日曜会議
「なあ、ラシュレイ。この前のさ、実験の報告書出してもらえる?」
「あの緑のファイルに挟んであるものですか?」
「そうそう、ちょっと資料ミスしてたみたいなんだよね」
「なるほど、ノールズさんですもんね」
「ひっどいなあ」
二人はオフィスで今日も作業に追われていた。ノールズは、ファイルを探しているラシュレイを待っている間、ほかの報告書の制作を行っていた。手書きのものもあれば、パソコンで打つものもある。気づけば首が重たい。
「んー!! 疲れたあ」
ノールズはググッと伸びをする。すると、彼の視界にオフィスの壁にかけてある時計が入ってきた。
「んおっ......と、もうこんな期間?」
今日は日曜日。時刻は18時だ。あと一時間後、ノールズには予定があった。
「今日は日曜会議ですか。一時間しかないですけれど、報告書は書き終わりそうですか」
「徹夜する!」
「そうですか」
胸を張って答えるノールズに返って来たのは、相変わらず冷たい声だった。ノールズがずこっと滑る。
「いや、そこはさあ、『俺がやっておきますよ』、とか『俺が手伝いましょうか』、とか無いの? 確かにラシュレイって冷たいけど、言葉だけでも俺は超嬉しいんだよ?」
「遅れないでくださいね」
話すら聞いていなかったらしい。
緑のファイルをノールズの机に置くと、そそくさと自分のデスクに戻っていく。あまりのスルースキルの高さにノールズが「うん」と頷くだけになってしまった。
*****
少しの間カタカタとキーボードを叩く音と、ボールペンがサラサラと紙の上で動く音が混じり合う。時計の針は、その間にもどんどん進んでいく。
「ノールズさん、遅れますよ」
ラシュレイが後ろで作業をしている先輩を振り返る。
「んー、もう行く! なになに〜? もしかして心配してくれてるの?」
エンターキーをターンッ、と勢いよく押して、その勢いのまま彼はラシュレイを振り返った。
「大丈夫! 俺、日曜会議に遅れたことないから〜」
「報告書の提出期限のこと言っているんですが」
「絶対話の流れ的にそっちじゃなかったよね!?」
時計を見上げると30分前である。ノールズは重い腰を上げた。デスクワーク続きだと、体のあちこちに鈍い痛みを感じる。
「行くか〜」
「あ、待ってください」
ラシュレイが扉に向かうノールズの後ろで、何やら自分のデスクをガサガサとしている。やがて紙が三枚ほどホッチキスで止められた物をノールズに渡した。紙は三枚とも文字がびっしりだ。
「昨日の俺の単体実験の記録です。一応、目を通してくださいませんか」
「ん、そうだね。お疲れ様」
受け取ったノールズが頷く。
「じゃあ俺もう行くけど、お留守番宜しくね」
「子供じゃないんですけど」
「うん......」
*****
今から開かれる会議は「日曜会議」と呼ばれるものだ。名前の通り毎週日曜日に開かれるもので、主に一週間で溜めた情報の交換を目的とした会議だ。
助手が星3以下なら先輩の研究員が出席、星4同士でペアを組んでいるものならば、どちらかが必ず出席、パートナーが居ない場合は一人で出席することになっている。場所は第七会議室だ。
*****
ピンポンパンポーン。
『19時より日曜会議を行います。星5、星4の代表者の皆さんは第七会議室にお集まりください』
女性の声で施設内放送が流れる。ノールズが腕時計に目を落とすがまだ20分程余裕があった。
食堂に向かい、夕食のサンドイッチを買う。
食堂は朝のから夜時まで解放されており、B.F.職員はお金の代わりにカードを用いて、無数のメニューから自分の食べたいものを選ぶことが可能だ。
「向かいながら食べちゃおうっと」
早速買ったサンドイッチの包みを開く。中から出て来たのは卵やレタス、ベーコンを特製のソースに絡めたものをパンで挟んだボリューム満点のサンドイッチだった。それにかぶりつきながら、ノールズは第七会議室へと向かう。
サンドイッチを持っていないもう片方の手には、ラシュレイが作成した単体実験の結果をまとめた紙を持っている。
星4に昇格するための試験に、実技として本物の超常現象相手の実験を行うものがある。
