日曜会議 〜代理出席〜
B.F.星4研究員バレット・ルーカス(Barrett Lucas)が風邪を引いた。それを最初に気づいたのは、彼の同期でありペアであるエズラ・マクギニス(Ezra McGinnis)であった。
前日から薄々勘づいてはいたのだ。此処最近実験が重なり、二人とも十分な休息がとれないでいた。更に、実験に加えて赤い箱での訓練指導も行っていたのだ。
疲れが溜まって体調を崩すのも無理はない。昨日あたりからバレットはオフィスでコンコンと咳をすることがあった。
そして、今日オフィスにかかってきた電話は彼のルームメイトからであった。ついにバレットが熱を出したらしい。エズラは彼の様子を見るためにバレットの居る部屋へと向かった。
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「あああ......ごめんなあ、エズラァ......今日はベッドから出られねえよおぅう......」
風のせいで感情がバグってしまっているようだ。オマケに声もガサガサで聞き取りづらい。咳も止まらず、熱を測ってみると38度と高い。
「良いから今日は寝てろ。日曜会議には俺が出席するし、貯めていた仕事もなるべく片付けてやるから。ブライスさんにも連絡は入れておくし、ちゃんと薬飲んで安静にしてろよ」
エズラが彼のベッド周りを整えながらそう言うと、バレットは「ありがとう〜」と弱々しい笑顔を見せる。
「こういう時だけは頼りになるんだねえ......」
「てめえ殴るぞ」
エズラが拳を見せるがバレットはぐったりしていた。いつもは煩いというのに、これだけ静かだと逆に不安になってくる。
バカは風邪を引かないと言うが、こいつは例外らしい。
エズラはバレットの布団をかけ直し、オフィスへと戻ったのだった。
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「はい......そうです。風邪を引いたみたいで、熱も38.5と高めでした。今は安静にしてます。はい」
オフィスに戻ったエズラは内線でブライスに連絡をした。風邪を引くと必ずブライスに連絡し、本人の体調を説明しなければならない。また、風邪を引いた研究員は感染防止で部屋から出ることは禁止される。食事はペアの研究員が持っていくか、同室の研究員が持っていくことになっている。
さて、連絡も終わったのでエズラは早速今日の作業に入った。人が一人足りないとなると、それなりに仕事も増えることになる。実験がなかっただけまだマシだ。
だが、やはり一人だと少し心もとない。決してバレットを信用しているわけではないが。
「はあ......結構あるな」
報告書を纏めながらエズラはため息をつく。
星4が基本的に行う仕事は資料集め、報告書の作成、実験記録諸々。毎日活字との戦いであるが、今日はそれらの他にもうひとつ仕事がある。
「確か、19時からだったな......」
エズラは時計を見上げた。
今日は日曜日。週に一度の研究員らの報告会である日曜会議がある。原則星5は必ず出席、独立している研究員は星5同様必ず出席というルールになっている。此処のオフィスからは毎週バレットが出席していたが、今日は彼を出すわけにはいかない。
さて、今日は日曜会議だが、情報交換が目的の大事な会議だ。よっぽどの理由がない限り欠席は許されないので、エズラが代理で出席することになるが......日曜会議は初めてである。
他の会議なら何度も出たことはあるのだが、日曜会議というのは基本的に決まった人間が出席するというルールがあるので、今まで一度も出たことがなかったのだ。
話を聞くだけの会議であるから何ともないだろうが、大人数の会議であるからか、エズラは早いうちから緊張していた。
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昼食後、エズラは食堂でリンゴを買い、すり潰してもらった。これはバレット用である。喉が痛いので普通の食べ物はしんどいだろう。
トレーにすり潰したリンゴを乗せて、彼はバレットが眠る部屋へと向かう。
バレットは自分のベッドで大人しく眠っていた。エズラが来ると目を覚まし、赤く火照った顔でぼんやりとしている。
「ほら、リンゴくらいなら食えるだろ」
