誕生日
「ノールズ君、そう言えばもう少しで誕生日だね」
上からB.F.星5研究員ドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)ののほほんとした声が降ってくる。今日はノールズ・ラシュレイペア、ドワイト・カーラペアの合同実験であった。二人限定の実験なので、準備室にはドワイトとラシュレイ、実験室にはノールズとカーラがいるという状況だ。
「誕生日ですか」
そういえば、ノールズも自分で言っていたな、とラシュレイは思い出す。「あと数日で27歳になっちゃう!!」と。アピールをことある毎にしてくるので無視をかましていたラシュレイだったが、今年のプレゼントもそろそろ真面目に考えなければな、と思っていた頃であった。
毎年彼の大好物であるドーナツを、イザベルと共に食堂に頼んで特大サイズで揚げてもらい、それをプレゼントしていた。彼は飛んで喜ぶのだが、三年目にしてそのプレゼントは流石に飽きてしまうだろう。
果て、今年は何をプレゼントしようか。
「何か案は考えているのかい? 今年も大きなあのドーナツかな」
巨大ドーナツがノールズのために年に一度揚げられることは施設では有名な話である。食堂に入る度に甘い香りがするので、大抵本人にはすぐバレてしまうのだが。
「まだ......案は考えていません。正直、三年連続で同じものはどうかと考えているんですけど......」
「ふむ......そうだなあ。ノールズ君が他に好きなもの、かあ」
ドワイトが顎髭を撫でながら実験室の中を眺める。そして、
「イザベル君がノールズ君の求婚を受け入れてくれたらきっと一番の誕生日プレゼントになるんだろうけどね」
「......」
ラシュレイは呆れ顔でドワイトを見上げる。彼はくすくすと笑っていた。
「もちろん、冗談だよ。何でも嬉しいと思うよ。君がこうして考えてくれていること自体、彼はすごく嬉しいんじゃないかな」
たしかに、こんな段階でも彼は喜ぶような人間だ。単純というか、何というか。こういう点では手がかからない人間である。
「ああ、そうだ」
ドワイトが何か思いついたらしい。彼の顔がいたずらっぽい笑みを浮かべてラシュレイを見ていた。
「外に出てプレゼントを買いに行く、というのはどうかな?」
「......はい?」
*****
「プレゼントを買うための外部調査だと?」
ドワイトの話を聞いたブライスは怪訝な顔をして資料から顔を上げた。ドワイトが「そうだよ」と頷く。
「ラシュレイ君が一生懸命考えてくれているからね。私も背中を一押ししてあげようかな、と思って」
此処は第一会議室。九つある会議室の中で最も狭い会議室だ。部屋の中には伝説の博士であるブライス、ドワイト、ナッシュが居た。
ブライスは相変わらず資料の山に囲まれてその一つ一つに目を通している。ドワイトもそれを手伝っていた。ナッシュは休憩にと買ってきた缶コーヒーを開けて飲んでいた。
「なるほど。いいねえ、仲良しで。ブライスなんて誕生日が来ても嬉しそうな顔ひとつしない」
ナッシュが缶から口を離してブライスを見る。
「当たり前だ。この歳で喜べるか」
ブライスは呆れ顔をナッシュに向けたあと、ドワイトを見た。
「表面上、外部調査という名前でやるならいいが......しっかりと調査もしてくると約束するな?」
「いいのかい?」
まさか許可が貰えるとは思っていなかったからか、ドワイトは目を丸くして問う。ブライスはドワイトから既に目を逸らし、資料にペンを走らせていた。
「ノールズなら誕生日は豪快に祝われた方が嬉しいだろうしな。ただし、一日だけだぞ」
「ありがとう、ブライス!」
ドワイトが満面の笑みを彼に向ける横でナッシュも目を丸くしている。
「へえ、なかなか優しいじゃないか」
「勘違いするな。調査はしっかりしてこいと言ったんだ」
「ふふ、もちろん。きっとラシュレイ君も喜んでくれるよ!」
ドワイトがそう言って頷いた。