単体実験は、その試験に向けた練習でもあるが、独立をした時のために実験の流れや対象との接し方を学んでいくという目的も持っている。
ラシュレイは星1から星3へ飛び級をしたこともあり、他の研究員より経験数は少ない。そのため単体実験の回数も自然に多くなる。
自分の助手が成長していく姿を見るのは、子育てをする親と似た感覚で、感動する。
もしラシュレイが星4になったら、恐らく自分は号泣するだろう、とノールズは思っているのだった。
目と足と口を動かすこともあって、ノールズは後ろから声をかけてくる存在に全く気づかなかった。
「ノールズ君!」
「......」
「ノールズ君?」
「ふぁい!!」
ノールズはラシュレイの結果の用紙から顔を上げる。視界の端に誰かが映る。
ダークブラウンの髪をした、白衣の男性。顔には銀の細いフレームのメガネを掛けており、レンズの奥の瞳は優しくノールズを写していた。歳は50になるかならないかだろう。周りの研究員らに比べるとかなりいっている方だ。
「ドワイトさん!!!」
彼を見たノールズが慌ててサンドイッチを飲み込み、背筋を伸ばす。
「あはは、ごめんね、そんなに驚かせるつもりはなかったんだ。口にソース付いてるよ」
「あ、ありがとうございます!!」
ノールズは手で口を拭う。包みをくしゃくしゃに丸めてポケットに突っ込む。入れてからソースで白衣が汚れることを後悔したが、今更遅いだろう。
目の前の研究員は、ノールズの持っていたラシュレイの実験の用紙を覗き込んだ。
「何を読んでいたんだい?」
「ああ、ラシュレイの単体実験の結果です」
「わあ、懐かしい〜! ラシュレイ君はもうそんなになったかあ、立派だねえ」
のほほんとした笑み浮かべる彼は、B.F.では知らないものはいない、三人いる「伝説の博士」と言われる内の一人である。
名前はドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)。彼はB.F.の設立当時から居る、言わば超ベテランの超大先輩だ。
星5であることはノールズとは変わらないが、足元には及ばないほどドワイトの地位は高い。
「ラシュレイ君は鋭い観察眼があって、真面目な性格だからきっとすぐに私達と同じ星5の領域までやって来るだろうねえ」
ドワイトはうんうんと大きく二度頷いた。
ノールズも同感ではあったが少し面白くない。伝説の博士の一人に褒められている自分の助手に軽い嫉妬心を覚えたのだ。
すると、ドワイトがもちろん、と用紙から顔を上げてノールズに微笑みかける。
「ノールズ君もとっても素晴らしい研究員だよ。そんな君の背中を見て育っているから、ラシュレイ君はあんなに良い職員に育っているのかもしれないね!」
「いやあ〜、えへへ」
褒め上手な彼の言葉にノールズは、満更でもない様子で頭を搔く。
ドワイトのこの親しみやすい性格は伝説の博士の中では一番だ。彼が居るだけでその場の雰囲気が柔らかくなり、安心する。
一言で言えば皆を包み込むお母さん、お父さんのような存在だ。
「さて、じゃあ私はあっちだから。また後でね」
「はいっ」
気づけば会議室に着いていた。二枚ある扉のうち、手前の扉に彼は消える。ノールズは後ろの扉から会場へ入った。
第七会議室の広さは「伸び放題」を管理している第九会議室より一回り小さくなっているが、研究員が百人ほど入ってもまだ余裕があるくらいだ。
会議室の中央には、真ん中がくり抜かれたドーナツのような巨大な円形の机がひとつドンと置いてあり、椅子がそれに倣ってずらりと並んでいる。
前方にはスクリーンが天井から降りていて、その傍らにパソコンを操作する職員が二人ほど立っている。あのスクリーンにパソコンの画面を共有させて会議は進行される。
スクリーンの前にはドワイトが居て、他の研究員と楽しげに話をしている。相変わらず表情が柔らかく、彼処の空気が暖かいのは何となくノールズにも分かった。
会議室にはまだ2/3程の職員しか居らず、皆時間になるまで席を立って他の職員と談笑したり、席に座って資料に目を通したりして自由に過ごしていた。
席は自由なのでノールズは自分がよく座る後方を選ぶ。会場全体を見渡すことができるのもあるが、理由はそれ以外にもあった。
