる。
「もう少しで卒業だって言うのに、どうして面倒くさそうな課題を用意するんだろうね、教授は」
そんな彼に対してリアーナが楽しそうに返す。
「私たちにそれだけ期待をしているってことよ! これは腕がなるわ!」
二人がこれから会議室に向かうのは、とある先生に呼び出されたからである。悪いことをしたわけではなく、ある興味深い文書が見つかったから卒業の思い出に、少しかじってみないか、と言われたのだ。
今は冬で、ちょうど冬休みを目前にした時期である。五月にはこの学校を去る二人にとって時間が無い中での研究になるが、まだ誰も解読が出来ていない文書だと聞けば、文学部の腕の見せどころだ。
そう思って二人は忙しい時期にも関わらず、その文書に関わることを承諾した。
さて、二人は会議室に辿り着いた。既に中に人の気配がある。ナッシュは扉をノックした。すると、中から男性の声が返ってきた。
「どうぞ」
ナッシュとリアーナは会議室に足を踏み入れた。部屋の中はそこまで広くはなかった。壁に沿うようにして、分厚いファイルが隙間なく並べられていて、部屋を狭く見せているのはあの棚の圧迫感が原因にあるようだ。その他、真ん中には長方形の机と、その傍らに三脚ずつ、計六脚のパイプ椅子が並べてあった。
そして、それを取り囲むようにして三人の男性が立っている。
一人はナッシュもリアーナも知っている人物だった。文学部の教授の一人であるマーロン・コフリン(Marlon Coughlin)である。
「マーロン先生、さっきぶりです」
「ああ、リアーナ、ナッシュ。来てくれてありがとう」
マーロンは40になるかならないかの、教授の中では比較的若い方であった。と言ってもこの部屋の中では彼が最も年上のようだ。
彼の後ろには二人の男性が立っている。一人はダークブラウンの髪を持つ、メガネの男性だった。優しそうな目をしているが、緊張しているのか口を固く結んでいる。
もう一人は黒髪の男性だった。こちらは目線が鋭く、緊張というよりかは硬いオーラが感じられた。
二人とも歳はリアーナとナッシュとはさほど離れていないように見える。恐らく生徒だろう。
マーロンが、ナッシュとリアーナに彼らが見えるように少しだけ立つ位置を変えた。
「紹介するよ。理系学部より、ブライス・カドガン(Brice Cadogan)君と、」
マーロンは黒髪の男性の方を見て言う。黒髪の男性_____ブライスは小さく頭を下げた。
「それと文学部より、ドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)君だよ」
ドワイトと呼ばれた、ダークブラウンの髪の毛を持つ男性が微笑んだ。
「文学部? 彼もですか」
ナッシュはドワイトを見るが、見たことが無い顔なので首を傾げる。マーロンがその様子を見て「ああ」と頷いた。
「専攻している科目が違うからね。ドワイトは歴史をとっているんだ」
「ああ、そうでしたか」
ナッシュとリアーナは文学専攻だ。ドワイトの顔が分からないのも頷ける。
「それと、もう一人居るはずなんだけれど......」
マーロンは困った様子で、今ナッシュとリアーナが入ってきた扉に目を向ける。残念ながら扉が開く気配はない。聞いている話だと、今回呼び出された生徒は五人だという。
「マーロン先生が五人目の読解者ではなく?」
リアーナが冗談で言うと、マーロンは困り顔のまま「いやあ」と頭を搔く。
「是非とも参加したいんだけれど、私は私で仕事があってね。君たちは優秀だから文書を何とか解読してくれると思うんだ」
そう言ってマーロンが目を向けたのは、机の上に置かれた土まみれの文書だった。長い巻物のような紙に書かれているようだったが、土の中にあったためか文字を読むことすら難しい。また、紙は途中で破れており、半分はまだこの世のどこかに埋まっているのだそうだ。
大まかな情報は事前に聞いていたが、こんなものが土から発見されるとは。考古学でも学んでいなければ、読解は不可能なのではないか。もしかしたら最後にやってくる一人は、考古学の天才なのかもしれない。
ナッシュがそう思っていると、会議室の扉がバタン! と大きな音を立てて開いた。皆の視線が其方を向く。
そこに立っていたのは金髪の女性だった。長くウェーブのかかった髪は走ってきたのか乱れており、扉に手をついて肩で息をしていて、上手く話せないようだ。
「やあ......走ってきてくれたのかい?」