*****
「まさか、本当に許可してくれるなんて」
エレベーターの中で、私服に身を包んだラシュレイは少し困惑した顔で扉の上に浮かぶデジタルの数字を見上げて言った。ドワイトも彼の隣で私服姿で立っている。
「そうだねえ。私もびっくりしたよ。でもこれで心置き無くプレゼントが選べる。プレゼントを選ぶ時間を考慮してブライスが超常現象の量も調整してくれたんだ」
ドワイトの言葉にラシュレイは僅かに眉を上げた。
「なんか......優しいですね」
あんなに厳しそうな彼だが、此処まで協力してくれると別人のようだ。
「ふふ、そうだね。彼は怖がられがちだけれど、根はとっても優しいんだよ」
ドワイトはまるで自分が褒められたかのように嬉しそうに笑っていた。やがてエレベーターは地上に着いて止まった。
*****
超常現象の調査は本当にすぐ終わった。あまりにも呆気なく終わったがためにラシュレイは貰った資料に何度も目を通す。
「......本当にこれだけですか?」
「そうなんだよ。さ、プレゼントを買いに行こうか」
ドワイトがそう言ってラシュレイの背中を押すので、ラシュレイはファイルを鞄にしまう。そして、電車に乗りこんだ。向かうは大型ショッピングモールである。
「大まかには考えているのかい?」
ドワイトが電車に揺られながらラシュレイに問う。
「いいえ......まだ全く」
「ふむ、じゃあ見てみるだけ見てみようね」
やがてショッピングモールに到着し、雑貨屋や服屋、食べ物屋を覗いてみたが、心惹かれるものには出会えなかった。かなり歩き回ったのでラシュレイは休むためにベンチに座った。行き交う人々が楽しげに買い物袋を揺らしているのを眺めながら、ラシュレイはどうしたものか、と頭を回転させる。これではせっかくドワイトに用意してもらったこの一日が無駄になってしまう。
ドワイトは隣でショッピングモールのパンフレットを眺めていた。ショップの欄に熱心に目を通している。
「うーん、難しいね。ノールズ君の好きな物......」
ラシュレイは周りの風景を眺めて何となく目に入ってきたドーナツ屋を指さす。
「もうドーナツで良い気がしてきました」
「まあまあ、もう少し考えてみよう。そうだねえ......彼はネクタイをしているから、ネクタイピンなんてどうだい?」
「ネクタイピンですか......」
なるほど、その発想はなかった。確かにノールズは毎日律儀にネクタイを締めて仕事を行う。ラシュレイは会議などがある時くらいしかつけないのだが、ノールズがネクタイをしないときは見たことが無いかもしれない。
「ネクタイピン専門店っていうのがあるみたいだよ。見に行ってみるかい?」
ドワイトがパンフレットを指さした。ラシュレイはそこを見てみる。確かにネクタイピンの専門店がそこには書いてある。
「そうですね」
時間的にそろそろ切り上げなければならないだろう。ラシュレイとドワイトはベンチから立ち上がってそこへと向かった。
*****
「凄い種類ですね......」
棚一面に様々なネクタイピンが並べられているのを見てラシュレイは思わず言った。ドワイトもそうだねえ、と頷いている。
「ネクタイピンなら毎日使うものだし、さりげなくつけてもらえる。それに種類も豊富だからきっとノールズ君にぴったりなものが見つけられるんじゃないかな」
ドワイトと共にラシュレイは早速店の中を見て回った。それにしても本当に種類が多い。ユニークなものからビジネス的なものまで。ネクタイをなかなかしないのでつける機会は少ないだろうが、見ているだけで楽しい、とラシュレイは思った。
「迷うねえ。ノールズ君が好きな色は、やっぱり黄色かな?」
「でも、ノールズさんのネクタイは黄色です......同じ色になってしまうと......」
「おや、そうだね。やっぱり被らない色の方がいいかな」
ドワイトが頷く。ラシュレイは目の前にあった黒いネクタイピンを手に取る。天井の光を受けてキラキラと輝くそれはシンプルなデザインで普段使いができそうだった。