「やっほー」
いつもの席に座る、綺麗な金色の髪に声をかけたが、振り返らなかった。ノールズは特に気にせず、隣の椅子を引いて腰をかける。
「お隣失礼しますよーっと」
「ちょっと黙ってて」
ピシャリと言われてしまった。手元を忙しく動かしているのを見ると、どうやら計算中だったようだ。
ノールズは頬杖をついて彼女の手元をぼんやり見る。バランスの整った綺麗な字が並んでいく。
「何」
ギロリと睨まれた。
「こわ」
ノールズが苦笑して、続ける。
「いやあ、別にー。イザベル、仕事熱心だなあって思ってさあ」
「仕事が終わらないだけよ」
彼女がフッと目を逸らして再びペンを走らせる。
日曜会議は星5は必ず出席なのでノールズの同期であるイザベルも当然居る。
彼女とは絶対に隣に座るというのが、ノールズの中でのルールであった。彼女に構って欲しいというのもあるが、やはり同じ時間をこの施設で共有してきた仲間が近くに居ると安心感を覚えるのだ。
彼女の冷たさは健在だが。
それにしても、彼女はいつも忙しそうだ。仕事が片付かないと言うが、彼女の仕事を片付ける早さは、星5職員で群を抜いているとノールズは思う。
ただ、彼女はいつも回ってきた仕事を片っ端から引き受けるので、一見して仕事が片付いていないように見えるだけである。
そして、おそらく彼女はそれに気づいていない。
仕事は忙しくて当然のものであると思い込んでいるようだ。
「無理しない方がいいって」
頼れる同期に倒れられたらノールズが困る。
「余計なお世話よ。そんなことより」
計算が終わったようだ。彼女がパタンとノートを閉じる。
「新しい超常現象が見つかったって、聞いた?」
「いや、聞いてないけど......」
新しい超常現象など毎日のように運び込まれてくるというのに、イザベルの顔は何だか冴えない。ペンを白衣の胸ポケットに入れて、はあ、とため息を着く。
「Mr.スクエア。頭部が黒いクレヨンで四角く塗りつぶされたような人型の化け物よ。凶暴な性格でね、人を殺して楽しむようなの。もう既に八人の研究員が殺されたって」
「八!?」
ノールズの声が裏返る。八人も死んでいるとなるとかなりの凶暴さのようだ。
「それ、今この施設にいるの!?」
「当たり前でしょう。担当はブライスさんとナッシュさんらしいけれど」
「さ、流石......」
ブライス、ナッシュはドワイトと同じ、「伝説の博士」である。
このB.F.の頂点に君臨するのが、ブライス・カドガン(Brice Cadogan)。彼はB.F.の最高責任者であり、B.F.で最も「冷酷」という言葉が似合う男である。
性格はドワイトとは違い、空気がビリビリと震えるほどに恐ろしい。
ただ、経験が豊富なことには違いない。彼の手に掛かれば、厄介な超常現象も難なく解決されることは少なくないからだ。
続いて、ナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)。彼はブライスと比べれば冷酷さはいくらかマシになる、と職員らは言う。確かに彼はブライスと比較して口調も柔らかい。
だが、そんな彼に騙されてはならない。笑顔の彼から溢れる負のオーラは、とてもどす黒い。
最後はドワイト・ジェナーだ。伝説の博士の中では、群を抜いて親しみやすいことで有名だ。褒めて伸ばすタイプと言えば、誰もが納得するであろう。
以上の三人が「伝説の博士」だ。いつの時代から、誰が呼び出したかは分からない呼称ではあるが、この三人が集まれば怖いものは無い。
そして、B.F.の歴史はこの三人が築いてきたと言っても過言ではない。大体のことは知り尽くしている三人である。
血も涙もない、と言われているのをノールズは知っているが、反対にこんなに頼りになる先輩もいないと思うのだった。
「Mr.スクエアかあ」
「人手が足りなくなったら、あなたも派遣されるかもしれないわね」
「ええ、ちょっと止めてよ。冗談キツイ......」
と言っても、冗談とも言い難い。
こういう、人が死ぬほど強力な超常現象には、なるべく多くの星5研究員が派遣される。経験数が豊富だからだ。