マーロンが彼女にとりあえず座るよう勧める。彼女は会議室の中をぐるりと見回した。そして、机の上にある土まみれの紙を見つけると、安心した様子で息を吐いた。
「すみません......講義が長引きました......」
素直に謝って、彼女は部屋に入ってくる。
「ベティ・エヴァレット(Betty Everette)君だね」
マーロンが優しい笑みを彼女に投げる。ベティと呼ばれた女性は「はい......そうです」とまだ荒い息のままパイプ椅子に腰掛けた。
「ふむ、では全員揃ったところでもう一度自己紹介といこうか。ブライス・カドガン君、ドワイト・ジェナー君、ナッシュ・フェネリー君、リアーナ・レイン君、そして、ベティ・エヴァレット君。皆よく集まってくれたね。忙しい中ありがとう」
マーロンがぱちぱちと拍手する。ナッシュは乗り気ではなかったが、隣のリアーナが大袈裟に手を叩いてみせたので、軽く手を叩いた。ドワイトも控えめに拍手をするが、ベティとブライスは全く手を動かす気配がない。
「早速だけれど、君たちにはこの文書の解読作業が任された。選んだのは、みんな優秀な生徒だからだよ。卒業間近なのは、国も私もよく承知している。ただ、国としてはこの作業を急ぎたいところでね。どの専門家もこぞってこの文書の読解を試みたんだけれど、今のところこれを読めた人は居ないんだよ。君たちなら、協力をして卒業までに何とかしてくれるんじゃないか、ってみんなが期待しているんだよ」
マーロンは一人一人の顔を確認するようにして言った。
「難しいし、時間が無いのはよく分かっているんだ。国はきっと解決の糸口になりそうなものを掴めるだけで満足だろうし、そこは君たちの腕にかかっているね。私も参加したいけれど、残念ながら他の仕事を優先するように言われてしまってね。時々様子を見に来るから、是非とも頑張っていただきたい」
マーロンは「こんなものかな」と腕時計に目をやる。
「私はこれから会議に出ないと......この会議室は自由に使っていいってことだから、君たちの好きにするといいよ。ああ、それと、これだけは言わせてくれ」
扉に手をかけながらマーロンは振り返る。
「文書のことは口外しないでくれ。どんなに親しい友達に、どんな内容だったかを問われても、それを教えてはならないよ。国からは公式で発表するまでは君たちだけしか知らないという約束をしてあるんだ」
マーロンが口元に人差し指を当てて、秘密のジェスチャーをする。
相当重要な文書のようだが、非効率なやり方だなあ、とナッシュは思った。
公式で発表して読解者を募った方が色んな人間が違う方面から見てくれるだろうに。やはりそうなるとまずいことはあるのだろうか。
「でも、何かあれば私には包み隠さず教えてくれ。私はこの仕事に就いて初めて心の底からウキウキしているからね。世紀の大発見を期待しているよ」
マーロンはそう言って扉の向こうに消えた。
「世紀の大発見かあ」
リアーナは文書を見落ろす。パッと見ても見たことの無い文字の羅列があるだけで何が書かれているのかさっぱりである。どこかの民族が書いたのか、それとも誰かが適当に綴ったものなのか。それはまだ謎に包まれている。
「ベティ、大丈夫?」
リアーナは文書から顔を上げて、まだ息が荒いベティの顔を見る。ベティというその女性は化粧がバッチリで、まるで女優のような顔立ちをしていた。リアーナは思わず「かわいい」と口に出す。
「大丈夫......で、この文書を読解するために私たちは呼ばれたわけ?」
ベティはちらりと文書を見やった。
「そうだよ。ベティは考古学を専攻しているの?」
リアーナの問いに対してベティは怪訝な顔をして周りのメンバーを見た。
「私は......医学部だけれど......」
「......」
周りが黙った。皆どうして此処にそれらしい人物が居ないのか確かめたかったのだ。
考古学をとっている人間が居ないとなると、希望があるのは文学部だろうか。しかし、それならば何故理系学部であるブライスと医学部のベティが呼ばれたのか。
取り敢えず国は、それぞれの方面からアタックできるようになるべく違う科から集めたかったのだろうな、とナッシュは筒抜けな国の頭の中を予想した。
「うーん......じゃあ、まずはアイスブレイクに何かお話でもしようか」
リアーナがパイプ椅子に腰かけた。初対面特有のこうした空気を壊すのにはやはり彼女のような人間が向いているだろう。
こうして集められた五人の男女は文書読解に向かい始めたのだ。