が、
「黒かあ」
「黒......ですね」
二人の頭に蜂の姿が思い浮かぶ。
「可愛いねえ、ミツバチみたいで」
のほほんとしたドワイトの横でラシュレイは静かにネクタイピンを戻す。どう考えても花にたかる蜂である。花というのはイザベルのことだ。
_____これはなかなか選ぶのが難しい。
*****
「ありがとうございましたー」
店から出るとラシュレイは小さな紙袋を大事そうに抱えていた。ドワイトが彼の顔を覗き込んで、微笑んだ。
「きっと喜んでくれるね」
「だといいですけど......」
ラシュレイは恥ずかしそうに、俯いた。
*****
誕生日当日。朝起きてノールズは相変わらず隣のベッドに相棒がいないのを見てオフィスに飛んで行った。オフィスの扉を開くと、そこには相棒の背中がある。
ノールズはその背中に向かって満面の笑みを投げた。
「おっはようっ!!!」
「おはようございます、ちょっと静かにしてください」
「え!? お誕生日おめでとうございます!?」
「言ってません」
「ちょ、流石に一週間言い続けてきたんだから覚えてくれているって思ってたんだけど!!?」
ノールズはラシュレイの視界に映り込むために彼の横にやってきて腰を屈める。様々な位置から彼のデスクを盗み見るが誕生日プレゼントらしいものは見えない。
「仕事してるので離れてくれませんか」
ラシュレイがノールズには目もくれず、報告書の用紙にペンを走らせている。
「も〜、なんだよ〜、大きいドーナツ今年もくれるんだろ〜? 照れてないで渡しちゃえよ〜??」
肘で脇をつつかれた。
......うざい。
ラシュレイは溜息をつき彼を振り返る。
「朝食買ってきてください。戻ってくるまでに用意しているので」
「おお!! マジか!!! わかった、行ってきまーす!!」
はしゃいでオフィスを出ていくノールズ。ラシュレイは彼が出ていった扉をチラリと見て、席を立った。
*****
「ふんふんふ〜ん」
ノールズは廊下を鼻歌交じりで歩いていた。今にもスキップが始まりそうな様子なので、そんな彼を見た一人の女性が彼に話しかけてきた。
「あれー? ノールズご機嫌だねえ」
ノールズの同期である星5研究員のリディア・ベラミー(Lydia Bellamy)だ。
「まあねえー、ラシュレイが俺にサプライズしてくれるらしくてさー?」
ノールズはニマニマと喜びが隠しきれない顔でリディアに言う。
「知ってるならサプライズにならないね?」
リディアがニコニコ笑いながら返してきた。ノールズの表情がピシッと固まる。
「え、え、そうじゃん......騙されてんの? 俺」
さっきまでの表情は何処へやら、完全に意気消沈して今にも崩れそうなほど悲しげな表情を浮かべ始めた。リディアが慌てて彼の背中を撫でる。
「あ、ごめん!! そんな落ち込ませるつもりはなくてね? 大丈夫大丈夫!! 泣かないで!!」
そんなことをしているうちに食堂に着いた。今日は珍しく扉が閉まっている。ノールズはそれを押して中に入った。しかし違和感に気づく。中の電気が付いていないのだ。いつもの賑やかさも今日はない。ノールズはぽかん、としてその場に突っ立っていた。
その時、
「ノールズ、お誕生日おめでとう!」
リディアがそう言った。すると真っ暗だった食堂の電気が一気に付き、ノールズに花びらが降ってきたのである。
「............ほえ?」
状況が理解出来ず、ノールズはその場から動けない。食堂の中には大勢の研究員が居た。中心にブライスが居て、腕組をしている。顔には呆れ顔を浮かべていた。
「さっさと入ってこい」
「え、え!? ブライスさん!? これ、なんですか!?」
「今日はお前の誕生日だった気がするが......どうやら日付を間違えたようだな」
飾りを取り外そうとする彼をノールズは「ちょおお!!!」と言って止める。
「いえ、間違ってはいないんですけどっ......あの、でも......こんな盛大にっ!!?」
パンッ!!