ただ、助手が居る博士は派遣を後回しにされる。助手にB.F.での仕事を教え込むという役目を担っているためだ。
ただし、人が死んでいるとなると話は別。
遺書でも残しておこうかな、などと頭で考えていると、
『それでは日曜会議を始めます。皆様席に着いてください』
マイクを通して司会が言う。ノールズは椅子に座り直した。日曜会議が始まるようだ。
*****
「んー、終わったあー」
ノールズは椅子に背中を預けて大きく伸びをする。
会議は一時間半ほどで終わった。週によって長さも異なる。長い時だと二時間以上行うこともあるが、そんな長い会議は何年も行われていない。
今回は、ほとんどがMr.スクエアの話で終わってしまった。やはり危険だということもあり、このまま行くとノールズやイザベルも実験に参加させられる可能性が出て来た。
話を聞いて誰もが不安げにスクリーンを見上げる中、イザベルだけは表情を変えずにスラスラとメモを取っていた。彼女に取って怖いものだろうが、怖くないものだろうが、関係ないのだろう。
「さてと、報告書の続きを書かなくちゃ」
「あなたね......適度に休まないとダメよ。よく寝ているのかしら」
大きな欠伸をしたノールズの隣でイザベルはトントン、と配られた資料の角を揃えながら言った。
「あれれ、心配してくれるんだ?」
「倒れたら誰が第九会議室の管理をするのよ」
「いや、もう少し理由あるでしょ......」
あ、とノールズの顔が輝いた。イザベルが眉を顰める。
「何よ」
「俺には健康でいて欲しいってことだね? 未来のために?」
「それじゃ、また来週」
手を握ろうとしたノールズを綺麗に避け、彼女は席を立つ。そのままスタスタと出口へと向かって行った。
ノールズがバランスを崩し、彼女が座っていた椅子に手を着いた。
「冷たい......俺の周り冷たいんだけど......」
ノールズがめそめそしていると、
「相変わらずアタッカーだねえ、ノールズ君」
資料をたくさん抱えたドワイトが優しい笑みを浮かべて歩いてくる。どうやら一部始終を見られていたようだ。
「うう......ドワイトさん、みんなが冷たいんです......イザベルもラシュレイも俺に当たりが強いんです......」
ノールズは泣きべそをかきながら席を立つ。ドワイトは、うんうんと頷きながらノールズの話に耳を傾けた。
「適度に心配してくれることは嬉しいことだよね。私達は相手がほとんど生き物だし、待ってはくれないから本当に忙しいし......少しでも癒される存在がいてくれると、とっても心強いんだよね。無理せずに休んでね、ノールズ君。君は本当に頑張っているよ」
「ありがとうございますうう......」
優しい言葉にノールズは本格的に泣き出した。
「俺の気持ち代弁できるのドワイトさんだけです......一生着いていきます......」
「ふふ、実はね、最近新しい助手を取ったんだ。君みたいな頑張り屋さんだから、彼女と君が重なったんだよ」
「へ......? ドワイトさん、助手を取ったんですか!?」
ノールズは目を丸くする。彼が助手を長いこと取っていないのは施設の中では有名な話だ。とある事件をきっかけに、彼は助手を取るのを拒んでいたのである。
ドワイトはうん、と頷く。遠くを見つめ、優しい声で、
「そう、孫みたいでね。とっても可愛いよ。一生懸命仕事を覚えようとしているところが、特にね」
と、愛しげにそう言った。
彼女、孫と言っているから、年の離れた女性の研究員を取ったのだろう。
長年助手を取ることを拒んでいた彼が、何故助手を取ったのか。
ノールズが聞くべきか迷っていると、
「今度機会があれば連れてくるよ。と言っても食堂で会うことがあるかもね。その時は宜しくね」
「は、はい!」
二人は会議室前で別れた。
ノールズはオフィスに戻りながら、今日は濃い内容の会議だったな、と振り返る。
Mr.スクエアのこともあるが、ドワイトが助手を取ったこと。
一体どういう風の吹き回しなのだろう。
そしてノールズは気づいた。
自分にはまだまだ今日の分の仕事が残っていること、白衣の中でシミになっているだろう、ソースの存在に。