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Black File  作者: 葱鮪命
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File029 〜空飛ぶフォーク〜

 B.F.星5研究員のイザベル・ブランカ(Isabelle Blanca)とその助手である星2研究員のキエラ・クレイン(Kiera Crane)は、午後から実験が入っているので、実験室へと向かっていた。


「フォークやスプーンが飛んでくる超常現象ですか!」


 歩くのがキビキビと早い彼女に、キエラは一生懸命ついていこうと足を早く動かしている。


「ええ、危険が伴う超常現象だからゴーグルと手袋は必須ね。当然、持ってきたわよね?」


 イザベルは助手をチラリと横目で見やる。彼は照れ笑いのような表情を顔に浮かべて、頭をかいていた。


「えへへ、ゴーグル忘れました」

「......取ってきなさい」

「はーい」


 テコテコと走っていく後ろ姿を見てイザベルはため息をつく。


 最初に来た頃よりはマシになっただろうか。


 彼が来て本当に最初の頃は実験室に向かう途中で彼が隣から消えていることも少なくはなかった。何やら忘れ物をしたとかで一度オフィスに戻ろうとしていたようだったが、そのオフィスにすら辿り着けず、広い施設で迷子になって半べそで戻ってくるというのが日常であった。


 それに比べれば今は、忘れ物は減らないものの、迷子になることはあまり無くなったので成長したということなのだろうか。


 イザベルが少しだけ目を細めて、口元を緩めた。


 やがて彼は数分後に戻ってきた。その頭にはきちんとゴーグルがついている。上下逆ではあるが。


「反対よ」

「はえ?」

「上と下が反対」


 イザベルが言うと、キエラはぺたぺたと自分のゴーグルを触り、「ああっ」と納得したように声を上げて、ワタワタと直し始める。


「よし!! ごめんなさい!!」

「......そんなキラキラした顔で言うことかしら」

「良い運動になりました!!」

「ポジティブね......」


 これでは怒るに怒れない。

 いつもそうである。


 彼の将来のためにもこれはきっちり注意しなければ、と思うことは多々あるのだが、なかなかそれを実行に移せない。


 ノールズ曰く「甘やかせ過ぎだよ!」らしいが、果たしてそうなのだろうか。


 厳しく接しているつもりではあるが、これ以上どう厳しくしていけばいいのか、イザベルには分からなかった。


「行くわよ」

「はいっ!」


 イザベルが歩き出すのをキエラは再びついてくる。


「それで、えーっと、今回は危険な超常現象なんですよね!」

「そうね」

「僕、危険な超常現象って初めてかもしれません......」


 少し緊張した顔を見せるキエラに、イザベルは淡々と言う。


「そうかしら。今まで見てきた超常現象も見方を変えれば、どれも危険なものばかりよ」


 イザベルの言葉にキエラは納得できないようだ。「そうですかねえ......」と首を傾げている。


「仮に、No.21が伸びすぎて、蔦や茎が首に絡まったりでもしたらどうするの?」

「うーん、確かに......」


 B.F.No.21は【伸び放題】という植物の超常現象である。光合成もせず、一日に何メートルも成長するというものだ。その超常現象の責任者は今のところ、イザベルの同期であるノールズ・ミラー(Knolles Miller)となっている。


「危険じゃなく見えるものも本当は危険かもしれない......と」


「そうよ。だからどの対象にしても気を抜くわけにはいかないの。用心しておきなさい」


「はーい!!」


「......」


 本当に大丈夫なんだろうか、と不安になってくるが、彼は一度言えば分かる子......のはず。まだ報告書の紛失は後を絶たないがきっとそのうち無くなるだろう。いや、無くなって欲しい。


 *****


「此処が今日の実験室ですね!」


 広い実験室に着いた。イザベルは鍵を刺して扉を開ける。


「まず実験室に入ったら、手前のテーブルの観察を始めること。テーブルの上のものは触ったらダメよ」

「気をつけます!」


 二人は準備室でしっかりとゴーグルと手袋をつけて、実験室に足を踏み入れた。


 実験室の中には二つの円形のテーブルが真っ白いテーブルクロスを被って、手前と奥にひとつずつ置いてあった。その上には食器も置いてある。テーブルは大きいが、食器は三人分しか置かれていなかった。あとはテーブルの中央に一本の花が刺さった花瓶が置いてあるだけだった。


「すごーい、ホテルみたいですね」

「そうね。ちゃんと全部の食器が揃っているわ」

「凄い数......」


 フォークやスプーン、ナイフなど。グラスも計四つ。カトラリーというものだ。外側から内側に向かって順番に使っていくというルールがある。更には食べる料理によって使用する食器も異なり、食べ方にきちんとした作法があるのだ。


 キエラは初めて見るのだろう。不思議そうにテーブルに並ぶ食器たちを眺めている。どれも見事に磨かれていて、実験室の天井の明かりが反射して輝いていた。


「こんなに沢山の食器、全部使って食べるんですか?」


「そうよ。外から、スープスプーン、オードブルナイフとフォーク、フィッシュナイフ、フォーク、ミートナイフとフォーク、上のはフルーツフォーク、ナイフ、アイスクリームスプーン、バタースプレッダー、ナイフ」


