File038 〜追憶のカーテン〜
「......はー」
朝の食堂の喧騒の中で、コナーは大きなため息をついた。そのため息は誰にも聞かれていないと思ったのに、どうやら隣を通ろうとしていた一人の研究員には気づかれてしまっていたようだ。
「どうかしたんですか、コナーさん?」
声をかけてきたのは女性研究員だった。B.F.星4研究員ケルシー・アーネット(Kelsey Arnett)である。
「ああ、ケルシー」
コナーは食べ終えた食器を机の端に押して、頬杖をついた。
「実はさ、ナッシュさんと実験入っちゃったんだよ」
「ナッシュさんと?」
コナーは星4までナッシュのもとで修行を積んできた。今は独立して一人だが、彼のもとでの下積み時代は苦い思い出だ。
「そうなんだよ、あんな人と合同実験なんて俺、前世で何か間違ったことでもしたんかな......」
相当嫌らしい。コナーは頭を抱えて机に突っ伏した。ケルシーは「そこまでですか」と苦笑する。
コナーとナッシュは仲が悪いわけではないように思える。伝説の博士の一人であるナッシュに彼処まで軽口を叩ける研究員もなかなか居ないものだ。
「実験はいつですか?」
「今から......うげえ、あと一時間もない」
腕時計を見てコナーは更に落ち込む。ケルシーは「まあまあ」と彼を宥める。
「今日だけですし、それに久しぶりに助手と実験ができるってナッシュさんも喜んでいるかもしれませんよ」
「そんなわけない。あの人が俺をそういうふうに言うことなんて今まで一回もなかったし」
「分かりませんよ。意外と大丈夫かもしれませんよ」
「そうかなあ」
コナーは顔を上げる。ケルシーの優しい笑みが目に入った。
「私も自分の先輩と合同実験が出来たら嬉しいですもん! きっと大丈夫です!」
明るい声で励まされてコナーは少しだけ元気になった。完全に倒れていた体を起こす。
「ちょっと頑張ってみる......」
「はい、頑張ってくださいね。応援していますよ」
ケルシーが手を振ってその場を後にした。
流石はバレットとエズラの問題児組を相手にする彼女だ。落ち込んでいた気分が少しだけ上がっている。
「でもなあ......」
コナーの頭の中に自分の元先輩の意地悪な笑みが思い浮かぶ。
あれから逃げるためにコナーは昔よくドワイトとミゲルのオフィスに匿ってもらったのだ。
今日もあれと対峙するとなると逃げる場所がない。
最悪ノールズとラシュレイのオフィスかバレットとエズラのオフィスに匿ってもらうことにしよう。
「はあ、早く終わらねえかな......合同実験」
「何が終わるだって?」
「そりゃ実験が......って、うおおお!!!!」
突然後ろから聞こえてきた声に、コナーは飛び上がった。彼の後ろには綺麗な銀髪の男性が立っている。
「ナ、ナッシュさん!!? いつからそこに立ってたんすか!!!」
「さあ、いつからだろうねえ」
ナッシュは顔に意地悪な笑みを浮かべて、腕組をしている。
「それで、何だって? 実験が早く終わって欲しいのかい?」
「う、いやいや、まさか。俺がそんなこと言うわけないじゃないっすか。俺実験大好きですから!!」
ナッシュの恐ろしい笑みにコナーの笑みも引き攣る。
「嘘つけ。相変わらず嘘が下手くそだな君は」
ナッシュが意地悪な笑みから呆れ顔になると、コナーの顔からも笑みが消えた。
「うるさいっすね」
やっぱりこの空気だな、とコナーは思った。昔から自分とナッシュはこのような感じでお互いに毒を吐く仲だ。もともとコナーが生意気な性格であり、ナッシュも何かと言い返す性格なのでこのような雰囲気が勝手に作り上げられてしまう。
「で、実験だったね。ほら、行くよ。実験室」
ナッシュがスタスタと歩き出す。コナーは慌てて食器を片付けるためにトレーを掴む。
待ってはくれないのだろうか。こういうところが意地悪だ。
「鬼め」
コナーがぼそ、と彼の背中に言うと、
「おっと、忘れ物をした」
コナーの頭の上に黒い小さな丸が出来た。その中から拳が出てくると、コナーの頭にごん、と降ってくる。
「っつう......」
コナーが涙目になってその場にしゃがみこむ。ナッシュを見ると、彼は自分の白衣の中に片腕を突っ込んでいた。