「うう......喉痛いのに無理だよぉお......」
「すり潰してもらった。此処に置いておくから、少しは食べてみろ」
「あーい......」
エズラはバレットのベッドの横のサイドテーブルにトレーを置いて、薬と水も用意する。
「今日の日曜会議は俺が出るから」
「ああ、うん......ファイルは俺のデスクの上にあるから......頑張って......」
「ああ、早く治せよ」
いつもの調子でたんたんと喋れず気持ち悪い。本当に、早く治って欲しいものだ。
*****
エズラは一人のオフィスで作業に没頭していた。いつもの煩さがないからか、作業はびっくりするほど捗った。いつもなら五分に一回は、いちゃもんをつけられて喧嘩になるのだ。
「よし、これは終わりだな......次はこっちか......」
最後の報告書の用紙を手に取った時だった。施設内放送がオフィスの中に響いた。
『19:00より日曜会議が始まります。出席する研究員の方は早めに移動するようお願いします』
「もうか......」
気づけば会議まで一時間を切っていた。エズラは立ち上がって後ろにあるバレットのデスクからファイルを探す。
「日曜会議のファイルは......これだな」
ファイルを持ち、食堂へ向かう。自分の分の夕食をを素早くとって、バレットにはスープを持っていく。
彼はベッドの中でやはり大人しくしていた。薬を飲んだおかげか熱は下がっており、比較的朝より元気である。
「明日も安静にしてたら、明後日には復帰できそうだな」
「エズラママ」
「んだと」
「俺は病人っ! 暴力禁止!!」
「ったく......調子乗りやがって......」
風邪を引いていなければファイルの角で一発ぶん殴っていただろう。
*****
会議室に着くが、会議まではまだ30分はあった。部屋にはほとんど集まっていない。だが、30分後にはこれが満席になるのか、とエズラはキョロキョロと辺りを見回していた。
「あれええ!!? エズラじゃん!!!」
「げ」
後ろから突然声をかけられて、エズラは声の調子だけで誰だか分かった。
「......リディア」
「正解、正解、大正解!! リディアちゃんでーすっ!!」
腕を広げて近づいてくる女性はB.F.星5研究員リディア・ベラミー(Lydia Bellamy)。エズラの元ペア博士で、エズラは彼女の元で様々なことを学んできた。
「久しぶりだねえ、元気にしてたー?」
小さい子にするように頭を撫でられる。自分は既に大人だと言うのに、いつまでも子供のように扱ってくる彼女が、エズラはどうも気に入らない。
「止めろよ恥ずかしい。もうそんな歳じゃねえよ」
「あらー、大人になっちゃって!! 成長だねえ、感動したよ!」
「勝手に泣いてろ」
エズラは基本リディアにはタメ口である。彼女も全く気にする素振りを見せない。
「んー、冷たくなっちゃったのも成長の証かなあ」
「お前にそんな暖かい態度で接した覚えはない」
エズラがうざがっていると、
「あれ? エズラじゃん」
「リディア、後輩にウザ絡みしないの」
彼女の後ろからノールズとイザベルが現れた。イザベルを見た途端リディアの顔が輝き出す。
「わー、イザベル!! 今日もべっぴんさんだねえ!」
「朝も聞いたわよ、それ」
イザベルとリディアは同室である。そしてリディアは、ノールズとイザベルの同期でもあった。
「今日はバレットが風邪で寝込んでいるので俺が代理で来たんです」
「へえ、バレットが?大丈夫かな」
事情を説明するとノールズが目を丸くする。驚くのも無理ない。バレットが風邪を引くのは今回が初めてである。かなりタフな方ではあるが、最近の忙しさに体に限界が来たのだろう。
「ほんとですよね。馬鹿は風邪を引かないって言うのに」
エズラが毒を吐くと、「ああ!!」とリディアが納得した様子で手を打つ。彼女の視線の先にはノールズが居た。
「それを言えば風邪を引かないノールズは真のバカってことか!!!」
「待ってリディア、俺も風邪くらい引くから!! イザベルにしっかり看病してもらうんだから!!」
「いつ誰があなたの看病なんかするのよ」
「相変わらず冷たい!! そこが好き!!」
「黙ってくれる?」
リディアが入ると会話のキャチボールが激しいな、とエズラはぼんやりその様子を眺めていた。すると、リディアの視線が今度はエズラに向けられる。