 イザベルは指さして、一つ一つの名前を淡々と上げていく。


「グラスは一番大きいのがゴブレット。水用のグラスね。細長いのはシャンパングラス。底が丸いのが赤ワイングラスよ。それより一回り小さいのが白ワイン用のグラスね」


「ひ、ひいい......目が回りそうです」


 イザベルの指先を目で追っていたキエラが、目をクルクルさせながらそう言った。


「食器の名前を言っただけじゃない......」

「だ、だってこれ、食べ方のマナーもありますよね!?」

「そうよ」


 イザベルが頷く。キエラは再び「ひい」と言って今度こそ倒れそうになった。もしこんなレストランに行くとなると、作法のことで頭がいっぱいになって、食事などとても集中できないだろう。


「う、ううん......僕もイザベルさんをかっこよくエスコート出来るように頑張って覚えようかな......」


 外部調査という新制度が出来たくらいである。彼女とこれだけのカトラリーが揃えてある店で食事をする機会が今後あるかもしれないのだ。そんな時にイザベルに作法を教えて貰っているようでは、男としてとてもかっこ悪い。


 もしイザベルとご飯を食べに行くことになって......その時は彼女と腕を絡ませて、席までエスコートしてあげたい。きっと彼女も自分のことをかっこいいと思ってくれるだろう。自分は黒の大人っぽいスーツに身を包み、イザベルは赤や白などのドレスなんか着たらどうだろう。まだ背は自分の方が小さいが、いずれは彼女を超えて、かっこいい大人へとなりたい。


 そんな妄想を抱きながらキエラはフォークのひとつを手に取った。


「!」


 遠くで何かが動くのがイザベルの視界の端に映った。


「え!? うわっ!!?」


 キエラは突然、横に倒れ込んだ。イザベルが自分の右腕を強く引いて、バランスを崩してしまったのだ。キエラは床に倒れる。


 一方でイザベルは、キエラを掴んだのとは反対の腕でテーブルの足を掴むと一気に上に引き上げた。テーブルは見事なバランスを保って床と垂直に立つ。テーブルの上に乗っていた食器は当然の事ながら大きな音を立ててテーブルクロスと共に床に滑り降ちる。


 そして、イザベルはそのテーブルの板の後ろにキエラと共に身を隠した。


 次の瞬間、


 スカンッ!!!ダンッ!!!!


 大きな振動が、テーブルを通して体全体に響いてきたのだ。


「ひいいいっ!!!?」

 キエラは思わず身を縮こませてイザベルの腕に抱きつく。


「食器に触るなと忠告したでしょうっ!!!」

「ご、ごめんなさい!」


 イザベルの怒号にキエラは更に身を縮こませる。


 彼女は顔をテーブルの影から覗かせる。奥のテーブルのカトラリーがふよふよと空中に浮いているのが見えた。ナイフやフォーク、スプーン。そしてその先端部分が全て此方に向いている。


 イザベルとキエラが隠れているテーブルの面には、奥のテーブルから飛んできたらしい沢山のカトラリーが刺さっていた。さっきの衝撃と音はこれが飛んできて刺さったもののようである。


 既にかなりの数が刺さっていて、更にカトラリーは次々と飛んでくる。


 この超常現象の事前情報は少ない。こうした攻撃状態に入ってしまうと、相手の攻撃は永遠に続く。あのカトラリーは無限増殖するらしい。しかも、このように刺さってしまうほどに威力を高くして飛んでくる。


 こんなもの生身で当たれば下手したら死ぬだろう。


 あの攻撃を止める方法はただひとつ。あの奥の机をひっくり返し、テーブルの上にあるものを全て落とすのだ。


「イザベルさん!! お顔が危ないです!!」


 キエラに腕を引っ張られてイザベルは顔を引っ込める。


 奥のテーブルまではかなり距離がある。走っていく過程で怪我を負ってしまうことは十分に考えられる。


「......全く、どうして忠告を無視するのかしらね、あなたは」


 キエラには昨日からこの超常現象の性質については伝えていたはずだった。キエラは目を泳がせて、


「な、何ででしょう......」


 と首を傾げている。イザベルはため息をつく。


「仕方ないわね......とにかく今はこの状況をどうにかしないと......」


 時間からして、そろそろ実験を終わらせなければならない頃である。今日は簡単に様子を見るだけのはずだった。こんなことになるとは予想していなかったのだ。


「どうにかって言ったって......止めるにはあのテーブルの上をまっさらにしないといけないんですよね? あそこまでどうやって走っていくんですか!」


 キエラも顔をこっそりと覗かせて奥のテーブルを見てみるが、危うく鼻先をフォークで突き刺されるところだった。悲鳴を上げて再びイザベルの腕に抱きつく。


「それを今から考えるんでしょう」


 イザベルは冷静に答えて、少し遠くの床に転がった研究員ファイルを掴んで引き寄せた。


「バリケードを作って奥まで行くのが一番手っ取り早そうだけれど......」

「バリケードですか......このテーブルですかね......」


 キエラは今自分たちが盾にしているテーブルをコツンと叩く。イザベルはさっき軽々とひっくり返したが、あの勢いのあるカトラリーの攻撃を受けても倒れないということは相当な重量があるはずだ。華奢なキエラでは持ち上げることは愚か、イザベルのようにひっくり返すことも難しいだろう。


