File003 〜伸び放題〜
ピンポンパンポーン。
施設の中全てに聞こえるようになっている、施設内放送。静かに作業を行っていたノールズとラシュレイのオフィスにも、それは響き渡る。
『ノールズ・ミラー(Knolles Miller)、ラシュレイ・フェバリット(Lashley Favorite)。至急第九会議室前に来なさい』
声は女性である。綺麗な声ではあるが、その中に含まれる怒りのようなものを、ノールズは瞬時に感じ取った。
「げえ」
報告書を纏めていたノールズが、オフィスの天井に取り付けてあるスピーカーを見上げる。
そして、再び手元の報告書に目を落とす。
「うわあ、まだ二つも残ってるのに......」
ヘルプを求めて、ノールズは自分の後ろで作業をしている助手のラシュレイを振り返った。彼も報告書の書き方練習や、この前の実験の数値の確認も行っているので忙しいことには変わりはない。
だが、ノールズが振り返った気配には気づいたのか、ペンを置いて振り返った。
その顔は心做しかうんざりしている。
「生憎、俺の名前も呼ばれましたしね。諦めて行くしかないんじゃないですか」
「うう、嫌だあ、俺は......俺には、報告書を完成させるという大事な任務が残っているんだああ」
ノールズは椅子に抱きついて背もたれに顔を埋める。ラシュレイはそれを見て腰を上げる。
「それを言うなら俺もですよ。俺だって行きたくないです」
「じゃあ......二人して行かないってのはどう?」
「それは、まずいです」
二人で渋ってなかなかオフィスを出る準備ができないでいると、
ピンポンパンポーン。
再び放送が鳴った。
『来ないならこっちから行きます』
「そいつはダメだあああ!」
ノールズが勢いよく立ち上がったので椅子がひっくり返りそうになる。ラシュレイがそれを受け止めた。
「行くぞ、ラシュレイ!!」
「ええ......」
まず自分になにか言うことはないのか、とラシュレイは思ったが、ノールズは既に部屋から出て行っていた。
*****
B.F.の研究施設は、地下にある。
ノースロップ・シティ郊外の空き地にポツンと建った小さな建物。
一応、「一般人が誰でも使えるような公共施設」という設定になっている。
が、実際は誰にも使わせたことなどない。
B.F.職員達はその施設を「仮施設」呼ぶ。なぜならその地下には、今ノールズ達が暮らして、実験を行っているB.F.本部があり、仮施設はその研究施設の存在が一般の人間に勘づかれない為に設置されている物に過ぎないからである。
国家機密の情報を多量に保管するB.F.は、施設に一般人を入れることはまずない。入れたとして、その人には記憶を飛ばすための記憶処理をするのだ。
そんな技術可能なのかと問われるが、此処は超常現象の研究を行う施設である。記憶を操る超常現象も居るのだ。
仮施設は二階建て構造。「ロ」の字型の施設には、入ってすぐにエレベーターがあり、職員はそこから研究施設へと降りることが出来る。ただし、エレベーターを動かすことが出来るのは限られた人物だけだ。
地下は九階まである。
一階、つまり最も地上に近い場所は、会議室などがある階だ。
研究員たちは此処で研究成果の発表を行ったり、大事な会議を開いたりする。会議室は広さが部屋によって異なるため、様々な用途で使われる。そして同じ階には、職員達の憩いの場ともなる食堂がある。
二階、三階は職員達のオフィス。
三、四階は実験室である。実験室は会議室同様、それぞれ広さが異なる。
そして五、六階が職員達が寝泊まりする階。
研究員らはそれぞれ二人一部屋で、部屋が与えられている。彼らはそこを「自室」、「寝室」と呼んでいる。各部屋には、シャワーやベッドなど、生活に必要なものが揃えてある。
七、八階は、超常現象を管理しておく場所だ。既に調べられたものもあれば、全く手付かずのものまで。
九階は大倉庫。研究で使うものや、使われなくなったものは、大体ここに置いてある。
以上が、B.F.のざっくりとした施設内の構造だ。
エレベーターの地上に行くためのボタンは、鍵が無いと操作できないようになっている。研究員らが押せるボタンは、地下を行き来するためのボタンのみだ。
*****
さて、ノールズらは自分たちのオフィスから、会議室がある階までエレベーターを使用してやって来ていた。
廊下は真っ白で、ピカピカに磨かれた床のタイルに天井の蛍光灯が反射している。
二人は廊下を黙々と歩く。ノールズは、何故自分が呼ばれたのかをよく理解していた。それは隣のラシュレイも同じなようだ。隠しきれない負のオーラが彼から漂ってきている。
廊下を曲がったところで、二人は金髪の女性が此方を睨みつけて仁王立ちしているのを見た。
すらっとした背丈に真っ白な白衣が目に眩しい。頭にはゴーグルを着けていて、顔はどこかの女優だ、と言われれば誰もが納得するくらいに美人だ。
そんな彼女の唇が開く。
「遅かったわね。お散歩でもしていたのかしら」
綺麗なその声は、スピーカーから聞こえてきたものと同じだった。
ノールズは腕を広げて、
「いやあ、イザベル今日も美しい! 俺と結婚しよう!!」
「此処の管理者って誰だったかしら」
「スルー......?」
女性が指さしたのは第九会議室の扉。
第九会議室は、九部屋ある会議室の中で最も広い。
大学の講義室のような広さを持つため、大人数の会議は、かつて此処で行われていたらしいが_____今は使用禁止の看板が扉にかけてある。
「ええっと、管理者だよね......管理者、管理者......」
ノールズの目が泳ぐ。
「ラシュレイ.....かな?」
「はあ......?」
今日一番の怖い目をされたので、ノールズ震え上がる。可愛い助手だが、目の鋭さだけで人を殺せるのではないかと思う程である。