「そうだエズラ!! エズラは日曜会議には初めて参加するんだもんね! 私が隣の席で色々伝授して差し上げよう!!」
リディアが腰に手を当てて鼻息を荒くしている。エズラは眉を顰めた。彼女が隣など考えるだけで恐ろしい。
「いや、別にいいから、そういうの」
「そんなこと言ってー......席が何処だか分からなくて困ってるんでしょ?」
「......」
図星だった。確かに、バレットが毎週どこに座っているのかまでは分からない。というか、日曜会議は席順が決まっているわけでもない。いつもどの辺に座るのか簡単に聞いてくれば良かった、とエズラは後悔した。
「久しぶりの再会なんだからもうちょっとじっくりお話したいし、隣に座ろうよー!」
リディアがエズラの手を取り、にっこりと笑いかけてくる。エズラは彼女から目を逸らした。目を逸らした先にはノールズとイザベルが居る。明らかに恥ずかしがっている自分を見て、ノールズはニヤニヤと笑い、イザベルも目が笑っていた。
「......わかったっつの」
エズラが渋々承諾すると、リディアがエズラの首に抱きついてきた。
「わーいやったー!! エズラ大好きー!!」
「煩い」
続々と入口から入ってくる研究員たちが微笑ましげな目をこちらに向けている。エズラはリディアを何とか引き剥がす。イザベルは毎日こんな奴と同じ部屋で寝起きするとは大変だ。自分もまだ助手だった頃は同じことが言えるのだが。
リディアにうんざりしているエズラを見て、ノールズがクスクスと楽しそうに笑った。
「仲良しだね、イザベル」
「そうね」
「ほんとやめてください」
今日の会議中ずっとこのテンションで隣に居られては精神的に持つか不安である。
エズラは大きなため息をついたのだった。
*****
リディアが選んだ席はかなり前の方だった。つまり、スクリーンの近く、当然人の目も集まりやすい場所だ。目立ちたがりに思われるノールズでさえスクリーンから離れた場所に座っているのに、何故こいつはこんな場所に座るというのだ、とエズラは席に座るのを渋った。
「なあ、どうしても此処じゃないとダメなのか」
先に席についたリディアは、ニコニコと満足気だ。
「リディアちゃんの特等席だよ!!」
「此処目立つぞ」
「そのために選んだんだからね!!」
「ぶっ飛ばすぞ」
「愛あるキックだね!! カモン!!!」
「......はあ」
永遠にこんな会話を続けるのもバカバカしい。
エズラは観念して席についた。一席ずつにこの会議で使うらしい資料が置かれている。それに目を通していると、突然会場のざわめきが小さくなった。驚いて顔を上げると、前の扉から三人の男性が入ってくる。
ブライス、ドワイト、そしてナッシュである。伝説の博士と呼ばれる三人組だ。B.F.設立当時からいる彼らが持つオーラは、そこらの研究員とは全く違う。特にB.F.最高責任者であるブライスは、歩くだけでその場の空気がガラリと変わるような気さえ感じる。
「今日もかっこいいなあ」
「はあ?」
隣を見ると、リディアがうっとりした顔でブライスを眺めていた。
彼女はブライスに思いを寄せる数少ない一人である。数少ない、というのは、ブライスを好きになる人間など、この会社を探してもほとんど居ないからだ。
ブライスの性格は恐ろしいほど冷酷だと聞く。まだエズラが入社して間もない頃だったか、彼の命令で何人かの研究員が命を散らしたそうだ。彼はそれから影でコソコソと死神呼ばわりされているそうだが、リディアは違う。
彼女はブライスの外側にも、内側にもベタ惚れだった。
外側というのは納得するが、何故内側なのか。
まだペアだった頃、彼女は毎日のようにブライスの良い所をエズラに教えて聞かせた。冷酷と言われているが、実は仲間思いなだけで、いつも部下のことを考えている。また、ドワイトとナッシュを大事にしており、昔は実験で二人を庇って大怪我をしたこともあったらしい。
確かにそれを聞くと悪い人間では無いのだな、とエズラも思うようになっていた。部下のことを一番に考えてくれている気がするし、上司としては素質が有り余るほどの人間である。
ブライスを語る時のリディアは幸せそうだ。エズラはそれが何故か、あまり面白くは感じないのだった。
「わー、ドワイトさーん」