「余計なこと言ってないでさっさと置いてきな」
「......はい」
何年経ってもやはりこの先輩には敵わない。コナーはよろよろと食器を下げにカウンターの方に向かった。
*****
「何でしたっけ、今日の実験対象」
廊下を歩きながらコナーは隣のナッシュに問う。
「資料送ったじゃないか。読み込んできてくれていると思っていたんだけれど」
ナッシュがため息混じりに言う。
「俺は忙しいんで。あんな分厚い資料読み込む暇なんてないんですよ」
「暇そうな研究員をピックアップしたつもりだったんだけどな。本当に忙しいやつは忙しいなんて自分から言わないんだよ」
今になって資料を取り出すコナーを横目で見やって、ナッシュは言った。彼の言葉を聞こえないふりしてコナーは資料を読み始める。
今回の超常現象はカーテンらしい。捲るとその裏に「何か」があるようだ。
「は?『何か』って、また曖昧ですね」
「そういう超常現象なんだよ。一回目の実験では研究員は死んだ猫を見たって言ってたな」
「うへえ......やりたくなくなるんで止めてくださいよ」
想像してコナーは顔を真っ青にする。カーテンの裏側を覗いて動物の死体など見た日には確実にトラウマになるだろう。
*****
実験室につくと、言葉の通りカーテンがあった。家具屋の陳列で見る、パーテションのようになっているカーテンがそこに佇んでいる。裏側は今の二人の位置からは見えない。色はベージュ、無地で見た目は何処にでもありそうな普通のカーテンである。
「あの裏に『何か』があるんすよね」
「ああ、そうだよ。さて、どっちが行く?」
バインダーに記録用紙を挟んでいつでも記録する準備が出来たナッシュがコナーを振り返る。コナーはさっきの話を思い出して一歩後ろに下がった。
「どうぞ」
「......どうぞ、ってまさか、僕に先に確認して来いって?」
「当たり前じゃないっすか。こういうのは先輩が先に行くもんっすよ」
コナーが偉そうに腕組をする。ナッシュはじとっとした目で彼を見る。
「君ねえ、そこは自分が名乗りをあげて行くところじゃないのかい?」
「いいえ、俺はまだミジュクモノなので。此処は先輩の背中が見たいところですね」
「偉そうに......」
ナッシュがため息をついた。
「分かったよ。じゃあ記録用紙を預かってくれ」
「はーい」
コナーは彼から記録用紙を預かる。ナッシュはカーテンまで歩いて行った。コナーはその様子をドキドキしながら見る。一体彼はあの裏に何を見るのだろう。動物の死体だったら、彼は一体どんなリアクションをとるのだろうか。
「じゃあ行くよ」
ナッシュがカーテンを掴んだ。コナーが頷くと、彼はカーテンの裏側を覗いた。
「......どっすか」
コナーは恐る恐る聞いてみる。ナッシュはまだカーテンの裏側に顔を突っ込んでいた。
「......」
「......」
「......ふむ」
ナッシュがパッと顔を引っ込めた。
「どうでした?」
「ま、そんなに良いものではなかったかな」
ナッシュは言って、戻ってくる。
「なんすかそれ。犬の死体でも見ました?」
「違うよ。もっと恐ろしいものさ」
ナッシュがコナーの手からバインダーを取り上げてペンを走らせる。
「恐ろしいもの......?」
言っているわりには顔色ひとつ変わっていない。コナーは首を傾げて、
「じゃあ次は俺が行きます」
そう言ってカーテンに近づいた。カーテンはさっきナッシュが触った反動でかゆらゆらと揺れていた。
この超常現象の特徴としては、そのまま裏に回っても「何か」が現れることはないのだと言う。きちんとナッシュのようにカーテンを捲って裏を覗き込むかしなければいけないようだ。
コナーはカーテンを掴んで、裏側を覗き込んだ。
そこには、お菓子の包み紙が落ちていた。コナーはそれを見てピンと来るものがあった。小さい頃に好きだったスナック菓子だ。
「うっわ、なっつかしい」
「何だった?」
「俺の好きだったスナック菓子っすね」
「スナック菓子?」
「はいっす、バーベキュー味!! 食いたい......」
地下に潜ってからは目に入ることすらなくなったので、コナーは酷く懐かしい気持ちになった。手を伸ばすがなかなか届かない。