「俺です......」
ノールズはしょんぼりと肩を落として、自分を指さす。
「はい、これ」
女性が渡してきたのはハサミだ。大きな剪定用のハサミである。
ノールズは受け取っても、渋って会議室に入ろうとはしない。眉を八の字にして、情けない声で、
「どうしてもやんなきゃダメ〜......?」
と、女性に問う。
「この仕事を自分から受け持ったのは貴方でしょう」
「いや......そうなんだけどさあ......」
ノールズは剪定用のハサミを見下ろす。かなり使い古されて切れ味も悪くなってきた。
自分はどうしてこう、余計なことを言ってしまうのだろうか。
彼は、自分の浅はかな過去の行動に嫌気がさした。
誰もがこの作業を引き受けたがらない。ならば我こそが、と挙手をしたのがノールズだった。
自分で決めたこととは言え、あれだけの重労働だとやる気も削がれる。
女性はそれじゃ、とつま先をノールズ達とは逆方向に向ける。
「私は実験が入っているから。サボったらどうなるかわかっているんでしょうね」
「はい!! イザベルと結婚出来る!」
ノールズが挙手して自信満々に答えたが、女性はノールズから目を逸らして、彼の隣でさっきから黙りこくっているラシュレイを見た。
「貴方も、ノールズがサボらないように見張っていて」
「......はい」
ラシュレイが小さく頷いたので、女性はつかつかとハイヒールの音を響かせて廊下を歩いていった。その姿はモデルのように美しい。
「スルースキル高いなあ......」
ノールズが剪定バサミを持ったまま苦笑する。
「毎日のように求婚されたらそりゃスルーもされますよ」
「うう......やるかあ」
二人は第九会議室に入っていった。
「この作業、好きでやる人居るのかなー」
第九会議室の中に広がっているのは、緑、緑、緑......。
そう、この会議室はジャングルの如く緑色の植物で埋め尽くされている。
これがこの部屋の主。「伸び放題」と呼ばれる、植物の超常現象だ。
一日に最低10m成長すると言われており、伐っても伐っても次の日になればほとんど元通りになっているという無限に伸びる植物。
この管理人は今のところノールズとなっている。
二ヶ月前までは確かに、この超常現象を管理するだけの職員をB.F.で雇っていたのだが、たったの二ヶ月で辞めてしまったのだ。伐っても伐ってもキリがないからか、その職員の夢にまでこの植物が出てきたらしい。
職員の生気は、日に日にこの超常現象に栄養として吸収されて行ったのか、彼が弱って行く姿をノールズは見ていた。
そして居ても立ってもいられず、自分が管理者に立候補したのだ。
二週間に一度はこの部屋で「伸び放題」を伐らなければならない。
もしサボったりなんかしたら......B.F.が緑で埋まってしまう。想像するだけで恐ろしい。
窒息をするとか、そんなことでは無いのだ。ただただ怖い上司に叱られるという未来が怖いのだ。
ノールズの敵はいつだって怖い上司である。
「よっ、と」
壁に立てかけられた三脚を組み立て、ノールズはその上でチョキチョキと「伸び放題」を伐っていく。下では、ラシュレイが落ちた茎や葉を一箇所にまとめている。
「はあ......なあ、ラシュレイ?」
茎を切っていたノールズがため息混じりに下を見る。
「何ですか?」
「イザベルは何で俺にとことん厳しいんだろうね?」
さっき、ノールズに剪定バサミを渡してきたの女性、イザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)はノールズの同期。B.F.星5研究員だ。
とても真面目な彼女は仕事もきっちりこなし、まさに完璧主義。
ノールズには同期ということもあって他の人よりも当たりは強いが、彼女を心から愛するノールズはそれを愛だと言って真っ向から受け止めている。
そんな彼女は性格が厳しすぎるということもあって裏では「鬼博士」と呼ばれているようだ。確かにそれは間違っていない、とノールズは納得していた。
「はあ......まあ、ノールズさんに一番厳しいですもんね」
「やっぱ思う? もしかしてさ、俺のこと好きなのかな?」
「無いと思います」
ノールズの顔が途端輝き出したのを見て、ラシュレイはスパッと言った。ノールズが笑顔のまま固まる。
「好きなのかな_____」
「無いです」
ラシュレイはテキパキと床を片付けていく。ノールズはしょんぼりして、再び剪定の作業に戻る。
ノールズはイザベルをこの世で一番愛していると思っていたが、その気持ちは本人に届いていないようだ。
彼女の鉄壁のガードをどうしたら壊せるのだろう。
ノールズの全てにおいての難題であった。
「ノールズさん、もっとシャキシャキ動いてください。報告書の提出期限迫ってるんですよ」
「あはは......間に合わないかも」
「......まあ、そうでしょうね」
くるりと部屋を見回して、ラシュレイは半ば諦めたような声色で言った。
広すぎる会議室の大部分を緑が埋めている。作業はまだ始まったばかりだ。終わるのは日付が変わる少し前くらいと考えるのが妥当だろう。そうなると当然、報告書の提出期限には間に合わない。
「今夜は徹夜かあ」
「ですね」
過労死するのでは無いかと思うほどに大変なB.F.職員だが、ノールズはこの仕事が嫌いなわけでは無い。
自分たちの研究の成果が、地球の未来を救う可能性がある、誰かの命を守る手助けになる。
そして何よりも、大切な助手や仲間たちと、摩訶不思議な超常現象の相手をするこの時間が、彼は何よりも好きだった。
その為に今日も忙しなく研究員達は頭と体をフルに使うのだ。
ただ、
「やっぱこの作業嫌い!!!」
ノールズはこの剪定作業だけは、どうしても好きになれないのであった。