「そうね。でも、これを持って走るのには重すぎるわ」


 確かに、ひっくり返すのならまだしも、体を隠しながらあちらまで持っていくとなると二人では厳しいだろう。


「ううん......じゃあ、生身で、行きますか......」

 キエラは眉を顰めて案を練る。


「ナイフとフォークが急所に当たって死ぬかもしれないけれど、それでもいいのなら」

「嫌ですよ!!」


 想像したのか顔を青くしてキエラはぶるっ、と震えた。


 イザベルは研究員ファイルに目を通す。その間にも、二人が隠れているこのテーブルには、奥からのカトラリーの攻撃が絶え間なく音を立てて続いていた。


「イ、イザベルさん......テーブルを貫通しそうな勢いですよ......!?」


 キエラは、最初よりも明らかにヒートアップしているカトラリーの攻撃を背中越しに感じて、更に顔を青ざめさせている。


「そういう超常現象なのよ。早いところ済ませないと致命傷の手前では済まないわね」


 イザベルはパタン、と研究員ファイルを閉じ、キエラに預けた。ずっしりとしたファイルは持って開くのは難しいのではないかとさえ感じてしまう。


 しかし、どうしてこれが渡されたのかキエラには検討もつかない。オロオロした顔でイザベルを見上げる。


「え、え......ちょ、何です!?」


「私が何年も貯めてきた膨大な情報量が入ったファイルよ。そう簡単に貫通なんかさせないって胸を張って言えるわ」


 イザベルはそう言って、ゴーグルをつけた。キエラが目を丸くする。


「それは凄いですけど......これをどうしろと......?」

「貴方の体を守る用よ」

「え!? ちょ、まさか、一人で突っ込むつもりですか!!?」


 イザベルはゴーグルの位置を調整している。年季の入ったゴーグルは、明らかに彼女の同期であるノールズがつけているものより古く見える。


 そういえば彼女はこのゴーグルを常に頭をつけている。

 実験以外でも、食事をする時や、会議に出る時でさえ。


「あら、嘗めないで」

 イザベルはゴーグルのゴムをパチン、と言わせた。


「これでも赤い箱で経験を積んできたのよ」


 確かに彼女がさっきこのテーブルをひっくり返すことが出来たのも、その経験があったからだろう。残念ながら星4未満であるキエラは、赤い箱での経験を持っていない。


「そうは言われてもですね、大切な先輩にこんな危険なことを任せられるほど、僕はチキンじゃないです!!」


「なら学ぶことね。浅はかな行動がどれだけ命取りになるのか......!!」


 イザベルはフォークとナイフの攻撃が緩んだのを見て一気にテーブルから飛び出した。何も応戦するものを持っていないわけではない。星4以上が持つことを許される拳銃を手にして、それを構えながら奥のテーブルへと向かっていく。


「イザベルさあぁぁあんっ!!?」


 遥か後方でキエラの声が聞こえたが、イザベルは振り返らずにテーブルへと辿り着く。そして次の瞬間には板を掴み、一気に上へと力を加える。


 かなり大きな音を立ててテーブルがひっくり返った。その瞬間、空中でふよふよと浮いていたカトラリー達が床にカランカランと落ちてくる。やがて、部屋に静寂が訪れた。


「......やった......のかしら......?」


 待ってもさっきのような攻撃は飛んでこない。後ろからキエラが駆けてくる音がした。


「イザベルさん!!! 平気ですか!!? ああああああっ!!! 白衣に穴が空いてるじゃないですかあぁあ!! 貫通してません?!! ちょ、此処、此処、血ぃ出てますけどぉお!!? こんの......どの食器がやったんですかあぁぁあっ!!!」


「............ぷ」


 顔色をコロコロと変えて必死になっているキエラを見て、イザベルは耐えられずに吹き出した。


「へ......」


 イザベルが笑うところなど初めて見たキエラはポカンとした顔で彼女を見上げる。


「ごめんなさい......ちょっと、昔の先輩を思い出していたのよ」

 くすくすと口元を隠しながらイザベルは笑っている。


「貴方って......彼そっくりね」

 イザベルは口元を抑えながら、走って乱れたキエラの赤い髪を優しく耳にかけてあげた。キエラは初めて見るイザベルの笑い顔と、今の彼女の行動に対して頭がショート寸前であった。顔を真っ赤にしてヨロヨロと後ろに下がって行く。


「イ、イザベルさん......!? ちょ、聞き捨てならないんですがっ!! 誰です!? 今、彼って言いましたよね!!? ちょ、笑ってないで答えてください!!!」


 イザベルは楽しそうに笑いながら、顔を真っ赤にして近づいてくるキエラを身軽に避ける。


「さあ、片付けるわよ、キエラ」

「ああ!! 誤魔化さないでくださいぃぃいっ!!!」

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