「ナッシュさん、これって触ってもいいんですかね?」
「さあね。触って戻ってこられなくなっても知らないけど」
「......じゃあ止めておきます」
ナッシュが言うと洒落にならないので、コナーは大人しく手を引っ込めた。
一度戻って来てバインダーに記録を残す。コナーは一度目で楽しくなってきたのか、再びカーテンに向かった。
「次も俺が行きますね!!」
「はいはい」
ナッシュはどうでも良さそうに返事をして遠くに立っている。コナーは今度は違う方から覗いてみよう、とさっきとは逆側から覗き込んだ。
「んー......?」
次に見えたのは布切れだった。目を凝らすと誰かのハンカチのようだ。
「何が見えるんだい」
「ハンカチ、ですかね」
「ハンカチ?」
ハンカチは薄い青色の花柄の生地だった。コナーはそれをじっと見つめ、そう言えばと思い出す。自分の母親があのハンカチを持っていた。洗濯物の竿に同じものが干されているのを何度か見ている。
「母さんのハンカチですね」
「へえ。君が見るものはいつも平和だねえ」
コナーが戻ってくると今度はナッシュが歩き出した。
「じゃあ、僕が行くよ」
彼はゆっくりカーテンの裏側を覗き込んだ。
「どっすか?」
「......子供だなあ」
「子供?」
「うん。小さな子供だよ」
「ナッシュさんと面識がある子っすか?」
「......さあどうだろ」
ナッシュはあっさり戻ってきてしまった。
「何かナッシュさん、曖昧なものばっかり見てません?」
「そうだね。あまり歓迎されていないみたいだ」
ナッシュが肩を竦める。
「こういう性格だから_____」
「なんか言ったかい?」
「それっす!! それ!! おっかないんすよ!!」
コナーは急いで彼から距離をとる。
「はあ、ほら、実験を続けよう。今度はどっちが行くんだい?」
*****
二人は交互にカーテンを覗いた。見る度に見えるものが違うので記録用紙は早いうちに底を尽きた。
「何か腹減りました」
「君の見るものは食べ物がほとんどだね。人によって特徴があるのかな」
ナッシュが記録用紙を見比べながら考え込んでいる。
「つか、もう昼っすよ。今日の実験ってお昼挟みますよね?」
「うん。長めに実験時間をとっておいたんだよ」
「えー......」
「なんだいその顔は」
ナッシュに睨まれてコナーは慌てて表情を戻す。
「お昼を買ってこよう。コナーは此処で待っていてくれ。ついでに記録用紙も取ってこようかな」
彼は部屋を出ていった。コナーは自分が食べたいものをリクエストするのを忘れていた、と彼が出ていってから気づいた。だが、何年も共にした彼ならば、自分が食べたいものを買ってきてくれるだろうと追いかけるのを諦めるのだった。
コナーはカーテンの傍に座り込んだ。足を投げ出して、カーテンをぼんやり眺める。
あれからコナーは様々なものを見た。ナッシュが初めに言っていた猫の死骸などは見なかったが、虫の大群や不気味な人形などが現れることがあった。あれでかなり驚いたのだから、動物の死体など見たら心臓が飛び出るかもしれない。
そう言えば、とコナーはナッシュが最初にカーテン裏を覗いた時の反応を思い出す。結局彼があの時何を見たのかは教えてくれなかった。あの後は全て話してくれる。
「ナッシュさん、最初に何見たんだろうなあ......」
コナーは一人呟く。特別驚いている様子もなかったので話す必要のないほど普通のものだったのだろうか。だとしても話してくれたっていいのに。
コナーは揺れるカーテンを軽く足で蹴ってみた。カーテンはふわりと大きく揺れてその裏側を見せた。
「!!!!」
コナーはその裏側に水色髪の懐かしい少年の姿を見た。彼は優しい笑みを顔に浮かべて此方を見ていた。
「ミゲル!!!」
コナーは四つん這いになって、カーテンに手を伸ばす。カーテンにその少年の姿は隠れて見えなくなったので、コナーは再びカーテンを掴んで勢いよく捲った。が、その裏にはもう少年の姿はなく、コナーが初めに見たスナック菓子の包み紙が落ちているだけだった。
「......」
コナーが呆然とその包み紙を見ていると、準備室の方で電話が鳴った。彼はハッとして電話に走る。
「はい、コナー・フォレットです」