リディアはドワイトに小さく手を振っている。ドワイトもまた此方に手を振っていた。リディアに限らず他の女性職員が皆ドワイトをうっとりと眺めている。さすがは伝説の博士人気ナンバーワン。完璧なファンサービスだな、とエズラが冷めた目で眺めていると、
「あ!! もちろんエズラも可愛いよ!!」
「やめろ、大声で」
「ん?? ああ、エズラは美形だもんね!! よっ、色男!!」
「違うやめろ」
エズラは視線を感じてハッとした。そちらを見るとナッシュがクスクスと楽しそうに笑って此方を見ていた。隣のドワイトの肩を小突いている。ドワイトも此方に気づいて「仲良いねえ」とでも言うふうに笑っていた。
エズラは顔を真っ赤にして、全く読み進められていない資料を掴む。
「もういいだろ。資料読ませろよ」
「私の!?」
「ちげえよ!!」
まるでコントだ。バレットは毎週これをやっているのか。と言っても彼の場合リディアに話しかけられても同じテンションで話すことができそうだ。
資料に目を通していると、
「よう」
右隣の椅子が動いた。顔を上げると、同期のビクター・クレッグ(Victor Clegg)が居た。
「ああ」
「なんだ、バレットは風邪か?」
そう言えば、今日はビクターにもケルシーにも会っていない。思い返してみれば、オフィスに篭もりっぱなしだったし、食堂にいる時間もかなり少なかった。
「そうなんだよ。ったく、色々調子こいてるから治ったらどうしばこうか考えてる」
「そうか」
ビクターが苦笑する。日曜会議に出るのはケルシーではなく、ビクターらしい。やっといつもの親しい面子に会えてエズラは内心ほっとしていた。
「......で?」
席に着いたビクターはニヤッと笑ってエズラを見た。
「ちゃっかり元ペアの隣に座ってるのなお前は」
「う、うるせーよ......こいつがそうしたいって言うから座ってやっただけだ」
「はは、まあ、久しぶりに会えたから嬉しいんだろうな」
「ビクター! 聞こえてるよ!! エズラから私に急接近してきたの!!」
「ちげえ!!」
やっぱり疲れる。席変えたい。
エズラは頭を抱えた。
*****
やがて日曜会議が始まった。伝説の博士が代わる代わる資料の中身を読んだり、説明をしたりして色々と新鮮だった。
隣のリディアはブライスが喋っただのドワイトが可愛いだのと浮かれる様子は全くなく、真剣にメモをとっている。
真剣な時は本当に静かだというのに......。
全く彼女は変わらない。
*****
一時間半ほどで日曜会議が終わり、会場にあった独特の緊張感が一気に解けた。
「んー......終わったあ」
リディアが隣でぐぐ、と背伸びをしている。
「バレットの様子を見てきてやるか」
ビクターが資料を纏めて立ち上がった。
「いいよそんなの。下手に風邪移されても困るだろ」
「気をつけるよ。それにちょっと資料のことで確認したいことがあるからさ。俺先に行くな」
「ああ、じゃあ、また」
ビクターが行ってしまったのでエズラはリディアと二人になる。
「ビクターもすっかりお兄さんだねえ」
リディアがしみじみと言いながらビクターの背中を目で追っていた。
「どっかの誰かみたいに突っかかって来ないから気楽でいいよ」
「およ?? それは私のことだね!?」
「分かってて何でそんな嬉しそうなんだ......」
さて、自分もオフィスに戻るか、とエズラは資料を手にして席を立つ。
「あーん、もう行っちゃうのー?」
リディアが途端寂しそうな声を上げた。
「当たり前だろ。まだ仕事あるし」
「そっかー。来週もエズラが参加したらいいのに、日曜会議!」
「はあ? 嫌に決まってんだろ」
新鮮で面白かったが、これを毎週、しかも隣がこれだけ騒がしいと嫌になる未来しか見えない。
「じゃあ再来週!!」
「子供か。諦めろよ」
「ちえー......」
リディアは唇を尖らせる。
自分より年上だと言うのに驚くくらい子供っぽい性格である。これでもう少しで30なのだから喜ぶべきなのか、呆れるべきなのか。
日曜会議中のあの真面目さでやっていった方が仕事ができそうに見えるというのに......この明るさが彼女の取り柄なのだろうか。
「じゃあな」
「うん、久しぶりに会えて楽しかったよ!! いつか一緒に合同実験しようねー!!」
「......考えとく」
エズラは会議室を出てオフィスへと戻る。
全く変わらない自分の先輩に少しだけ懐かしさを感じながら。