「うわああっ!!!?」
背後から破裂音がしてノールズが飛び上がった。目の前がカラフルになる。クラッカーだ。彼が振り返ると、食堂の入口にドワイトとイザベル、ラシュレイが立っていた。
「ノールズ君、お誕生日おめでとう!」
「ドワイトさんっ......!!」
「歳をとったわね」
「イザベルめっちゃ辛辣!!!」
ドワイトとイザベルの間にはラシュレイが居る。彼は俯いていたが、ドワイトが軽く彼の背中を押したので躊躇いがちにノールズの前にやって来る。彼の手には小さな紙袋が乗っていた。
「......まあ、その歳でドーナツは重いだろうと思って」
「ねえ皆して酷くない!?」
ラシュレイがグイッと紙袋をノールズに差し出してくる。恥ずかしいのか顔を伏せているので表情はよく見えない。
「俺からの......プレゼントです」
「えええ!! ありがとうラシュレイ!! 開けていい!? 正直朝の会話でくれる気ゼロだと思ってたのに!!」
「うるさいです。さっさと開けてください」
ラシュレイが顔をそらした。ノールズはドキドキしながら紙袋を開く。そして、
「ネクタイピンだああ......!!!!」
顔を輝かせて小さなピンを手のひらに転がした。それはステンレス製のシンプルなものだったが、『Knolles Miller』と名前が刻まれていた。
「えっ、かっこよ!! 俺の名前彫ってある!!!」
「ドワイトさんが専門店に連れて行ってくださったんです」
ラシュレイがチラリと後方のドワイトを見る。ドワイトは微笑んで首を横に振る。
「私は何もしていないよ。選んだのはラシュレイ君だし、それにまだサプライズがあるみたいだよ」
ノールズが「え?」と首を傾げてラシュレイを見る。ラシュレイは恥ずかしげに自分の首につけたネクタイを見せた。ノールズが朝に見た時にはオフィスでつけていなかったので、きっとノールズがオフィスを出ていった後でつけたのだろう。ラシュレイがネクタイをすることは稀なのでノールズは驚いた。だが、それだけでない。
「......!!」
彼のネクタイに小さな輝きを見つけたノールズは息を呑む。
「俺とお揃いっ!!!」
「んな大声で言わないでください」
彼のネクタイにも、ノールズと同じネクタイピンが着いていたのだ。『Lashley Favorite』と同じ字体で彫ってある。
「うわああ!! ありがとうラシュレイ!! ドワイトさんもありがとうございます!!」
飛び込んでくるノールズをいつもの如く避けようとしたラシュレイだったが、後ろからドワイトに抱きしめられて結局巻き込まれてしまった。
「君も混ざったらいいのに」
ナッシュがはしゃぐドワイトとノールズの間でウンザリ顔のラシュレイを気の毒そうに見ながら、隣で相変わらずの無愛想に言った。
「手伝っただけだからな」
ブライスはそう言って目を逸らした。
「こんな盛大なパーティーを開こうとしたのは君なのに?」
くすくすと楽しげにナッシュが笑う。
こうしてノールズの誕生日サプライズは大成功で幕を閉じたのであった。
*****
ところで、ブライスが計画したこの盛大な誕生日パーティーで同じように自分や相棒を祝って欲しい、という研究員がこの日を通して続出したのだが......
政府もブライスも予算で頭を悩ませることになったのは、また別のお話。