『ああ、コナー。僕だよ』
聞こえてきたのはナッシュの声だった。
『食堂が混んでいてね。もう少しかかりそうなんだ。悪いけど、オフィスに行って記録用紙を取ってきてくれるかい?』
「わかりました」
『すまないね。よろしく頼んだよ』
電話は切れた。今の電話で食べたいものをリクエストすればよかった、と再びそう思ってコナーは受話器を元に戻した。そしてガラスの向こう側に見えるカーテンを見る。
あれは確かに自分の親友であった。一瞬だけだったが、自分が間違えるはずがない。
コナーは少しの間カーテンを眺めていたが、やがて部屋を出ていった。
*****
オフィスに戻って彼は記録用紙を手にした。
これからの実験時間を考えて持っていく記録用紙はそこまで多くなくてもいいだろう。
コナーは大体の数をファイルに挟んで実験室に戻る。カーテンはまだそこにあった。
コナーは恐る恐る近づく。すると、
「ああ、遅かったね」
裏側からナッシュが出てきた。
「何してるんすか......」
コナーは平然を装って彼に問う。
誰も居ないと思っていたので心臓が飛び跳ねる程を驚いたのだ。だが、彼に知られたら確実に笑われるだろうと、コナーはなるべく表情に出さないようにした。
「何って、裏側はどうかなって。それより気になるものがあるんだ。コナー、こっちに来てくれ」
「気になるもの? つか、昼飯食いませんか? 腹減ったんすけど」
コナーは記録用紙で重くなったファイルを置いてバインダーを手にする。ナッシュは「いいから早く」とカーテンの裏側から手招きをしている。
仕方ないな、とコナーが彼に近づいた時だった。
「コナー!!」
コナーは背中から鋭い声で呼びかけられた。驚いて振り返ると、準備室からナッシュが入ってくるところだった。コナーは「え」とカーテンの方を振りかえる。
そこにナッシュは居なかった。
「ナッシュさん......?」
おかしい、今自分は彼と話していたはずだ。何故かその彼が今後ろにいる。
「大丈夫かい」
ナッシュがコナーの横にやってきて、カーテンに手を伸ばす。捲れたカーテンの裏側には使い古された椅子があった。
「え、え......ナッシュさん、今カーテンの裏に......」
「馬鹿言ってんじゃないよ。あれはきっと君を連れ込むための超常現象の罠だ。全く......危機感ってものがまるで無いんだから君は」
ナッシュが深いため息をついた。だがその顔には安堵の色が現れていた。
「偽物だったんですね......」
「そうだね。案外危険な超常現象かもしれないね。今のパターンは正直僕も身の毛がよだったよ」
ナッシュがカーテンを睨みつける。
確かに、さっきコナーはカーテンを捲っていなかった。それなのに偽物のナッシュはカーテンの裏から顔を出してコナーを連れ込もうとしていたのだ。コナーはぞっとした。
「一人にするべきじゃなかったみたいだね」
ナッシュがコナーに袋を押し付けてきた。コナーは受け取って中身を見る。コナーが昔から好きなハムサンドだった。
「......俺になんかあったら先輩失格っすよ」
「悪かったよ。まあ、安心してくれ。僕がいる限り君は死なないよ。危険な目に遭うことはあるかもしれないけれど」
ナッシュが準備室に戻っていく。コナーはその後を追う。
「全然安心できないっすけどね」
コナーは彼を追いながらチラリとカーテンを振り返る。
カーテンの裏に存在する何かが、コナーにはおぞましく感じられた。
*****
数日後、ナッシュはブライスに書き終えた報告書を手渡した。
「時間がかかったんだから、じっくり、心を込めて読んでくれよ」
そう言われて渡されたが、ブライスは特に何も言わずに報告書の一番最初のページに目を通す。そこにはカーテンの裏側にあった「何か」についてびっしり書いてあった。
ブライスはナッシュが一番初めに見た「それ」に目を止めた。
「......困ったもんだろう?」
ブライスが目を止めている時間が長いことに気づいたのか、ナッシュが苦笑した。
ブライスはチラリとナッシュを見上げて、
「......ああ、そうだな」
と、頷いた。
『リアーナ・レインと思わしき女性と小さな子供』
ブライスが目を止めた箇所にはそう書かれていた。