*****
「うーん......まず見た感じは何となくアルファベットみたいな文字があって......数字があって......これは......うーん、これはなんだろう......」
講義が終わると五人は早速読解を開始した。
文書に書いてある文字は見つけたものだけでも、おおよそ四種類に分けることが出来た。
まずひとつがアルファベット。ミミズが這ったような頼りない文字ではあるが、目を凝らしてみればそう見えないことも無い。そしてもうひとつが数字である。所々にそれらしきものが紛れているのだが、それが何を表すかはまだ誰も理解できない。そして、ギリシャ文字らしきものも混じっている。
「これは......何語かな」
ドワイトが指さした場所には五人が見たことの無い文字が並んでいる。カクカクした文字だが、文字の隙間に丸や点が打ってある。文字の切れ目すら分からない。
「見たことがない文字ね」
リアーナが首を傾げた。
机の上には世界の言語や、使用されている文字について書いてある図鑑があるがそれにすら載っていない。ブライスが図書館から数冊似た類の本を借りてきたのだが、どれを読んでもその文字に関する情報は得られなかった。
「まるで宇宙人が書いたみたいな文字だね」
ナッシュが頭を掻きながら文字を凝視している。
「それもだけれど、このギリシャ文字やただのアルファベットに見える文字たちも、文法構造があやふやだよ。文として成立していない」
ドワイトが言った。
「ますます分からないね。そもそもこれは文なのかな」
「でも、明らかに文字のようなものを使って何かを伝えようとしているようには思えるわ」
「こんなの難しすぎやしないかい。僕らみたいな素人に何がわかるっていうんだ」
なかなか事が前に進まないからかナッシュは機嫌が悪そうだ。
「期待されているのはありがたいことでしょう?」
リアーナはナッシュの背中を優しく叩いて、片手で本を捲っていた。
*****
数時間経って、文の区切りになりそうなところに印をつけることができた。ただ、これすら正解かは分からないので、あくまでも目安である。
「うーん、文のひとつひとつは凄く長いわけでもないかな」
リアーナは文字で埋め尽くされた自分のノートを睨みながら唸っている。が、パッと顔を上げた。
「ていうか......ベティは?」
読解者の一人であるベティ・エヴァレットは作業を開始して一時間ほどで姿を消した。
「さあ......個人で医学の教科書を読んでいたけれど......」
ドワイトも首を傾げている。
少し前までベティはつまらなそうに医学の参考書を捲っていたのだ。
彼女はこの作業なんかよりも医学の勉強の方がよっぽど楽しいのだろう。
今日もたっぷりと講義を聞いてからこの会議室にやって来たので、本人はあまりこの作業に興味が無いらしい。
「やる気がない生徒を連れてくるマーロン先生もマーロン先生だと思うね」
ナッシュがため息をついて会議室の扉を見やった。
「でも、きっと凄く優秀な生徒なのよ」
リアーナがベティのフォローに入る。ナッシュはそんな彼女を冷めた目で見た。
「与えられた課題に真剣に向き合う生徒を連れてくる方がよっぽど効率よく作業ができると思うよ」
*****
やがてその日は夜の八時まで作業をした。解読はできなかったが、文字の種類と文の構成を掴めてきたので、それほど解読に時間はかからないだろうと読解者達は見込んでいた。
「よーし、帰ろっか!」
リアーナがコートを羽織って鞄を背負った。ナッシュもそれに続く。
「うん、お疲れ様」
二人が出ていった後でドワイトも帰る準備を始める。コートを手に取りながら、未だ机の上の本と文書を熱心に読み比べているブライスを振り返る。
「ブライス、帰らないのかい?」
「先に帰ってもいいぞ」
彼は近くのメモ用紙を掴んでペンを走らせている。ドワイトはコートを片手に彼に歩みよる。
「そんなことはできないよ。何か手伝うことがあれば、私も協力するよ」
彼の書いているメモ用紙には文法構造がバラバラだったアルファベットがびっしり並べられていた。が、その下には普通の文が書かれている。
「一文だけ意味が掴めたかもしれん」
ブライスが短く言った。
「本当かい!?」
ドワイトの声が思わず大きくなる。だが、ブライスは何かを考えているのか、じっと文書と自分が書いたメモを見つめていた。
「だが、あまりに現実味のないことが書かれているように思える。この文書は、誰かがただのイタズラで土に埋めたものなんじゃないのか?」
