File031 〜甘いジャムにたかる虫〜
「今日のトーストカリッカリなんだけど!!」
「良かったですね」
朝食のトーストを幸せそうに頬張るノールズの隣で、ラシュレイは心底興味がなさそうに言った。彼はシリアルを頬張っていた。無表情でザクザクとスプーンでシリアルを粉砕している。
「今日って何か予定入っていたっけ」
「午後から会議があるくらいですね。あとは何も」
「おー、じゃあゆったり過ごせそうだねえ」
会議と言っても今度合同実験するメンバーの顔合わせのようなものである。30分ほどで終わるだろう。報告書などの仕事も珍しく早めに終わり、午前は特にやることも無い。
「施設内、散歩でもする?」
「見て楽しむもんないじゃないですか」
「う、確かに......」
久々の暇を有効活用したい。だが、本当に娯楽が少ないので基本的に仕事が終わればやることは無い。誰かの仕事を手伝うなんてそんな親切なことは思いつかず、昼寝でもしようかと考えていた時だった。
『緊急放送、緊急放送。男性職員は直ちに武器を持ち、近くの女性職員を守ってください。繰り返します_____』
「え!? 何!?」
突然、緊迫した声がスピーカーから降ってきた。放送の声はいつもの同期であるリディアではなく、男性職員のものだった。周りの職員たちは食べる手を止めて驚いたような顔で周りを見ている。
「超常現象でしょうか」
ラシュレイがスプーンを置いて立ち上がった。
すると、
「女性職員はなるべく近くの男性職員に寄ってください!! 超常現象です!!」
食堂に飛び込んできた星4の男性研究員がそう叫んだ。ノールズは瞬間的にイザベルの姿を探す。
が、ノールズらは朝食をとる時間は遅めなのでイザベルはもう食べ終えて先にオフィスに戻っているのだろう。何処を探しても彼女の姿は見えない。
彼女の助手であるキエラが守ってくれるならと思ったが、まずい、彼はまだ星2である。つまり、まだ赤い箱で訓練を受けていない_____武器を使えない非戦闘研究員だった。
「ラシュレイ、俺ちょっとイザベルのとこ行ってくるよ!」
「単体行動は危険です、俺も行きます!」
そう言ってついてこようとするラシュレイをノールズは手で制す。
「此処には女性職員が沢山いるから、ラシュレイはみんなを守ってあげて。すぐ戻ってくるから大丈夫だよ」
「......わかりました」
何か言いたげだったが、ラシュレイは頷く。ノールズも頷き返し、彼を置いて駆け出した。
*****
廊下に出ると、酷く甘い匂いがした。フルーツに砂糖を入れたような、それも強烈な甘さだ。ノールズは思わず鼻を白衣の袖で覆う。
そして、彼はその視界に目を疑うような光景を映した。
「何だあれ......」
廊下の所々に赤いジェル状の物が固まって落ちている。一見イチゴジャムのように見える。匂いの元凶はあれのようだ。が、更にそれに「群がる」ものがいた。それは着ぐるみだった。遊園地やイベントなどに居そうなあの着ぐるみである。
着ぐるみは三体居た。パンダ、ウサギ、ゾウ。そして彼らは何かをしきりに舐めていた。それはあのジェル状の何かだった。ジャムを手に着けてぺろぺろと舐めるもの、そして床に這いつくばって直接舐めるもの。
あれが超常現象だろうか。
ノールズは不気味なその光景に足が動かなかった。その時、
「ノールズ、伏せろっ!」
突然鋭い声が飛んできて、ノールズは瞬時に床にしゃがみこむ。すると、パン、と乾いた音がして、目の前の三体の着ぐるみのうち一体が床に倒れた。更に二回、同じような音がすると、もう二体も同様に倒れてしまった。誰かが着ぐるみを銃で攻撃したようだ。
「ナッシュさん!!」
拳銃を持って走ってきたのはナッシュだった。
「その先にまだ女性職員は居るね?」
ナッシュが指さしたのは食堂へ続く扉だった。
「はい、まだ結構います!」
ノールズが立ち上がりながら言うと、銃声に反応したのか、食堂の扉の奥から男性職員が顔を覗かせた。ナッシュは彼に向かって指示を出す。
「すぐにバリケードを作るんだ!! 鍵もかけろ!!」