彼は帰るつもりなのか本を閉じて鞄にしまい始めた。
「現実味がないこと? 例えば?」
「俗に言うオカルトというやつだ。こんなものを真剣に解読しようとしているとは、実にくだらん」
ブライスが冷たく言い、立ち上がった。
オカルト。ドワイトは頭にUFOや未確認生物、危険な儀式などを思い浮かべてみた。
たしかに、そんな内容を真面目に解読するとなると、馬鹿げていると思ってしまうのも頷ける。ましてやブライスのような数字できっかり答えを出すような考えを持つ者ならば、尚更その内容に強い嫌悪を抱くのだろう。
「でも、その文書は見た目からして随分古そうだよ。昔の人の考えにもなると、そういうオカルト系は当たり前だったんじゃないかな」
「だとしても、これを紐解いたら何になるんだ」
ブライスは鞄を背負った。
「少なくとも、卒業間近にやるべき事ではないだろうな」
彼が扉に向かうので、ドワイトは慌ててコートを羽織って鞄を掴んだ。
電気を消して二人は会議室を出る。
「図書館に本を返しに行ってくる」
「うん、また明日。おやすみ」
「ああ」
図書館の方に消えていくブライスの背中を見ながら、ドワイトは小さなため息をついた。
果たして、このままの状況で解読することはできるのだろうか。
いや、ブライスの驚異的な読解力があれば、きっと数日内に全ての文が分かってしまうだろう。
だが、一人は解読作業に参加しない、そしてそれを非難する人も居り、今のところ最も読解力を持っているブライスがあの心持ちとなると、きっとチームはバラバラのままで、もはやチームとすら呼べなくなってしまうだろう。
国は読解さえできれば何も問わないのだろうが、ドワイトはチームの雰囲気が良好のまま最後まで向かいたかった。誰かが来ず、誰かが先走ってしまうのはあまり気持ちのいいものではない。
彼は平和主義者だ。小さい頃から周りの顔色には敏感で、物事を穏便に済ませるために何をすべきかを真っ先に考えようとした。
ベティは何処に行ってしまったのだろう。マーロンは何故彼女を推薦したのか。
ドワイトは校舎の出口に向かいながら、悶々と考えていた。
*****
ブライスが図書館に行くと、人がほとんど居なかった。カウンターの内側に女性の司書が居るだけだ。閉館間際のようで、照明も奥の方は落とされている。
返却の作業をしている間、目が暇なのでブライスは何となく辺りを見回していた。すると、遠くの通路にほんのり灯りが見えた。
まだ誰かいるのかと司書に尋ねたところ、勉強熱心な生徒が最後まで残っているらしい。声をかけるまでその場から動く気配を全く見せないので、出来れば声をかけてやってはくれないか、と言われた。
ブライスは本棚の間を潜り抜けて、その場所に向かった。そこは学習スペースになっていた。壁に向けられた机がずらりと並び、机にはひとつひとつにランプが付いている。どうやらさっき見えた灯りはこのランプだったようだ。ひとつだけ明かり灯っており、その机に金髪の女性を見つけた。
それはベティ・エヴァレットだった。熱心に参考書を読んでいる。傍らのノートには医学用語や難しい計算が並んだノートが開いて置いてある。髪の隙間から僅かに覗く目は、会議室で見た時よりも真剣だった。あまりに集中しているので、未だにブライスに気づいていないようだ。
ブライスは彼女の隣の椅子を引いて腰掛けた。
「......どうして読解作業に来ない?」
ベティが弾かれたように顔を上げた。ブライスの視線はノートに注がれていた。
「こっちの方が大事か」
ブライスの視線に気づいたベティはハッとした様子でノートを閉じた。
「関係ないでしょ。意味のない内容の文書を最後まで読む方がアホらしいわ」
ベティは鼻で笑って、ペンをケースに放り入れた。ブライスは眉をひそめて彼女を見る。
「......お前、あの文字が読めているのか?」
「法則性があったわ。見りゃわかるでしょ」
彼女が吐き捨てるように言う。ブライスは絶句した。
彼女が何故あの場所に居ないのか、つまらなそうに一人医学の参考書を開いていたのか、そしてマーロンが彼女を何故推薦したのかがわかったような気がした。
「......あんたが来たから集中力が切れちゃったじゃない。今度話しかけたら許さないわよ」
ベティが鋭い目でブライスを睨みつけ、鞄と机に置いていたノートを持って立ち上がった。そのままスタスタと出口の方へと向かっていく。ブライスは少し遅れて、付けられたままの灯りを消して彼女の後を追うようにして席を立った。
*****
次の日、ブライスは会議室に来なかった。ドワイトとナッシュ、リアーナはどうしたものかと顔を見合わせる。
「で、どうするんだい。二人も来なくなったよ。もうこれで甚大な人材不足が起こってしまっている」
「きっと図書館で本を借りてきてくれているのよ! 私たちだけでも頑張りましょっ」
リアーナは機嫌が直らないナッシュの背中を押し、早速いつものノートを開く。
ドワイトはその様子を見ながら、ブライスと昨日二人が帰った後にした会話を思い出していた。
まだ確信したわけでは無いが、この文書の内容について二人に話した方がいいのだろうか。
リアーナはまだしも、ナッシュはどんな顔をするだろう。
だが、わかった情報を早々に共有していくのがチームというものだろう。
「実はね、ブライスが昨日、一文だけ内容が掴めたかもしれないって言っていたんだ」
ドワイトが意を決して言うと、リアーナがばっと顔を上げた。
「え!? ドワイト、本当!?」
「うん。ただ、内容がオカルトチックだったって言っていて......」
「オカルト? UFOとか、未確認生物とか......そういうのってこと?」
「たぶん......」
詳しい内容はまだ分からない。ブライスはそれ以上のことは言わなかった。馬鹿げているとは言っていたが。
ドワイトの言葉に対してリアーナは顔を輝かせているが、ナッシュは興ざめた様子だ。
「ふーん、そんなの読解したって何かをためになるのか、ってとこだけど」
「ちょっとちょっと、前に話が進んだんだからいいじゃないの! ドワイトも、教えてくれてありがとう!」
リアーナはドワイトに微笑む。ドワイトは「うん......」と頷いて、ちらりと扉を見る。ブライスは一向に姿を現さない。
昨日の文章の意味を掴んで、この文書がオカルトチックなものだと予想したことが原因なのだろうか。
状況は悪くなるばかりだ。
*****
結局、その日は日が暮れるまで会議室で作業をしていたが、ベティもブライスも扉を開くことはなかった。
「やっぱり僕らじゃ無理があるよ」
三人の知識を集結させたところで作業は進まない。今日は文法構成に頭を悩ませていたが、結局あまり進展はなかった。窓の外は暗く、三人は片付けて帰ることにした。
準備をしていると、
「ちょっと、離してよ」
廊下から女性の声が聞こえてきた。三人は手を止めて顔を見合わす。
「どうしてそんな事しないといけないわけ? 私がしたいのは医者の勉強だって言ってるじゃない! 考古学者ごっこじゃないのよ!」
会議室の扉の前で誰かが怒っている。
三人とも声の主の想像はついていた。が、今日は一度も姿を現さなかったのに、どうして帰る間際になって、という疑問が頭の中にあった。
リアーナは扉に近づいて、ドアノブを捻る。開くと、そこに居たのはやはりベティだった。だが、彼女一人ではない。腕を誰かに掴まれている。その腕を掴むのは、同じく顔を見せていなかったブライスだ。
「ベティ、ブライス!!」
リアーナが嬉しそうに顔を輝かせる。が、ベティは機嫌が悪そうだ。リアーナを見るなり口を開く。
「ねえ、リアーナ。この人私の勉強の邪魔しかしないわ。私は此処に通うなんてごめんなの。私は医者を目指しているのよ。こんな馬鹿みたいな内容の文書をただ読むだけのために時間を潰されるだなんて、将来何か役に立つのかしら?」
彼女の言葉にドワイト、ナッシュ、そしてリアーナはぽかん、と口を開けていた。ブライスだけは無表情で彼女の腕を掴んでいる。
「......ベティ、内容が掴めているの?」
リアーナの問いに対してベティは口を噤んだ。そして、面倒くさそうにブライスを見る。ブライスも彼女を見下ろしていた。
「ならばさっさと終わらせて念願の医者の勉強をすればいいんじゃないのか。こうして中途半端に投げ出しているから面倒なことになるんだ」
彼はそう言ってベティを会議室の中に連れてきた。ベティはその場にいる全員の視線を受けてばつ悪そうにしている。
「ブライス、一体どこに行っていたんだい」
そこでようやくナッシュが口を開いた。彼は既に帰る準備を済ませていたが、此処から事が動くのではないかと期待してか、背負いかけていた鞄を椅子にかけている。
ブライスはベティを椅子に座らせながら、
「こいつを説得していただけだ。おそらく今日中に読解作業は終わるだろう。残れるやつだけ残ってくれ」
と、言った。