職員は「は、はい」と頷いてすぐに扉を閉めた。がちゃ、と音がして、奥で物を積み上げる音が聞こえる。
「あ、あの、何が起こっているんですか!?」
ノールズはまだ状況が把握出来ていない。それはあの食堂の中にいる研究員たちも同じはずだ。
「新しい超常現象が前触れもなく現れてしまったんだよ。あの着ぐるみを見ただろう? そして、あいつらが舐めていたジャムも。あの着ぐるみに触れられた女性は、たちまち体が溶けだしてあのジャムになってしまう。着ぐるみは無限に増えて襲ってくる。戻し方も、着ぐるみを止める方法も分からないけれど、とりあえず着ぐるみは男性には反応をしないようだ」
ナッシュがさっき自分が撃ち抜いた着ぐるみ達を見る。
「とにかく事態が治まるまでは銃で対抗するしかないね」
倒れた着ぐるみにジャムのシミがべっとりと着いている。あれもおそらく女性職員だったのだろう。ノールズはぞっとした。
「俺、皆のオフィス確認してきます!!」
「そうだな、まだ避難できていない人もいる。バレットらが銃を提供する場所を緊急で設けてくれたから、そこに行くといいよ」
「はい!」
ノールズはナッシュと別れて再び走り出す。
新しい超常現象が発生した時は厄介である。前情報が全くないまま、対処法を試行錯誤して見つけなければならないからだ。B.F.で亡くなる人の数は最初に比べたらかなり減った方である。最初など、ほとんどが手探りで命がいくつあっても足りなかったのだ。
今回の超常現象は女性だけを襲うそうだ。ノールズはイザベルが無事かどうかを早く確かめたかった。
イザベルのオフィスに向かう前に、ナッシュが言っていたバレット達の場所へと向かう。彼らは会議室の前で武器の提供をしていた。赤い箱の責任者でもあるため、武器庫の鍵はビクターが管理しているらしい。
会議室前にはバレット、エズラ、ビクターの三人が居た。
「ケルシーは!?」
そこにはビクターのペアであるケルシーの姿が無い。赤いジャムにされているのなら大変だが、ビクターは冷静に、
「避難しました。第八会議室に女性職員を避難させているそうです」
と答えた。ケルシーもそこに居るのだろう。ノールズはそれを知って胸を撫で下ろす。
「ノールズさん」
拳銃を受け取るノールズにエズラが声をかける。
「リディア見ませんでしたか?」
「リディア?」
リディアはノールズの同期であり、エズラの元ペアである。今日の放送は彼女ではなかったが、無事に避難できたから人が違かったのではないのか。
まさか、
「ジャムにされてないよね......?」
ノールズは顔を青くして首を傾げる。エズラは武器を手に取りながら、
「あいつのことなんで逃げてるとは思うんですけど......でも、心配なんで、俺も行きます」
と、ノールズにそう言った。
「いいけど、此処は二人で大丈夫?」
ノールズはビクターとバレットを交互に見る。
「はい。一人より二人の方が心強いでしょうし」
「わかった。気をつけて」
「はい、二人も気をつけてください」
ノールズとエズラはその場を後にし、オフィスが連なる階に向かった。
「何なんだろうね、今回の超常現象......」
「ええ、前触れがないのはいつものことですけど、正直気味が悪いです」
廊下を走っていると所々に赤いジャムが落ちている。どれも酷く甘い香りを放っていて、匂いは廊下に充満していた。
「ナッシュさんが言ってたけど、着ぐるみは無限増殖みたいだから、まずは根本から倒さないといけないね」
親玉みたいなものがあの着ぐるみを生み出しているのだろうか。それとも、どこか異空間のような場所から飛んできているのだろうか。
二人はオフィスの扉を開けていく。そして、イザベルのオフィスまで辿り着いた。背中はエズラに任せて、ノールズは勢いよく扉を開く。すると、
「うわぁぁあっ!!??」
目の前に銃口が現れた。イザベルが険しい顔で拳銃を構えていた。
「ノールズ」
「ちょっとちょっと、物騒にも程があるでしょ!」
「はあ......?」
イザベルは拳銃を下ろす。
「もしかして助けに来たのかしら?」
「当たり前でしょ!」
「助けは別に必要ないわ。今、キエラと避難しようとしていたところだから」
彼女はそう言ってちらりと自分の後ろに目をやる。彼女の後ろにはキエラがブルブルと震えて立っていた。
「ぼ、僕が何も出来ないばかりにぃぃい......イザベルさんがこんなに勇敢にぃぃぃい......」
「何言ってるのか分からないわよ」
イザベルは呆れ顔でため息を着く。
「それで、外はどんな様子?」
「変な超常現象だよ。女性にだけ襲いかかる着ぐるみなんだけど......」
ノールズは既に何人かの女性が犠牲になっていることを話す。
「そう......襲われたのは恐らく銃の経験がない研究員たちね」
「うん、多分ね。どうする? 一人で避難所に行ける?」
「行けることには行けるけれど、私もあなた達に同行させてもらおうかしら」
「!!??」
ノールズよりも驚いているのはキエラだった。
「ま、ま、ま、待ってくださいイザベルさん!! 今何て言いましたか!!?」
「ノールズ達についていくって言っているの」
「ダメですよ!! 危険すぎます!! イザベルさんが襲われちゃいますよ!!!」
キエラがイザベルの腕を掴んで必死に止めようとしている。
「イザベル、キエラの言う通りだよ」
ノールズが頷いて、キエラに賛成した。
「でも、相手は女性限定で襲いかかって来るんでしょう。それなら私が居て、相手が自分から寄ってくる方が倒しやすいと思うんだけれど」
イザベルは淡々とそう言った。
「お、囮になるってことですか!?」
「そういう言い方もできるわね」
彼女は他人事のように大きく頷いた。
「ダメです、ダメです!!」
「でも誰かが犠牲になるのを黙って見ているわけにもいかないでしょう」
「そうですけどっ......!!!」
キエラは今にも泣きそうな顔でイザベルを見上げている。
「本気?」
ノールズはあまりにも意見を変えない彼女に確認の意味で問う。
「冗談に見える?」
彼女は全く怖がる素振りを見せない。そういう人ではあるが、それにしてはあまりにも肝が据わりすぎではないだろうか。
「もちろん、キエラだって同行させるわ」
「え......」
「この子は記録係よ。新しい超常現象なら、資料が作れるくらいの情報はブライスさんたちも欲しいところでしょうからね」
*****
赤いジェルが廊下を甘い匂いで満たしている。そして、響く銃声。
「イザベル、後ろっ!」
ノールズらは他のオフィスも散策しながら残された職員を避難していた。
「数が減っている気がしませんね」
エズラがポケットから弾丸を取り出して銃に詰めていく。
「ほんとだよ......どこかから湧いているっていうか、その辺でポンポン増えてるのかな......」
イザベルらと合流して10分程が経過した。廊下を歩くとイザベルを目掛けてあの着ぐるみ達が襲いかかってくる。
「もう少しでこの階は終わりだね」
「あうう......イザベルさん、大丈夫ですか......?」
「なに泣いてるの。私が簡単にやられるとでも思っているの?」
イザベルは廊下の先を睨みながら聞く。
エズラとノールズでイザベルとキエラを挟むように廊下を進む。キエラは武器も持てないので、ずっとイザベルに守ってもらっている状態である。
「そんなことはないですけど_____」
と、キエラが言いかけた時だった。
「リディア!!」
エズラがあるオフィスに向かって突入して行った。
「うわ、エズラ!!? 単体行動ダメだってば!!」
ノールズが声をかけるもエズラは部屋の中に飛び込んで行く。そして、
「うわぁぁあん、エズラァァア、助けに来てくれたんだねえっ!!」
リディアがエズラに抱きついて部屋から出てきた。エズラはもちろんうんざりした顔である。
「エズラ、リディアなら平気よ......一人で着ぐるみ三体くらい倒したってさっき電話をかけてきたもの」
イザベルが言うとエズラは顔を真っ赤にして、
「別にこいつを助けに来ようと思ったわけじゃないのでっ!!」
と言い放った。
*****
やがてオフィスの階を散策し終えたノールズらは、続いて職員らの自室がある階に向かおうとエレベーターに近づいた。
そしてエレベーターの扉が開くと、
「きゃあっ!!?」
中にはドワイトとカーラの姿があった。
カーラはドワイトの背中に隠れており、ドワイトは手に拳銃を持っている。
「ドワイトさん!!」
「皆、無事かい!?」
「はい、今この階の散策を終えたところなんです」
ノールズらはエレベーターに乗った。かなり広いのでこの人数でも狭くは感じられない。
「そっか、実は今ブライスから連絡があってね。着ぐるみの元凶らしきものを発見したそうだから手を貸しに行こうとしていたところなんだよ」
「それは何処ですか?」
「大倉庫の奥だね。みんなで向かおう」
やはり元凶はあったようだ。それをどうにかできれば着ぐるみは消えるだろうが、ジャムにされた研究員たちは無事に戻ってきてくれるのだろうか。
「そうか、もうそんなに犠牲者が出ていたんだね......」
話を聞いたドワイトが悔しげに顔を歪める。
「イザベルは囮役を引き受けてくれたんだね。ありがとう。怖いかもしれないけれど、もう少し我慢してくれ」
「はい、構いません」
「うう......」
キエラがイザベルの影で顔を青くしている。大事な先輩を守れないことが悔しくてたまらないのだろう。
*****
大倉庫は様々な道具が置いてある巨大な倉庫である。その奥にブライスは居た。
「ナッシュは居ないのかい?」
「あいつなら上の階の指揮をしている。これだけの人数が集まれば十分だ」
ブライスが「ついてこい」と先頭を歩く。暗い倉庫の奥からは、さっきから甘い匂いが漂ってくる。上で嗅いだものよりも何倍も強いように感じられる。
「なんだか頭が痛くなってきます......」
キエラが頭を抑える。本当にクラクラするほどだ。そしてそれは歩を進めるにつれて強力になっていく。
「見ろ」
ブライスが指さすそこには、大きな赤い心臓のオブジェがあった。とくとくと脈をうち、床に根を生やすように毛細血管を床に巡らせている。成人男性の腰ほどの高さがあるが、あんな大きな心臓が急に現れたというのだろうか。それにしても酷い臭いである。
「一度普通の銃弾で攻撃してみたが、全く効かないようだ。穴は空いたが、毛細血管を使って穴の修復を手早く行っていた」
ブライスが指さした場所に、ぐちゃぐちゃと毛細血管が集まっている場所がある。どうやらあそこに弾丸を入れたようだ。
「銃は効かないってことでしょうか」
イザベルが言うと、ブライスはそうだな、と言ってポケットを探る。
「だが、諦めるには早い。ドワイト、手を出せ」
ブライスがポケットから抜いた手をドワイトの方に差し出す。そして、何かをころん、とドワイトの手のひらに転がした。
「シルバーバレットだ......」
エズラがぼそ、と呟いた。
シルバーバレット、「銀の弾丸」である。名前の通り銀で出来た弾丸で、殺傷力は少ないが、昔から西洋では狼男や吸血鬼、魔女といったものに対抗するためにお守りとして持たれることが多い存在である。
「これならばどうだろうな」
「なるほど、やってみる価値はありそうだね」
ドワイトが頷き、銃に弾丸を装填した。ブライスもそうしながら、
「イザベルとカーラ、リディアは少し離れていろ。エズラ、キエラ、ノールズは三人を守っていてくれ」
「はい!!」
ドワイトとブライスは装填が終わり、心臓に向かって銃を構えた。
「これまた不気味なオブジェクトだね」
「ああ、どういう仕組みか全くわからん。だが、被害を大きくされるなら倒すしかない。ドワイト、いいか」
「もちろん」
二人は一斉に心臓を撃ち抜いた。
*****
赤い大きな心臓が萎んで中から赤い液体が流れ出す。ブライスはそれをスポイトで採取して小瓶に入れた。間もなくしてナッシュから、「着ぐるみが消えた」と連絡が入った。
「上の様子を見てこい。俺はもう少しこいつを調べることにする。安全が確認され次第職員は解放しろ」
「オーケー、わかったよ」
*****
やがて事態は治まった。が、犠牲になった女性職員は戻ってこなかった。
いや、戻ってきたと言うべきなのだろうか。
皮肉にも、次の日、犠牲になった女性職員のオフィスの扉の前に、綺麗な小瓶に入れられたジャムが置いてあったという。